音楽やファッションも抜け目なくカッコよくてぼくは『マトリックス』が大好きだ!
レビューを見て色んな人の感想を読み漁ったこともあったが、もそこではあまり語られない部分がある。それは主人公ネオが覚醒し、そして救世主(the one)となるこの映画のクライマックスである。なぜネオはいきなり救世主になったのか?という部分に関する考察だ。
IMdbより
画面にへばりつき、モーフィアスやトリニティや預言者のオラクルとの会話をよく観ておかなければ、なぜエージェントによって銃殺されたネオが最後に突然立ち上がり突然救世主となったのかを見逃してしまう。
スーパーサイヤ人化した孫悟空のように、突然エージェントスミスをボコボコにしはじめたかと思うと、次の瞬間、マトリックスから目覚めたネオはトリニティと熱いキスをかわし、終いには突然空を飛びはじめ、エンドロール。
おい!!!待て待て!!!
ラストシーンに納得がいかなかった
全ての人たちへ
なんでここまでクライマックスに向けて丁寧に世界観や救世主の設定などを説明してきたのに最後で一気に奇跡がおこるんだよ!納得いかねぇよ!
そもそも、預言者のオラクルとの会話では「ぼくは救世主ではない」ということになってたじゃないか!「来世かもね?」とか言われたから銃殺されて一度死んで復活したからそれは来世だ!だから救世主だ?
IMdbより
いやいや!来世、つまり復活後は救世主かもだけど、銃殺前は救世主でもないのに今世のネオが復活するのはおかしいだろ!
しかも最後にはお目覚め一発目でトリニティと熱いキスを交わして空へ飛び立つ?最後の短時間で一気に全ての片が付くのが早すぎてついていけねぇよ!
映画をパッケージングするために「正義を勝たせてラブストーリーをぶち込んでおけばいい」みたいな “ご都合主義” じゃ納得いかないからな!
はい。この記事で全部解説します。
というか、この記事を読み終えた後もう一度あのラストシーンを観れば、あの雑に見えたスピーディーな展開が逆に超気持ちよくなることでしょう。というか、ぼくはそうであるべきだとすら感じている。
『マトリックス』(1999)が派手なワイヤーアクションとぶっ飛び設定のSF映画であることには違いない。だけど、その奥に潜む哲学的な部分にフォーカスを当てることで更に深みを感じることができたので一人でも多くの人にこの素晴らしい精神世界を紹介したい!
目次
・預言者オラクルとの会話「汝、自身を知れ」
・「スプーンなんてないんだ!」の本当の意味とは?
・「運命なんて信じちゃだめよ。人生は自分で決めるもの」
・モーフィアス「道を知ることと実際に歩くことは違う」
・なぜ起き抜けにトリニティとキスするの?
・誰がなんと言おうとネオは救世主なのだ!
→『マトリックス』 を Amazon Prime でもう一度観る
預言者オラクルとの会話「汝、自身を知れ」
『マトリックス』では多くの精神世界に関する話が飛び交う。その中でも、 “預言者” であるオラクルの自宅に尋ねるシーンはネオが救世主となるために最も重要となる経験が描かれている。
オラクルの部屋には「汝、自身を知れ」と掘られた彫刻が飾られているが、これは古代ギリシアに存在した聖域、デルポイのアポロン神殿の入口に刻まれた格言である。
IMdbより
思考から逃れることは不可能
「自身を知る」とはどういうことなのか。それは「自分に嘘はつけない」といった言葉を一度思い浮かべるとわかりやすい。
たとえば、どれだけ「楽しい」と言葉にして周りに伝えたとしても、心の中で少しでも楽しくないことを感じてしまった以上、それは言葉でしかなく、嘘になる。「めちゃくちゃ楽しい飲み会だけど、この居酒屋の店員さんはさっきからかなり横柄だ」「キャンプ場にきているのにどうしても昨日やり残した仕事のことを考えてしまう」など、心の中に自然発生した思考からは誰しも、逃れることは不可能なのだ。
その思考がネガティブであれ、ポジティブであれ、心の中、つまり自身の中に起こる事象からは逃れることができない。
「救世主」には自覚が必要
これを預言者オラクルは次のようにネオに説明する。
「救世主であるということは恋をしているのと同じようなもの」
『マトリックス』(1999)より
自分が恋をしているかどうかなんて他者には決して伝わらない。でも、自分自身は痛いほど感じるものだと。
IMdbより
預言者オラクルからの「自身が救世主であるか?」という問いに対してネオは「自分は違う」と答える。
その「自分は違う」というネオの発言はあくまで言葉であり、どれだけ自分が救世主ではないと言い聞かせても無駄なのだ。だから、オラクルの返答は「今はそうかもね」なのだ。そして、続けてこう語る。「来世かもね。そういうものなの」
逆に、自身を「救世主だと信じている」と言い聞かせたところでなんの意味もなく。本当にネオが救世主であるならば、心の中の自分に嘘をつくこともなく、純粋な気持ちで「自分は救世主なんだ!」と信じ込まなければならないのだ。
つまり、この言葉によってオラクルはネオに何を伝えているかというと、「あなたは救世主?自分が違うっていうんなら今は違うわね。才能はあるけど」といったところだろうか。
「スプーンなんてないんだ!」
の本当の意味とは?
