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天才だったあの頃の私たちへ| コラム『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』

多くの子供がそうだったように、自分にもその昔夢があった。何にでもなれるような気がしていた。

映画を観るようになった10代前半の頃、私はスクリーン上で繰り広げられる人間模様に感動し、登場人物に想いを馳せた。映画を観て世の中にある職業を知り、将来について色々想像した。

ロビン・ウィリアムズがお気に入りだった。『レナードの朝』や『パッチアダムス』で医者を演じる彼に影響されて、自分も医者になりたいと思い、『グッド・ウィル・ハンティング』の彼を観て心理学者もいいなと思ったりした。

ゆとり世代だからか、小学校や中学校では将来の夢について作文で書くような機会があった。10歳になると市の小学校では「にぶんのいち成人式」なるものが執り行われた。皆一人ひとり壇上に上がって夢や目標を宣言させられたりした。

14歳の時には、道徳の授業で担任が将来の夢について生徒に聞いた。同級生が当たり障りのないことを言うのを聞いて、つまんないと思ったのを覚えている。自分はと言えば、まごまごしながら「小説家になりたい」と言った。『小説家を見つけたら』のショーン・コネリーや『主人公は僕だった』のエマ・トンプソンに憧れていたのだ。

天才テネンバウムきょうだいのその後を描いた映画

IMDBより

映画『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』の主人公となるのは天才一家テネンバウム家の子供たち。3人とも10代で天才児として有名になったものの、人生の曲がり角で鬱屈したものを抱えている。

長男のチャスはビジネスマンとして成功したものの、飛行機事故で妻を亡くした悲しみが癒えていない。劇作家の長女のマーゴはもう7年も新作を出していない。精神学者の夫との生活から逃避してバスルームに引きこもってタバコを吸っている。テニスプレイヤーだった次男リッチーは試合でひどい負け方をして以来、船に乗って放浪している。

映画の冒頭で「ヘイ・ジュード」に合わせて、少年期の彼らの天才ぶりが描かれる。10代で不動産を買ったチャス、劇作家として有名になったマーゴが写真を現像する暗室。テニスの選手権を3連覇したリッチー。父ロイヤルは法律家で35歳で家を建て、母エセリーンは考古学者。いわゆるエリート一家だ。

映画の大部分で描かれるのは、天才として注目を集めた子供たちの、その後の “弱さ” だ。人生の壁にぶつかって立ち止まり、また歩き始める。

離散していた家族は父親ロイヤルの呼びかけで、一堂に会する。実家に帰った彼らが直面するのは自分達が天才だった過去と、これからも続いていく人生である。輝きを失った彼らの才能は、物置の隅で忘れ去られてしまったボードゲームのように色褪せたかもしれないけれど、でも過去と現在は地続きで、これからも日々は続く。

エセリーンと別居し、22年ものホテル暮らしで破産したロイヤルはどこにも行く場所がなくなる。ガンで死期が近いと偽って家に帰り、子供たちも呼び寄せられる。物語が進んでいく。マーゴはバスタブを出て、リッチーは船を降りる。不安に苛まれているチャスも立ち直っていく。いやそんなに物事は単純じゃないんだけど、映画全体を見るとみんな立ち直り、一家に大団欒のようなものは訪れる。『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』は「天才のその後」と同時に「家族の再生」を描いた映画でもあるのだ。

10代の夢とその後の現実

誰だってそうだったように、自分にも子供の頃夢があった。でも当時の夢をそのまま実現させるような人は稀だ。多かれ少なかれ自分のプランを修正して進む。壁となるのは親の経済状況だったり、センター試験の点数だったり、恋人の目標だったりする。天才として名を馳せたテネンバウムの3人でさえ、壁に突き当たり悩んでいる。

14歳で映画を観るようになって以来、私は将来のことを色々と夢見てきた。けれどそれは夢を見ただけで、現実とは違った。夢や希望は、現実では思い描いたものとは全然違う。なりたいものになれても、欲しいものを獲得しても、また足らなくなる。

小学校の次は中学校、その次は高校、大学、就職、結婚。ゴールテープを切ったと思うと、その瞬間にまた号砲が鳴ってまた走り出さないといけない。ゆっくりしていたいのにそうもいかない。

うかうかしているうちに10代も20代も終わる。生きていればすぐ終わる。次第に才能も選択肢も無くなって、人生がのしかかってくる。でもそれはきっと悪いことなんかじゃない。『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』はそれを教えてくれる映画だ。

天才だった私たち

その昔誰しも天才だった。ドッチボールが上手とか、折り紙ですごいものが作れるとか、誰にでもそういうのが備わっていた。成長するにつれて次第にそうした才能は褒められなくなり、学校の成績とか資格やらが大事になってしまった。

