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「コード」が支配する、電車のポテトと学校空間 | 『桐島、部活やめるってよ』

高校生のころ、部活の先輩が電車のなかでハンバーガーを食べようとするのを止めたことがある。他の乗客からの視線もあり、車内でマクドはマズイと諭すと、先輩はこう答えた。

「食べていいか考えたんやけど……ジョン・レノンやったら、電車でハンバーガー食べるやろなと思って」

あのとき、自分は車内に持ち込まれたマクドナルドの袋を、はっきり「異物」と捉えていた。

周りもそうなのだろう。ポテトのニオイが持ち込まれると、乗客は一斉に不満を表明しだす。ムッとした表情がニオイの主を探し出し、舌打ちまで聞こえることもある。自分も同じ感覚だったからこそ、ジョンを模範とする先輩の行動を咎めたのだ。

しかし、あとになって考えてみると、自分はマクドナルドのフライドポテト自体は大好きであると気がついた。多くの乗客も、ポテトそのものが嫌いなわけではなさそうだ。少なくとも、マクドナルドの店内でポテトを見ても、誰も不満は抱かない。

車内の飲食は「お断り」なのだろうか?

なぜ店内では何も感じないのに、電車では不満に感じるのか。

それは、電車のなかは「無臭空間であるべきだ」という暗黙の了解、「コード」が支配する空間であるからだ。

車内は無音であり、無言であり、そして無臭でなければならない。鉄道会社の規約にそう定められているわけではないが、誰もがその不文律を胸に秘めて乗車している。匂いを察知した者が発するのは、匂いに対する不快の表明ではなく、車内に共有されたコードを犯したことに対する弾劾の視線だ。

存在しているのは合理的なルールではなく、曖昧な「コード」である。

これは、在来線で禁止されている(ように見える)飲食が、新幹線では許されていることからも明らかだ。たとえば禁止の理由が「こぼすかもしれないから」みたいな理由であれば、新幹線や特急であってもNGであるべきだろう。

「学校みたい」

自分はこういった場面に出くわすたび、「学校」みたいだな、と感じる。

なぜ、電車のポテトから学校を思い出すのかわからなかったのだけど、ある作品に出会ってその謎が解けた。

朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』だ。

読んでいて完全に思い出した。

まさに学校こそ、もっとも普遍的で、もっとも強力なコードが張り巡らされた空間なのだった。

(C)2012「桐島」映画部 (C)朝井リョウ/集英社

「〜してはいけない」場所

学校という場で私たちが特に気にしていた禁止事項のほとんどは、校則に規定されているものではない。

電車の車内マナーと同じく、暗黙の了解によるものだ。「桐島」は、そんなコードが充満した学校空間を、鮮明に思い出させてくれる。

人の目にさらされるってことが、僕は嫌いだ。嫌いになってしまった、というほうが正しい。僕はそういう場所に立ってもいい人間ではないんだということを、自分でというか、周りから知らされる形で実感したことがあるから。

『桐島、部活やめるってよ』
(集英社文庫)

映画版で神木隆之介が演じた前田は、コンクールで賞を取った映画部を代表して全校集会の舞台で表彰される。

一見、嬉しい出来事のように思えるが、彼自身はそうは思っていないらしい。学校では「そういう場所に立っていい人間」が決まっていて、自分はそれに該当しないことを自覚しているからだ。

(C)2012「桐島」映画部 (C)朝井リョウ/集英社

それを決めているのは「目立つか目立たないか」「運動部か文化部か」といった、学校の外には全く通用しない属性だ。

高校って、生徒がランク付けされる。なぜか、それは全員の意見が一致する。英語とか国語ではわけわかんない答えを連発するヤツでも、ランク付けだけは間違わない。大きく分けると目立つ人と目立たない人。運動部と文化部。
上か下か。

『桐島、部活やめるってよ』
(集英社文庫)

