あなたのもとに、あるツイートが流れてきました。
あなたは当然「ひどい」と思います。リプライ欄にも同情的なツイートや歩きタバコに対する怒りのツイートが並び、さらには専門家らしき人が詳細に対処法を教えているものもありました。
あなたはこんなひどいことが二度と繰り返されないためにも、そのツイートのリツイートボタンを押しました。
後日、また別のツイートが流れてきました。
それは前にあなたがリツイートした【悲報】ツイートが、全くの嘘だということを告発しています。
「えっ、あれ嘘だったの??!」
しかも元の画像は、むしろほのぼのしたエピソードでした。
あの【悲報】ツイートを見たときに抱いた同情が、一気に腹立たしさに変わるのを感じます。無理もありません。あのツイートの主は、全く事実でないことをでっち上げて、多くの人を騙したわけですから。あなたは自分がデマを拡散してしまったことに気づき、それを訂正するためにも、告発ツイートのリツイートボタンを押しました。
「嘘」はどうして拡散する?——『フェイクニュースを科学する』
先ほどの【悲報】ツイートはデタラメ、フェイクでした。近年のインターネット上の情報には、そのような偽情報、フェイクニュースが次々に生まれており、国際的に問題視されています。「真実」というものが非常に脆いものであることが白日の下に晒されたのです。なぜ「嘘」がこれほどまでに拡散されてしまうのか。なぜわたしたちはそれを鵜呑みにしてしまうのか。
笹原和俊さんの著書『フェイクニュースを科学する——拡散するデマ、陰謀論、プロパガンダのしくみ』(2018, 化学同人)がこれらの問いに答えてくれます。
著者の笹原さんは東京大学大学院出身で、現在は名古屋大学で講師をなさっています。専門は計算社会科学で、アメリカの大学の研究者とともに計算モデルを用いてSNS空間で生じる現象を検証する研究などを行なっており、この本でもその成果が記されており、それがこの本の大きな特徴にもなっています。
フェイクニュースやデマが広がりやすいのはなぜか、という問いに、『フェイクニュースを科学する』はSNSを代表とするネット情報環境の仕組みや特性から解説してくれます。「エコー・チェンバー」や「フィルター・バブル」といった、この分野を知る上では欠かせない考え方についての基礎知識をしっかりと獲得できるほか、これらの現象がどのように生じるのかを計算社会科学という観点から実証しようとする試みにも触れられるのがこの本のおもしろいところ。
さらに、フェイクニュースの脅威から社会を守るための方策として「メディア・リテラシー」や「ファクトチェック」の実践についても解説されています。わたしたちを惑わせる「嘘」に負けないようにするには、まずは「知る」ことが大切なのだと気づかされます。
フェイクニュースの蔓延は、わたしたちにとって「真実」とは何か、という認識を強く揺さぶっています。同じように、わたしたちにとって「現実」とは何か、という認識を揺さぶってくる名作映画があります。そう、クリストファー・ノーランの『インセプション』(2010)です。
ここからはフェイクニュースの話題からちょびっと飛び出します。
「現実」ってなんだ?——映画『インセプション』と “leap of faith”
『インセプション』、めちゃくちゃおもしろいですよね……。もしまだ見たことがない方がいらっしゃればぜひすぐに見てください。脳汁ドバドバ系なので。
『インセプション』では、主人公は人の潜在意識の現れである夢の中に忍び込み、アイデアを盗んだり、時にはアイデアを植えつけたりする闇稼業を仕事としています。夢はどこから始まったのか定かではなく、それゆえに夢の中ではその夢こそが現実世界だと思ってしまいます。
そして映画の肝となるのが、「夢の中の夢」というノーランお得意の多層構造です。忍び込んだ夢の中で、その夢の持ち主にさらに別の夢を見させるのです。このややこしい構造のせいで、本人たちもいまいるのが夢なのか、現実なのか、自信が持てません。それを確かめる方法はあるにはあり、これも作品のキーになっていくのですが、この記事ではこれ以上踏み込みません。
「これは夢か、現実か」――この意識に揺れ動かされながら進んでいくストーリーのなかで幾度も発せられるセリフがあります。それは “Take a leap of faith.(信じて飛び込め)” という言葉です。
このセリフは19世紀の哲学者キルケゴールからの引用がもとになっています。
キルケゴールは “leap of faith” という言葉を「信仰の飛躍」という意味で用いています。ここでの「信仰」はキリスト教における神やキリストへのそれを指しており、キリスト教を信仰することのうちにある矛盾をどのように考えたらいいのか、という問題がキルケゴールの関心ごとでした。そこで彼は、宗教への信仰は合理的な理性によって正当化できるものではなく、理屈や思考を抜きにして(=飛躍)、ただただ「信じること」によってのみ成立する。そして信仰によってのみ、目の前の絶望から抜け出せるのだ、というふうに考えたのです。
現在の英語では、 “leap of faith” で「盲信」や「信頼に基づく賭け」、 “take a leap of faith” で「大丈夫だと信じて思い切る」という意味で日常生活でも使われています。ですので『インセプション』においても、ただ「信じろ」という意味で使われているセリフだとも考えられます。ですが、この作品のなかでは「飛ぶ」ということが「現実」と「夢」の境界を行き来する主人公たちにとって大きな意味合いを持っていることを考えると、決してそれだけではないように感じられてきます。
