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生産性を気にしない。『アメリ』の “遊び” が描く心の余裕

『アメリ』(2001)から受けた印象はすごくオシャレでパリの街を現実のパリ以上にファンタスティックで楽しい街に映し出してくれる映画というものだった。

パリの街を幻想的に映し出すことでファンタジーの世界にも見えなくもないように表現していたり、そのためにカラーグレーディングは昨今Instagramなどでもよく使われる “映画風フィルター” の元となる技法の「ティールアンドオレンジ」を使っていたり。背景や衣装には補色同士の赤と緑を常に配置し、映画のテーマカラーを常に観客にみせてるなどの工夫により作品の世界観が特徴的な一本である。

IMdbより

しかし、そんな『アメリ』(2001)は結局何を伝えたかった映画なのかが筆者はわからなかった。

他人に心を開けないはずのアメリはなぜカフェで働けているのか?

そんなアメリと似たもの同士の男性ニノに出会うことで物語が終わるけれど、一体アメリの中で何が解決したのか?

結局この物語からぼくは何を受け取って、何に感動しているのか?

解釈が追いつかないままだったこの映画を何度も何度も繰り返しみていくうちに、この映画は決してオシャレなパリの街を映し出すためだけの映画ではないということがわかった。

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そこにはとても個性的に見えるキャラクターたちが存在している。しかし彼らは毎日をきっちりと生活しているぼくとなんら変わらない平凡な人物であり、決して映画のために作られたファンタスティックなキャラクターではなかったのである!

今回は『アメリ』に登場するキャラクターたちがいかに平凡であり、しかしなぜあんなにも特徴的に見えるのかを考えてみた。そうすることで作品が伝えてくれる大切なことを見つけることができたように思う。

『アメリ』(2001)を初めて観た時には気が付くことができなかった大切なことが何度も繰り返し観ているうちに見えてきたのだ。今となっては、この映画はぼくの生活に活気と遊び心を蘇らせてくれる大事な一本である。

とにかく好きなものと嫌いなものを紹介しまくる!

冒頭は主人公アメリの幼少時代から始まる。

アメリが子どもの頃に純粋に何を恐れ、何に悲しみ、怒り、楽しんだのかを軽快でスピーディーなナレーションによって解説される。

また、アメリの父親と母親の嫌いなものと好きなものを並べ、彼らのざっくりとした人格を紹介する。

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アメリの父は元軍医で嫌いなことは連れションとサンダル姿を軽蔑の目で見られること。濡れた水着が肌に張り付く感触。好きなことは壁紙を大きく剥がすことと靴を並べて磨き上げること。道具箱を広げ、中を掃除し、元通りにしまうこと。

情緒不安定な元教師の母の嫌いなことは長風呂で手にシワができることと嫌いなタイプの人間と手が触れてしまうこと。頬にシーツのあとがつくこと。好きなものはフィギュアスケート選手の派手な衣装と床をピカピカに磨くこと。鞄を開けて、中を掃除し、元通りにしまうこと。

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両親のふたりが密かに持つ好きなことの中には「自分のよく使うもの、道具箱と鞄の中を掃除する」という共通する部分がある。だからこそ、ふたりは夫婦なのかな?と想像できるようなちょっとした描写である。だけど!このちょっとした描写こそが『アメリ』を観る上でとても重要になってくる!

というのも、アメリの両親がどのようにして出会ったのか、ふたりが共通の好きなことを持っているという事実をお互いに知っているのか、はたまた知らないのか。そんなことは一切語られないし描かれない。「それは観客の想像にお任せする」という余白を楽しむスタイルが全編通してやたらと多い。しかも、そのちょっとした描写は軽快でスピーディーなナレーションによってドンドン展開していくため観ているこっちに考える時間なんて与えてくれない。

あの軽快でスピーディーなナレーションとアコーディオンのいかにもフランス映画らしいBGMの畳み掛けシーンはクセになって何度も観たくなるが、映画をじっくりと鑑賞したいものにとっては若干不親切である。

「今の父親の意味深な言葉はこのあとの展開にとても重要になってくるんじゃないか?」というように勘ぐりながらあの映画を観ていたら、あっという間に置いてけぼりをくらうに違いない。

この映画は「考えるな!感じろ。」なのかも

それは裏を返せばこの映画はいちいち考えなくていいということのだ。もはや「考えるな!感じろ。」ブルース・リーの名言である「Don’t think! Feel.」なのではないだろうか。

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まるで高速の球をバットの芯で捉える野球選手のように感覚だけで映画の内容を処理していかなけらばいけない。何度も繰り返し鍛錬してきた「映画を観る」という能力を試されているかのような映画である。

『アメリ』は考えて観る映画ではなく、スピーディーな展開と多くのキャラクターたちの心情をアスリート級の感覚で「感じる」ための映画なのだ!

