I’m back. Omatase. 

余白という自由を写すめがね
| くどうの逆襲 第一回

CAUTION!!

これはイラストレーターの逆襲です。

WEB記事において、“アイキャッチイラスト”とは、記事ありきのイラストです。

「ライター陣ばっかり好きなもの好きなように書くのずるいよ!」

そんなイラストレーターの一声から始まりましたこの逆襲。

イラストレーターが描きたいものを自由に描いて、それに沿ってライターが執筆する。これは、記事ありきのイラストというこれまでの制作の流れを止め、イラストありきの記事にするという、超我儘企画です。

詳しくは
私、フラスコ編集部に逆襲します。

第一回はライター・安尾日向に逆襲!

僕はフィルム写真を撮っています。大学生になってからはじめたので、3、4年でしょうか。あまり人は撮りません。その辺の道端に落っこちているものとか、よくわからない風景とか、そういうものを撮っています。きれいな写真になることもあれば、そうならないこともあります。そんなに熱心ではないですが、細々と続いています。

大学生協の屋上、その裏の隅っこに放置された椅子と机。乱雑できれいな場所ではないけど、それぞれの配置や捨てられたコーラの赤など、偶然にできたこの空間がすごくいいと思った。©️2019 Hinata Yasuo

フィルムで写真を撮るようになってから、ぼんやりと考えていたことがあります。アナログの余白についてです。

デジタルネイティブ前夜に生まれた世代なので、ブラウン管テレビは知っているし物心ついてからもしばらくは身の回りにあったけど、同時にパソコンも早い段階から触れてきたと思います。そしてデジタル機器と成長をともにしてきました。「もうあった」というより「一緒にここまできた」という感じでしょうか。

だからデジタルなものたちに違和感はないし、とてもよく体に馴染んでいると思います。でもデジタルカメラにはそれほど興味が持てなかったけど、なぜかフィルムカメラに惹かれました。はじめてみて、楽しくなりました。どうして好きになったのかと時々考えます。より速く、より便利なものたちのそばで育ってきたのに、すぐに完成系が見れず手間がかかるフィルム写真が楽しいのはどうしてなのか。

そこに余白が生まれるから。それがひとつの答えだと思っています。

アナログの不確定な余白

デジタルカメラの性能は日を追うごとに発達しています。カメラ自体のサイズはより小さく、でも解像度はより高く。より鮮明で緻密な写真を撮ることができるようになっているのでしょう。僕も鮮明な写真や映像を見たいと思っていますし、一昔前の画素の荒い映像とかを見ると今の技術はすごいな、と驚きます。Blu-rayを知ってしまうとDVDの荒さに目がいってしまったり。

しかし同時に、デジタルの解像度がどんどん高まっていくなかで反比例的に失われていくものがあるような気がしてしまう。たとえば、多義性。解像度の高い写真は鮮明で美しいし、被写体もくっきりはっきり、隅から隅まで細かく見ることができる。でもそれは、限りなく「一義的」なものになっていると言えるのではないでしょうか。言わば、写されたものは写されたものでしかない、という状態に固定されてしまうのです。誰が見ても、どう見ても、同じように理解できる。それはとても「便利」なのかもしれないけれど、はじめから除外されてしまうものがある。ような気がする。あくまで印象論ですけどね。

友人たちと行った旅行先の海で撮った空。曖昧な雲の様子が写っていてお気に入り。©️2018 Hinata Yasuo

一方アナログのフィルムで撮った写真はというと、そもそも解像度の概念が少し違う。デジタルは最初から四角いビットが1インチあたりに何個並ぶかで解像度が定義されるけれど、フィルムの場合は光の粒が並んでいくからビットほど整って並んでいるわけではない。不確定な要素がそこに交じってくる。だから輪郭もはっきりしないこともあるし、現実で見たものと同じ色ではないかもしれない。

けれど、その不確定な要素は余白を与える。それは想像力の働く余地です。その写真は、そこに写っているものは、固定的なものではなく、可動的なものになります。不確定で、揺れや幅のあるものになる。見る人によって違うかもしれず、それは少々「不便」かもしれない。でも僕は「ちゃんと写ってる」と強く感じます。そもそも僕たちが見ている世界も、そんなにかっちり確定したわかりやすいものではないのだろうし。

僕はそうしたアナログのもたらしてくれる不確定な余白に魅力を感じてしまいます。繰り返しにはなりますが、これは印象論に過ぎず、下手したら「古き良き」みたいな懐古趣味、安易なノスタルジーも入っているかもしれない。それに実際にはアナログなものをアナログなまま享受するのは非常に難しいです。フィルムで撮った写真もスキャンしてデジタル化して見たりしていますし。でもおもしろいもんはおもしろいんで、しょうがないですね。わかりやすくもないし、見たものが見たまま写っているわけでもない。だけど「ちゃんと写ってる」感じがする。それがいいのです。

不確定で余白のある世界。毎日毎秒目の前に現れる普通の日々に埋もれてしまう世界。映画『めがね』は、そんなわかりにくくも余裕のある世界が「ちゃんと写ってる」作品です。

