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映画『生理ちゃん』で分かること・分からないこと

女性の生理をポップに擬人化し、多くの共感を呼んだ小山健の短編コミック「生理ちゃん」が、二階堂ふみ主演で実写映画化されました。

今回の記事では、正しい性に関する情報を伝えるメディアCLARAの運営スタッフであるイケハラキョウカさんに話を伺います。『生理ちゃん』と生理について、詳しく実例を交えて教えてもらいました。

話し手・イケハラキョウカ

「スキ」を突き詰めた先に、社会の普遍性を発見したい

生理は身体の痛みだけではない

――まず、率直な映画の感想を教えてください。

いや~面白いです。ポップでしたね!

女性が社会で抱える深刻な悩みの裏に、実は生理があって因果関係あるよね、という内容でした。この「因果関係」には驚かされました。女性である自分自身が持っている生理への認識が甘かったなと再確認しました。逆輸入みたいな感覚です。

――というと、どういうことでしょう?

「生理だからお腹が痛い」みたいな自分の体に起きる一次的な変化は自覚してたんですけれども、これが二次的・三次的に作用することには割と無自覚でした。

たとえば「お腹が痛くて何もできない、何もできない自分に嫌気が増し増しになる」とか、「好きな人に当たってしまって自己嫌悪になる、その後に「ごめんね」と自ら謝らなくてはならない」、「仕事に影響が出るて、それが原因で嫌味を言われてしまう」みたいな。

一次的な「生理」から生まれる小さなモヤモヤが沢山あるんですよね。名前のない痛みというか煩わしさというか。これって生理が原因だったんだ!というのを俯瞰して確認することができる良い映画でした!

生理には体の痛みだけではなくて心の痛みというものが付随するのだということが映画ではよく表現されていましたと思います。

生理に付随する社会的なダメージとは?

あ、そうそう、これは映画とは関係ありませんが、心の痛み以外に社会的なダメージを受けることもありますよ。

――社会的なダメージですか?

たとえば、イギリスでは10人に1人位の割合で「月経の貧困」(Period Poverty) というものに悩んでいる女性がいるんです。先進国なのに、 イギリスは生理用品の税率が高くて、 性教育も未熟なんですよ。政府が生理用品代を負担して無料配布するなどの施策も行ってはいるのですが……。

貧困層の女子生徒達が月経になった時にナプキンをつけることができなかったり、そもそも生理用品の知識が無かったりします。他の発展途上国の子たちと同じように靴下を丸めてパンツに入れたり、トイレットペーパーをぐるぐる巻きにしたりすることしかできません。そもそも生理になったら生理期間は、学校を休まざるをえなくなってしまいます。生理用品がないので、血が出るとすぐにシャワーを浴びないといけませんから。

これが原因で貧困層の女子生徒の学力が低下しています。教育だけではなくて社会進出できない原因にもなりますよね。大きなダメージになります。

――それはつまりもしかして、身体も心も社会的な地位も、自分で全部選択の裁量権があるということに幸福があるということですかね。

そうですね、私は「自分の人生を、自分で歩む人が一人でも多くあって欲しい」と思います。そういう意味ではハッピーな映画だなと思いました。二階堂ふみちゃん演じる主人公が自分の道を選択するというサクセスストーリーに仕上がっています!!

――絶対に避けられない身体の変化を、社会が無視しているということですね。

そうですね。無視といか、そもそも知らないのでしょう。

でも知らないことはほとんど罪に近いと私は思って、「知らなかったから」と言ってしまうとそれで終わりですよね。でも現にこれだけ多くの人が日常的に悩んでいるわけですよ。だから、まず「認知すること」が大事だと思います。

でもこれは男性だけに対してではなくて当事者である「生理が来る人」こそ知る必要があるのです。「生理は我慢しなくちゃいけない」とか、そういう考えはまだ蔓延していますよね。ツラい生理を言い訳にできない環境は、当事者自身が作っています。男性も女性も生理についてライトに話せる環境が大切です。

まずは知ること。タブーにしないこと。

――僕たち男性は生理になったことがありません。だから、どのようにこの映画を見ればいいのか・この映画を見たあとに生理というものにどう接していけばいいのでしょうか?

僕らは笑っていいのかな、とか。もちろん理解する努力はするのですが……。やっぱり完全には分からないのではという不安もあります。

映画自体は、情報を知るきっかけくらいに見れば良いのではないかと私は思いました。

あまり構えなくていいと思いますよ。漫画もそうですが、それぐらいポップに描かれています。女性だけでなく男性キャストも結構多くて彼らの心理表現も細かく映画の中で描かれていますよ!