好きなことと嫌いなことを知るとその人がわかる?

そんな映画『アメリ』からぼくは人生においてとても大切なことをいくつか学んだ。その一つが他人の「好きなことと嫌いなことを知ることでその人のざっくりとした人格がわかる。」ということ。例えば、こんな人を想像してみて欲しい。

嫌いなこと
・多人数での会話の中で話題が二つ以上飛び交っている時
・スマホの充電が残りわずかな状態
・まだインクはあるのになぜかかすれるボールペン

好きなこと
・カーペットをコロコロしたあと粘着部分についた体毛やホコリを眺めること
・そこにいる全員が同時に笑った瞬間と同時に静まった瞬間
・机の下のような狭い空間に体を収めること

この人は多人数が共鳴することが好きで逆にバラバラであることを嫌っているんだな。とか、綺麗になったカーペットよりも汚かったカーペットがどれくらい綺麗になったのかに興味があるんだな。などこんなに少ない情報からもこの人物の人格がなんとなくわかるきっかけになる。ちなみに、この人物の好きなことと嫌いなことはぼくの好きなことと嫌いなことと全く同じである。こうやって改めて書き出してみると「なるほど!ぼくはこんなことを考えていたんだ!」と自分を客観視できて面白いので一度やってみて欲しい。

自分の中の根底にある好き嫌いを見つめ直すことで自分が一体どんな人物なのかを客観視することができる。

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映画『アメリ』の中には両親の他にアメリの勤務先であるカフェ・デ・ドゥー・ムーランの従業員や常連客、アメリの住むアパートの住人や大家、アパートの一回のテナントの野菜屋の店主と従業員など、それぞれ絶妙なクセの持ち主たちが物語に色を添える。彼らの性格は基本的に「好きなことと嫌いなこと」がナレーションで語られ、なぜかその紹介だけで観ているぼくらは彼らのことを知った気でいられる。

この好き嫌いの解説が映画に出てくる架空の人物たちの人生の奥行きを感じさせる。ほんのちょっとしか登場しないキャラクターですらまるで実在する人物かのように親近感を持つことができるように作られている。

本当に彼らは映画のためにデフォルメされた変人なのか?

この映画に登場するキャラクターたちはみんな個性的で観る人によっては過剰にデフォルメされているように感じるかもしれない。が、ぼくは決してあのキャラクターたちがデフォルメされた映画の中でしか存在しないファンタジーな人物だとは思っていない。

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というのも、彼らはそれぞれ仕事を持っていたり、恋をしていたり、悩みを抱えていたりして、それでも平気な顔をして毎日を送っているパリに住むごく普通のフランス人だからだ。それぞれがとても変人に感じるのはきっとキャラクター設定がぶっ飛んでいる訳ではなく、映画視点での紹介のされ方が彼らを変わり者、変人に映し出しているだけなのだ。

「好きなことと嫌いなこと」によってひとりひとりの人格を紹介するあの技法は登場人物たちがあまり見せたがらない、または見せるまでもないほどのかなりプライベートな部分であり、そんなものどんな人間にも一つや二つ存在するものだ。

あるものは梱包材のプチプチを常に持ち歩いておりそれを潰す感触が好きであったり、あるものは軽い病気を患っている自分が好きであり、それをアイデンティティとして自覚して持っていたり……

「そんなヤツいるか!」

いや、多分いる。わざわざ他人には話さないし、変な人だと思われないために必死にそれらを隠すものだっている。だけど、確実にみんなそれぞれ密かに持っている秘密事があるはずだ。あなた自身の心に聞いてみてほしい。家族にも友達にも恋人にも言ったことはないけど、なぜか自分が好きで仕方がないことや嫌いで仕方ないことを抱えていたりしないだろうか。

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そして、それらの秘密は総じて生産性のない、自分の機嫌をとるためだけのかなり自己満足でエゴな部分だったりする。だからこそ他人に話さない。というよりは話すまでもないことなのだ。

彼らは毎日を平凡に暮らすことに疲れている平凡な現代人であり、そんな平凡な生活の中に少しのエゴを、自己満足できる密かな遊び心を持って生きている普通の人たちなのではないだろうか。

