「あの映画の続編が出るらしい!」
そんな情報にはいつも心踊らされる。
前作のキャストたちは今回も作品に参加しているのか? 監督は誰が? あのキャラクターたちは一体、その後どう過ごしているのか?
などを頭に思い描いてワクワクする。
それと同時に
「変な感じになるくらいなら続編なんて作らないでほしいんだけどなぁ」
「シリーズ1作目が結局一番面白かったのになぁ」
なんてことも考えたりすることもある。
ヒットした映画作品の恩恵を受けて作られるパート2作品や続編作品たち。
その中には前作を超える人気作品も存在すれば、逆にパート1の呪縛により独特の雰囲気を醸し出す作品も存在する。
『バック・トゥー・ザ・フューチャー2』(1989)の中で未来の世界(2015年)では続編に続編を重ねた『JAWS』シリーズの最新作『JAWS19』が公開されているという小ネタが!
人気シリーズの続編はいつの時代も愛されているというジョークがきいている。
このポスターは2015年に『バック・トゥー・ザ・フューチャー』(1985)シリーズの公開30周年を記念して作成されたフェイクポスター。
“DIRECTED BY MAX SPIELBERG” という表記のマックス・スピルバーグはスティーブン・スピルバーグの実の息子!
そんな続編作品の中でも特にパート2作品は独特の雰囲気を醸し出しているものが多いように感じる。
前作の呪縛と恩恵を背負いながら、それでも素晴らしい一本の作品となって世に放たれたパート2作品たち。それらを見返した時、パート2作品ならではの魅力が詰まっていることに気がついた。
呪縛と恩恵を背負いながら賛否両論の評価を下され、もがいているようにも見えるパート2たちにぼくは魅力を感じるのだ。
そんな古今東西のパート2の中からぼくの魅せられたパート2作品たちを評価するべく
・愛くるしさ
・ファンの期待値
・1への忠実度
・1を超えた度
・興行収入
という5項目を用意しました!
ファンの期待に答えつつも、興行収入といったような目に見える結果をどれだけ残したのか、そして人気や結果だけでなく、その作品が世に与えた影響や存在自体に愛くるしさをどれだけ感じたかをひと作品ごとにグラフにして勝手に評価しちゃいました!
そうすることにより興業的な成功と作品の人気、そしてそのどちらでもない作品に対する愛着が浮き彫りになった。
1作目の恩恵を受けて興行成績と人気の獲得を狙うという欲深きサービス精神とその呪縛による捻じ曲がった作品の内容がどれほど愛くるしいのかを見ていこう。
~ きょうのメニュー ~
『スパイダーマン2』(2004)
『T2 トレインスポッティング』(2017)
『グレムリン2』(1990)
『バックトゥー・ザ・フューチャー2』(1989)
『ターミネーター2』(1991)
『ダークナイト』(2008)
『ホームアローン2』(1992)
『スパイダーマン2』(2004)
ぼくにとってのスパイダーマンはサム・ライミ監督の三部シリーズこそがスパイダーマンなのです。(もちろん、他のスパイダーマン作品も大好きです!)
