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映画館で『幸せへのまわり道』を見た帰りのバスのなか、窓の外を降る小雨を眺めながら僕はある歌を思い出していた。The Cure の “Boys Don’t Cry” という曲だ。映画の話をする前に、少しまわり道をしてこの歌の話をさせて欲しい。
目次
・〈Boys Don’t Cry〉=男の子は泣かない
・男性性の枷に迷う記者とミスター・ロジャースとの〈対話〉
・ “Don’t boys cry?” という問いと迷い、そしてその先へ
〈Boys Don’t Cry〉
=男の子は泣かない
僕はこの曲が好きだ。とてもシンプルかつポップな楽曲なのだが、どこをとってもなんだかちょっと情けない感じがするところに愛着を感じているのだと思う。
チャチでヘロヘロな音がへなちょこな感じがしていい。でも情けないのはサウンドだけではない。恋人に去られた男性の後悔を綴った歌詞もまたなんとも情けないのだ。
I would say I’m sorry
If I thought that it would change your mind
But I know that this time
I have said too much
Been too unkind謝って君が気持ちを変えてくれるなら謝るよ
でも今回は僕が言いすぎたし、意地悪すぎたってわかってるんだI tried to laugh about it
Cover it all up with lies
I tried to laugh about it
Hiding the tears in my eyes僕は笑い飛ばそうとした 嘘で塗り固めて
The Cure “Boys Don’t Cry”(日本語訳は筆者による)
僕は笑い飛ばそうとした 涙を押し込めて
仮定法を用いて語られる後悔と言い訳。相手の、そして自分の感情に向き合わず、すべてを笑ってごまかそうとする。だって、だってだって……
‘Cause boys don’t cry
だって男の子は泣かないんだもん
The Cure “Boys Don’t Cry”(日本語訳は筆者による)
ビデオに少年がキャスティングされていることもあり、年端の行かない男の子が強がってかっこつけて、結局めちゃくちゃ情けなくてかっこわるい、でもまあそれはそれでかわいらしいな、というイメージを抱かされる。ヘロヘロなリズムのまま3分弱で終わるこの曲には、そういう情けなさへの愛着を感じていた。
でもこの曲が表している情けなさは、「かっこつけて失敗した弱い男」に向けられているのではないといまは思う。情けないのはむしろ、〈Boys Don’t Cry〉=男の子は泣かないという社会通念を信じ切っていることこそだと思うのだ。
映画『幸せへのまわり道』は、この〈Boys Don’t Cry〉という規範に対し、傍らに座ってやさしく目を合わせて〈対話〉を求める作品だった。
男性性の枷に迷う記者と
ミスター・ロジャースとの〈対話〉
ジャーナリストであるロイド(マシュー・リス)は優秀だが、いっぽうで冷たいほど鋭利な善悪への分別を持っていた。亡き母との関係をめぐる不信感から疎遠になっていた父・ジェリー(クリス・クーパー)と、姉の結婚式で再会するも諍いを起こし、殴りつけてしまう。
そんななかロイドに依頼された仕事は、子ども番組の司会者として有名なフレッド・ロジャース(トム・ハンクス)に対する取材記事だった。これまでの経歴ともそぐわない仕事に気が進まなく感じていたロイドだが、実際に会ったフレッドの不思議な穏やかさに、少しずつ引っ張られていく。取材対象であるはずのフレッドは、ロイドに〈対話〉を求めた。初めは戸惑い、反発したロイドだったが、フレッドとの〈対話〉に自分の膠着を解く糸口を見出していく。
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ロイドは〈Boys Don’t Cry〉を内面化した人物として描かれる。しかしただ冷酷なのではなく、過去の経験から意固地になっている部分があるのだとも思われる。ある種の潔癖さと俗な「男らしさ」が溶け合い、彼を膠着させていた。特に彼の口を。ロイドは父とも、そしてフレッドとも〈対話〉を拒んでいた。そこにはロイドが記者であるという事実もうまく作用している。あくまでも自分は話す側の人間ではない。それは謙虚さに見えて、自分の感情と向き合わないための安らかな鉄壁でもあった。その鉄壁をやわらかなハンマーで、いや、布製のパペットでもって瓦解させたのがフレッドだった。
