Te wo Arai mashou.

(有/無)神論者・イン・ザ・ラブホテル
|映画『溺れるナイフ』にまつわる思い出

(C)ジョージ朝倉/講談社 (C)2016「溺れるナイフ」製作委員会

就職活動中、「ラブホテルの立ち上げを経験しました」と話すと、たいていの面接官は面白がって話を聞いてくれた。

実際にはリニューアルオープンするラブホテルのオープニングスタッフとして雇われたにすぎない。大量の避妊具をもぎって箱に詰めたり、電気マッサージ器の本数を数えたりした程度だ。が、有象無象の就活生から脱して「ラブホテルの子」として認識されるだけで選考の突破率は格段に上がる。

結局、ヘルプも含め、3つのラブホテルで働いたのだった。最後は「ホットドッグセットではなくホットライスセットを頼んだ」と意味不明なクレームをつけてきた熟年カップルに「お客様、世の中のライスはほとんどホットでございます」と癇癪を起こしてしまい、バカらしくなって辞めた。それ以来接客業らしい接客業はしていない。

パワーとテクニック

働いていたのは地元のラブホテルだった。ありふれた、国道沿いにある寂れたラブホテル。中学生の時分には「◯◯先生(女性教師)と◯◯先生(男性教師)が2人で手を繋いで入っていくのを見た」という根も葉もない噂が立っていたから、地元ではーー少なくとも自分の周りではーー妙に有名だった。そんなホテルが名を変え、内装も新たに再オープンする際、縁があって雇われたのである。

主に夜勤帯のシフトに入っていた。22時ごろ、車を駆って夜の国道を往き、ラブホテルに出勤する。乗っていたのは父親の車だった。いま考えると、毎夜、自分の車がラブホテルに滑り込んでいくさまを知人友人に見られたら差し障りしかないだろうに、父親は特になにも言ってこなかった。もしかすると20年と少し育ててきた息子のバイト先がラブホテルだなんて知らなかったのかもしれない。

フロントの職務内容は簡単だった。これから性行為をするカップルが来る。これから性行為をするカップルが部屋を選ぶ。これから性行為をするカップルに鍵を渡す。おしまい。たまに頼まれて「黒光淫殺王」のような、BLEACHの狛村の卍解に似た名前の精力剤を客室に持っていくような雑務はあれど、電気マッサージ器をアルコール消毒したりボイラー室で座り込んだりしているうちに、夜はあまりにもたやすく明けてゆく。

逆に、清掃はとにかく大変だった。ラブホテルの回転率を決めるのは清掃スタッフの腕である。浴室を「拭き上げ」と呼ばれるバスタオルで水滴一つ残さずに拭き、皺一つないベッドメイキングをほどこす。かなりハードな肉体労働であるが、働いていたホテルには老練の清掃スタッフが揃っていた。

中でも、ふみえさんひろしは際立っていた。2人ともホテルが名を変える前から働いている古株の清掃スタッフである。

ふみえさんの正確な年齢は終ぞ分からなかった。業務が開始する直前までゴミ捨て場で信じられないくらい細い煙草をふかしている。愛想も悪く、他のスタッフと話しているところもあまり見たことがない。が、仕事は本物だった。ベッドメイキングの方法はマニュアルに載っているものとはまるで違ったが、仕上がりは完璧。ホテルの支配人は「あれは “ふみえメソッド”だから真似をするな」と釘を刺していたが、誰も真似しなかった。早すぎて何をやっているかよく分からないし、聞いたところで「適当にやりゃできる」としか返してくれないからである。

リニューアルオープン前、老朽化が進み、すっかり黒ずんだ各設備を本格的に掃除する際にも、門外不出のふみえメソッドは猛威を振るった。「ふみえさん、これ落ちないんですけど」と一声かければ無言で近寄ってきて、見たこともない薬剤をびゃびゃびゃっと散らし、スポンジで拭き取る。そうすると、何度こすっても落ちなかった汚れがいとも簡単に消えるのである。テクニックタイプのふみえ、と心の中で呼んでいた。

一方のひろしは落ちない汚れがあれば「おりゃあ〜〜〜〜〜〜!!!!」と大声を出しながらこする。こすりにこする。便器でもなんでも、汚れがあれば素手でスポンジをがっしと掴み、こする。ひろしは紛うことなきパワータイプだった。年齢は40半ばとのことだったが、すでに入れ歯を嵌めていた。スロットと風俗と煙草が大好きな瘦せぎすのおじさんで、なぜか皆が彼のことを呼び捨てにしていた。