わだっぺという幼馴染の発案で年中の頃、友達と本を書きだした。保育所の先生が協力してくれて、紙に絵と文章をのせ、皆で発表会を開いた。絵が一番上手いのはわだっぺ、文章をたくさん書けるのは私。飛び出す絵本のような仕掛けをみんなで作って楽しんだ。小学校の時点でわだっぺの描く絵は、市内のコンクールで夏休みの度に何度も入賞していた。でも、将来漫画家になると言っていた彼が今なにをしているのかは知らない。すっかり疎遠になってしまった。

私は中学受験をした。日能研かなんかの全国テストで優秀な成績を取って、いい気になった4年生の私は、母や祖母に言われるままに勉強をした。何にでもなれるような気がしたというのは実際にそうで、頑張れば何にでもなれたのだと思う。将来小説家になれたらいいなあと思ってここまで過ごしているけれど、未だにコンペでは引っかからないし、そもそもそんなに書いてもいない。ずるずると大学生気分で過ごしている。

中学受験の塾でも、中学でも高校でも、それぞれの将来に輝かしい未来があるような気がしていたのに、いざ現実にするとなんだか味気なく思える。絵空事とはいえ、夢や希望があったあの頃と比べると、友人たちの現在がひどくつまらなく感じられる。大学もそうだ。入学当初はキラキラしているように見えたキャンパスも、卒業してしまった今では見え方が違う。

ちゃんと夢を現実にしようとするのなら、必要なのはプランだ。一念発起じゃない。でもプランを立てて計画通りに実行するのは時間も根気がいる。突然走り出したくなったり、違うことに気を取られたりする。結局何者にもなれずに日々が過ぎる。無理して誰かや自分を傷つけるくらいならそれでいいのだと思う。時々、こうなれていたかも知れない未来に思い至って、もの想いに沈む。

IMDBより

天才だった時代から20年を経たテネンバウム家の3人が、各々悩みを抱えているのを見て、少しだけ共感する。別に私は中学受験したくらいで、別に天才でもなんでもないけれど、彼らが直面する現実に自分を重ね合わせる。初めてこの映画を観たとき、きっと私は15歳とか16歳とかだったと思う。『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』を観た当時の私には、想像もできなかったことを今の私は考えている。それって結構すごいことだ。10年後にこの映画を観たら、きっとまた違うことを思うのだろう。

伊達男ウェス・アンダーソン

さて、ウェス・アンダーソンの映画はおしゃれである。小道具やら大道具やら美術が素晴らしい。細部まで監督のこだわりが行き届いている。『ダージリン急行』でも『グランド・ブダペスト・ホテル』でもそう。画面の中にある情報が多過ぎて疲れるたりもするけれど、何度観てもその度に発見がある。子供のころ読んだ「ウォーリーをさがせ!」とか「ミッケ!」に少し似ている。

『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』の「ロイヤル」は彼らの父親の名前ロイヤルから来ているのだと思う。「忠実な」を意味する「loyal」ではなくて「royal」。「高貴な」とか「気高い」という意味の単語だ。文字通りに映画のタイトルを日本語にするとしたら「高貴なテネンバウムズ一家」とかだろうか。

IMDBより

映画に出てくる家はセットではなくて実際にあるものだ。Googleマップで検索すればハーレムにあった。144th street。映画にあるテネンバウム家をいつの日かマンハッタン島まで出向いて見てみたいものだ。きっと映画の中にあるよりも「普通」で「ありきたり」でガッカリするのだろう。なんとなくわかっているけれど、それでも見てみたい。

誰かの所有物だったその家を撮影のために借りて、家具を揃えたり壁に掛ける絵を見つけたりして、映画を作ったという。英語の「royal」がどのようなものなのかわからないけれど、映画に出てくる登場人物たちの部屋も持ち物も、家具も壁紙も、細部までこだわりが行き届いていておしゃれだ。

行き届いたおしゃれは、登場人物の服にも出ている。チャス、マーゴ、リッチーはそれぞれ着るブランドが決まっている。ベンスティラー演じるチャスは息子たちとお揃いのアディダスの赤いジャージをずっと着ている。マーゴ役のグウィネス・パルトローはラコステ、リッチー役のルーク・ウィルソンはフィラばかり着ている。映画が公開された2001年に彼らのファッションがどう見えていたのかはわからないが、2022年現在の私には、3人ともクラシックでおしゃれに思える。

天才かそうじゃないか。イーライの場合

「royal」なテネンバウム家の向かいに住むのが、オーウェン・ウィルソン演じるイーライだ。実生活でオーウェン・ウィルソンとウェス・アンダーソンが親友であるのと同様、イーライとリッチーは親友である。

