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映像作家ミシェル・ゴンドリーの絶対に説明しない美学 | 映画『エターナル・サンシャイン』は本当に “おもしろくない” のか?

「ホラー映画かと思って観ていたら、恋愛映画だった」

ぼくの実の姉がCS局の映画専門チャンネルで放映されていた『エターナル・サンシャイン』(2004)をたまたま観た直後に放った感想である。

IMdbより

ぼくは「気を衒った映画なのかな?」と思いながらも、何ヶ月後かにレンタルビデオ店で『エターナル・サンシャイン』を借りて観た。

「なんだこの映画は!」

物語の時系列がぐちゃぐちゃに配置されていて、更に夢の中と現実世界が行ったり来たり。そこまでは他の作品でも多々描かれる要素ではあるのだが、この映画にはその説明がほとんどない。

ただただ1人の男の夢と記憶の世界が消されていく映像が進んでいく。

その映像は観る人によっては不気味に映ることもあるだろう。夢の中というのはそういうものだ。怖いと感じれば途端に怖くなってくる。楽しいと感じればどこまでも楽しい気分にさせてくれる。夢で見ているヴィジョンというものは見ている本人の精神状態によってその印象が変わるものだ。『エターナル・サンシャイン』は夢の世界を映像化した作品だからこそ姉は最初ホラー映画だと勘違いしたのだろう。

IMdbより

この映画は夢の世界と現実の世界を描くトリッキーな作品なのだが、ストーリーの説明はもちろん、物語の設定の説明になる台詞すらほとんど出てこないため、観ているこっちはその映像に目を凝らし、今何が起きていてそれがどんな作用を起こしているのか見落とすわけにはいかない。ぼくは必死になって映像に食らいつき、隅から隅まで映画を鑑賞した。

しかし、物語の説明を省くということこそが夢と現実を映像化する際にはベストな表現なのかもしれない。なぜなら夢の世界とはそれほど説明のつかないヴィジョンが広がっているものだからだ。

言葉ではなく映像や演出によって夢と現実を区別する表現を確立させている映画監督。それが今回紹介するミシェル・ゴンドリー監督だ!

彼はミュージックビデオの監督として音楽シーンだけでなく、映像作家のシーンにも多大な影響を与える存在だ。そんな彼が長編映画を撮ったなら……そしてその映画が夢と現実を描いたぶっ飛んだシナリオだったなら……映画『エターナルサンシャイン』(2004)を通してミシェル・ゴンドリーがどんな人物なのかを考えよう!

あのぶっ飛んだ映像はどこから?

まずは映画監督だけが彼の肩書きではないということを紹介しよう。ぼくの認識では彼の肩書きは映像作家であり映画監督ではない。もちろん『エターナル・サンシャイン』(2004)の他にの『僕らのミライへ逆回転 』(2008)『グリーン・ホーネット』(2011)など数々の長編映画を手がけてはいるのだが、それはあくまで彼の表現のひとつの手段であるとぼくは認識している。

IMdbより

というのも、彼のキャリアは自身の所属していたフランスのロックバンドOui Ouiのミュージックビデオ(以下MV)を手掛けたことから始まる。その後、数々のMV作品を作り、その作品たちはそれぞれ多くの賞を受賞するほど評価されている。先に書いた「必死になって映像に食らいつき、隅から隅まで観賞させる技術」が彼の作品の特徴となっているのにはこういったキャリアが影響している。

数多くのMV作品の中でも誰が観ても「何だこれ!すごい映像!」と思えるような作品を紹介しよう。

Kylie Minogue – Come Into My World (Official Video)

Youtubeより引用

どうでしょうか!映画『エターナル・サンシャイン』を観た人にとっては、「なるほど!まさにあの監督の作品だ!」と感じられる部分がありながら、この独立したMVの世界観。最初から最後まで映像の隅から隅まで余すところなく楽しませてくれる作り込み。誰も真似できないほどのクオリティと発想を他の全ての作品でも表現している。気になる方はぜひ「ミシェル・ゴンドリー MV」などで検索をかけてチェックしてみて欲しい!

他にもビョーク、ベック、カニエウェスト、ダフトパンク、ケミカルブラザーズ、ローリングストーンズ……など、世代を超え、ジャンルを超えて数々のMV作品を手掛けている。

彼は1990〜2000年代のレジェンド映像作家だったのだ!

