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どうせまた不幸になるけど、あと5分寝ている方が今は幸せ | 『ボージャック・ホースマン』

ぼくはタバコをやめられない。

友人や家族から煙たがられている事はわかっている。だけどやめられないのだ。

何度も禁煙にトライしたことはあるのだけど、結局さっきも起き抜けに一服。換気扇の回るキッチンに立ち大好きな時間を過ごした。

人に嫌がられ、身体を脅かし、それでも尚快楽の為に金を払ってタバコを吸う。

「おれは一体、何をやってんだろう……」

『ボージャックホースマン』というアニメシリーズの主人公の馬「ボージャック」が作中繰り返し呟くそんな台詞が頭の中で自分とリンクする。

Netflixオリジナルアニメ『ボージャック・ホースマン』はシーズン6の配信を終え、ついに完結した。アニメだからと軽い気持ちで観出してしまうと酷く心を持っていかれるので注意してほしい。『シンプソンズ』や『サウスパーク』のようなブラックユーモアの効いた大人用のアニメシリーズではあるのだけれど、気がつけばシリアスでリアルなドラマを観せられることになる。今までのアニメシリーズとはひと味もふた味も違った作品なのだ。

クズ男ボージャックの
魅力はなんだ?

IMDbより

舞台は現代のロサンゼルス。ハリウッドの大豪邸に住むボージャックホースマン(馬)は90年代にヒットしたシットコム作品『馬か騒ぎ』の主演男優。(わかりやすく例えるとするなら『フルハウス』のダニー、ジェシー、ジョーイの3人の役を一気にひとりで演じるような超有名お父さん俳優だ

過去の栄光にすがるように毎日ウォッカを飲みながら若き日の自身の勇姿『馬か騒ぎ』のDVDBOXを鑑賞する日々。

[注]シットコム作品:シチュエーションコメディのこと。

アル中、ヤク中、女好き。他人を罵ることでなんとか自分を正当化している最低な独身クズ男(馬)がこの物語の主人公だ。

「20年前の主演ドラマの栄光にすがる性格の悪い金持ちのクズ男(馬)が主人公」そんな訳のわからない肩書きの主人公の作品をおすすめされても「観てみたい!」と思う人は決して多くはない。本当にひとにおすすめしづらい作品なのだ。

ではなぜ、この作品がぼくの心を魅了して離さないのか。その魅力は彼自身が「自分はクズ男だ」と自覚していてそんなコンプレックスをぶちまける瞬間にある。人には言えない秘密や過去を家族、恋人、親友、大事にしたいひとたちにぶちまけてしまう。それが彼にとっての「信用の獲得」であり深い関係を築くための術だと思っている。(勘違いしている!)

ぶちまけられた方はたまったもんじゃない!知りたくもない秘密をわざわざ自分からバラしてくるような重たいヤツを受け止められる余裕はないのだから。

ロサンゼルスのハリウッドという街に住む順風満帆な人生を送っている人たちにとってそんなボージャックは面倒で重い存在。だけどみんなそんなボージャックの様にぶちまけたい過去や秘密をそれぞれが抱えているため彼をほってはおけないのだ。みんなボージャックの破滅的な性格を羨ましく思いながら「自分はそうならないようにしなきゃ!」とまたロサンゼルスの街に繰り出す。

欲望に正直で素直な男(馬)が全力で幸せを探す物語。なぜこのアニメシリーズが6シーズンにも渡ってぼくの心を掴んで離さなかったのか、他のアニメシリーズ作品と比べてどんな特徴があるのか考えてみた。

アニメの皮を被った
シリアスドラマ

『ボージャック・ホースマン』はアニメ作品。初めてその絵を見た時は「喜怒哀楽を大げさに表現するキャラクターたちがブラックジョークを交えながらコミカルでテンポのいいストーリーが展開されそう。」と期待して(舐めて)いた。

シーズン1の前半はまさにその通りでストーリーが進んでいくのだが、後半に差し掛かったあたりから何故か目が離せない。何故こんなにも『ボージャック・ホースマン』にハマっているのか実感もなく、気がつけばシーズンをまたいで “一気見(いっきみ)コース” の沼へと引きづりこまれていた。

シーズン2を見終えた頃に実感した違和感。それは「ポップな見た目してるくせにやたらと心にズシッとくるなぁ」というものだった。軽快なテンポで描かれつつアニメ作品ならではの誇張された描写も多いのが「ボージャック・ホースマン」だ。動物たちが擬人化していた「HOLLYWOOD」の「D」の文字を盗んで家に持って帰ってくる回(何じゃそりゃ!)の次のストーリーからは世界中の人たちが「HOLLYWOOD」の事を「HOLLYWOO(ハリウー)」と呼ぶことになったり。とにかくこの世界は「ぶっ飛んでいる」のだが、そうかと思えば突然、不妊治療のリスクについてのストーリーや子役俳優のその後の不幸を描くストーリーがマイナー調のピアノBGMにのってやってくるのだ。

『トムとジェリー』を観ていたつもりがいつのまにか『北の国から』が始まっている。大げさにいうとそんなところだ。

擬人化された動物たちが繰り広げる軽快なテンポで進むストーリー。いかにも「アニメ作品です!」といった皮を被っておきながら、扱うテーマは人の心のトラウマ。酒やドラッグへの依存、不妊治療、DVなどとても重たいものばかり。