海の余白・手放す余裕

春の南の島が舞台のこの作品は、大きく青い海を写しています。

海を見ると、僕は少し恐ろしく、そして同時に少し安らかな気持ちになります。あまりに広く果てしなく感じてしまって怖くもあるけれど、その大きさまで自分の領域が広がっていけると思えるような。地球の7割を占める海に比べれば、自分はなんともちっぽけで取るに足らない存在でしかなく、だからこそ安心もするような。海は僕の前に、大きな余白として現れます。余白が僕に作用して、さまざまな思考と想像をさせます。

これも同じく旅行先の海。まっすぐですね。©️2018 Hinata Yasuo

この映画はそんな余白としての海とその前で「たそがれる」人間をたっぷりと写しています。それ以外はほとんど何も写っていないといっても過言ではないような過言なような。少なくとも僕にとっては過言ではありません。そのかわりそれらは「ちゃんと写って」います。

もうひとつ、『めがね』が写している大事なものがあります。それは持っているものを手放すこと。そうすることで余裕を手に入れること。

小林聡美演じる主人公・タエコは、銀色の金属でできた大きなキャリーケースを持って都会からやってきます。そして島や海の余白と、その余白をたそがれる人々に「無理」とこぼします。生粋の都会人に見える彼女が次第にその強ばった心をほぐしていくわけですが、その流れの変わり目となるのが、都会から引きずってきた大きなキャリーケースを道端に放置し、もたいまさこ演じるサクラさんの自転車の後ろに乗るシーンです。手を塞いでいた荷物を手放し身軽になって初めて、この島と人と関わる余裕を手にすることができたのです。

余裕があってこそ、余白と対峙することができる。でも余裕を取り戻すことは難しい。余裕がないことに気づくことは、実はもっと難しい。この映画は自分の手に余裕を取り戻して、余白と向き合い、戯れられるようになるための気づきを与えてくれるかもしれません。たとえこの作品の世界が現実離れした「無理」な理想だとしても。

「何が自由か、知っている。」

映画のキャッチコピーであるこの言葉。ここで語られる「自由」は僕が余白と呼んでいるものと似たようなものなのかもしれません。

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めがねは「ちゃんと見える」ようにするためのもの。理想郷のなかにいるように見える人たちだけど、みんなめがねをかけている。僕もめがねをかけているけど「ちゃんと見えてる」のだろうか。デジタルとアナログ、現実と余白を二項対立のまま終わらせるのはダサくないか。超えられないように思えるスラッシュを超えてちゃんと見たい。めがねなんかなくても「ちゃんと見えてる」と感じられるようになりたい。

車のフロントガラスを車内から撮ったもの。どんなふうに撮れるか予想できなかったが、こんなふうだった。©️2019 Hinata Yasuo

   絵・くどうしゅうこ
文と写真・安尾日向
  編集・川合裕之(フラスコ飯店 店主)

解説・映画『めがね』(2007)

監督:
荻上直子

出演:
小林聡美,市川実日子,加瀬亮,光石研,もたいまさこ

『かもめ食堂』(2005)をヒットさせたチームによる第2作。監督と、出演陣のうち小林聡美ともたいまさこが据え置きで作られていまが、しかしその後監督はこのチームから離れています。このチームはその後も『プール』(2009)や『マザーウォーター』(2010)など小林聡美&もたいまさこ作品を制作していますが、監督はさまざま。映画のチームといえばどうしても監督を中心に考えてしまいますが、そうでもないんですね。学びました。

そんなことよりも僕は加瀬亮になりたいです。『めがね』の加瀬亮は飄々と現れてがぶがぶとビールを飲んでドイツ語の詩を暗誦して帰るという飄々野郎を演じているんですが、こういう飄々とした役をやっている加瀬亮めちゃくちゃいいですよね。ああー、飄々とした加瀬亮になりたい。でも「SPEC」シリーズの加瀬亮もいいですよね、あの頭から血が吹き出そうなやつ。振り幅すげえ、加瀬亮かっけえ。

同時に僕は市川実日子にもなりたいんですよ。僕の一番好きな市川実日子はドラマ『すいか』(2003)のゆかちゃんなんですよね。天真爛漫で表情豊かな大学生役なんですけど、かわいくてかわいくてしょうがない。かと思えば映画『シン・ゴジラ』ではあの表情しますからね、振り幅すげえ、市川実日子かっけえ。

ああ、加瀬亮かつ市川実日子になりたい。「〜〜になりたい」ばっかり言ってるコラムですみませんでした。

この記事は、イラストレーターの逆襲です。

逆襲裏事情:今回のオーダー

第一回となるくどうの逆襲ですが、実は記事を制作してもらうに当たってあらかじめイラストレーターからライターへ下記のオーダーをしていました。イラストの発注頂く際によくある「〇〇な感じで、いい感じにお願いします」みたいなオーダーをやり返してみたかったのです。

今回受けて立ってくれた安尾さんですが、下記オーダーを元に記事を制作してくれました。

オーダーを踏まえてもう一度読んでみるのもおすすめです。(くどう)