Kylie MinogueのCome Into My Worldの映像を観てもらえればわかるが、彼のMV作品の多くにはストーリーがあるわけではない。だけどその映像に引き込まれる。映像の隅々まで何一つ無駄のない演出がほどこされつつ、何らかのメッセージがこもっているようにも感じられる。しかし、そこに音楽の邪魔になるほどのメッセージ性はない。『エターナル・サンシャイン』のように夢の中の世界を映像化したかのような作品が特徴的である。

ミシェル・ゴンドリー作品の大ファンのぼくがその中でも敢えて「一番好きだ!」といえる彼の作品を上げるとするならThe Chemical Brothers – Let Forever Beを上げる。まさに『エターナル・サンシャイン』のように夢と現実の境目の恐怖感や華やかさが混在する世界観に迷い込んだような作品だ。

The Chemical Brothers – Let Forever Be (Official Music Video)

Youtubeより引用

彼の映像作品の一部は実写と合成効果を多用し、どこまでが合成でどこまでが実写なのかをわからなくする技法を使い視聴者の脳を混乱させる。それはまるでドラッグ経験者の体験映像であるという意見もあれば、夢の中の世界のようにも感じられる。どちらにせよ視聴者側のこちらが「楽しい映像」と捉えるか「不気味な映像」と捉えるかによってその印象は変わってくるものが多い。

そこには「作品をどう捉えて欲しい」というような作者側の意思はあまり感じられない。ある意味、無機質で感情のないロボットのような作品が多く見られる。そこに痺れる憧れる!

DAFT PUNK – AROUND THE WORLD (Official Music Video)

Youtubeより引用

だから映画『エターナル・サンシャイン』をたまたまテレビで観た姉から「最初はホラー作品なのかと思った」というミスリードが生まれたのだろう。

そんな彼の映画作品『エターナル・サンシャイン』はGoogle検索にて「エターナルサンシャイン つまらない」などと予測ワードを捻出するほど酷評されていたりもする。アカデミー脚本賞の受賞など、結果としても評価されている作品ではあるのだが、中にはあの作品を「つまらない」と感じる人も少なくないのだ。

他人の夢の話はつまらない

なぜ『エターナル・サンシャイン』をつまらないと感じる人がいるのかを本気で考えてみた。するとぼくの中で一つ仮説が生まれた。それは「他人の夢の話はつまらないからだ」ということ。

こんな経験したことがないだろうか。友人や恋人なんかが「面白い夢を見た」と話し出したはいいけれど、一体、何が面白いのかわからない。というか、「面白い夢の話」が始まった時点でその話は大体つまらない。逆に自分が面白い夢を見たのだけれど、誰かに話してみると何がそんなに面白かったのか自分でもわからない。

IMdbより

つまり、「他人の夢の話」というのは十中八九つまらないのだ。内容は支離滅裂で、その夢をみた本人でさえも「何が面白かったのかわからないけど、目覚めた時に笑っちゃった」というようなものが多い。夢というのは言葉で説明すると大抵はつまらないものなのだ。

ミシェル・ゴンドリーの作品はそんな夢の話に似ている。言葉では決して説明できない、観たものだけが理解できる魅力が詰まっているのだ!

そう!『エターナル・サンシャイン』はまさにつまらない誰かの夢の話なのだ!だけど考え直して欲しい!「つまらない誰かの夢の話」を夢の映像化の一流作家ミシェル・ゴンドリーが作っている。「つまらない誰かの夢の話」を自分の体験のように観ることができ、さらにその物語を誰かと共有できる超面白い作品なのだ!

説明してくれない。だから面白い。

誰かの「面白かった夢の話」はつまらない。それはきっと “話” であるからで、言葉での説明では伝わらない面白さがあるのだ。

もう一つの「エターナルサンシャイ つまらない」の原因はそこにある。物語の中の登場人物がいちいち今何が起きているのか説明するようなセリフや語りが一切ないのだ。
夢の中の世界で突然本棚の文字が消えたり、記憶にない道へ歩いていくと景色がループしたり。作品を観ていない人にとっては何を言っているのかさっぱりわからないだろう。だからつまらない。だけど、言葉で説明できないあの映像がたまらなく気持ちいい。

IMdbより

「そうそう!夢ってこんな感じ!」という世界が映像化されている。

しかも「景色がループしてる!?そうか!夢の中だからぼくの記憶にない景色は広がっていないんだ!」などと主人公役のジム・キャリーが言葉にすることはない。

「もしかして!私たち、入れ替わってるぅぅぅ!?」

のようにセリフの中で説明してしまえば簡単なところを、絶対にしない。

この辺りのプライドというか、表現へのこだわりが観客を置いてけぼりにすることもあるかも知れない。だが、それでいいのだ!それがいいのだ!

なぜなら彼は元々MV監督出身であるから。言葉を使わず映像だけで表現するのが得意なのだからこの技法を使わなければミシェル・ゴンドリーが映画を撮る理由がないのだ!

IMdbより

そして『エターナル・サンシャイン』という作品は人の夢を映像化することを実現しているため、そこに言葉での解説は邪魔になる。夢というものはそういうものだ。言葉を超えて理解するヴィジョン、映像なのだから。あの夢の中の世界の体験を視覚化するためには言葉は不必要であり蛇足だったのだ!

