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映画『プリティ・ウーマン』:奢り奢られ振り振られ、「白馬の王子」は必要か?

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「いつもよりお店の営業時間も短いことだし、そろそろお会計にしようか」

「そうだね!お会計……いくらかな?」

男女2人がご飯に行った際の光景。この後男性が女性の分のご飯代もまとめて支払うのがだいたいお決まりの展開だ。しかし、その時の自分たちは何を考えていただろうか。思い出してみてほしい。

この瞬間、これからの2人の展開を左右するような男女の駆け引きが繰り広げられてはいなかっただろうか。

「奢る」そして「奢られる」。男女の関係を左右する、いわば無言の戦争だ。

世に在る王道ラブロマンス映画では、基本的に様々な困難を乗り越えた男女が結ばれるハッピーエンドが描かれる。

では、現実に生きる私たちの「戦争」はハッピーエンドを迎えられているのだろうか?

世には様々なカップルが存在する。しかし、確実に言えること。それは、どんなプリンスもプリンセスもハッピーエンドを迎えたいはずだ、ということである。

-目次-

・いつかは白馬に乗った王子様がきてくれ……る?
・現実に起こる白馬の王子問題=「デート時の奢り奢られ問題」
・奢り続けるのも、奢られ続けるのも正直つらいよ……
・一つの道標をくれる映画『プリティ・ウーマン』
・会計は男持ち! な関係に疑問、そして面と向かい合ってみよう
・解説『プリティ・ウーマン』(1990)

いつかは白馬に乗った王子様がきてくれ……る?

「いつの日か白馬の王子様が迎えにきてくれて、結婚してそのまま一生幸せに過ごすんだ!」

毒リンゴを食べて一回死んだとしても、王子様が迎えに来てくれる。ドレスが意地悪なお姉さんにビリビリに破られたとしても、妖精のおばあさんのおかげで舞踏会に行って、王子様が見初めてくれる。

幼かった私は、おとぎ話の中のプリンセスたちを見て半ば本気でそう信じていた。

しかし、10代も終盤を迎えた今、さすがにそれを心から信じることは非現実的すぎることを突きつけられる。

当時の私が思っていたほど、人間関係なんてものは単純ではないし、白馬に乗ってキラキラと都合の良い言葉を並べる王子様なんていたら、逆に全力で疑ってかかってしまう。

最近のプリンセスたちだって、隣の国の王子様と結婚することだけが幸せってわけでもなさそうだ。姉妹で仲良く国を治めることだってできるはずだし、もしかしたら隣の国の王子様はめちゃくちゃな陰謀を抱えて結婚詐欺を狙っているかもしれない。

実際問題、そんな風にお決まりの「ハッピーエンド」を迎えたプリンセスとプリンスって死ぬまで幸せに暮らしてるのかな?

う〜〜んなんだかちょっと胡散臭い。

現実に起こる白馬の王子問題=「デート時の奢り奢られ問題」

まあ、昔のおとぎ話のレベルまで、ご大層に女性が男性に付き従う事例は最近の現実世界ではなかなか起こり得ないと考えられる。しかし、実はこの構図の縮小版は、案外私たちの身近にコロコロ転がっている。

例えばこんな時。男女でご飯を食べにいった時、お会計をする段階になって結構な確率で微妙な空気が流れる。

この数秒間で驚くほど2人の男女の頭は回転しているはずである。「俺が奢るのか?」、「彼が奢ってくれるのか?」毎回そんなことで頭をフル回転させなきゃならないなんて、正直鬱陶しいし、面倒臭い。変な駆け引きなんてしないで純粋にその時間を楽しみたい。

そもそも、なんでこんなに私たちは頭を働かせる必要があるんだろう?

これらは「男性が女性の分まで背負うのが当たり前」という風潮に起因しているはずである。

「男性の方が収入が多い確率が高い分払う必要がある」
「女性はその分、ふさわしい振る舞いをする必要がある」

言葉にする必要がないくらいに、この「何かをする時は何事も男性がリードする」という概念は、私たち人間の根底に横たわっている気がする。

奢り続けるのも、奢られ続けるのも正直つらいよ……

ここで冒頭でレジにいた男女2人のやりとりに戻って、彼らの心の中をこっそり覗き見してみよう。

「いつもよりお店の営業時間も短いことだし、そろそろお会計にしようか」

「そうだね!お会計……いくらかな?」

(いや、俺は彼女のこと正直まだ恋愛対象として見れないんだよな、でもここで奢るとその気にさせてしまうのか? それはまだちょっと早いな)

(え? 奢って……くれるの? くれないの? どっちなの!? とりあえず、イメージアップのためにお財布出すフリだけしよう…… )

(自分で払うつもりはあるのかな? いや、でもここはやっぱり男だし、俺が払うべきなのか? うわっ、意外に高ぇ……。今月バイト代カツカツなのに〜)

(ここで奢られなかったら、私は女として見られてないのかな? でもこれから何度もご飯にいく関係になると払って貰い続けるのは申し訳ないしな……。どうしたらいいの!?)