自分も文化部だったので、前田の気持ちがよくわかる。

映画部ではなくて「ポピュラーミュージック部」であったけど、全く同じように全校集会で表彰されたことがあった。

当時、部のバンドで出演したコンテストで「大阪賞」を受賞した。これは「最も大阪らしいパフォーマンス」をした、いわゆる「オモロい」バンドに対して贈られる賞である。

全校集会の当日、高校3年生の自分は、校長先生に呼ばれて舞台に上がることになった。とにかく早く終わって欲しい、という希望が頭の中をぐるぐる回る。自分はクラスで「オモロい」存在ではないからだ。

「大阪賞というのは、どういうバンドに贈られる賞なんですか?」

そんな願いもむなしく、校長からは、大阪賞の趣旨についてインタビューが始まった。

南大阪の府立高校でありながら標準語のイントネーションで話す校長の声に、ボソボソと端切れの悪い返事をしたような気がする。顔面が熱くなるのを感じながら舞台から降りると、同じ学年の野球部がニヤついているのが視界の端に映った。見ないフリをした。

前田と同じように、自分も「そういう場所に立っていい人間」ではないと感じていたのだ。

言われなくても、誰にでもわかる

(C)2012「桐島」映画部 (C)朝井リョウ/集英社

空間を支配するコードは、誰に教わるものでもないが、全員が即座に察知するものだ。

なんで高校のクラスって、こんなにもわかりやすく人間が階層化されるんだろう。男子のトップグループ、女子のトップグループ、あとまあそれ以外。ぱっと見て、一瞬でわかってしまう。だってそういう子達って、なんだか制服の着方から持ち物から字の形やら歩き方やら喋り方やら、全部が違う気がする。

『桐島、部活やめるってよ』
(集英社文庫)

これも経験がある。

高校入学当時、バンドがしたいと意気込んでいた私は、軽音楽系の部活に入ろうと考えていた。

入学した高校には、音楽の部活がたくさんあり、バンドができそうな部活に限っても「軽音楽部」と「ポピュラーミュージック部」の2つの選択肢があった。軽音楽部はビッグバンドジャズをやっていて、ポピュラーミュージック部は、イメージ通り3〜5人くらいのバンドを結成して活動してる部活らしい。

ここで自分が入部を希望したのは、ジャズをやっている「軽音楽部」だった。

軽音楽部は長い歴史があり、中庭で和気あいあいと練習していて、部室もある。一方のポピュラーミュージック部は創部まもなくて、部室もない。普通の教室を借りて練習している。

体育館で行われた部活紹介のプレゼンテーションでも、明らかに校内の人気が高いのはジャズの方だった。入学したばかりの自分は、それを瞬時に感じ取り、音楽性よりもヒエラルキーを取ってしまったのだった。

ただし、当時はアニメ「けいおん」ブームの直後。まさに「ユルくて楽しそうな音楽系」の部であった軽音楽部には希望者が殺到したため、入部は抽選となった。そして視聴覚室での抽選会で自分が引いたクジには、丸文字で「ごめんなさい」と書かれていた。不純な動機はあっさり挫かれた。

丸文字のクジを捨て、その足で向かったのが、ポピュラーミュージック部だった。そこで入部届を手渡してくれたのが、電車でハンバーガーを食べようとした、ジョン・レノンが好きな先輩だった。

「コード」から解放されるために

(C)2012「桐島」映画部 (C)朝井リョウ/集英社

電車や学校だけでなく、社会はいろいろなコードに満たされていて、それはしばしば、私たちの行動を制限しようとする。

たとえば就職活動では全員が真っ黒のスーツを着ないといけないとか、いい歳して結婚していないのは情けない、とかの類いだ。これらは全て、ぼんやりとした雰囲気を共有しているに過ぎない。いちいち従わなくていい。

そういったコードを内面化してしまうと苦しいが、意識的に解除していく方法もある。それは、これらが非合理的な存在であることを理解することだ。

たとえば、電車でポテトの匂いがしたときに、反射でムッとしないこと。

具体的には、「おいしそうな匂いだな」と考えるといいですよ。

 文・まこまこまこっちゃん
編集・かわい(フラスコ飯店店主)

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