生産性のない密かな遊びを持った大人たち

世の中はどんどん生産性を重視してきているように感じる。例えば、SNSやYouTubeにて自分の趣味を公開して広告費を稼げたり、ちょっとした料理の隠し味をネット上にアップして「いいね」の数を伸ばしたり。日々の思い出を友人たちとデフォルメした笑顔で写真に残しInstagramに投稿したり。これまで自分だけの世界であったはずの密かな「好きなことと嫌いなこと」はいつしかフォロワー数に繋がり、さらにいつしか、お金を生み出す世の中となった。

それ自体は素晴らしいことだし、それぞれの活動にぼくは大賛成だ。だけど、梱包材のプチプチを潰すのが好きな人がいた時に「それをASMRで録音して公開すればいいんじゃないか?」というようなことを本人に強制しなくてもいいのではないか?とぼくは考えている。なんでもかんでも生産性のある行動だけで生活を組み立ててしまった時にきっと息が切れしてしまう。

映画『アメリ』はぼくにとても大切なことを教えてくれた。

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人にはそれぞれ話すまでもない子どものような遊び心を持っていて、みんなそれを勝手に楽しんでいる。だけど、生活や仕事、学業や人付き合いの中でどんどんそんな密かな遊び心を手放していってしまうのだ。

生産性のない遊びや行動になんの意味があるのか?そんな疑問を抱きながらひとつひとつ、大事な遊び心を手放してしまうのだ。

それを無意識で理解しているのがアメリという人物なのである。

彼女は物語に出てくる息が切れそうなキャラクターたちの心をどんどん救っていく。ある男が幼少の頃隠したまま忘れてしまったおもちゃ箱をその持ち主の元に届けたり。想いあってもいない男女をその気にさせて恋に落としたり。盲目の老人の腕を引っ張って、パリの街の詳細を耳元でひとつづつ丁寧に語りながら歩いたり。そして、最後には自分の心を救う。苦手だった他人との心の繋がりを得るために一歩踏み出すのである。

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その全ては生産性がなく、生活の中で真っ先に手放してしまいそうになるエゴだ。

彼女はきっと知っているのだ。生産性のない遊びが自分の心を埋めてくれるということを。

何も伝えていないように見える『アメリ』(2001)からぼくはこんなにも大事なことを教わった。

だから、ぼくが『アメリ』(2001)を初めて観た時に感じた「なんだかお洒落なパリの街が写っている映画」という印象も間違いではなかったのだ。それをさらに解読して「一体どんなメッセージを与えるための映画なのか?」なんて考えなくても良い。

「なぜかわからないけど『アメリ』が好きなんだ!」という感想でも、それこそ映画への称賛なのではないだろうか。

あなたはどんな風に感じただろうか?

 文・金城昌秀
編集・川合裕之

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解説『アメリ』(2001)

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監督:
ジャン=ピエール・ジュネ
出演:
オドレイ・トトゥ,マチュー・カソヴィッツ ほか

神経質な元教師の母親アマンディーヌと、冷淡な元軍医の父親ラファエルを持つアメリはあまり構ってもらえず、両親との身体接触は父親による彼女の心臓検査時だけだった。いつも父親に触れてもらうのを望んでいたが、あまりに稀なことなので、アメリは検査のたびに心臓が高揚するほどだった。
そんなアメリの心音を聞き、心臓に障害があると勘違いした父親は、学校に登校させずアメリの周りから子供たちを遠ざけてしまう。やがてアメリは母親を事故で亡くし、孤独の中で想像力の豊かな、しかし周囲と満足なコミュニケーションがとれない不器用な少女に育っていった。

そして22歳となったアメリは実家を出てアパートに住み、モンマルトルにあるカフェ「カフェ・デ・ドゥ・ムーラン」で働き始める。

勤務先であるカフェ・デ・ドゥー・ムーランの従業員や常連客、アメリの住むアパートの住人や大家、アパートの一回のテナントの野菜屋の店主と従業員などの個性的なキャラクターたちとの日々の生活の中でアメリは苦手な人との繋がりを取り戻していく。

主演のオドレイ・トトゥはその後『ダ・ヴィンチ・コード』(2006)でヒロインのソフィー・ヌヴーを演じ、トム・ハンクスと共演。この作品でハリウッド作品に初出演した。

2009年に公開された『ココ・アヴァン・シャネル』ではココ・シャネルを演じた。

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金城昌秀

ロックバンド「愛はズボーン」でGt.Voを担当。 様々なアーティストのMV監督や動画編集、グッズやCDジャケットといったアートワークも手がける。

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