小学5年生のころ。ぼくの学年の男子たちが昼休みに夢中になっていた遊びは「ハンドベース」だった。
軟式のゴムボール一つで利き手をバットに見立てて行われる簡易野球。もちろんグローブなんて使わない。運動場の土を運動靴でえぐりながら線を描き、ホームベースと一塁二塁三塁のベースの位置を設定すれば即席球場が出来上がる。
昼休みの運動場は全学年の小学生たちが一同に介してごった返す。
いち早く「場所取り」をすることが今日1日を楽しむための肝となる。給食を食べ終えたものから順に急いで校舎の階段を駆け下りていき、6年生が降りてくるより先に球場を建設するのだ。
なぜかあの頃、ぼくたちは昼休みのハンドベースのために全てをかけていた。
場所取りのために何人かで給食を早食いして、先生のいない廊下を猛ダッシュで走り抜けた。職員室の前を通る時だけ顔を見合わせ、スピードを落とし、ゆっくり歩く。職員室の奥の角を曲がるとまた顔を見合わせ猛ダッシュする。誰もいない運動場を目撃した時は毎回、なぜか爆笑する。
小学5年生。男子。ぼくたちははっきり言って、最強だった。
ある日、長く続いていたハンドベースブームに飽きていたぼくは
「今日は久しぶりにドッジボールをしよう!」
と提案した。理由なんて無かった。本当になんとなく思いついたからみんなに提案したんだと思う。
クラスのみんなはノリノリだった。ぼくたちは長く使われていなかった空気の抜けたドッジボールを1時間目の休み時間に持ち出して職員室に向かった。先生はボールがはり裂けそうになるほど空気をパンパンに入れて返してくれた。
迎えた昼休み。他クラスの少年野球部員である一人がいつも通りぼくらを呼びに低級のゴムボールを持ってやってきた。
「場所取りいくぞ!はよ食え!」
彼は学年の男子のリーダー格のひとり、Sくん。
喧嘩が強くて誰も彼には逆らわない。
ぼくはSくんにパンパンに空気が入ったボールを見せドッジボールに彼を誘った。
「なんでドッジやねん!お前が仕切るな!」
その一言でドッジボールに賛成派だったクラスメイトたちは一気にハンドベース派に流れた。ボールに空気を入れに職員室に向かった友達たちもハンドベースの場所取りに走って行ってしまった。
ドッジボールを脇に抱えながら、ぼくは何も言えなかった。廊下を走っていくみんなの背中を見つめて、ただひとり教室に戻った。
初めての経験だった。涙が出てきた。
リーダーの素質
リーダーの素質とは一体なんなのだろうか。
あの時ぼくに喧嘩の才能や根性があればクラスのみんなを説得できたのだろうか。もしあの場面で、Sくんに対して反抗的にドッジボールをすすめていたらクラスメイトたちの誰かはぼくの味方をしてくれただろうか。いや、きっともっと残念な結果になっただろう。
人の前に立ってチームを引っ張る存在。それがリーダーだ。あの頃のぼくにはリーダーの素質が無かったのかも。
リーダーの喜びと孤独を描いた『マネーボール』(2011)という映画の中になぜか覚えているワンシーンがある。貧乏球団のゼネラルマネージャーを務めるビリー・ビーンはジンクスを持っていて、自身の担当するチームの試合をできるだけ見ない。選手のプレーしているシーンや音声を避けるようにラジオやテレビを使って試合の経過や数字、情報を得るようにしている。