そしてその中でもサム・ライミ版『スパイダーマン2』(2004)はぼくにとって特別な存在。
スーパーパワーを持ったアメコミヒーローの暗い過去や背負った宿命といったメンタル面を深く描き、10代のぼくにヒーローにはヒーローの苦悩が存在するということを教えてくれたのが『スパイダーマン2』だったから。
「大いなる力には大いなる責任が伴う」というテーマの『スパイダーマン2』はまさに大人気コンテンツであるスパイダーマンというその大いなる力を発揮しながら、更にその責任を背負ってくれた作品だと感じている。
トビー・マグワイア演じるピーター・パーカーが一度スパイダーマンのスーツをゴミ箱に捨てて元のいじめられっ子大学生に戻っていくシーン。
そこで流れる『雨に濡れてもRaindrops keep fallin’ on my head/b.j. thomas』は映画『明日に向かって撃て!』(1969)の挿入歌として有名な一曲。
この作品のイメージを持つ曲を借りてピーター・パーカーの心情を表す。10代の頃のぼくにとってはそんな予備知識など無かったけれど、映像と音楽のマッチングの具合が絶妙でとても新鮮に感じることができた。
映画にとって音楽がどれほど大事な存在かを気づかせてくれたワンシーンだ。
元ネタの映画『明日に向かって撃て!』(1969)よりも先に『スパイダーマン2』がぼくに映画挿入歌の素晴らしさを伝えてくれた。
そしてそんな音楽を通じてルーツである『明日に向かって撃て!』(1969)を教えてくれたとても大切な映画が『スパイダーマン2』だ。
制作資金は前作よりも高く設定されていたのだが、興行収入はパート2、3と重ねる毎に下がっていった。
ただ、まだアベンジャーズシリーズが始まる前の作品であるサム・ライミ版スパイダーマンは純粋にアメコミの実写映画化の素晴らしさを広めてくれたに違いない。
『T2 トレインスポッティング』(2017)
90年代ポップカルチャーの象徴となった映画『トレインスポッティング』(1996)の続編。
そこらの続編と同じような作りでは許さないようなコアなファンの多さと20年間という長いスパンを置いての続編ということもあり、ファンたちの期待値をかなり上げて公開された『T2 トレインスポッティング』。
他のパート2と違って「20年間」というリアルな時の流れを作中にもそのまま投影しつつ監督は前作『トレインスポッティング』(1996)で世に名を知らしめたダニー・ボイル監督。そして20年前のキャストが集結!
主人公マーク・レントン役はユアン・マクレガー。
メインキャラクターたちが20年前と同じメンツで勢揃いするこの配役はファンにとっても製作サイドにとってもそして、それらのキャラクターたちを演じる俳優たちにとっても譲れない作品なのだ!
Photo:Moviestore Collection/AFLO
しかも、それが実現したんだから堪らない!
どう考えても最高のパート2になること間違いなし。
そんなファンたちの期待をダニー・ボイル監督は絶妙なバランス感覚で描いてくれた!
20年の時をそれぞれ過ごした主人公たちは、あの頃の馬鹿野郎のまんまおじさんになっていたのだ。
20年前の若者だった頃の彼らには未来への可能性が広がっていた。だから観客たちは希望を持って映画を楽しんでいたに違いない。
しかし、パート2では先の見えないモラトリアム期間をとっくに過ぎた馬鹿野郎おじさんたちが痛快な会話やアクションシーンはそのままにどこか哀愁とその絶望を感じさせてくれる。
ただただ派手にうわ塗るだけがパート2の良さではないのだ!
こんなにも現実的に20年後を描いてくれたパート2である『T2 トレインスポッティング』はパート2の新たな可能性をも感じた!
『T2 トレインスポッティング』のマーク・レントンが20年ぶりに実家の自分の部屋に帰ってきた時にレコードプレイヤーに針を落とすシーン。
最終的にラストシーンに繋がる大事なシーンなのだが、レコードに針を落とした瞬間に部屋中に爆音の『Lust For Life/イギー・ポップ』が流れ、驚いたマークがとっさに針を外してしまうという。
『Lust For Life』が流れるのは0.2秒ほどだ。最初の一音目バンドインの部分だけが流れる。ダニー・ボイル監督が映画の中の音楽をとても大事にしていることがわかる。
前作『トレイン・スポッティング』を愛しているファンたちにとってあの曲がどれだけ特別な曲なのか、そしてその0.2秒という究極のイントロドンをファンたちに仕掛けてくるという憎い演出。
映画館であのシーンを見た時にニヤリとした前作ファンはぼくだけじゃないはず。
そしてマークの脳裏には20年前のあの記憶たちが蘇ってくるのだ。
おじさんになったマーク・レントンと前作のファンたちが同時に『T2』の世界でリンクする瞬間だ。
『グレムリン2』(1990)
前作の話から数年後、今度は大都市のハイテク高層ビルがグレムリンの餌食に!