フレッドは子ども番組の名物司会者 “ミスター・ロジャース” として有名で、地下鉄に乗れば乗客のほとんどがその番組のオープニングソングを合唱を始めるほど。そんな彼が子ども番組を通じて示したいと語ったひとつのことが印象的だった。それは「大人だってうまくいかないことがある」ということ。
子どもは、子どもと大人は全然違うもので、大人になったらなんでもできるようになると考えてしまう。それは大人も同じで、大人はなんでも上手にこなさなければならないのに、どうして自分だけうまくできないんだろうと考えてしまう。10代後半から20代を通して、人は子どもと大人が地続きであることを身に染みて感じながら大人の皮をかぶるようになる。それなのにそのうちそのことを忘れてしまう。そして「大人だからうまくやらなきゃ」と自らに枷をかける。
とてもじゃないがお互いにとって「良い理念」とは思えない。「大人だってうまくいかないことがある」姿を子どもに見せることは、「教育」的でないように見えるかもしれないが、大人の弱い部分を知っておくことは他者への目線を養う一つの方法に思えた。
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“Don’t boys cry?” という問いと
迷い、そしてその先へ
フレッドはこのような「あなたのためにならない社会通念」を取り外そうと、カメラの向こうにいる一人ひとりに語りかける。
ロイドもその相手の一人だった。涙を押し込め、自分の感情から目を背ける。黙って「やるべきこと」をやればいい。それでうまくいく、はず。でも「大人」になり、「夫」になり、「父」になり、「やるべきこと」は増えていく。妻・アンドレアや子・ギャビンを前にするとき、ロイドの目には迷いの色が浮かんでいた。社会が、そして自らが課した男性性と、ありのままの自分との距離。
この迷いはとても誠実なものだと思う。この世界ではあらゆる人にあらゆる枷がかけられている。その枷の数は人によって異なり、それ自体が大きすぎるほど大きな問題である。だからこそ僕たちは、自分にかけられた枷に目を向け、一つひとつ外していかなければならない。決して当たり前のものだと思って他者に課してはならない。息子・ギャビンを抱きながらその目を見て、自らのなかにある〈Boys Don’t Cry〉と向き合うロイドの姿は、望もうが望まなかろうが「男性」として生きている僕たちみんなの姿だ。僕たちは “Don’t boys cry?”(男の子は泣いちゃいけないの? )という問いに、少し迷いつつ、でも最後は自信を持って “Yes, we do.”(いいや、泣いていいんだよ)と答えなければならない。決して涙を押し込めることなく。
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文・安尾日向
編集・川合裕之(フラスコ飯店 店主)
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解説『幸せへのまわり道』(2019)
監督:
マリエル・ヘラー
出演:
マシュー・リス、トム・ハンクス、クリス・クーパー、スーザン・ケレチ・ワトソンなど
なんといってもトム・ハンクス!!!! もともと僕は彼のことがかなり好きで、特に彼が若い頃の作品である『ビッグ』という映画はお気に入りだったりするのだが、本作のトムの表情はすごい。彼が演じたフレッド・ロジャースは実在した人物であり、本作自体がミスター・ロジャースに対する取材記事が原作になっている。アメリカでは国民的番組だったそうだが、日本で生まれ育った僕はもちろん知らなかった。それでもトムの演じるフレッドを見ると、こんな番組を見て育てることはとても良いことなんだろうなと思わされる。
作品中、少しやりすぎなくらい、トム=フレッドがこちらを見つめるシーンがあるのだけど、あまりにその目が湛えているものが大きすぎて、映画であることを忘れてしまいそうになった。あのシーンは賛否が分かれそうでもあるが、力強いシーンであったことは確かだ。
本作でトム・ハンクスは第92回アカデミー賞助演男優賞と第77回ゴールデングローブ賞最優秀助演男優賞にノミネートされている。日本ではこじんまりとした広報・配給であるためいまいち話題になっていないが、北村紗衣氏が指摘しているように、男性ジェンダーを描いた良い作品だと思う。