(C)2017 Twentieth Century Fox
僕は大体いつも、くよくよしている。個人的なことにも、社会的なことにも。
たとえば、高校時代の友だちとの関係について。会って話せば別に仲良くできるけど、SNSを見ていると価値観が自分とは違うことがよくわかる人がいたとする。その人の呟きを見て「あ、そこそんなふうに言っちゃうんだ……」と胸にもやが生じる。
価値観はみなそれぞれで、みんな違ってみんないい。けれど、自分が大切にしたいところでズレを発見してしまうと、困ってしまう。しかもそのズレが、僕との一対一の関係ではあまり現れない場合、余計に困る。露骨ならもうその人から離れてしまえばいいけれど、そうでないなら、目を瞑ればいい話なのかも……。どうするのが正解? わからない。
——こんなふうに、あれやこれやとただ思い悩んでいる。答えは出せないまま。だってどんな問題も、ズバッと答えを出せるわけじゃない。大抵の問題は簡単に片づかない。だけど頭を悩ませ続けるのはとても疲れることだ。そして次第に、そのように答えも出さずにただ迷っているだけの自分そのものが、悩みの種になっていく。答えの出ないまま、悩みと悩みのスパイラルに迷い込んでいくのだ。
いい加減、嫌気が差してくる。なんて弱くてバカな人間なのだろう。もっとズバッと解決して進んでいく人もいるんだろうな……。
「考えるより先に動け」という言葉を聞いたことがある。たしかに、自分の頭の中だけでぐるぐるぐるぐる考えていても、わからないことばかりだ。少し動いてみれば解決する問題もたくさんあるだろう。実際にそういう経験もしてきたし、きっとこの言葉にも正しさはあるのだろう。
ではいまこの瞬間、動けないでいる僕はダメなのか? 僕は「弱くてバカな人間」なのか?
自分ひとりで考えてもどうにもならないことにいつまでもかかずらわないで、素早く腰を上げて行動で解決できる人たちが強く見えてしまう。その対岸にいる僕は、僕自身を弱く思ってしまう。
でも考えてしまう。悩み続けることも間違いではない気がする。でも自信がない。僕はそんな自分をどう扱えばいいのだろう?
映画『gifted/ギフテッド』は、そんな僕に向かって一つの答えを見せてくれる。主人公のひとりであるフランクの、ある「決心」を通して。
決心はゴールか
(C)2017 Twentieth Century Fox
『gifted/ギフテッド』はある家族の物語だ。フランク(クリス・エヴァンス)は姪であるメアリー(マッケナ・グレイス)と暮らしていた。亡くなった姉の子だ。時にはけんかもするけれど、それも含めて「普通の」生活を続けていた。しかしメアリーが小学校に上がると状況が変わっていってしまう。
それは学校初日の算数の時間だった。担任のボニー(ジェニー・スレイト)は第1学年らしく「1+1」から授業を始めたが、驚くほどつまらなそうな顔をしているメアリーに気づく。問題を出してみると、メアリーはいとも簡単に答えるのだ。「9+8」「15+17」「57+135」と桁を増やしても同じこと。なんともふてぶてしい顔で即座に答えを返す。困ったボニーは、試しに「57×135」と問うてみる。メアリーはさすがに即答できない。ボニーはほっとして次の段取りに……と思いきや、メアリーが突然「7695」と言ったので、慌てて電卓を叩く。正しい答えだった。その確認作業の最中もメアリーは止まらない。「平方根は87.7。およそね」。ボニーは電卓の「√」ボタンを押し、メアリーの答えが正しいことを知る。
そう、メアリーは数学の才能の持ち主だったのだ。亡きメアリーの母は数学者だった。メアリーもその才能を受け継いでいたのだ。メアリーの〈ギフト〉に気づいたボニーは、すぐに校長に相談し、保護者であるフランクに英才教育で有名な学校への転入を提案する。しかし伯父のフランクはそれに応じない。フランクはメアリーの〈ギフト〉にもちろん気づいていた。そのうえで「普通の」学校生活を送らせようとしていたのだ。
学校を出ていくフランクをボニーは引き留める。
「自分の判断に確信が?」「ない」
フランクは迷っていた。姉の遺志は娘のメアリーに「普通の生活」をさせることだと思っている一方で、何がメアリーにとっていいことなのか、確信を持てずにいたのだ。それでもメアリーは今の「普通の」環境で伸び伸びと育っているように見える。自信はないが、この生活が続いてくれるのなら——。
そこに訪問者が現れる。フランクの母、つまりメアリーの祖母、イヴリン(リンゼイ・ダンカン)だ。彼女の登場で物語は一気に動き出す。学校から連絡を受け取ったイヴリンは、メアリーの才能を育てるため、自分のもとに引き取ると言うのだった。しかしそれは、亡き姉が辿った道をメアリーにも押しつけることになる。フランクはそれが嫌だった。そのまま両者は裁判にもつれこんでいく。
厳しい裁判が続いていくなか、フランクは悩み続ける。果たして自分の考えは正しいのか。姉の遺志を果たせているのか。そして何より、「メアリーの人生を壊すこと」が怖くてならない。
裁判は無慈悲だ。主張のぶつかりあいは「争い」の色を濃くしていく。勝たなければメアリーを失う。そのなかでフランクはある「決心」をする。相手方の弁護士に次のように問われる。「あなたが育て続けることが本当にメアリーのためになる?」——「はい、そう思います」フランクはそう答えたのだ。
メアリーはフランクと一緒に暮らしていたかった。フランクもメアリーに「ずっと一緒だ」と約束した。しかしフランクの「決心」は、事態を濃い霧のなかに投げこむ結果となってしまう——。