預言者の家では “特別な子どもたち” と呼ばれる子どもたちがなんらかの訓練を受けている。そこである子どもとネオが会話をするシーンで頭がこんがらがるような哲学が語られる。
「スプーンを曲げたければ自分が曲がることだ。本当はそこにスプーンなんてないんだ」という子どもの言葉は暗に救世主の心のあり方について助言しているようにもとることができる。
IMdbより
スプーンを他者の心として考える。つまり自分以外の心を変えようとしても変わらない。なぜならそこにスプーンなんてないんだから。つまり、心というものは己自身の心以外は存在しないという哲学だ。
※この辺りを説明しだすとかなりややこしいので理解を深めたい人は「哲学的ゾンビ」などの哲学用語でググってみて欲しい!
とにかく、人間って自分に心があることは意識できるけど、果たして他者の心が存在するのか?と聞かれるとそれを証明する手段なんてないよね?という話だ。
「運命なんて信じちゃだめよ。人生は自分で決めるもの。」
そして預言者オラクルは最後に「このクッキーを食べ終わる頃には心が晴れるわ」とネオに焼き立てのクッキーを渡し、こう助言する。「でも、運命なんて信じちゃだめよ。人生は自分で決める。そうでしょ?」
この二つの言葉は一見ネオの心を誘導しているようにも捉えることができる。先の例えでいうと、スプーンを曲げようとしているように感じる。。しかし、明らかな誘導でもなければ強制力のある言葉ではない。ネオは結局「自身を知る」ことでしか現状を改善することができないのだ。
じゃあ、預言者はネオに一体何を教えて物語に何をもたらしたというのだろうか!
IMdbより
その答えは既に預言者の部屋に入る前にエレベーターの中でモーフィアスがネオに伝えていた!「彼女はガイドだ」と。
預言者はここでネオに何も教えない。ただ、「もっと自分と向き合え」ということを伝えただけであり、それは救世主であることの証明でもなければ誘導でもない、あくまで「ガイド」である。
うわーー!わかりにくい!頭がこんがらがるし、会話がハイレベルすぎてぼくにはこんなの初見では捉えきれなかった!
だけど、ゆっくりゆっくりと話を噛み砕けばこの預言者訪問のシーンはめちゃくちゃおもしろい!『マトリックス』の中でぼくが一番好きなシーンだ。ワイヤーアクションでもCGと実写のミックスで生み出されたSF世界の映像でもなく、おばさんがクッキーを焼きながらゆっくりとお話をするシーンこそがぼくの脳内をぐわんぐわん揺らしてくる!
モーフィアス「道を知ることと実際に歩くことは違う」
そして、ネオが救世主になる手助け、ガイドをするもう一人の存在、モーフィアス。
モーフィアスも預言者と同じでネオに対して助言はするが、選択はネオ自身に任せるスタイルである。「汝、自身を知れ」スタイルである。
IMdbより
そして、預言者オラクルが心のあり方を助言する役目だとすると、モーフィアスはその心の使い方を教えてくれる存在である。
「道を知ることと実際に歩くことは違う」
という言葉からわかるようにどれだけ賢くなろうが、どれだけ自分を救世主だと思い込み、信じたところでなんの解決にもならない。結局実際にやるのはお前だ。実際に救世主になるのはネオなんだ。そして、それが一番難しいということをネオに教える役目なのである!
この言葉に似た表現はよくビジネス書なんかでも登場する。「すぐやる人が勝つ」だったり「まず動くこと」だったり。だけど、結局のところ「汝、自身を知れ」をまず理解しておかなければ結局付け焼き刃になること間違いなしだ。ぼくは何度付け焼き刃の「すぐやる人」になったことだろう。「ぼくは救世主ではありません」と言っておきながら「まず動くことが肝心」なんて言われてもネオだって混乱するよね。
まずは自分自身が何者なのかを心に聞くべきなんだ。そして、それを行動に起こした時、奇跡は起こる。ネオは「モーフィアスかあなたのどちらかが死ぬ」という預言者の言葉をねじ曲げる。「スプーンなんてないんだ!」という哲学を内面化させたネオはいとも簡単に奇跡を起こす。
IMdbより
絶体絶命のピンチの中、ネオは自身の心のあり方を身に付け、それを更に行動にうつすことで不可能とされた運命をねじ曲げ、モーフィアス救出を実現する。
そして、トリニティとのあついキスをかわす!
なんで?なに起き抜けにキスしちゃってんの?
そう、これも預言者の部屋で既に語られていたのだ!「あなたは何かを待っている」というオラクルの言葉を思い出して欲しい。一体、ネオは心の奥底でなにを待っているのだろうか!
なぜ起き抜けにトリニティとキスするの?
トリニティは預言者から「救世主が現れた時あなたは恋に落ちる」と助言されていた。つまり、トリニティからしたらネオは確定の救世主だったのだ!