多くのパロディーを潜ませながらパート1の不気味なグレムリンたちがかなりコメディータッチに描かれていてある意味もっと不気味に!
日本語版のサブタイトル『グレムリン2 新・種・誕・生』の四文字の表記やそのネーミングセンスも合間って愛くるしさがぼくにとっては高得点です!
某アミューズメント施設のハロウィン限定アトラクションとして『グレムリン2 新・種・誕・生 THE RIDE』が誕生すれば確実にファストパスを取得して乗りに行きます。今のところまずありえない想像ですが……
パート1のホラー要素をかき消すほどのコメディー要素と、グレムリンに新種が誕生するという設定。
舞台がパート1では田舎街だったのがパート2では大都会の高層ビルへ。
とにかく派手な足し算方式のパート2であるこの開き直り方は興行収入は振るわなかったにしても、多くの『グレムリン』ファンを獲得したに違いない!
『バックトゥー・ザ・フューチャー2』(1989)
今や「BttF」シリーズは「パート1,2,3どれが好き?」なんて会話が成り立つほどそのパートごとに見所が満載!
なんとこの作品もともとはパート1で完結させられる予定で作られていたそうな!
「パート1のエンディングで “to be continued” (続く)と表記されているのだから続編をもともと作る予定だったのでは?」
という風にぼくも思っていたのだけれど、調べてみたところ監督のロバート・ゼメキスがギャグのつもりで表記したとか。
「マーティの人生がまだ続く……」
みたいな意味のつもりで表記したものなのに観客や製作陣たちに続編があると大きな期待を植えつけてしまった。
そして作られたパート2。
この作品には多くの課題がのしかかっていた!
前作のラストシーンで描かれた「未来への旅立ち」からスタートしなければならないという縛り。前作キャストの連続出演NGによる代役のキャスティング。
製作資金の節約のためのパート3との平行撮影。
Photo by Universal Pictures – © 1989
そんな多くのしがらみの中で生まれたパート2は今でこそ評価されているが公開当時は「話が一本で完結しない映画なんて信じられない!」といったような評価を下されていた。
のちに『ロード・オブ・ザ・リング』や『ハリー・ポッター』シリーズで連続するシリーズものを同時に平行して撮影する方法やその公開の商業的手法は当たり前となるのだが、当時の映画業界ではかなり異例のことだった。
タイムトラベルものでのパート2はどうしてもパート1との辻褄合わせが苦しかったりする。
しかし、そんな辻褄合わせや元も子もない展開をこんなに楽しい冒険として描けるなんて本当によくできたパート2だとぼくは感じている。
パート2のラストシーンには「TO BE CONCLUDED」という表記が。
「次に続く!」ではなく「次でおしまい!」と表記することでパート3での完結を先に宣言しちゃうところなんて本当に粋な演出ですね。
ちなみにぼくは映画作品としては1が好き!エンタメとして楽しむなら2が好き!3は物足りないから最後のデザート!みたいなイメージです。
『ターミネーター2』(1991)
『タイタニック』『アバター』などで知られる稀代のヒットメーカー、ジェームズ・キャメロン監督の出世作として知られる『ターミネーター』(1984)シリーズ。
アーノルド・シュワルツェネッガー演じるターミネーターのT-800はパート1ではとにかく怖い。どんなに攻撃を受けてもヒロインのサラ・コナーを追い回す不死身のターミネーター。
一作目のT-800はホラー映画の怪物風に描かれていたのに対して、パート2でのT-800は味方として描かれていて、更に進化を遂げたターミネーターT-1000が主人公たちを追い回す。
ジョンとその母親のサラそしてアーノルド・シュワルツェネッガー演じるターミネーターのT-800が途中家族のように見えてくる描写もあったりと、前作よりもファミリーもののような暖かいシーンもちらほら。
Photo by Carolco Pictures – © 1991
ラストシーンのジョンとT-800の別れにはエモーショナルな展開もプラスされている。
『グレムリン2』の足し算式パート2とは違い、ホラー風な前作にファミリーのエモーショナルパートが掛け算的にミックスされた本作品『ターミネーター2』はパート2界の大成功例なのではないか!