(しょうがない……ここは俺が払おう)
 「OK、今日は俺が全部払うよ!」

(あ……良かった? のかな? でも、いざ払ってもらうとなんだか申し訳ないなぁ)
 「本当ですか!? ありがとうございます〜!!」

「いえいえ! 全然気にしないで〜!」

店員さんの迷惑にならないくらいの、たった数秒間の男女の心境の一例である。

ご飯を食べながらどれだけ話が盛り上がっても、レジの前にくると相手の一挙一動を推し量った面倒臭い駆け引きをしなければならないのである。こんなのせっかくの楽しい時間が台無しだ。

しかし、これと似た経験をしたことある人は少なくないと思われる。

もちろん、世の中には色々な考え方の人がいる。

異性と食事に出かけたとき、絶対に毎回お金を出すことに拘る男性もいる。彼らは、女性にお金を払わせたくないという優しさを持っているのかもしれないし、もしかしたら、自分の経済力を見せたいだけかもしれない。逆に、絶対にお金を出したくないという男性だっている。彼らは、ものすごくケチかもしれなければ、単純にその月の生活費がギリギリなのかもしれない。もしくは、男女で対等な関係を築きたいと思っていて、敢えて割り勘を選んでいる人だっているはずである。

女性も然りである。男性がお金を払うことは当たり前、それで自分の女性としての価値を測っているという人もいれば、奢ってもらって当たり前なんて思いたくないけれど、いざ割り勘だと多少不安になってしまう人だっているだろう。逆に、勝手にお金を全部払われると弱者として扱われているようでいい気がしない! と思っている人もいるはずだ。女心も複雑なものである。

どっちにしろ、ここから導かれる結論として言えること、それはずばり「面倒臭い」だ。

せっかく楽しかった時間の最後に、ウダウダと相手を勘ぐること自体徒労である。誰だってできるならそんなことしたくなんてないに決まってる。

いざ、大きな経済負担を男性が担ったとして、女性はそこに変な引目を感じるかもしれないし、偏った力関係が生まれて、後々2人の関係に害を及ぼす可能性だってある。

一方で、男性が「常にリードしなければ」というプレッシャーを背負い続けることだって、決していいことなんかではない。いつか、その疲れが爆発してしまう日が来ないとも言えない。

しかし、この世に「お金がらみは男性主導」という概念が有る限り、私たちは悩み続けなければならないのかもしれない。

一つの道標をくれる映画『プリティ・ウーマン』

そんな男女の尽きない悩みに、一本の映画が道標をくれる。

90年代を代表する恋愛映画、そして2021年になった今も王道ラブロマンス映画として名高いリチャード・ギア、ジュリア・ロバーツ主演の『プリティ・ウーマン』である。

色々な人に「憧れの恋愛映画はなんですか?」と聞いた時に、この『プリティ・ウーマン』の名前がよく挙がることは、考えてみると実に興味深い。

なぜならこの映画、まさに「ひたすら奢りまくる金持ちの男と奢られまくるヒロインの話」であるからだ。

これでもか! というくらい奢られまくるヒロイン

実業家で大金持ちの紳士エドワードは、仕事のため一週間ロサンゼルスを訪れる。そこでひょんなことから出会った娼婦のヴィヴィアンに興味を持ち、彼は彼女に3000ドルでロスにいる間のパートナーとして一週間ともに過ごすことを持ちかける。

IMDbより

これは、一日数十ドルを稼いでギリギリの生活を送っていたヴィヴィアンにとっては、まさに美味しすぎる話であり、宿泊先も超高級ホテルのスイートルーム、まさに至れり尽くせり状態である。

その上エドワードは、ヴィヴィアンを「ふさわしい女性」として仕立て上げるため、高級ブティックで服を大量に買い与えるなどまさに湯水のようにお金を使う。

まさにヴィヴィアンは、映画史上「最も奢られるヒロイン」と言っても過言ではない。

しかし、映画の中でもエドが何度か強調した通り、エドとヴィヴィアンはあくまでも「雇用者と従業員」の関係であり、彼が彼女にお金を使うのも自分にふさわしい女性を作り上げるためである。

