I’m back. Omatase. 

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「あのときこんな会話したよな」

思い出話をしている途中、相手がこんなふうに言ったりする。

「そうやったっけ? そう言われたらなんかそうやった気するな〜」

みたいに返してしまう。自分のあまりの覚えてなさに愕然とする。恥ずかしくなるし、申し訳なくもなる。 “あのとき” を共有したはずなのに、自分のせいでその共有の度合いが弱くなる感じがする。相手とのつながりを、こちらが軽んじているように思えて、薄情なやつだと悲しくなる。

自分の過去の記憶を語ること、相手の記憶の語りを聞くこと、記憶を共有すること。ひとりずつで生きる私たちはそうやってつながりを作る。もちろん記憶だけがその材料ではないと思うけれど、記憶が果たしてくれる役割もやはり大きいだろう。でも記憶はままならないものだし、ままならないものを材料に作られるつながりも、きっとままならないものだ。

岸政彦の新作小説集『リリアン』は、記憶とつながりについて記した物語を収めている。表題作「リリアン」を、記憶・会話・アナロジーという3つのキーワードから読んでみようと思う。

これもマスト?あれもマスト?

 世の中にはコンテンツの品数が多すぎる。

 どんなカルチャーを食べてよいかわからないと悩まないよう、フラスコ飯店が食べ合わせの良い「定食」を自信をもってご提案いたしましょう。ひとつのテーマに沿って映画・書籍・音楽……などなど媒体を横断した鑑賞セットを考案します。

今回のテーマは「記憶」。記憶は記憶でも、九九の暗記などの単純な記憶力の話ではなく、「誰かの存在を覚えていること、思い出すこと」に焦点を当てます。さらに今回は、「記憶」をモチーフにした作品の中でも、日常のとりとめのない場面に記憶の焦点を当てていたり、時間を超えた記憶を描いている3作品をセレクトしました。

「あなた」のことを覚えている。だからこそ「わたし」はここにいる。

あなたとわたしの「記憶」定食、召し上がれ。

お品書き

・小説『図書室』
・漫画『不滅のあなたへ』
・映画『A GHOST STORY』

社会学者が「小説」を書いたらどうなるのか。他者との交わりと自己への内省が同居するこの岸政彦の小説を、自身も社会学を学んでいるライターの安尾日向が語ります。

思い出すこと

自分の一番古い記憶ってなんだろう、と考えてみる。

4歳のとき、もうすぐ生まれてくる妹を、わくわくしながら待っていた病院の廊下の景色だろうか。それともそのもう少し前、幼稚園の入園式の日に、制服を着るのが急に嫌になって、押入れの一番上に登って籠城したときの、少し高いところから見下ろした居間の景色だろうか。

どちらのイメージも、思い出した端から綻びていく淡いものだ。これらは記憶と呼べるのだろうか? 自分が本当にこの目で見たものだという自信は少しもない。印象的なこれらのシーンは、あとになってから家族に聞かされた話を、頭のなかで想像し、再現したイメージに過ぎないのかもしれない。

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