1作目のT-800の動きはフィギュアを使ってコマ撮りされているのだけど、あのカクカクした動きが不気味さを醸し出しているように感じる。
時代の流れとともにCG技術も進んでいるのだけれど、『グレムリン』のパペットホラーや『ターミネーター』のコマ撮りのような特撮の不気味さは今見ると逆に新しく感じれる。
『ダークナイト』(2008)
『バットマンビギンズ』(2005)の続編である『ダークナイト』(2008)はシリーズ2作目でありながら、本作品を一本見ただけでも大満足な独立した作品。
前作と次作『ダークナイト ライジング』(2012)との3部作の2作目。
タイトルの『ダークナイト(Dark Knight)』には色んな意味が込められている。
作中の舞台であるゴッサム市の地方検事ハーヴィ・デントは、法の下で数多くの犯罪者を裁いた英雄的存在。
夜闇に紛れて活動するバットマンとは対照的な存在として描かれます。
そんなハーヴィ・デントをホワイトナイトと表現しながら対比的にバットマンであるブルース・ウェインをダークナイトと表現し、犯罪者に恐怖を植え付けながら裁く彼の正義の意義を示した映画。
それが『ダークナイト』なのだ!
TM & (C) DC Comics (C) 2008 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved
しかし、だからといって何故『スパイダーマン』のような大人気コンテンツである『バットマン』という表記をこのパート2のタイミングでタイトルから消してしまったのか。
バットマンはコミックスの初期の1940年代にタイトルや作品の中で「ダークナイト(Dark Knight)」と呼ばれていた。ヒーローでありながらその残虐性と法を犯してまでも街の犯罪者たちを裁く真の正義の意義がテーマとして描かれていたからだ。
そんなバットマンは時代とともにポップカルチャーに巻き込まれ、ゴキゲンでカラフルな衣装を身に纏うヴィランたちを打ち負かす「正義のヒーロー」と印象を変えていった。
いつしか「ダークナイト(Dark Knight)」という呼び名は本来の意味とは違う、根暗で陰鬱なヒーローというジョークに変わってしまっていた。
そんな中、映画監督クリストファー・ノーランの手により生み出されたバットマン3部作。その一作目のタイトルは『バットマン ビギンズBatman Begins』。
その名の通り「バットマンのはじまり」を描いた1作目なのだが、この時はまだ「ダークナイト(Dark Knight)」としてのバットマンが復活した訳ではない。
昼の顔は大富豪ブルース・ウェイン。夜になるとゴッサムシティの犯罪者を取り締まる謎のヒーローバットマン。
そんな「正義のヒーロー」の誕生を描いた1作目を経て公開された『ダークナイト』はあの残虐で闇に潜む正義の味方、まさに「ダークナイト(Dark Knight)」が本来の姿と意義を取り戻す為のバットマン作品なのである!
『ダークナイト(Dark Knight)』というタイトルからコミックス原作や同名タイトルたちに対する敬意が感じられるこの一本の作品。このタイトルをつける為にパート2である必要があったのだ。
タイトルから「バットマン」という表記を外す大博打に出ながらもパート2は大成功。
文句なしのオール満点評価をつけさせていただきました。
『ホームアローン2』(1992)
さあ、いよいよ最後のパート2評価です!
ぼくの中でクリスマスシーズンの金曜日にテレビから流れていてほしい映画ナンバーワン!