一見良さげに見えつつも、2人の間には圧倒的なな力の差が生まれてしまっているのである。

「白馬の王子様が来てくれるようなハッピーエンドはない」

共に過ごす一週間も終盤になり、2人の間には「雇用者と従業員」の関係を超えて恋心が芽生え始める。一見このまま幸せな関係を築いていくかにも思えたが、ここで思わぬ方向にお話は傾く。

最終日になってエドはヴィヴィアンに共にニューヨークに帰り、そこでエドと共に過ごすことを提案するものの、ヴィヴィアンはその申し出を断るのだった。

「私は小さい時、白馬に乗った王子様が待っている私を迎えにきてくれると信じていた。けれど現実は違った。そして白馬の王子様は決してお金でプリンセスを囲い込んだりしない」

今までお金で全てを解決し、欲しいものを全て得てきたエドワードは、このひとことにどうすることもできなかった。この一週間でひたすらお金を積み、金銭を軸に成立していた関係がここに来て凶と出てしまったのである。

エドワードは、ヴィヴィアンが今後も金銭的に困ることのないように、いつでも支援を承るという話をしつつも、失意の中、彼女の元を去ることを決意するのだった。

エドワードとヴィヴィアンの恋の行方は……?

エドと別れた後、ヴィヴィアンは元々住んでいたボロアパートを離れ、新しい人生を切り拓いていくことを決意する。

一方、本気で好きになったヴィヴィアンをなかなか諦めきれないエドワード。そんな彼の前に彼女を家まで送ったという運転手が現れ、エドは正式なプロポーズをするために再びヴィヴィアンのもとへ向かうことを決意する。

彼は、道端の花屋で決してお高いとは言えないような花束を買い、ボロアパートへ向かう。その後、自身の弱点である高所恐怖症を乗り越え、ヴィヴィアンのいる階まで梯子を登って辿り着く。そこで遂にエドワードはお金の力を借りず、彼女を愛していることを自分の身を持って証明し、もう一度愛を込めたプロポーズをして2人はハッピーエンドを迎えるのであった。

会計は男持ち! な関係に疑問、
そして面と向かい合ってみよう

IMDb より

あくまでもお金が関わる時の主役は男性。女性は受け身に、大人しく奢られて、白馬の王子様でも待ってよう。

『プリティ・ウーマン』でも大部分では男性が物事の主導権を握る様子が描かれている。

でも、こんな関係をダラダラと続けてしまうと、いつかは2人の関係に歪みが生まれてしまう。まさに、せっかくの本当の気持ちを一度は受け取ってもらえなかったエドと、エドとの経済事情が気になってしまったヴィヴィアンのように。

ではそんな時、世のカップルたちはどうするべきなのか? 実は、映画の中の2人はその問いに一つの答えを提示してくれている。

それは、話し合いにしろ、行動で示すにしろ、相手と「対等」な関係になるために真正面から向かい合ってみることである。

実際に、面と向かって打ち明けたヴィヴィアンの正直なひとことが、今までのエドを一新させ、そしてエドのお金よりも愛のある行動が、2人の関係を新たな物に塗り替えたのである。

奢り続けることが負担なら「正直懐が厳しい! 対等に歩みたい」と言えばいい。奢られ続けることが負担なら「私もお金を払ってもっとフラットになりたい」と言えばいい。

逆にお互いの誕生日や記念日などの特別な日にはそれぞれが奢りあえば、その時こそもっと2人とも幸せな気持ちになるものなのではないだろうか?

さあ、あなたもエドとヴィヴィアンのようにお金よりも愛のある行動を! 面と向かって話し合って『プリティ・ウーマン』のようなハッピーエンドを迎えよう。

 文・Minami
編集・和島咲藍
 絵・Miharu Kobayashi

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解説『プリティ・ウーマン』(1990)

監督:
ゲイリー・マーシャル

出演:
リチャード・ギア, ジュリア・ロバーツ

脚本:
J・F・ロートン

音楽:
ジェームズ・ニュートン・ハワード

90年代といえば『プリティ・ウーマン』と言われるくらいにその時代を代表する超人気ロマンスムービー。恵まれない女の子が一発逆転の人生を勝ち取る、まさに現代版シンデレラストーリーである。現在は「世界で最も美しい顔」「最もギャラの高いハリウッド女優ランキング」常連の大女優ジュリア・ロバーツ×ハリウッドきっての二枚目俳優リチャード・ギアの共演というだけで見応えは十分だ。

現在は大ヒット映画『wonder 君は太陽』などに出演し、ハリウッドになくてはならない存在となっているジュリア・ロバーツはこの作品でゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞、スターダムを駆け上がった。そんな彼女の初々しい姿が思う存分拝める。あな、美しや。

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