あらすじはここまでにしよう。僕がこの映画を引きあいに出したのは、「決心」の危うさを伝える物語だったからだ。人生は選択の連続で、複数の選択肢からどれを選ぶのか、その「決心」を求められる場面が次々に訪れる。
しかし、だからこそ、「決心」はゴールではない。もやもやした宙吊り状態はたしかにしんどい。「決心」することでしか開けられない扉もある。そのことは重々理解しているつもりだ。でも「決心」はときに「思い込み」でしかない。「決心」することで、「思い込む」ことで、止まってしまう思考がある。一度閉塞した思考回路を再びこじ開けるのは、どれくらい大変だろう? それこそ強い「決心」が必要だ。
思考を止めるな。
思い悩むことを放棄するな。
自分の都合で勝手に「決心」するな。
フランクとメアリーは、僕に「迷っていていいんだよ」と囁いてくれているのだと思う。
くよくよする強さ
(C)2017 Twentieth Century Fox
自分の判断に確信があるのか。ボニーに問われたときフランクは「ない」と答えたが、裁判の場では自信があるように振る舞った。その後フランクは人の声に耳を貸さなくなってしまう。メアリーも面会を拒絶し、2人がそれぞれ1人になってしまったのだ。
自信のなさは「弱さ」のように解釈されがちだ。しかし、自信がないおかげで人は悩み続けられるのかもしれない。自信を持ちすぎないこと、悩み続けること。それによって守られるものもあるのだ。
そしてそれは、決して「弱い」ことなんかではない。「これでいいんだろうか、どうすればいいんだろう」と悩み続けることは、「決心」することと同じかそれ以上に難しく、勇気のいることなのだ。答えが出ないのはとても疲れる。「これが答えだ」と決めてしまうほうがよっぽど楽だろう。そしてその「決心」のあとに続く行動の先にしか、出会えない結果もあるだろう。しかし、それと全く同じように、悩み続けるという茨の道の先にしかない結果もある。
くよくよすることは「弱い」ことなんかじゃない。くよくよするには「強さ」が必要なのだ。自らに問い続ける苦しさとどこまでも付き合っていく、という「強さ」が。くよくよは優柔不断ではなく、大切なものを大切にするための真摯な葛藤なのだ。
この最悪な世の中に立ち向かい、そのなかで自分を守っていくためには、「くよくよする強さ」が必要なのではないか。僕はくよくよし続けるぞ。弱くなんかない。絶対に負けねえ。絶対に、負けねえ。
これは僕の、僕たちの、「くよくよ宣言」だ。
解説『gifted/ギフテッド』(2017)
監督:
マーク・ウェブ
出演:
クリス・エヴァンス、マッケナ・グレイス、リンゼイ・ダンカン、ジェニー・スレイト、オクタヴィア・スペンサー ほか
この記事では主にフランクの「決心」に焦点を当てて『gifted』を取り上げました。他にもたくさんの魅力を持つ作品であることは間違いありません。猫、家族の関係性、教育哲学、「普通」とは何か……。突飛な展開こそありませんが、人々の愛が多方向に交差する良い映画です。
監督は『(500)日のサマー』(2009)で脚光を浴び、「アメイジング・スパイダーマン」シリーズも手掛けたやり手、マーク・ウェブ。新海誠監督作『君の名は。』(2016)のハリウッド版の監督を務めることも決定しています。すれ違う人々の営みを描いてきた監督が、あの物語をどう「ハリウッド映画」にするのか……。早く見たいですね。
フランクを演じたクリス・エヴァンスはマーベルシリーズでキャプテン・アメリカを務めたゴッリゴリのヒーロー俳優。その彼が繊細な養父を演じているわけですが、ところどころヒーローの色気がムンムンですね……。同時にウィットに富んだ優しいセリフを繰り出しまくるので最強感あります。憧れちまうぜ。
メアリーを演じたマッケナ・グレイスの憎たらしいほどの子供らしさったら! 最高なんですよね、前歯抜けてるし。子供時代という剛速で変化し続ける期間限定の姿を、役のキャラクターに載せて作品に保存してくれている素晴らしい子役のみなさま、ありがとう。あなたの大人になった姿も楽しみです。マッケナは新しい「ゴーストバスターズ」作品に出演する模様! 大注目ですね。
文・安尾日向
編集・川合裕之(フラスコ飯店 店主)
マーク・ウェブ監督作品のほかのコラム
ぼくには夢中になって自分をコントロールすることができなくなるほど好意を持ってしまった恋人がいた。
もう10年ほど前の恋愛なので後悔などひとつも残ってないが。『(500)日のサマー』を観るとあの頃を思い出す。この映画をはじめて観た時はそんなトラウマ恋愛の直後で自分を主人公トムに重ねてえらく感動していた。小悪魔系女子により量産された被害者への救済映画だと思って繰り返し観ては恋愛自己肯定感を高めていた。
10年たって久しぶりにこの映画を観ると「あれ?ヒロインのサマーってそんなに身勝手なことをしてるわけじゃなくてトムの人生経験不足なんじゃないか?」という疑惑がぼくの心の中に浮かんできた。
今ならわかるぞ!サマーがどうして映画『卒業』のラストシーンで号泣していたのかが!なぜ婚約中のパーティーに恋人未満セフレ以上のトムを招待したのか!
全国のトムくんにこのコラムを是非読んでもらいたい!そしてできれば10年前の自分自身に読んでもらいたい。そして知ってもらいたい。トムとサマーは500日もの間、すれ違い続けただけなのだということを。
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