『ホームアローン2』(1992)です!
監督はあの『グレムリン』(1984)シリーズの一作目の脚本も手がけたクリス・コロンバス。
ジョー・ダンテ監督とあのスティーブン・スピルバーグ総指揮の元『グレムリン』を作り上げる中で元々クリス・コロンバスの脚本の『グレムリン』は大衆映画にふさわしくないほどのグロテスクス・スプラッターホラー作品であった。
ペットの猫や犬をの死骸を電飾と一緒にクリスマスツリーに飾り付けて喜ぶグレムリンたちが描かれていたとか……
そんなコアなファンに向けて書かれた脚本を見事に大衆向けに変貌させ大成功を納めたのは間違いなく監督であるジョー・ダンテと製作総指揮のスティーブン・スピルバーグの功績だ。
しかし、その6年後に公開された『ホームアローン』(1990)では監督を務めあの天才子役マコーレー・カルキンを世に知らしめた。
そこにはかつて大衆映画にふさわしくないほどのグロテスクな表現を使用していたクリス・コロンバスの姿は無かった!
表現を突き詰める中で大衆性との戦いの壁はどんな表現者にも必ず立ちはだかるはず。
クリスが先ほど紹介した「クリスマスツリー」のシーンのような表現を突き詰める選択肢もあったはずだ。
しかし、「ホームアローン」のような大衆性のある作品を生み出すことになったのはジョーとスティーブンという表現者との出会いが影響しているに違いない。
そして、1作目の『ホームアローン』公開と同年1990年には、なんとあの『グレムリン2』が公開されており、監督のジョー・ダンテと製作総指揮スティーブン・スピルバーグは前作から引き続き『グレムリン2』の製作に携わっている。
かつての指導者たちと同年に公開された『ホームアローン』は見事に『グレムリン2』を凌ぐ興行収入を得た。
クリス・コロンバスがかつて指導者たちに習った大衆的な映画製作のノウハウを完全に自らに落とし込み覚醒した瞬間である!
その2年後のパート2作品『ホームアローン2』(1992)ではあんなにも心温まるファミリー映画を世に残した。
そこには泥棒たちに対するケビン少年のちょっぴりグロテスクなお仕置きが見られるのだけれど、グロテスク映画とファミリークリスマス映画という水と油を素晴らしい配分でミックスすることに成功したひとつの例としてこの作品が未だに愛されていることに納得できる。
『グレムリン』(1984)からはじまったグロテスク作品を大衆に向ける戦いを『ホームアローン2』により完成させたクリス・コロンバスの変貌を感じることのできる素晴らしいパート2作品だ。
パート2に魅せられて……
ここでは紹介できなかったパート2作品たちやパート3以降の素晴らしい続編映画もたくさんあるのだけれど、今回紹介した7作品を並べてみるだけでもなんだか愛くるしい。
その理由が少しわかった気がする。
それは、パート2作品は前作を知っているシリーズのファンとのコミュニケーションの手段でもあり、そこには観客やファンたちが初めて感じることのできる「前作の続き」であるという愛着なのだ。
初対面の人との食事で、気まずさを乗り越えて会話が弾んだ時の安心感。
それが1作目の魅力だとするなら、続編作品というのは前に一度、会話が弾んだ相手との食事のようなもの。
そこにはラフな自分を持ち寄りやすいですよね。
パート2作品には観客と製作サイドのそんなラフな関係が存在するのかもしれない。
だから、1作目の呪縛から逃れられずにもがきまくる姿が愛くるしかったり、パート2までは話題作なのにそれ以降の尻すぼみになるシリーズたちをついつい追いかけてしまうファンのジレンマが生まれるんじゃないかな。
そうやっていつも、期待と不安を抱えながらぼくはパート2に魅せられてきたんだ。
文・金城昌秀
編集・川合裕之(フラスコ飯店 店主)