言葉で説明しないスタッフたち

映画『エターナル・サンシャイン』は監督のミシェル・ゴンドリーだけが言葉での説明を排除している訳ではない。

プロデューサー兼、脚本家はチャーリー・カウフマンという人物だ。
彼は『マルコヴィッチの穴』(1999)や『ヒューマンネイチュア』(2001)などで知られる奇想天外作家である。彼の作り出す世界はそもそも、言葉でどうやって説明していいのやら……何ともライター泣かせな作品が多い。「奇想天外」という言葉で片付けるのはとても失礼なことだが、説明しようとするとまた別の記事が生まれてしまうほどの文字数になってしまう。

IMdbより

さらに、主演はあのジム・キャリーだ。彼も元々はコメディアン俳優出身のハリウッドスターである。アメリカのコメディアンというのはその表情や仕草、つまり言葉以外の表現に長けている人物が多い。中でもジム・キャリーは特にそう言った動きや表情での表現に長けた俳優である。そんな彼がコメディ要素を取っ払って挑んだ『エターナル・サンシャイン』は主人公ジョエルのシビアな心理描写を仕草や表情だけで演じている。

「もう!誰でもいいからちゃんと説明してくれよ!」

と言いたくなるのも無理はない。みんなそれぞれがその説明を放棄しているのだから。

ぶっ飛び奇想天外作家チャーリー・カウフマンの脚本をぶっ飛び無機質映像作家ミシェル・ゴンドリーが映像化して、伝説級のコメディ俳優ジム・キャリーが真顔で演じるのだ!

そんな作品に対して「エターナルサンシャイン つまらない」だと?

「いっぺん出直してこい!」それがぼくの本音だ。

そこに言葉での説明は不必要なのだ!
なんならなんなら、無ければないほどいい。『エターナル・サンシャイン』はこんな風にどれだけ作品の魅力を伝えたところで蛇足となる作品なのだから。

作品の説明を作品の中で説明することを完全に排除することで、作品を観なければその面白さはわからないという現象を起こしている。これって優れた作品の本質なのではないだろうかとぼくは考えている。

 文・金城昌秀
編集・川合裕之

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解説『エターナル・サンシャイン』(2004)

IMdbより

監督:
ミシェル・ゴンドリー
脚本:
チャーリー・カウフマン
出演:
ジム・キャリー,ケイト・ウィンスレット

ミシェル・ゴンドリー、チャーリー・カウフマン、ピエール・ビスマスの3人は、この作品によって2004年度のアカデミー脚本賞を受賞した。

「記憶除去手術」を受けた男女を主人公とし、記憶と恋愛を扱った作品である。

主人公のジョエル役を演じたジム・キャリーはNetflixオリジナルドキュメンタリー作品『ジム&アンディ』(2017)のなかで本作品のことを多く語っている。
精神的に安定していない時期にオーディションを受けたところ、監督のミシェル・ゴンドリーからその精神状態を撮影まで維持するよう要求されたことや劇中に登場する自転車がジム本人が子どもの頃に使っていた実際の思い入れのある実物を使用していることなどが語られている。

原題は、劇中でメアリーが暗唱するアレキサンダー・ポープの詩にちなみつけられている。

執筆後記:説明を欲しがるユーザーが増えている?

昨今、動画配信サービスの普及によって、映画などの映像作品の消費スピードが上がっている。できるだけ早く、出来るだけ多くの情報を手軽に手に入れたいというユーザーが増えてきている。

ユーザーたちは作品を「コンテンツ」と呼び、作品から「感動」を得るため以上に「知識」を欲しているように感じる。つまり、説明や情報を追いかける観客が多くなっており、さらに「あの作品を観た!」というステータスを欲している観客が増えているように感じる。

ぼくだってその中の1人なのかもしれない。もしかするとぼくたちは何でもかんでも説明を求めすぎているのかもしれない。
だけど、その一部始終を見逃すまいとその映像に夢中になって観た『エターナル・サンシャイン』(2004)を忘れたくないものだ。

IMdbより

MVや映画などの映像作品がすごいスピードで消化されていくこんな時代だからこそ、言葉での説明を省いた表現をするミシェル・ゴンドリーの作品たちの中に優れた作品の本質を見つけられたのかもしれない。

ジム・キャリーの名演技についての記事はこちら

自分が自分でなくなる怖さ 映画『マスク』(1994)

世界最強のコメディ俳優ジム・キャリー。彼の出世作のひとつである映画『マスク』(1994)は間違いなくコメディ映画であり、ジム・キャリーの天才的な動きと表情でのパフォーマンスを観ることができる作品だ。
しかし、なぜだろう。あの作品の中に漂う不気味な要素。そして、そこに見え隠れするアメリカのカートゥーン作品のパロディとその愛情。
マスクをつけた主人公スタンリーのように自分が自分でなくなる瞬間に感じる恐怖を考えてみる。

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金城昌秀

ロックバンド「愛はズボーン」でGt.Voを担当。 様々なアーティストのMV監督や動画編集、グッズやCDジャケットといったアートワークも手がける。

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