I’m back. Omatase. 

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(C)2019 日本すみっコぐらし協会映画部 僕は、皆が褒めているものは見たくないという逆張りの病に罹ってしまっていて、大抵の名作は見ていません。そのせいで人生の8割を損しているんじゃないかと思うことがよくありますが、治らないものは仕方ないですね。 「すみっコぐらしの映画」の絶賛コメントは僕もタイムラインで見ていたのですが、この病のせいで上映期間中には見に行くことができませんでした。ちなみに同じような理由で、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』なども見ていません。『時をかける少女』も、見たら大事な何かが壊れてしまいそうでまだ見たこと…

「エヴァンゲリオンを見た」とは言い難い空気はやはり否めない。 会計時、「見た」とさえ言えばお代が半額になるとしても、ちょっと抵抗がある。自分は本当にエヴァンゲリオンを知っているのだろうか。疑念が頭をよぎる。消えない。 いや、そもそも「ヱヴァンゲリヲン」と表記しないと怒られる?いやいやでも「シン」の方は「エヴァンゲリオン」だしなあ。旧劇? 新劇? 漫画もあるし ……。庵野秀明のことだって、自分はどれくらい知っているのだろうか。自信がない。 ほら、あの大御所でさえ口が滑って大炎上。気軽に感想を呟くのにだって勇気がいる火薬まみれのムーブメン…

(C)2021 スタジオ地図 涙が出た。あくびで。毒舌の苦手な鈴ちゃんのために控えめに言ったとしても、最悪だ。なにこれ。僕は細田守のつくる映画が好きだ。好きだった。だからこそ、なおさらなのかもしれません。 mokuji 中村佳穂は悪くないが、「うた」への理解が乏しいのでは? 「うた」への多角的な視点が必要だったはずなのに 物語としての殺人的な欠陥「何が起ころうが、どうでもいい」 ログアウトしたらええやん? サマーウォーズは「成立」していたよ……? 必要性のない「美女と野獣」の引用 アンベールすんのかい!せんのかい! ことごとく空振りす…

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>フラスコ飯店からのお知らせ<

流行ってるらしいが、どんなもんかいや。寝る前に自分の部屋で「clubhouse」というアプリをダウンロードしてみる。軽くパニックになった。

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こんな田舎町、はやく出て行ってやるんだーーみたいな描写がフィクションの中にあるとドキッとしてしまう。悪いけど言ってしまえば、僕はある程度、都会の人間なわけでして。

日本の中心たる京都市の真ん中で育った。関西の街なら梅田も難波も三宮も、別になんとなく歩くくらいはわけない。たとえ「3時間遅刻するから待っていて欲しい」と言われたとて、別に特段困りはしませんよ。嫌やけどね。

申し訳ないけど、都会への憧れだとか、あるいは畏敬の念なんてものはない。自分でも書いていて甚だ鼻につくけれど、ないものはないのだから仕方ない。だって生まれ育ってるんだからさ。僕だって別に選んだわけじゃないです。とはいえ、どんな人間にだって「はじめて」は存在する。I will give you all my love.

幼いころに正月の祇園で手を引かれて「ほほう、これが」と思ったものです。はじめて難波の「あのグリコ」を見たときの気持ちとか、四条での時間の過ごし方がわからなかった小学生の時の焦燥とか。あるいは、地下街で迷子になったときの絶望とか。

そういう感覚、すっかり忘れていたけれど、ちょっと思い出した気がします。

回想を経て再び自室へ戻る。掌の中から覗く「clubhouse」は、僕にとって未知なる「都会」だったのです。

子どもの頃、カートゥーンネットワークで放送されていた『トムとジェリー』(1940)を毎日のように観ていた。うっすらとした記憶の中ではぼくの観ていた放送時刻は月〜金の21:30から。なぜだかわからないがぼくの家では21:30からの30分間、兄とぼくが『トムとジェリー』を観る時間があった。

あの頃はとにかく習慣として『トムとジェリー』を観ていたのだけれど毎日のように観ていても前に観たことのあるエピソードが放送されることは稀でほとんどの確率でまだ観たことのない回が放送されていたのを覚えている。それもそのはず。短編エピソードだけでも160タイトルを超える数があり、毎日のように代わる代わる放送されていたのだから。