くどうの逆襲 くわしい制作フロー

これまでの「テキストにキャッチーさをプラスする目的でイラストをつける」というテキストが無いと成り立たない流れを180°ひっくり返して「イラストにテキストをつける」というヘンテコ無謀な制作フローです。

記事という文字ありきの媒体ではありえない制作フローだからこそ、ありえないものが生まれるかもしれません。

編集後記

逆襲されたライター・安尾日向

2019年11月の文学フリマ京都のあと、近くの喫茶店でお疲れさま会をしているときにこの企画が生まれたと記憶しています。イラストから生まれる文章、という企画はおもしろそうだとワクワクする一方で、結構難しそうだな〜とも思っていました。

初めての逆襲を受ける役回りをありがたくも頂戴しましたが、イラストと映画作品、そして掴みどころのないかわいらしいお題というイメージ先行で文章を書くのは、僕がいつもやっていることとは大きく違っていて、机という海に向かってぼんやりと考える時間が長かったです。いつもは理屈っぽくキーワードから紐づけていって、過去の誰かの思考(=文献)を引用しながら作っていくので、起点がワードかイメージかという違いがありました。結局イメージからワードを引っ張ってくるわけですが。

作品から余白というワードを、イラストとお題から海やめがね、荷物というモチーフを持ってきたような感じでしょうか。でも書き上がってからイラストを改めて見ると、めがねがとても曖昧に、輪郭がぼやぼやした感じに描かれていて、「不確定性」というワードともつながっていたことに気づきました。最初からそこを意識していたわけではないつもりなのですが、知らないところで発想のもとになっていたのかな。それともくどうさんとのシンクロ? 何にせよ逆襲という企画のおいしいところが現れたグッドな偶然だと感じます。

好きなかき氷の味は、カルピスです。邪道?

逆襲者・くどう

あがってきた原稿を読んで、最初に思ったのが「しっかり海沿いだ」でした。

お題のひとつとして私から“エア海沿いで執筆せよ”とお願いをしていて、出題した本人が言うのもアレなんですが“エア海沿い”、結構気難しいお題だったのでどうなるんだろうと思っていました。

今回第一回に選んだ題材『めがね』という映画ですが5年前くらいに初めて観てずっと大好きな映画です。思い出した時に観直したりしていますが観る度に都度感じることや気づくことが変わったり増えたりします。

今回イラストに込めたのは、『ちょっと沈めておこっか』という気持ちです。“捨てる”と言うよりは“置く”という表現にしたくて、でも簡単には引き上げられないような場所に置いていきたい、“海=戻ってこれない、怖い”というようなイメージを持っている人もいるかもしれませんが、個人的にこの映画の中での海は“包み込んでくれる、待っていてくれる”という寛大なやさしいイメージで、尚且つ映画の中での海が強かったのもありキャリーケースを海に沈めました。

色合いでもこだわったのが海の色です。かなり迷いました。解放感を表現したくてターコイズに黄色混ぜてみたり白混ぜたり緑混ぜてみたり…最終的に暖かい海として描けた気でいるので満足です。

逆襲第一回を受けて立ってくれた安尾さんですが、普段のフラスコ飯店でのコラム記事などでは割とかっちりした印象の記事を書いていて、個人的に今までの彼のテキストに対しては『都会の図書館』というイメージを抱いていたのですが、今回の逆襲ではしっかり『海沿いの図書館』になっていました。

ついでに言うと海沿いの空気を書いてくれたのももちろんなのですが、心なしかなんだか普段と違う空気の、儚くてゆったりした書き味を感じてかなり湧きました。火属性の技も使えるし水属性の技も使えちゃう人みたいな。すごい。是非安尾さんの他の記事も読んでみてほしいです。

そして個人的にこの企画のおもしろさが早速出たのかなと思ったのですが、安尾さんの編集後記で

めがねがとても曖昧に、輪郭がぼやぼやした感じに描かれていて、「不確定性」というワードともつながっていたことに気づきました。最初からそこを意識していたわけではないつもりなのですが、知らないところで発想のもとになっていたのかな。

と感想を記してくれているのですが、正直に話すとこのめがねの輪郭が曖昧な事は本当に無意識で、言ってしまえば「海=波=ゆらゆらさせよう」という安直な考えから描いた線でした。でも、良くも悪くも不確定なもの・分からないものに生活や感情を左右される事への包容を映画から感じていたので、自分の予想だにしない部分から結果的に自分でも明確にできていなかった感情を読み解いてもらって、まさかのうっかりラッキーでした。

イラストで伝わる(解釈)、伝える(表現)、が人の数だけあるという事が改めてドキドキしてしまいます。怖いし、おもしろいです。

総括して第一回目の逆襲、今回自分の中の作品への思いや表現を全て自分が決められるという状況が自由でひたすらに楽しい、そしてこのヘンテコ制作フローがどうなっていくのかに武者震いでした。どんどん逆襲していきたいです。

最後にくどうの好きなかき氷の味は王道ブルーハワイです。


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