『ジョーズ19』は、1989年の映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』の中に小ネタとして登場した架空のサメ映画。ファンの手により後年実際に制作されることになる。
一作目の『バック・トゥ・ザ・フューチャー 』(1985)の公開から30周年となる2015年、ついに時代が『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に追いついたことを記念して、ジョーズ側の監督であるスティーブン・スピルバーグがニセ予告を制作し一般に公開するなどした。
また、時を同じくして2015年、ロシアのプロダクション “Terra Studio Russia” が実際に(そして勝手に)撮影し、『ジョーズ19』を完成させてしまう。
同作はYouTube で配信されており、Google 翻訳の力を借りて93の言語の字幕に対応している。日本語にも対応しているが、その翻訳精度も絶妙に不完全な塩梅なのも見どころのひとつ。
映画『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』の中の小ネタパロディ
急に怪物に襲われた!なに?!……と思ったらそれは、2015年の未来の発達した3D映像テクノロジーのサメだった。よく見たら映画の広告で、さらによく見たら『JAWS』の続編だった。ジョーズはもう19まで続いてるのか……さすが30年後の未来だな……という主旨の小ネタが初出。
ちなみに、実は「BttFには2や3を作る予定は当初からなかった」というのが通説だ。BttFのラストに現れる “TO BE CONTINUED ” のテロップにはそれほどの深い意味は込められておらず、単なるジョークでしかなかった。 「冒険は続く!」だとか 「あんなに頑張って現代に返したのに、また返ってきたの?! トホホ~ 」 くらいの昭和のニュアンスだったという。にも関わらず続編を半ば強制的に作らさせられていた。
それを踏まえてもう一度このシーンのことを思い出すと、これはロバートゼメキス監督の黒目の淀みなのかもしれない。
「いや~~売れたら死ぬまで続編作らされるかもね~。スピルバーグなんてもう『JAWS』を2作も3作も作ってるけれど、未来の2015年には19作目くらいまで作ってるんじゃない?」
みたいなそういう尖りのようにも思えてくる。
スティーブン・スピルバーグのニセ予告『ジョーズ19』
その後時代が追いつき2015年は「遠い未来」ではなくなる。これを記念してスピルバーグがニセ予告を制作し、ユニバーサルから公開した。
(実際には存在しない)歴代ロゴをそれぞれ観客に見せるのだが、そのフォントやデザインから察するにどうやら、実在しない4作目以降はSFやスパイものなど、迷走に迷走を重ねて大変なことになっているらしい。
動画は最後に “COMING SOON” と堂々と締めくくられるが、もちろん『ジョーズ19』の公開は実現していない。当然だ。
なお、同時期に作られたポスターアートに記された監督の名はマックス・スピルバーグ。スティーブン・スピルバーグの実の息子である。
②実際のロシア映画の『ジョーズ19』
「もちろん『ジョーズ19』の公開は実現していない」と前の項では書いたが、それはスピルバーグ版の話。実際に作って公開した愛すべき阿保が存在する。ロシアのプロダクション “Terra Studio Russia” が実際に(そして勝手に)撮影し、『ジョーズ19』を完成させてしまうのだ。
監督はセルゲイ・Aとイワン・ヤコヴィディッシュの両名。制作費は約180円。
同作はYouTube で配信されており、Google 翻訳の力を借りて93の言語の字幕に対応している。日本語にも対応しているが、その翻訳精度も絶妙に不完全な塩梅なのも見どころのひとつだと話題になった。
サメ映画に詳しいサメ映画ルーキー(@Munenori20)氏が実際に監督に聞くところによると「俺意外に誰が撮るんだと思ったから」という謎の使命感に駆られて制作したのだという。
真っすぐな愛はいつだって怖いな。
注*:同氏のTwitter 参照
YouTubeの公開日は2015年9月16日。スピルバーグのニセ予告は10月だったのでかなり本気であることが伺える。いやちょっと待て。『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』の「あの日」は2015年10月21日なんだから、ちょっとはやすぎやしないか。むしろ公式設定を追い越す勢いじゃないか。いつだって片想いしている方は待ち合わせ場所に早く付いてしまう。そういうことなのだろう。
おそらく、このような『JAWS19 』の類は、知られていないだけで全世界に数えきれないほど存在しているに違いない。そういえば筆者が大学生のころにも見た。ちょうど2015年頃、友達が似たようなのを作っていた。
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