ひろしはトイレや浴室を掃除する時、必ず『トイレの神様』を歌った。仕事が遅い上に、古株ぶって他のスタッフにケチをつけるので嫌われていたひろし。だが、自分はこのおじさんに妙な好感を抱いていた。『トイレの神様』だって、新人の自分を気遣って歌ってくれているのかもしれない……入店当初はそう思っていたが、どうやら誰と一緒に客室を回ろうが歌っているようだった。

ドリームチーム結成

清掃スタッフは基本的にスリーマンセルで客室を回り続ける。その日は自分・ひろし・ふみえというドリームチームが組まれていた。「今日はさあ、人来なそうだね。雨だしさ」とひろしがタイムカードを切りながら言ったが、信じられないくらい混んだ。地元のデリバリーヘルスが赤字覚悟の大割引を打っていたのである。

デリヘルを使うゲストは宿泊しない。いわゆるショートタイムでの利用が主である。宿泊しないということは、利用後に部屋が空く。部屋が空いたらまたゲストを入れなければいけない。早くゲストを入れなければならないから、手早く掃除を行わなければいけない。その日はとにかく大忙しだった。「部屋が空くまで待ちます」と言って待合室で待機する客が出たほどである。クリスマス以外でこんなことは初めてだった。

いったん客足が落ち着き始め、宿泊客も出始めた。疲れ切った体を引きずりながらも清掃に入る。掛け布団はベッドからずり落ち、シーツは老いたパグ犬の眉間のように皺だらけ。

「これはあれだなあ! 若い客だなあ! 部屋の使い方がさあ! 汚い! おれはねえ、こういう仕事してるからねえ、綺麗好きなんだよ!」と言いながら、ひろしは素手で丸まったティッシュを掴んでごみ箱に入れた。声量の調節機能と「不潔」という概念のインストールに何らかの不具合があったらしい。

部屋のテレビも付けっ放しだった。映画が流れていた。特にテレビを消すでもなく、全員が作業に入る。ひろしは浴室を拭き上げながら、例のごとく『トイレの神様』を朗々と歌い上げはじめる。ふみえさんと一緒にベッドのシーツを取り替えようとした時、彼女の視線がテレビに向けられていることに気づいた。

ねえ あんたは信じてないんだね 神さん

信じるも何もーー 在るし     

え?

神さんは普通に在るわ     

菅田将暉と小松菜奈の会話。神域とされる海に沈む2人。『溺れるナイフ』のタイトルが表示されてから、ふみえさんは「在らんよ」と吐き捨てるように言った。『トイレの神様』は間も無くサビに入らんとしている。「それはそれは〜〜〜〜綺麗なァ〜〜〜女神様が居るんやでェ〜〜〜〜〜〜」とひろしが熱唱する声を聞いて、ふみえさんは小さく、短く舌打ちをして、それから赤子の服を脱がすように枕カバーを剥がした。

随分遠くまで来てしまった

結局、『溺れるナイフ』はアヴァンタイトルまでしか観ていなかった。この文章を書くにあたって、改めて映画を見直してみたが、とてもラブホテルで観るような映画とは思えなかった。みだりがましく性を貪る前に観るにしても、欲望の限りを尽くしたあとの凪の時間に観るにしても、あまりに痛々しい。

原作も読んでいないし、山戸結希監督の他の作品も観ていないから、この映画について水平的に何かを語ることも難しい。この文章だって、『溺れるナイフ』にまつわる個人的な思い出をただ書き連ねているだけだ。だけど、この映画を観て、なんだか随分遠くまで来てしまった心地がした。

夜の国道、部屋から漏れ出る嬌声、歯のない清掃スタッフ、死んだ顔をしたリネン屋、ボイラー室ーーほんの数年前の記憶が今起こったかのようにフラッシュバックする。そういえば、数年前まで、有神論者と無神論者とラブホテルを清掃して回っていたのであった。

解説・映画『溺れるナイフ』(2016)

監督:
山戸結希

出演:
小松菜奈, 菅田将暉, 重岡大毅, 上白石萌音

小松菜奈・菅田将暉の触れればヒビが入ってしまいそうな見目麗しさと演技が話題になった『溺れるナイフ』。『ディストラクション・ベイビーズ』で初共演し、この作品を経て、今や熱愛報道まで出ている両名。鑑賞後、 “美”を過剰摂取しすぎた脳が一時的に機能を停止し、生活に支障をきたしました。すみません、これはさすがに話を盛りすぎましたが、ほんとうに美しかったです。

山戸結希監督がいっとう好きだという同居人(もう引越先を見つけて出ていったので元・同居人)が、小松菜奈がマニキュアを塗るシーンを見て「小松菜奈の足の指に毛が残ってるんです。きっと監督が意図してやってるんです。こういうのが好きなんです」と嘆じていました。

 文・渡良瀬ニュータウン
編集・川合裕之(フラスコ飯店 店主)

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