あくまでも結果を求めるビリーは選手へ愛着や情がうつらないように心がけるために試合もみなければ選手たちとの不必要なコミュニケーションすら取らない。
その日はア・リーグ地区優勝決定戦。誰もいないホーム球場のスタンドで一人きり。ポータブルラジオを片手に試合の経過を聞いている。ジンクスなのか、ラジオの電源をつけたり消したりしながらチームの勝利を誰よりも願っている。結果は敗退。ラジオの電源をOFFにして誰もいない真っ暗な球場をただ茫然と眺める。
IMdbより
ブラッド・ピット演じるビリー・ビーンは実在するメジャーリーグMBLのゼネラルマネージャー。球界随一の貧乏球団オークランド・アスレチックスをセイバーメトリクスと呼ばれる統計学的手法を用いてプレーオフ常連の強豪チームに作り変えていった偉人である。2002年には年俸総額1位のNYヤンキースの1/3程度の年俸総額ながらも全30球団中最高勝率・最多勝利数を記録した。
球界に存在する数々の常識を疑い、低予算で勝利を掴むためだけの方法をとってきた彼は多くの人たちの信頼やプライドを踏みにじってまでもチームを変化させた。
あのワンシーンはリーダーの孤独を象徴している。誰もいない静かで暗い球場のスタンド。一人きりでラジオから流れる相手チームNYヤンキースの優勝を祝う観客たちの声を聞いているビリーの姿。
革命的な偉業を成し遂げるリーダーにはそんな孤独が付き纏うのだろうか。
小学5年生。ぼくはビリーのようにドッジボールを片手に敗北した。
孤独から逃げることはできないのか
あれから随分と歳をとって、ぼくは今ロックバンドを組んでいる。そのバンドは来年2021年で10周年を迎える。10年近くバンドのリーダーをやっているのだ。ドッジボールはできなかったけど、今はバンド活動をなんとか続けていくことができている。
ビリー・ビーンほどではないけれど、チームの動きを大きく変化させる提案をしたことだってあったし、全員から総スカンを食らったことだって何度もある。
だけどバンドは少しづつ、周りの人間を巻き込んでいった。フェスの出演や大きな会社からプロモーションをかけてもらえるようになった。アルバムリリースや全国ツアーを送る日々。
あの頃、どうしても結果の出る一曲が必要だった。
今まで経験したことのないほどの活動量とプレッシャーで、あのころのぼくにメンバーの意見をゆっくり聞いてまとめる余裕は無かった。
独りきりで曲のデモ音源を作り、その音源のデータをメンバーに共有し、メンバーはぼくの顔色を伺いながら演奏する日々。誰ひとりバンドを楽しんでいるようには思えなかった。ぼくも含めて。
だけど、この音源たちが世に広まり、結果が出れば何かが変わる。そんな風にぼくは信じていた。
しかし結果は想像の範疇を超えることもなくバンドの認知度は現状維持を少しだけ上回る中途半端な内容だった。
「お前はよく頑張った」なんて言葉、誰の口からも出てこなかった。アルバイトと創作活動を並行しながら常に感じるプレッシャー。毎日のように続く疲労と悔しさを共有できる相手なんて誰一人としていなかった。
取り返しのつかない絶望
バンドの解散発表の際、よく使われる言葉がある。
「音楽性の違いによる解散」
本当にそうなのだろうか?
