Te wo Arai mashou.

『シュガー・ラッシュ:オンライン』と都会の傲慢

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流行ってるらしいが、どんなもんかいや。寝る前に自分の部屋で「clubhouse」というアプリをダウンロードしてみる。軽くパニックになった。

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こんな田舎町、はやく出て行ってやるんだーーみたいな描写がフィクションの中にあるとドキッとしてしまう。悪いけど言ってしまえば、僕はある程度、都会の人間なわけでして。

日本の中心たる京都市の真ん中で育った。関西の街なら梅田も難波も三宮も、別になんとなく歩くくらいはわけない。たとえ「3時間遅刻するから待っていて欲しい」と言われたとて、別に特段困りはしませんよ。嫌やけどね。

申し訳ないけど、都会への憧れだとか、あるいは畏敬の念なんてものはない。自分でも書いていて甚だ鼻につくけれど、ないものはないのだから仕方ない。だって生まれ育ってるんだからさ。僕だって別に選んだわけじゃないです。とはいえ、どんな人間にだって「はじめて」は存在する。I will give you all my love.

幼いころに正月の祇園で手を引かれて「ほほう、これが」と思ったものです。はじめて難波の「あのグリコ」を見たときの気持ちとか、四条での時間の過ごし方がわからなかった小学生の時の焦燥とか。あるいは、地下街で迷子になったときの絶望とか。

そういう感覚、すっかり忘れていたけれど、ちょっと思い出した気がします。

回想を経て再び自室へ戻る。掌の中から覗く「clubhouse」は、僕にとって未知なる「都会」だったのです。

-目次-

・ TikTok、突き動かされ今もほらこう
・『シュガー・ラッシュ:オンライン』と「都会」
・「都会」は自由だ。
・「都会」は自由か。

TikTok、突き動かされ今もほらこう

そういえば「17LIVE」なんかでも似たような感覚に陥ったのを覚えています。同サービスは「Live」と冠することからわかるように、生配信のアプリであり、誰でも簡単に配信することができます。

あ、いえ、こういう書き方をするとなんだかPRみたいですが……。

ちなみに往々にして「17(イチナナ)」の配信ユーザーは若い女性でした。スワイプするとお嬢ちゃん。スワイプ、お嬢ちゃん。スワイプ、お嬢ちゃん。スワイプ、お嬢ちゃん。スワイプ。あ、おっちゃんもたまにいるらしい。スワイプ、お嬢ちゃん。スワイプ、お嬢ちゃん……。明らかに僕が普段なら接することのない人たちが、そこには沢山いた。

画面の中にはあちらこちらにコメントやらスタンプやら、あるいは何らかのハートマークが浮かんでは消え、浮かんでは消えーー。「簡単に」と先ほどは書きましたが、本当だろうか。「さあ、じゃあやってみて」放り出されたならきっと困ってしまうでしょう。

同じ音声配信サービスでも Anchor や Radiotalk なんかは触ったことあるけれど、それとは比べ物にならないビュンビュビュンビュンのスピード感と、圧倒的かつ半ば暴力的な情報量。

対応不可能の厖大な情報が、処理できない速さで自分へ流れ込んでくる。とにもかくにも情報量が多い。手垢にまみれたフレーズだけれど、本当に処理しきれないほどの情報がそこに溢れているのです。

何だかよくわからない。何をすべきかわからないし、何をしてはいけないのかもわからない。clubhouse も 17LIVE もそうだったし、そういえば TikTok をはじめて触って迷子になったときだってこんな気持ちだったような。

生まれて初めて都会を浴びる瞬間は、たしかきっとこんなだ。

『シュガー・ラッシュ:オンライン』と「都会」

縦横無尽に情報が飛び交うインターネットの世界と都会との間にアナロジーを見出したのは、なにも僕が初めてではありません。

2018年公開のディズニーアニメ映画『シュガー・ラッシュ:オンライン』(原題: Ralph Breaks the Internet)もそのひとつです。いいえ、むしろ僕の着想の原点も実は無意識ながらここにあったのかもしれません。

舞台はゲームの世界で、主人公はふたり。ハイパワーの大巨漢、不器用で嫌われ者。でも本当は心優しいーーなあんてベタながらも愛してやらざるをえない青年ラルフ。そして勝ち気で負けず嫌い。刺々しいがドライビングスキルは超一流。やはりどうしても愛してしまいたくなる少女、ヴァネロペ。彼らがタッグを組んであっちでゴタゴタ、こっちでゴタゴタ……という具合です。あ、あとパックマンやソニックといったお馴染みのゲームキャラも多数出演します。昇~~竜拳!!!!