しかもそれらの問題を「ギャグで吹き飛ばしておしまい!」といった雑な炎上アニメとは違って大体のストーリーのエンディングは暗く、沈黙や気まずい空気を醸し出す。今まで愉快に過ごしていたはずのキャラクターたちが突然 “素” に戻り、一言「おれは一体何をやってんだろう……」なんて呟くのだ。

だからこそ実写作品では描けない魅力がそこにはある。

『ボージャック・ホースマン』はアニメの皮を被ったシリアスドラマなのだ。

「完璧な自分」を演じる

IMDbより

この物語のロサンゼルスの住人たちは皆「完璧な自分」を演じている。「幸せで充実した毎日を気の合う仲間たちと過ごしている」という自分を。そんなヤツはひとりもいないのにそれに誰も気がついていない。 みんながみんなで演じあっていてみんな「自分だけが完璧ではない」と劣等感を感じている。

ぼくらの住むこの現実の世界も大体そんなもんだ。

SNS上にアップされたいかにも楽しそうなイベントにいかにも楽しそうな投稿者の笑い声。映されているのは綺麗にセットアップされた投稿者の友人(複数名の男女)たちのはしゃぐ姿。ぼくはそんな姿を見るたびに劣等感を抱きながらどこかで「自分の方が幸せだ」なんて考えながら何とか正気を保っている。たまには無理して投稿する側に回ってみたりもするけれど、結局長続きしない。きっと投稿者側の人間にも劣等感はあって、そこには何かぼくには想像もつかない孤独がつきまとっているに違いない。

『ボージャック・ホースマン』が素晴らしいのはその全ての人たちの感情にそれぞれじっくりとピントを合わせていくから。根っから明るいハッピー天然系の男犬ミスター・ピーナッツバターの抱える悩みは「悩んでいる事が一体何だったのか忘れてしまう」ということ。根暗で考えすぎのボージャックとの対比により一見幸せそうに見えているピーナッツバター。しかしシーズンの後半に差し掛かると何だか一番不幸なのはピーナッツバターなんじゃないかと思ってしまう。

彼の本当の悲しみはぼくには理解できなかったのだけれど、きっとその感情を読み取り共感する観客もいるのだろうという事は想像できる。とにかく様々なキャラクターたちが「完璧な自分」を演じながら自身の幸せを探しているのだ。

幸せを探す物語

IMDbより

「幸せって何だっけ?」

『ボージャック・ホースマン』を最終シーズンまで見終えたぼくはそんな事を考えていた。「完璧な自分」を手に入れるには今の自分を変えていかなきゃならない。だけど過去の自分が邪魔をして前に進めない。結局、行動にうつすこともなく、タバコでも吸って休憩するか。そうやってダラダラと人生が消耗されていくのだ。

後悔するのはわかっていながら「あと5分……」なんて安易な欲望に身を任せ、二度寝という激安の幸せを掴んでしまう。

ぼくは結局このコラムを書き終えた頃、またタバコに火をつけるだろう。

人に嫌がられながら身体を脅かし、手軽な目先の快楽を求めてしまうに違いない。

「おれは一体何をやってんだろう……」

そう呟きながら少し感傷に浸るのだ。そしてまた「幸せって何だっけ?」なんて答えのない事を考えたりして泥沼にハマっていく。そんな事を繰り返してる間に幸せな人生の歯車は歪な形にハマっていくものなのかもしれない。また求めてもいない歪な形の幸せをぶち壊したくなる時も来るだろう。でもそんな事はもうやめよう。きっとボージャックはそうやってこれからの人生(馬生)を過ごしていくに違いない。もうあの歪なドラマは終わったんだ。

解説『馬か騒ぎ』(1987)

Netflixで『馬か騒ぎ』と検索すれば『ボージャックホースマン』の劇中作がヒットする。かつてボージャックが主演を務めたシットコム作品『馬か騒ぎ』だ。その内容は作中何度も使用される80年代のブラウン管の歪みをも再現された誰もが何となく既視感のあるOP映像。しかもNetflix上での公開年の表記が「1987」となっており、劇中作にもかかわらずサイト上では他のドラマ、映画と同じ扱いとして紹介されているという遊び心が見られる。こういった気の利いた演出がたまらない。

文とイラスト・金城昌秀
編集・川合裕之(フラスコ飯店 店主)

関連記事:映画『マスク』のカートゥーン作品から影響

『ボージャック・ホースマン』のキャラクターたちはカートゥーンでありながら人間のような演技をする。それに対して映画『マスク』(1994)で主人公のスタンリー・イプキスを演じたジム・キャリーはまるでカートゥーンの世界から飛び出してきたような動きや表情を見せる。

アニメーション実写映画の中でも異彩を放つ映画『マスク』(1994)にはカートゥーン作品が大きく影響していた!バッグス・バニーやダフィー・ダックといった個性的なキャラクターの登場するカートゥーン作品『ルーニー・テューンズ』(1930)で有名なアニメーターのテックス・アヴェリー作品のオマージュが『マスク』の異様な空気を作り出している。

→『マスク』でのジム・キャリーの演技についての記事を読む

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金城昌秀

ロックバンド「愛はズボーン」でGt.Voを担当。 様々なアーティストのMV監督や動画編集、グッズやCDジャケットといったアートワークも手がける。

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