IMDBより

少年時代のイーライはどういうわけか伯母と一緒に住んでいて、テネンバウム家の子供たちに憧れている。少年だった頃から20年余り経ち、人気作家として文壇の寵児となってからもイーライの心の中には、テネンバウム家に対する劣等感や僻みがあるらしい。物語の中で彼にスポットライトが当たる時間はそれほど多くないけれど、重要な役柄だ。『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』の登場人物の中でイーライに感情移入するようになったのは結構最近のことだ。5年前に観た時は、彼がどうして破滅的な振る舞いをするのかわからなかった。

天才だった子供たちに憧れて育った彼は、売れっ子作家となっても、自分が天才かそうでないかを気にしている。子供時代のイーライの家は、2人暮らしで、テネンバウムズ家と比べるととても質素で狭い。テネンバウム家の一員になりたいと思いながら育った彼は、一家の一員にもなれず、天才にもなれず、映画の最後にラリった状態で運転し、リハビリ施設に入る。ウェス・アンダーソンが描くからおしゃれな感じになっているけれど、現実だったら結構シビアで残酷だ。

それなりにいい大学に入って、でも何にもなれずにウダウダしている自分と、人気作家になったのに心に空いた穴を埋めずにいるイーライ。なんとなく重なるところがある。イーライが主役となるいくつかのシーンでかかるクラッシュの音楽も、彼の中にある屈折した感情を代弁しているのだろう。余談になるけれど、私はこの映画がきっかけでクラッシュが好きになった。Nico も Ramones もこの映画が最初だ。

イーライが天才だったか天才でなかったか。そんなことにお構いなしに日々は続く。まず彼はメスカリン依存を克服して施設を出ないといけない。私は私で何者にもなれていないからといって引きこもらず、社会と向き合わなくてはならない。

群像劇で誰に共感するか

ウェス・アンダーソンの他の作品と同様に『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』も一家で広げられる群像劇だ。誰か一人が主人公というわけではない。ウェス・アンダーソン自身は、マーゴとリッチーに共感するということを音声解説で言っていた。マーゴは3人の真ん中で、リッチーは父親を家族の中に引き留めておこうと苦労する。実際、彼が経験した両親の離婚を基に映画を作ってみようというオーウェン・ウィルソンの提案によって脚本が進んだらしい。

群像劇の中で誰に共感するかというのは、人それぞれ違う。また、同じ人が同じ映画を観ても、時期によって受ける印象や考えることは違う。この映画を初めて観た思春期の頃は映画自体に憧れていたと思う。小道具や美術を美しいと思い、監督が仕掛けてくるユーモアやオマージュをより理解できるよう、もっとたくさん本や音楽を知ろうと思った。

IMDBより

大学生活で行き詰まった夜中にふと観たときは、きょうだい3人の現実に自分を重ね合わせていた。夢や目標が見えなくなって悩んでいる自分と彼らの姿に重なるところを見つけて、少し元気が出た。

最近は、オーウェン・ウィルソン演じるイーライに共感した。天才一家と自分を比較し、自分もその一員になれるように頑張ってきたものの、他者からの評価を気にしてしまっている彼。『華麗なるギャッツビー』の主人公に少し似てる気もする。

もしかしたら、私がこれからも人生を進めていくと、『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』も、これから違って見えるのかもしれない。エセリーンやロイヤルに共感できるようになる日がいつか来るかもしれない。映画を通じて自分自身を定点観測できるのも、楽しみ方の1つだと思う。

 文・石黒優希
編集・和島咲藍

解説『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』(2001)

監督:
ウェス・アンダーソン

出演:
ジーン・ハックマン、アンジェリカ・ヒューストン、ベン・スティラー、グウィネス・パルトロー、ルーク・ウィルソン

『グランド・ブダペスト・ホテル』や『ムーンライズ・キングダム』『ダージリン急行』で知られるウェス・アンダーソン監督の長編第3作。監督が盟友オーウェン・ウィルソンと書いた脚本がアカデミー賞脚本賞にノミネートされ、父親役のジーン・ハックマンがゴールデングローブ賞を受賞している。監督のその後のキャリアを開いた映画だけれど、上にあげたその後の映画と比べるとやや知名度が低いような気もする。

ジーン・ハックマンとグウィネス・パルトローの2人が会話するパーラーでは店内にいるのは父と娘ばかりだとか、散歩のシーンでは画面のどこかにずっと犬と男の人が映り込んでいるとか、そういった仕掛けが映画の至る所にたくさんある。架空の本を映画化した作品として作り込まれていて、ナレーションが多いのだけど、そのおかげで登場する人物一人ひとりの事情がよくわかるようになっている。

美術と同様に音楽もおしゃれだ。Nico の歌声と共にマーゴがリッチーを迎えに来るシーンと、Ramones の音楽とともにマーゴの秘密が暴かれるシーンがとても好きだ。たくさんの要素が詰め込まれた映画だから、観ればお気に入りのシーンや音楽が見つかるはず。ぜひ見つけてほしい。

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