Te wo Arai mashou.

投稿者: 金城昌秀

ロックバンド「愛はズボーン」でGt.Voを担当。
様々なアーティストのMV監督や動画編集、グッズやCDジャケットといったアートワークも手がける。

ぼくは『名探偵ピカチュウ』という作品に大きな期待を持って映画館に足を運んだ訳ではなかった。

デートのプランとして映画館に行くことになっていたその日、相手の女性とぼくのふたりが無難に観て過ごすことのできる映画として『名探偵ピカチュウ』を選んだからだ。

お互い平成生まれで、ポケモン第1期の世代だったので子どもの頃に夢中になったポケモンたちがハリウッドで映画化されることに多少は期待していた。

だけど、まさかここまで映画として楽しめるものだとは!少なくともぼくは想像していなかった!

誰にも見られていない一人きりの部屋の中でぼくは何をする?

全ての欲望を完全に解放するなら何をする?

そして、それら全てを完全に隠し通すことができるなら本当の本当に何をする?

誰にも見られていない状況でそれらを全て隠し通すことができて、なおかつ、何もかもを解放できるなら……

きっとここには書けないようなあんなことやこんなこと、あらゆる欲望を満たすだろう。

2020.04.26 / / コラム

「あの映画の続編が出るらしい!」

そんな情報にはいつも心踊らされる。

前作のキャストたちは今回も作品に参加しているのか? 監督は誰が? あのキャラクターたちは一体、その後どう過ごしているのか?

などを頭に思い描いてワクワクする。

それと同時に

「変な感じになるくらいなら続編なんて作らないでほしいんだけどなぁ」

「シリーズ1作目が結局一番面白かったのになぁ」

なんてことも考えたりすることもある。

アニメシリーズ20周年記念作品として2020年2月に公開された『デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆』の舞台は2010年。

かつて  “選ばれし子どもたち” と呼ばれ、デジモンたちとの戦いの日々を送っていた主人公の八神太一たちは大学4回生。

卒業論文、就職活動、アルバイトといった忙しい日常に迫られる平凡な青年となって登場する。

(C)本郷あきよし・東映アニメーション

この作品のテーマは「子どもから大人になる」という普遍的なものであり、デジモンリアルタイム世代のぼくは子ども時代から見た目も性格も変わった太一たちをみて自分に重ねた。

そんな大人になったぼくたちの「子どもから大人になるとはどういうことなのか?」という気持ちの落とし所をこの作品は提示してくれた。

だけど、この作品、一見すると腑に落ちないポイントが存在する。

2020.03.03 / / コラム

ぼくには夢中になって自分をコントロールすることができなくなるほど好意を持ってしまった恋人がいた。

もう10年ほど前の恋愛なので後悔などひとつも残ってないが。『(500)日のサマー』を観るとあの頃を思い出す。この映画をはじめて観た時はそんなトラウマ恋愛の直後で自分を主人公トムに重ねてえらく感動していた。小悪魔系女子により量産された被害者への救済映画だと思って繰り返し観ては恋愛自己肯定感を高めていた。


10年たって久しぶりにこの映画を観ると「あれ?ヒロインのサマーってそんなに身勝手なことをしてるわけじゃなくてトムの人生経験不足なんじゃないか?」という疑惑がぼくの心の中に浮かんできた。

今ならわかるぞ!サマーがどうして映画『卒業』のラストシーンで号泣していたのかが!なぜ婚約中のパーティーに恋人未満セフレ以上のトムを招待したのか!

全国のトムくんにこのコラムを是非読んでもらいたい!そしてできれば10年前の自分自身に読んでもらいたい。そして知ってもらいたい。トムとサマーは500日もの間、すれ違い続けただけなのだということを。

2020.02.07 / / コラム

ぼくはタバコをやめられない。

友人や家族から煙たがられている事はわかっている。だけどやめられないのだ。

何度も禁煙にトライしたことはあるのだけど、結局さっきも起き抜けに一服。換気扇の回るキッチンに立ち大好きな時間を過ごした。

人に嫌がられ、身体を脅かし、それでも尚快楽の為に金を払ってタバコを吸う。

「おれは一体、何をやってんだろう……」

『ボージャックホースマン』というアニメシリーズの主人公の馬「ボージャック」が作中繰り返し呟くそんな台詞が頭の中で自分とリンクする。

2020.01.06 / / コラム

あなたは映画を観るとき何を期待しますか?

ぼくが映画に期待するものは心躍るようなのエンタメ性や、思いっきり泣けるドラマ性、そして時に自分自身の人生観を変えてくれるような体験を求めて映画を観る。つまり、「有意義な時間」を過ごすために映画を選び、鑑賞するのだ。

しかし、世の中には「B級映画」と呼ばれるような最低で無価値な時間を過ごす為の映画も存在する。しかもそれらの映画を “わざと”作るような監督たちがいるのだからこれはほっておけない!

ぼくは一体何度『マーズ・アタック!』という映画に「最低な時間」を捧げてきただろうか。敢えてこう呼ぼう。『マーズ・アタック!』はクソ映画だ。何度見てもやっぱりそう思う。けれども何度も観てしまう。

ただ、「何も得るものがない “のに” 観てしまう」のではなく「何も得るものがない “から” 観てしまう」のだ。この感覚わかっていただけるだろうか。それは最早快感であり、「有意義な時間」を自ら捨ててまで、その「最低な時間」を過ごしたいのだ。

2019.12.18 / / 特集

人間はどこまで”愛情”をテクノロジーに委ねられるのか? いつの時代も語られてきた論争の種だ。

「大事な事は直接伝えるのか、電話でもいいのか?」
「別れ話は電話派?メール派?」
「仕事の内容はメールで! プライベートの会話はLINEで!」

……などなど。相手に感情を伝えるとき、そのツールによってメッセージの意味は少しづつ異なる。テクノロジーでギャップが生じるのだ。『her/世界でひとつの彼女』という映画には、この「テクノロジーを介して表現される愛情の違和感」という大きなテーマが隠されているとぼくは考える。