Te wo Arai mashou.

投稿者: 渡良瀬ニュータウン

1995年生まれ/ままごとじみた生活を送る仕事ができない会社員/趣味でダメです.というもうダメなひとのためのwebメディアをやっています

(C)東海テレビ放送

地元と呼べるものを持っていない。兵庫で生まれ、熊本に暮らし、また兵庫に戻ったかと思えば、次は埼玉へ。おまけと言わんばかりに兵庫に帰り、最終的には埼玉に落ち着いた。できそこないの反復横跳びのような家移しであった。

社会の授業で「外様大名」という概念を習った時のことをよく覚えている。「外様」とことさら強く書きつけたノートを見て、「どこに行っても外様であることよ」と思っていた。幸いにも転校先で除け者にされるようなことはなかったが、皆と共通の思い出を持っていない疎外感を覚えることは多々あった。

とはいえ、なんだかんだで中学生からは埼玉にずっと住んでいた。市内の高校に進み、二十歳になってからは国道沿いの寂れたラブホテルでバイトを行い、大学にも実家から通った。ただ、何か小さな解れが起こって、埼玉ではなく兵庫県で暮らしていたらどうなっていたのだろうと感じることがある。

(C)2016「ディストラクション・ベイビーズ」製作委員会

意識を失って目覚めた時、冬の始発に充ちる空気のように頭が透き通っている感覚が忘れられない。山岳ベース事件を起こした連合赤軍の森恒夫が「自己批判」「総括」として他人に暴力を振るい、共産主義を盲目的に信奉する革命戦士として生まれ変わらせようとした契機は、自身が気絶した後に「生まれ変わったような心地がした」からであるらしい。

正直、分からなくもない。顎に足先が掠めただけなのに、いとも簡単に意識が攫われる。幼い頃から空手を習っていた自分にとって、暴力は隔日の夜に訪れる信仰対象のようなものだった。

(C)ジョージ朝倉/講談社 (C)2016「溺れるナイフ」製作委員会

就職活動中、「ラブホテルの立ち上げを経験しました」と話すと、たいていの面接官は面白がって話を聞いてくれた。

実際にはリニューアルオープンするラブホテルのオープニングスタッフとして雇われたにすぎない。大量の避妊具をもぎって箱に詰めたり、電気マッサージ器の本数を数えたりした程度だ。が、有象無象の就活生から脱して「ラブホテルの子」として認識されるだけで選考の突破率は格段に上がる。

結局、ヘルプも含め、3つのラブホテルで働いたのだった。最後は「ホットドッグセットではなくホットライスセットを頼んだ」と意味不明なクレームをつけてきた熟年カップルに「お客様、世の中のライスはほとんどホットでございます」と癇癪を起こしてしまい、バカらしくなって辞めた。それ以来接客業らしい接客業はしていない。

「マジンガーの格納庫、作っちゃおう!」

小木博明が揚々と発するこのフレーズが記憶に残っているラジオリスナーは多いかもしれない。ここ数ヶ月、盛んに深夜ラジオのコマーシャル枠で宣伝されている(というかラジオ以外で宣伝されていたのを目にしたことがない)『前田建設ファンタジー営業部』。見てきました。

そして、これから「労働ポルノ」の話をします。

服が多い。何しろ服が多い。クローゼットを突っ張り棒で拡張してもダメ。加速度的に服が増えていく状況の中で、ハライチの岩井は自身と愛猫モネの棲家であるメゾネット(1階と2階があるおしゃれな庭付きの家。1階に居ることもできるし2階に居ることもできる)の壁面にワイヤーを張り、服を吊るすことを思いついた。

数分後に、ハイタッチをする予定が入った。突如として入った。知らない人間と、にこにこして、ハイタッチを、成功させなければならない。心臓が高鳴って、アフリカの民族音楽みたいなビートを刻み始めた。自分の中でマサイ族のみんなが火を囲んで飛んでいる。やめてください、ここは祝祭の会場には好ましくないんです。

好きなものを語ることが恐ろしい。好きな映画は? 好きな音楽は? 好きな女性のタイプは? そんな質問に答えようとするたびに喉の奥に冷たくてどろどろしたものが溜まってうまくことばが接げなくなるのだけれど、唯一「好きな作家は?」という質問にだけはすんなり答えることができる。川上弘美がたいそう好きである。平易と思われる文章の中にユーモアと晦渋なメタファーが埋め込まれ、道を歩いていたらいつの間にか異世界に飛ばされたり五百年くらい時が経っていたりするような心地がするから、好きである。

ところが、最近のぼくは川上弘美にまつわる二つの問題に悩まされている。一つは、川上弘美という作家が世間からは誤解されているような気がすること。もう一つは、川上弘美がすっかりマザーコンピューターになってしまったことである。

選ばなかった方角を/懐かしみ続けている/夜が多重露光のように/交わ

cero”double exposure”

可能性はいつだって無限にひらかれていたのに、ぼくたちはいつになっても、あの時ああしていればなどとくよくよ考えている。もしもあのとき、違う学校に入っていたら? あのとき、思いを人に伝えていたら? あのとき、右の角を曲がっていたら? 

出会わなかった誰かのこと、なにかのことをたぐり寄せようとする。あるいは、そう在ったかもしれない自分のことも。染み付いた自堕落と手癖でコンビニのカップラーメンを手に取る時、その食物が自分の血肉になることを考える。もしもいまからぼくが摂取し、ゆくゆくはぼくそのものになる物質が、今後の人生を変えたらどうしよう? この不健康の塊みたいなカップラーメンを食べた瞬間に肝臓が悪くなって倒れて働けなくなってお金がなくなって好きな人に離れられて家が焼けて親類も全員死んでしまいには闇金に引っかかったらどうしよう!?

「本当は甘いコーヒーが飲みたいのに、レジの店員さんに格好悪いと思われるのが嫌だから、飲みたくもないブラックコーヒーを買って、いつも後悔するんです」

飛ぶ鳥を落として焼いて食べるくらいの勢いで活躍しているお笑いコンビ、宮下草薙の草薙くんが、何かの番組でそんなことを言っていた。痛いほどに分かる。

趣味嗜好を人に暴くのは心の底から恐ろしい。「そういう人間なんだ」と一度思われたら、その引力からは二度と逃れられないような気がする。

自意識はオーバードライブするとどんどん悪い方向に働く。誰もそんなことは思わないはずなのに、自意識自身が「あなたは甘いコーヒーを買う人間なんですね、ははあ」と嘲笑する店員を自分の中に作り出してしまうのである。