Te wo Arai mashou.

カテゴリー: レビュー

(C)2021「ドライブ・マイ・カー」製作委員会

言葉とは何だろう。言葉が通じるとは、話をするとは、どういうことだろう。言葉を使うことは否応なく、言葉を使わなければ出会うことのなかった深い深い孤独と対面することでもある。同時に、言葉がなければ見ることのできない祝福の光を浴びることでもある。そのような孤独の暗闇と、トンネルの先にある朝の海のような眩しい光とのあわいを、一台の赤い車が走ってゆく。

『ドライブ・マイ・カー』という映画について語る時、まず僕はこういった抽象的なイメージを語らなければならない。すぐさま細部を語るには、あまりにこの映画の引力が強すぎる。

文・すなば

1991年生まれ。会社員として働く傍ら文筆家として活動。海とシティが好き。2021年10月に初の単著『さよならシティボーイ』(トーキョーブンミャク)刊行。

→『さよならシティボーイ』について詳しくはコチラ

©️New Line Cinema

あなたは完全だ。

自分は全く完全ではなく、何かが欠けていると思っている人へ。欠けているなにかを探さなくてはいけないと思っている人へ。欠けているなにかなんて見つからないと諦めている人へ。そんなふうに考えたこともないという人へ。その他も含めた全ての人に言う。あなたは疑う余地なく完全だ。

今から、そのことを教えてくれる素晴らしい映画についての話をする。この映画は素晴らしいが、そのラストシーンに関して言えば分かりにくい。それでも、初めて観た時に僕はラストシーンで泣いた。それは、「Midnight Radio」を歌うヘドウィグが、自分自身が「完全」だと気づいていたからだ。

この記事は、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』を見た人にも見たことがない人にも、ラストシーンを紐解き、なぜヘドウィグが「完全(whole)」であると言えるのかについて説明するものである。また、その補助線として、登場人物の名前の由来や、その由来となった人物のエピソードや単語に言及する。

まあ、格好をつけましたが、名前とかにも意味があって、結構重要なんだよというような話です。

(C)2017映画「勝手にふるえてろ」製作委員会

「勝手にふるえてろ」という言葉。強いメッセージに見えるが、その核には何があるのだろうか。

筆者はこの言葉は観客に向けられた言葉だと感じる。そもそも私たちは映画を見てカタルシスを感じたり、物語を自分の人生に置き換えることはあるだろう。しかし『勝手にふるえてろ』は劇中だけで終わらず、見ている我々がヨシカに「勝手にふるえてろ」と言われることで後味が残る。

映画館を出ても、そのセリフの意味を考えてしまうのだ。スクリーンの中だけで終わらず、我々の日常にヨシカの言葉が重くのしかかる。

なぜ「勝手にふるえてろ」という言葉が強く響くのか。

その理由はこの物語が単なる恋愛物語だけではなく、自己陶酔から、他人と自分の相互承認によって自分を成長させる “自覚” へ進化する人間の物語であるからだと筆者は考える。そのうえで劇の最後に「勝手にふるえてろ」と私たちに突きつけたこの映画の目的とはなんであろうか。

名作日本映画『勝手にふるえてろ』の徹底レビューです。なぜあのラスト? なぜあのセリフ? いやいや一も二も、ヨシカにとっては “まったく同質の存在” じゃないの?

テクストと頭と筆を徹底的に絞った映画評です。文は自称バームクーヘンさん、編集は和島咲藍。7000字超の禅問答で生まれた目からうろこの解釈をお楽しみください。

(店主より)

毎日闘ってる。自分だけがとかではないと思うけど毎日かなり闘っている。

だいたいにして眠りから目覚めると同時にどこか痛いし、たびたび根拠もわからないまま死にたくなったりする。

自分の生活の中に困難が数多あってそれらと日々闘っていることへの実感がある。

けれど「闘っている」「困難」そういう言葉を虫眼鏡で見てみればその言葉はどこか解像度が粗く、いろいろな要素を取りこぼしているかもしれないとも思う。

もちろん苦しんでいる自分だけが自分なわけではない。一時の苦しみにとらわれて未来まで見えなくなることもあれば、穏やかな時間に差し込んだ陽の光の明るさを信じられるような一瞬もある。握った手に励まされて心が溶けるように泣いた日もあった。

「困難と闘う」は自分の周りだけじゃない、どこにでもあふれている。

けどそれって実のところ、どういうこと?

自分自身の苦しさすらも、思えば拾い上げて真正面から見つめたことがあっただろうか。

(C)2019 日本すみっコぐらし協会映画部

僕は、皆が褒めているものは見たくないという逆張りの病に罹ってしまっていて、大抵の名作は見ていません。そのせいで人生の8割を損しているんじゃないかと思うことがよくありますが、治らないものは仕方ないですね。

(C)2015 THE BOY AND THE BEAST FILM PARTNERS

山よりも高く、谷よりも深い。耳キーン上等の賛否両論がある映画であることは十分に承知している。「否」もよく理解しているつもりでいますが、やはり僕は『バケモノの子』というアニメーション映画に力強く「賛」を叫びたい。

アニメーション映画として、そしてバディムービーとして『バケモノの子』の特異点を書きたいと思います。

(C)2021 Universal Pictures

暴力には反対だけど、暴力映画は称賛したい。

矛盾していますが本当です。いいや、矛盾しているからこそ本当なのかもしれません。人間は痩せたいけど深夜に冷凍チャーハンを貪ったり、貯金したいと口では言いながら何万円もするスニーカーを注文する生き物なのですから。

暴力の見本市みたいな作品がまたひとつ、日本に配給されてきたことを嬉しく思います。

映画『Mr.ノーバディ』。万歳三唱。

“自分は nobody だ”  と宣言する一方で、座席の僕は内心でこう叫ぶ。いや何でもないわけあるかい。いやあ、凄まじい映画でございました。

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