閑話休題。2012年の『シュガー・ラッシュ』では相容れないふたりが心を通わせるまでを描きましたが、2018年「オンライン」ではさらにその後を描きます。

ラルフやヴァネロペは「ゲームの世界の住人」であるわけですが、その「ゲーム」というのは大型の筐体のこと。いわゆる “ゲーセンのアレ” でございます。その1機のみでプレイが自己完結するスタンド・アロンのそれです。

しかしながら打って変わって「オンライン」ではスタンド・アロンの据え置きゲーム機からWi-Fi を通じてインターネットの世界へと飛び出すことから物語が始まります。ネットの世界でラルフとヴァネロペが大暴れ。具体的にどのように暴れるのかといいますと……。そうですね、改めて原題を見てみましょう。

Ralph Breaks the Internet.

インターネット、壊しちゃうみたいです。

そのものを?!

何やその漠然とした認識は。ヨドバシカメラに Instagram を買いに来たおじいみたいな大雑把さ。

とかく、さようにして二人はこの映画で時の止まった田舎ーーアップデートなどないスタンド・アロンの筐体ーーから飛び出して、今が更新され続けるインターネットの大都会へと足を踏み入れるのです。

きょうのお話はここが折り返し地点.。で、結局、都会は良いの? 悪いの? 続きをお楽しみください。

「都会」は自由だ。

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さて、ここからはヴァネロペとラルフの冒険を下支えする製作サイドの着想を、改めて目に見えるよう書き下していきます。

そびえ立つビル、ビル、ビル。果てしなく伸びる線路、流れるように移動する人々。Gメールの束が猛スピードで飛び、青い鳥の群れが空を覆う――。地元では考えられないような光景が目の前に広がります。目まぐるしく呼吸をする街。インターネットの世界を望むふたりの表情は光輝に満ちています。アニメーションならではの直接的な表現は分かりやすくて爽快ですね。

この映画の世界において「インターネット」が明らかに「都会」の役割を担っています。

元来レーシングゲームのキャラクターであるヴァネロペは、新天地・インターネットで衝撃的な邂逅を経験します。ドライバーとしての技能を活かし、楽しみながら他人に貢献できる魅力的な場所を見つけるのです。都会の空気に触れ、新しいキャリアの存在そのものを知る。自慢の腕だって、都会では標準クラス以下であったことを目の当たりにし、愕然とする一方で胸の高鳴りを抑えられない。ここで自分を試してみたい。生まれて初めて具体的かつ情熱的な未来を発見するのです。

都会には選択肢がある。人は選択肢があってはじめて選ぶことができる。目に見えない選択肢は存在しないのと同義なのです。誰かにとって当たり前の都会は、誰かにとっては怖いほど憧れの場所かもしれない。

いまと未来を天秤にかけて「選択」する

驚嘆すべきはその結末。ヴァネロペは都会を「知覚」するだけにとどまらず、その場所を「選択」します。

彼女はありがちな神話的な回帰行動の力学に抗って映画の幕を閉じたのです。

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①故郷を飛び出し、②冒険し、③何やかんやあって、④最後は地元で平和に暮らすーーという類型の④の部分を破壊する。「②冒険」で目撃した刺激的な環境にヴァネロペは心動かされ、その土地で新たな人生を歩み始める。一方でラルフは④を選択。ヴァネロペとラルフは前向きな決別をするのです。

ヴァネロペは「お約束」もとい「慣例」を破壊して自らの意思を尊重するという選択肢を手に入れます。そのきっかけこそが都会という機能。そしてその「都会」ーー都会と地方都市の格差ーーは、インターネットこそが解消してくれる(可能性がある / 現在その過程にある)のです。

地方在住者の、あるいは女性の(*注)感じていたバリアは完全になくなったーーとは口が裂けても言えませんが、少なくともそのバリアは可視化されるようになってきた。もし仮に情報や機会の不均衡をもっと和らげることさえできれば、誰であろうと自由に競争の場に立つことができるかもしれない。もちろん、別に「競争しない」だってひとつの選択肢であり、それはそれで尊いカードです。競争そのものの是非については、話が複雑になるのでまた別の機会に。