なので、「教材としての」この映画のゴールはまずは現状を知るということで良いと思います。

――なるほど。

生理との接し方は敢えて提示しない方が良い

これは私個人の意見ですが、「生理になったときには、こうして欲しい」みたいなのは『生理ちゃん』という作品では描くべきではないのかもと思っています。

こればっかりは当の本人とコミュニケーションをとって解決していくべき問題だからです。生理という体に起きる変化は人によって全く違います。ここで生理との付き合い方を提示してステレオタイプを作ってしまうのは逆に良くないです。だから、知るきっかけくらいで良いんです。

人類の約半数は、毎月生理になっている

――でもやっぱり性に関する話題のコミュニケーションって難しいですよね。

いいえ、そもそも生理を話題にあげちゃいけないというような風潮、タブー視する姿勢こそが諸悪の根源なんですよ。

話題にあげても問題ないはずなんです。だって人類の約半数は毎月生理になっているので(笑)

――たしかにそうですね。ざっと35億人くらいは……

なのに、話題にもあがらない。

まあまだ「生理」って言葉として重いですけれどね。血だし……。汚れたものとかそういうイメージすらありますよね。極端な例ですが、ネパールとかだといまだに生理になった女性は家に入れてもらえなかったり……。

――日本の平安時代とかもそういう文化がありましたよね。

そもそも、女性側も生理や経血自体にいいイメージを持っていなかったりします。

――そうなんですか?

たとえば、月経カップってご存知ですか?

膣にシリコンのカップをいれて、経血を外に出さずに体内に留めておくことができるもので、「第三の生理用品」とも呼ばれています。シリコン製ですので、洗って何度も使うことができます!

https://twitter.com/clarissa_offi/status/1138020493787770880?s=20

蒸れや匂いからも解放される便利な道具なのですが、あまり浸透していません。その理由が「経血」なんです。

この間、私が運営しているClara という媒体を通してwebで月経カップの意識調査を実施しました。およそ400人の回答者のうち、42%の回答者が自分で自分の経血を触りたくないと回答していました。膣に入れるのが痛そう、とかそういう理由ではなくてですよ。

https://twitter.com/clarissa_offi/status/1163445069354946561?s=21

――女性側も、生理をタブー視しているというか本能的に忌み嫌っているわけですね。

そういう中で生理ちゃんはすごくポップに整理という存在を擬人化してくれているなと思います。良い映画でした!

タブー視する風潮ではなく、もっとライトに生理という話題を扱う環境に変われば、自ずと良くなっていくと思います。

たとえば、最近のベンチャー企業には「生理休暇」というものがあります。そもそも体調不良だから!無理に出勤しなくていいよ! という考え方ですね。話題にさえあがれば、こんな風に仕組みでラクになれるかもしれません。

――なるほど、問題解決に向かうわけですね。

これを言ったらしょうがないんですけれども、私は生理をどうにかできるものとは思っていないんです。「ピル飲んだらラクになるんじゃない?」とか「温めたら良いんじゃない?」とか、そういうことじゃなくて、生理自体を許容することが重要だと思います。

「生理きちゃったよね~」みたいな。身体と心に変化が起きてしまっていることを理解して、認める社会になって欲しいです!

――じゃあ、さっきの僕の「問題解決」という言葉自体が不適切でおかしかったかもしれません。すみません。

「問題認識」みたいな言葉が良いかもしれませんね。

だからまずは知ることです。『生理ちゃん』という映画は、生理そのものを知るきっかけになるはずです。

すべての表現に納得いくものではないかもしれないけれど、男女問わず多くの人が女性に毎月起こる心と体の変化知るきっかけになる映画になると思います。

――ありがとうございました。

【編集後記】

具体的な実例等を交えて話してもらい、理解を深めてくれる話だった。

彼女がきっぱりと断言した「当の本人とコミュニケーションをとるべき」という言葉には強い説得力があり、非常に印象的だ。この姿勢に沿って考えると、大丸百貨店で生理中の女性店員はその旨を伝える「バッジ」を着用するいわゆる「生理バッジ」の問題は、私企業が十把一絡げに女性従業員と接していることが世間の反感を買った原因だと解釈することができる。しかし、このバッジは「本人が希望」をして付けるもの。会社が従業員に対して着用を強制しているというわけではない。この事実に対する各々のミスリード、あるいはソースの未確認こそが今回の炎上の発端ではないだろうか。もちろん「せっかくのキャンペーンなのだからバッジをつけなければいけないという圧力があるのでは」という指摘も見られた。なるほど、現場の空気は現場の人間しかわからないが、あり得ない話ではない。とかく議論することそれ自体が今の社会にとって必要だ。「炎上が怖くて何も書かない」というのは、結局タブーにするのと同じことだ。(川合)

話し手・イケハラキョウカ
「スキ」を突き詰めた先に、社会の普遍性を発見したい
Twitter : @Ikeharakyoka

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