IMdbより
しかし彼女もそれをネオには伝えない。最後の最後まで。エージェントスミスにマトリックス内で銃殺されたネオの死体に向かって、ついにその告白するのだ。もう死んでるのに。もう口から血とか吐いて、心配停止しているネオの死体に向かって告白する。
するとネオは復活を遂げる。一体どういうことなのか?
先に出たように、預言者はネオにこうも助言している「あなたは何かを待っている」ネオ自身が自分を救世主だと信じるためには他者から「あなたが救世主だ」という信頼が必要だったのではないだろうか。それも言葉だけではなく、その他者の心の底からの信頼が必要だったのではないだろうか。
しかし、モーフィアスは最初からネオが救世主だと信じていたのだが、それではネオは覚醒しない。なぜなら、ネオ自身がモーフィアスを疑っているから。結局モーフィアスの思い込み、勘違いなのではないか?という可能性がある以上ネオは救世主にはなれないのだ。
そして思い出して欲しい!
トリニティにとって「恋に落ちる相手=救世主」というイベント発生中にネオに恋する訳だから、トリニティの中で救世主はネオで確定しているのだ!
IMdbより
しかもモーフィアス救出の際にネオは既に自分が救世主であることを信じはじめている。だからあのトリニティとネオの双方が心のそこから救世主をネオの中に感じた瞬間に死をも克服する奇跡を起こしネオは救世主となったのだ!
「スプーンを曲げたければ自分が曲がることだ。本当はそこにスプーンなんてないんだ」という哲学をモーフィアス、トリニティ、そしてネオの三人が共通して突き通した先にその三人にとっての奇跡が起きたのだ!
誰がなんと言おうとネオは救世主なのだ!
最後に、モーフィアスの「彼女は必要なことだけを君に伝えた」という言葉は果たしてネオに語りかけているだけなのだろうか。いや、それと同時に我々観客に向けてモーフィアスが教えてくれたのではないだろうか。
IMdbより
『マトリックス』(1999)のシナリオはネオの主観で描かれている。それはネオと同じ目線で観客がマトリックスの世界を理解していくように作られているからだ。だからこそ「彼女は必要なことだけを君に伝えた」というようにこの映画はヒントしか与えてくれない。答えは「自身で探せ」といったところだろうか。
そして思い出して欲しい。ネオがスミスに撃たれ、倒れた時に「おい!お前救世主じゃないのかよ!」だったり「どうせネオが救世主だから助かるんだろ?」だったり、あの瞬間に観客たちは全員がネオを救世主であるということを信じたはずだ。
そしてさらに思い出して欲しい。あのネオ=救世主が確定するトリニティの言葉を。
「救世主が現れた時あなたは恋に落ちると預言者に言われた」というあの言葉を聞いた瞬間に観客全員が確信した。
「ネオは救世主だ!」
そう。ネオは待っていたのかも知れない。全世界の人間が己を知った上で自分を救世主だと信じてくれる瞬間を。
ネオは世界中の『マトリックス』の観客の心までもねじ曲げるほどのパワーを持っていたのかも知れない。
『マトリックス』(1999)は何度も見返すことのできる奇跡の映画だったのである!
文・金城昌秀
編集・川合裕之
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【いま見れる関連作品】
・『マトリックス』
・『マトリックス リローデッド』
・『マトリックス レボリューションズ』
・アニメ「マトリックス」
・「ジョン・ウィック」3作品全部
【ちなみに……】
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解説『マトリックス』(1999)
IMdbより
監督:
ウォシャウスキー兄弟
出演:
キアヌ・リーブス、ローレンス・フィッシュバーン、キャリー=アン・モス、ヒューゴ・ウィーヴィング、ジョー・パントリアーノ
本作のアクションシーンは、日本のアニメや武道映画の影響を受けており、香港アクション映画の殺陣やワイヤーアクションの技術が使用されている。
また、カメラが通常の速度でシーンを移動しているように見える一方で、画面内のアクションをスローモーションで進行させることで特定のキャラクターのスピードアップした動きを普通に知覚できるように表現する「バレットタイム」と呼ばれる視覚効果を広めその後のハリウッドで多くのアクション映画作品に影響を与えた。
また、全世界で4億6,000万ドル以上の興行収入を記録し、アカデミー賞4部門(視覚効果賞、編集賞、音響賞、音響編集賞)のほかBAFTA賞、サターン賞などを受賞した。2012年には「文化的、歴史的、美学的に重要な作品」として、米国議会図書館のアメリカ国立フィルム登録簿に登録されている。
今回記事を書いているうちに改めて、『マトリックス』(1999)が社会現象となった理由が少し理解できた気がする。あれだけのエンタメ性を表に出しておきながら、哲学的な内容を裏に隠すことでストーリーの中に懐疑的要素が張り巡らされる。それをファンや映画批評家たちがあれこれと意見を交わすこととなる。そして、作品を愛してやまないファンは独自の考察や意見を持ち、作品が一人歩きし始める。なんだか庵野秀明的というか、エヴァンゲリオンシリーズに似たコンテンツだなとぼくは感じている。こういう作品大好きなんですよね。