*注:一般に『シュガー・ラッシュ:オンライン』は往々にしてフェミニズム映画としても解釈されています。本作以前からも「アナ雪」や「モアナ」といったディズニー映画が、伝統的なプリンセス像を破壊しようと試みています。「女性というものはみな一様に守られ・見初められたいのだ」という “幻想” を見直す時期に入ったのです。

特に『シュガー・ラッシュ:オンライン』はある種その集大成といって良いかもしれません。思い切ってメタなカメオ出演が可能な世界観を利用して、歴代のディズニープリンセスがこの映画で一堂に会するのです。そしてそこで彼女たちが紡ぐ言葉といえばーー。抑圧的で父権的な従来の社会に対するカウンターが尽きません。誰にも媚びることなく自身のみが満足するようなルームウェアに身を包みながらガールズトークを繰り広げる姿は興味深い。孤立・分断されていた単体のプリンセスが集団になって意見を交えるのです。さらに映画のラストには彼女たちがアベンジャーズヒーローのように実地で活躍します。

などといった文脈にも触れるべく、本論からは少し逸れるのを承知で「女性の」という限定をさせていただきました。

もちろん「競争」になれば優劣が生まれる。同様にネットへのアクセス環境にも、現状では差異がどうしても生まれてしまっている。やはり完全なフラットスペースとは言い難いです。しかし全体にとって大きな前進……に繋がるようなきっかけにはなりえると思います。このように言えたような立場なのか自信はありませんが、それでも書いておきたいと思います。

「都会」は自由か。

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こんなことを書いておきながら、結局のところは僕は事実としてある程度は都会の側の人間です。しかしそれは自らが掴み取った自由ではない。間違ってもそう誤解してはいけない。インターネットとの類似点を重ねて考えればすぐにわかります。

しかしインターネットや都会が悪者というわけでもないと思うのです。

たしかにここまでの話を総合するとネットや都会は、気まぐれに優位な人間を生み出す邪悪で意地悪な存在にも感じてきますが、それはまだ「過渡期」だから。 “インターネット” や “都会” が持つ機能が全体に提供され尽くしたその時、はじめて「理想郷」が生まれるのではないでしょうか。①すべての人が②多くの選択肢を持ち、③不自由なく振る舞える「理想郷」が。

(A)格差是正のためのアイテムと、(B)そのアイテムの供給不足によって生じる新たな格差は表裏一体。(A)だけを見て喜んで(B)を無視するわけにはいかないし、(B)だけを糾弾するようでは(A)の目的である格差是正は達成できない。いま僕たちはダブルバインドの世界に立っているのです。

大仰に語ったところで結局のところ僕個人自身は、都会に住んでいる。インターネットで暮らしている。だからこそ、僕が当然のように享受する不自由のない環境は、社会全体にとってはまだまだ「発展途上」で「不完全」であることを忘れそうになってしまう。

『シュガー・ラッシュ:オンライン』は「こういう世の中になったよね!」というトロフィーではなく、「もっとこうなれたらいいよね!」という計画書だということを心に留めておきたい。

 文・川合裕之
編集・安尾日向, 和島咲藍

解説『シュガー・ラッシュ:オンライン』(2018)

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監督:
リッチ・ムーア
フィル・ジョンストン

出演:
ジョン・C・ライリー, サラ・シルバーマン ほか

ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオが製作する57作目の長編作品。

カメオ出演多数。お馴染みのゲームキャラに加えて、MARVELキャラ(もちろんスタン・リーも)そしてやスターウォーズの面々までもがスクリーンに現れる。MARVEL やSWに関しては、配給や制作がディズニー資本参加になったという大人の事情である。そういうこと、あるよね。

余談ですが、ラルフとヴァネロペの間にラブロマンスは存在しません。そこにはただ友情だけがある。これもまたこの作品の憎めないポイントですね。恋愛至上主義からの脱却という力強い意志が垣間見えます。さらにさらに余談ですが、クライマックスではヴァネロペを離したくない、繋がっていたい、承認してほしい。そんなラルフの持つ広義の愛情がこじれて巨大なモンスターになる。斜め上から鳥瞰するとアイロニカルに笑える。さらにさらに余談ですが、ビル群の中でのアクションには製作サイドの気合を(勝手に)感じずにはいられず、またこれも感涙必至ーー。

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