ぼくはそうは思わない。
少なくともぼくの周りの解散していったバンドたちの真の解散理由はメンバーそれぞれの、特にリーダーの経験する挫折と孤独感からだったように感じる。それでも前に進むことができるリーダーには共通する意思が存在するようにも感じる。
それは「大きな目的を持っている」ということ。
IMdbより
その目的のためなら時には人として最低な行為をしてまでも目的を達成しようと試みる者も中にはいる。ビリーがシーズン優勝のためならスタメンチームであっても彼らをクビにしていくように……。
そしてその先にあるさらなる絶望的孤独感をまた背負っていくのである。
小学生のころの野球部のSくんのように口調や態度、その威圧感で人を動かし友達たちをハンドボールへと導くことは決して人の道は外れていない。彼は何がなんでもハンドボールがしたかったのだろうか。それとも自身の威圧感をぼくのような目立たないタイプに脅かされることにイラついたのか。
どんな理由にしてもリーダーというのは孤独だ。だって、みんなを威圧で動かした後にハンドボールしたって面白くないじゃないか。ぼくだって何がなんでもドッジボールをしたかった訳ではない。 “みんなで” ドッチボールがしたかっただけなのだ。Sくんも含めてノリノリでドッチボールがしたかったのだ。
あの時なぜ涙が出たのか。今のぼくならわかる。
小学生ながらに感覚でその先の孤独を想像できたからだろう。ぼくの目的は「みんなで楽しくドッジボールをする」なのだから、Sくんやぼく自身が楽しめていないとその目的は達成できない。
そして、必死になって勝ち取ったドッジボールであの爆笑は生まれない。
ぼくは小学生ながらに感覚でわかっていたんだ。
孤独ではないリーダーを目指して
ぼくはもうビリーのようにはなれない。結局、想定できる絶望と引き換えに、目的を達成することができないのだ。
『マネーボール』が実話を元に作られたものであるという事実は孤独を背負うリーダーにとって相当なトラウマを植え付ける。
孤独を感じる度に『マネーボール』のビリーをふと思い出す。
挫折を繰り返す度にぼくの脳裏に思い浮かぶ映像。誰もいない球場のスタンドでポータブルラジオを片手に試合の行末に誰よりも一喜一憂しているビリーの姿。それでも自身の目的を曲げない男の姿を。
ぼくは覚えている。
何がなんでも完成させた一曲が自分にとってどれほど虚しい作品になったのかを。その完成により得た結果を一緒になって喜んでくれる人は誰ひとりいなかったことを。
あの感情を、あの孤独感を映像化している『マネーボール』が世の中のリーダーたちにとって、どれほど救いになるだろうか。
そして、ドッジボール片手に教室の隅で涙を流したあの日のぼくはこれから何度同じような挫折を繰り返し孤独を味わうのだろうか。
ビリーとは少し違う道を選ぼう。
ぼくにはまだ、10年間も変わることなくついてくきてくれる仲間がいる。
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解説『マネーボール』(2011)
監督:ベネット・ミラー
出演:ブラッド・ピット,ジョナ・ヒル,フィリップ・シーモア・ホフマン
脚本:スティーヴン・ザイリアン,アーロン・ソーキン
原作:マイケル・ルイス『マネーボール』
脚本家アーロン・ソーキンの手掛ける作品は他にもSNSの生みの親、Facebook創設者のマーク・ザッカーバーグが若くして成功を収めるために親友を犠牲にする『ソーシャルネットワーク』(2010)や革新的な発想で世界中の常識を覆したアップル社のスティーブ・ジョブズの行き過ぎた感覚による周りとの摩擦を描いた『スティーブ・ジョブズ』(2015)などがある。
『マネーボール』(2011)同様、常識を覆す発想を持った実在の人物たちの成功体験ではなく、葛藤を主に描くスタイルが一度ハマれば癖になる。
それぞれ作品ごとに監督は変わっており、『ソーシャル・ネットワーク』(2010)では『エイリアン3 』や『ファイト・クラブ』の デヴィッド・フィンチャーと、『スティーブ・ジョブズ』(2015)では『トレイン・スポッティング』『28日後…』などのダニー・ボイルとタッグを組んでいる。
題材にする人物の成功体験ではなくその人物の抱える葛藤の部分にフォーカスしたシナリオを描き、個性的なカットを好む映像に特化した監督とタッグを組むこの三本をぼくは勝手に「アーロン・ソーキンによる偉人三部作」と呼んでいる。
また、『マネーボール』の撮影クレジットには『ダークナイト』シリーズや『インセプション』などを撮影したウォーリー・フィスターが。クリストファー・ノーラン監督の相方とも言える彼の素晴らしい映像は本作品でも健在だ。
本文で紹介した、球場のスタンドシーンのカメラワークやライティングが本当に素晴らしい。
文・金城昌秀
編集・川合裕之(フラスコ飯店 店主)