I’m back. Omatase. 

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子どもの頃、カートゥーンネットワークで放送されていた『トムとジェリー』(1940)を毎日のように観ていた。うっすらとした記憶の中ではぼくの観ていた放送時刻は月〜金の21:30から。なぜだかわからないがぼくの家では21:30からの30分間、兄とぼくが『トムとジェリー』を観る時間があった。

あの頃はとにかく習慣として『トムとジェリー』を観ていたのだけれど毎日のように観ていても前に観たことのあるエピソードが放送されることは稀でほとんどの確率でまだ観たことのない回が放送されていたのを覚えている。それもそのはず。短編エピソードだけでも160タイトルを超える数があり、毎日のように代わる代わる放送されていたのだから。

その習慣はどれくらい続いていたのかも覚えていないけれど、ある時期を境にいつの間にか「今日の『トムとジェリー』はどのエピソードだろうか?」という楽しみ方に変わり、自分たちの好きなエピソードのタイトルがテレビに表示されると兄と二人で喜んでいたのを覚えている。また、それでも初めて観るエピソードが流れた時には「まだ観たことない!」と口を揃えて声に出したほど、あの頃のぼくたちはなぜか『トムとジェリー』に夢中だった。

IMDb より引用

事実として、ぼくは『トムとジェリー』にハマったことがあったのだ。しかも、その事実に気がついたのはこの記事を書いている途中であった。記事を書くために配信されている短編作品を観て漁っている時に「あれ、これも観たことがあるぞ? あれ? これも観たことがあるぞ?」と子どもの頃の記憶が蘇ってきたのだ。

しかも、どれも今観てきっちり面白いから驚きだ。他のカートゥーン作品に比べても『トムとジェリー』は見応えがある。細かな背景の作画やヌルヌルと動く24fps(秒間に24枚の作画)という当時にしてはコマ数の多いアニメーション。

そして何よりもおっちょこちょいなトムとしたたかなジェリーというキャラクターがやっぱり魅力的なのだ!

しかし、もうぼくは大人だ。「まだ観たことない!」と声に出していたあの頃のような無邪気な子どもでもないのだ。にもかかわらず、やっぱり『トムとジェリー』は面白い。

あのふたりが今もなおぼくの心を掴んでくれる理由は一体なんなのだろうか! そんなことを本気で考えてみることにする。

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