余談ですが、最近で言うと、第91回アカデミー賞長篇アニメ映画賞を受賞したことで話題になった『スパイダーマン:スパイダーバース』においてもこのセリフが印象的に用いられています。それ以外にも例はあり、この言い回しとその奥にあるメッセージは、フィクションでよく持ち出されるテーマなんですね。
何が「現実」なのか。その判別は『インセプション』の主人公たちにとって焦眉の問題です。でもいざ前に進まなければならないときには、ただ「信じて飛び込む」ことが求められます。その結果が正しい「現実」をもたらしてくれるのか、はたまた「夢」に堕ちるだけなのか。それはわかりません。その結果を受け入れられるか、そして受け入れてどう行動するかが問題です。
さあ、ここまでしばらく経由地を渡ってきました。ここからちゃんとフェイクニュースの話題に戻っていきます。あと少しでゴールです。
「真実」ってなんだ?——あなたに語りかける声
映画『インセプション』は、「現実とは何か」と問いかけてくる作品です。そして「夢」と「現実」の狭間で「信じて飛び込む」ことを求められたとき、何を選択するか、その葛藤も描かれています。
一方で、わたしたちの生活に静かに忍び込んでくるフェイクニュースの数々は、わたしたちの「真実とは何か」という認識を揺るがしてきます。デマを流したい人々の思惑と、それが広がりやすい、SNSに代表されるネット環境。これらの相乗効果によって「嘘」は広がることをやめません。では、フェイクニュースはわたしたちに何を語りかけてきているのでしょうか。そしてわたしたちは、その声を聞いてどのような行動を選択すればよいのでしょうか。
たとえば、冒頭の【悲報】ツイートはどうやらデマだったようです。
でもそれを伝える告発ツイートもただのでっち上げだとしたら?
あのツイートだって、本当に「真実」を伝えているという確証はありません。たった140文字、たった数枚の画像だけでは、それが事実なのかどうか簡単には判断できないのです。また、近年ではそうしたフェイクニュースを作り上げるための技術も上がってきており、より真偽がわかりにくいものも増えてきています。
わたしたちはたくさんの情報が漂う海のなかにいます。そしてあらゆる情報があなたのもとに流れ着いて、語りかけてきます。そのなかにはもちろん「真実」も多く含まれています。しかし、誰かの「悪意」があなたに語りかけていることだって、想像以上の確率で、ありうるのです。
いまは「ポスト・トゥルース」の時代だと言われています。それは「真実」ではなく、個人的な感情に訴えかけてくる情報が力を持つ時代。ふらっとあなたのもとに流れてきた、その感情を煽る情報は、あなたにこう語りかけているかもしれません。
”Take a tap of faith.”
「さあ、信じてリツイートボタンをタップしろよ」
情報の海の奥深くのほう、「真実」の光も届かないような暗い場所から、あなたの足を捕まえて引きずり込もうとするその声。海にはあまりに多すぎる情報が、そこかしこで声を上げているため、その黒い声になかなか気づけない。そして知らずのうちに溺れてしまう。そんな危うい海でどうやって生き延びていこう?
「知らない」こと、誰かに任せて「信じる」ことは楽です。現実と戦うのが嫌になって、たまに、いや、しょっちゅう逃げ込みたくなります。でもそれじゃダメだと知っている。自分を、身の回りの人たちを、守るためには「知る」ことから逃げ出したらダメなんだ。そう自分に言い聞かせて、今日も明日も、少しずつ進んでいきましょう。できたら一緒に。
文・安尾日向
編集・川合裕之
挿絵イラスト・くどうしゅうこ
なお、冒頭のツイートは実在の個人とは何の関係もございません。
【参考】
笹原和俊、2018、『フェイクニュースを科学する——拡散するデマ、陰謀論、プロパガンダのしくみ』化学同人
原田まりる、2016、「たとえ全世界を征服し、獲得したとしても、自分自身を見失ったならば、なんの意味があるというのだろうか」ダイヤモンドオンライン(https://diamond.jp/articles/-/106610 最終閲覧:2019/07/04)
セーレン・キルケゴール、1849、『死に至る病』(=斎藤信治訳、1957、岩波文庫
CATHERINE F. BROOKS、2018、「フェイク動画が社会を混乱させる未来が、すぐそこまでやってきた」WIRED JP(https://wired.jp/2018/07/19/faked-video-could-end-justice/ 最終閲覧:2019/07/04)
LAURA MALLONEE、2017、「いかに「写真」は人を“欺く”ようになり、フェイクニュースを拡散してしまうのか?」WIRED JP(https://wired.jp/2017/06/25/photos-fuel-fake-news/ 最終閲覧:2019/07/04)
町山智浩、2019、「町山智浩の映画ムダ話120 『スパイダーマン: スパイダーバース』(2018年)」(https://tomomachi.stores.jp/items/5ca3f81cc3a96748bd547a91)