Te wo Arai mashou.

投稿者: フラスコ編集部

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『1917年 命をかけた伝令』は、第1次世界対戦中1,600人の命を救うための伝令を運ぶ、戦場の中を走り抜けて、お手紙を手渡しで届けに行く話だ。1917年はスマホでLINEを開けば、10秒でメッセージが送れる今とは大違い。「ちょっと連絡したい」と思っても手軽な連絡手段がない。実際に行かないといけないのだから。

さて、この映画は最初から最後まで一息に撮影された「ワンカット」映画だと大きく喧伝されているが、残念ながら実際のところはそうではない。「ワンカット風」なのだ。

「いやいや、ここ編集してるでしょ!」「このシーンの暗転では流石に切り替えられるでしょ!」と怒っている人すらもいるくらいだ。あくまでもワンカット「風」なのだ。

気になるのは、なぜワンカット警察にどやこや怒られるリスクを背負ってまで、わざわざワンカット風で仕上げたのか? ということだ。「風」であったとしてもかなり面倒であることには変わりない。

どうしてそんなめんどくさいことをしたのか? という疑問をこの記事で考えていきたい。

ヒト畜生です。駄作が多いと言われるPOV映画の隠れた名作を紹介します。

このPOV手法は通常より臨場感が出て低予算で作れることからホラー映画にてよく使われる手法です。ただ、その低予算からあまりにも駄作が量産されており、ファンからはもういいよみたいな空気が流れているのが現状。

そんなPOV映画の隠れた名作を紹介します。

Lo-Fi (Low-Fidelity)のこと。直訳的に書けば低い音質の音楽となるが、結果として低音質になったものではなく、ノイズを混ぜるなど意図して低音質に録音して提供する音楽のことを指すことが大半である。よれたへなへなの音像が特徴だ。2020年前後においては「ローファイヒップホップ」という語も広く浸透しているが、「ローファイ」という言葉およびその概念はヒップホップに限らずロックなどのバンドサウンドにも使用される。実は歴史的に振り返ればむしろそっちが先だ。

『ジョーズ19』は、1989年の映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』の中に小ネタとして登場した架空のサメ映画。ファンの手により後年実際に制作されることになる。

一作目の『バック・トゥ・ザ・フューチャー 』(1985)の公開から30周年となる2015年、ついに時代が『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に追いついたことを記念して、ジョーズ側の監督であるスティーブン・スピルバーグがニセ予告を制作し一般に公開するなどした。

また、時を同じくして2015年、ロシアのプロダクション “Terra Studio Russia” が実際に(そして勝手に)撮影し、『ジョーズ19』を完成させてしまう。

同作はYouTube で配信されており、Google 翻訳の力を借りて93の言語の字幕に対応している。日本語にも対応しているが、その翻訳精度も絶妙に不完全な塩梅なのも見どころのひとつ。

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この映画を観るまで、私はシリアの現状を知らなかった。

シリア関係のニュースが報道されることは日に日に少なくなっている。シリアの大都市アレッポは、2012年から2016年のわずか4年で爆撃により破壊された。

戦場で生活し、時には内戦の犠牲になる子どもや女性の姿。それをアレッポに住むジャーナリストの女性でこの映画の監督の1人でもある、ワアドが撮影する。

2016年、彼女の娘サマが産声をあげた。同じ年、とうとうアレッポは陥落する。

楽しかった日の帰り道、「楽しかったな〜最高だな〜〜」とニコニコしながら帰る。ふと思い返したら「あれ? そういえばなに喋ってたっけ……」となる瞬間がよくある。数日経ったら思い出せたりするが、なぜだか一時的にハテとなる。めちゃめちゃ笑ったことは覚えているのに。なにで笑ったんだっけ、と。

できれば内緒にしてほしいのですが、私は魔法族予備軍(24歳・女性)です。

最近兼業でグラフィックデザイナーも始めました。

何を隠そう、ホグワーツ魔法魔術学校に入学できると本気で信じていた女です。そして本気で信じて”いる”女です。今現在も、何らかの手違いでかなり遅れた入学案内を咥えたフクロウが飛んでくるのではと思いながら生活をしています。

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性善説が、大嫌いだ。

もっと正確に言うと、性善説そのものが嫌いなのではなく、何でもかんでもすぐに性善説を引っ張り出してきては「小難しいことは考えたくないけど、何かいいこと言ってる」風の人たちが、嫌いだ。

細かいルールがなくても、お互いに迷惑はかけずに生きていけるはず。

根っからの悪人なんていないし、相手が誰でも話せばわかってくれる。

放っておいても、子どもはまっすぐ育つ。

彼らはいつもそんなふうに色々なことから目をそらして、蓋をして、我関せずを貫いてきた。じゃあ、戦争はどうだ、虐待はどうだ、殺人はどうだ。人間が生まれつき「善」の存在だとしたら、世の中からどうしていじめはなくならない? 人間そのものが「善」の存在だとしたら、司法や宗教は果たして必要だっただろうか。

そうやって、多くの人々は誰かが苦しんでいても、悲惨なニュースを目にしても、「自分には関係がないことだ」と、必要な施策や支援を考えるのを放棄してきた。