その習慣はどれくらい続いていたのかも覚えていないけれど、ある時期を境にいつの間にか「今日の『トムとジェリー』はどのエピソードだろうか?」という楽しみ方に変わり、自分たちの好きなエピソードのタイトルがテレビに表示されると兄と二人で喜んでいたのを覚えている。また、それでも初めて観るエピソードが流れた時には「まだ観たことない!」と口を揃えて声に出したほど、あの頃のぼくたちはなぜか『トムとジェリー』に夢中だった。

IMDb より引用

事実として、ぼくは『トムとジェリー』にハマったことがあったのだ。しかも、その事実に気がついたのはこの記事を書いている途中であった。記事を書くために配信されている短編作品を観て漁っている時に「あれ、これも観たことがあるぞ? あれ? これも観たことがあるぞ?」と子どもの頃の記憶が蘇ってきたのだ。

しかも、どれも今観てきっちり面白いから驚きだ。他のカートゥーン作品に比べても『トムとジェリー』は見応えがある。細かな背景の作画やヌルヌルと動く24fps(秒間に24枚の作画)という当時にしてはコマ数の多いアニメーション。

そして何よりもおっちょこちょいなトムとしたたかなジェリーというキャラクターがやっぱり魅力的なのだ!

しかし、もうぼくは大人だ。「まだ観たことない!」と声に出していたあの頃のような無邪気な子どもでもないのだ。にもかかわらず、やっぱり『トムとジェリー』は面白い。

あのふたりが今もなおぼくの心を掴んでくれる理由は一体なんなのだろうか! そんなことを本気で考えてみることにする。

(C)本郷あきよし・東映アニメーション ゴキゲンな蝶になりおれへんのですわ。 『デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆』は、曖昧な大人の境界線をデジモンを使って表現している映画だ。そして、「大人になんてなりたくない」なんて思っているぼくたちの背中をスッと押してくれる、そんな映画でもある。 モラトリアム状態の悩みを描く映画 (C)本郷あきよし・東映アニメーション 『デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆』は、デジモンシリーズ20周年を記念して作られた映画。デジモン初代スタッフとデジモンと共に育ったデジ…

2020年に公開された映画『デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆』の謎――どうして消えるデジモンと消えないポケモンがいるの?――にせまるレビューをお届けします。 まずは前提として「デジモンはかわいい、じゃなくてかっこいい」のコンテンツであることを前の記事でお伝えしました。バンダイ自身も “戦うたまごっち” という宣伝文句をつかっているくらいです。デジモンは「かっこいい」を意識したものなのです。 〈前の記事:ポケモンとデジモンの違いについて考える | 『デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆』レビュ…

※この記事は前後編に分かれていますが、どちらからお読みいただいても大丈夫です!

後編:無限大な夢の後の何もない世の中に生きる子どもたち | 『デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆』

アニメシリーズ20周年記念作品として2020年2月に公開された『デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆』の舞台は2010年。

かつて  “選ばれし子どもたち” と呼ばれ、デジモンたちとの戦いの日々を送っていた主人公の八神太一たちは大学4回生。

卒業論文、就職活動、アルバイトといった忙しい日常に迫られる平凡な青年となって登場する。

(C)本郷あきよし・東映アニメーション

この作品のテーマは「子どもから大人になる」という普遍的なものであり、デジモンリアルタイム世代のぼくは子ども時代から見た目も性格も変わった太一たちをみて自分に重ねた。

そんな大人になったぼくたちの「子どもから大人になるとはどういうことなのか?」という気持ちの落とし所をこの作品は提示してくれた。

だけど、この作品、一見すると腑に落ちないポイントが存在する。

2020.02.07 / / コラム

ぼくはタバコをやめられない。

友人や家族から煙たがられている事はわかっている。だけどやめられないのだ。

何度も禁煙にトライしたことはあるのだけど、結局さっきも起き抜けに一服。換気扇の回るキッチンに立ち大好きな時間を過ごした。

人に嫌がられ、身体を脅かし、それでも尚快楽の為に金を払ってタバコを吸う。

「おれは一体、何をやってんだろう……」

『ボージャックホースマン』というアニメシリーズの主人公の馬「ボージャック」が作中繰り返し呟くそんな台詞が頭の中で自分とリンクする。

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