iPhone とMacBookと自意識と | 『エイス・グレード』レビュー

Last updated on 2019.10.15

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それは単なる杞憂でした。SNS時代の青春映画、と配給に題されたこの映画にいささかながら不信感を覚えていた自分を強く戒めながら僕は映画館をあとにする。

「いま」はいずれ「むかし」に成り代わることは必至。SNSを題材にすればたしかに身近なものを克明に描くことができるかもしれないが、その反作用として足の速い映画になってしまう。そう思われてしまうのも無理はないでしょう。いいえ、でも大丈夫。『エイス・グレード』は思春期の僕たちを苛んできた自意識、という強靭な普遍性に支えられているのです。

「厨学2年生」を描く

まず、最初に伝えておかなくてはいけないのが、これは別にSNSの話ではないということです。

何者にもなりきれず苦しんでいるけれど、されど何者になりたいのかも判然としない。そんな思春期真っただ中の典型的な Eighth Grade(=8年生。中学最後の年の13歳)[注1]の少女ケイラが、自分と向き合い続けてこの答えのない問いと闘う物語です。 “Eighth Grade” は直訳すれば「8年生」ですが、意訳するならどうだろう。

[注1]年齢は州によります。

中学最後という意味では「中学3年生」かもしれないが、自意識や他人からの評価に押しつぶされそうになるという意味では「中学2年生」と意訳するのが相応しいかもしれません。いいえ、あるいは「厨学2年生」という表記もまた遠からず。

これは必死で苦しみながら大人になる準備をするひとりの人間を描いているのです。さすがはA24が手掛けているだけあって、人間の芯(または膿と表現すべきでしょうか)に鋭く迫る作品なのです。

古びるか・古びないか

たしかに本作では「現代的」なアイテムが多数現れます。幕が上がるやいなや、画質の粗いケイラの正面からのショット。これは彼女がアップしているYouTube の映像です。さらにはInstagram, Twitter, Tik- Tok などのSNSが幾度となく登場。iPhone とMacBook は彼女にとっては欠かせない手足のようなツールであり、インターネット上の空間はもはやこの映画の隠れたもうひとつの舞台と呼ぶべきかもしれません。

こうした演出は「色モノ」あるいは「飛び道具」なのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。冷静に考えてみるといつの時代だって道具やテクノロジーが人間をかたどってきたのです。たとえば、「指先で送るキミへのメッセージ」に返信があるかどうか悩ましかったのは12年も前の2007年のことですが、既読機能付きのメッセンジャーツールが普及して8年ほど経ったいまでも若者たちの本質的な悩みはいまだ解決していないわけで。コミュニケーションの根源にある人間の感情は、きっと時代に左右されることのない普遍的なもの。出てくる道具が古いとか新しいとか、現代的だとかそうでないだとかは本筋ではないのです。どんなに古いツールでも、どんなに新しい道具でも、それを介してドラマをつくるのはいつだって等身大の人間なのですから。

『エイス・グレード』もまた例外ではなく、いかに「今っぽい」webツールが登場しようとも、ここにあるのは今昔より人間が抱えている普遍的な葛藤です。

ジ・ユニバーサル内弁慶

ではその「普遍性」とは一体何なのか。それはケイラが「いまだ何者でもない自分も、いつかは誰かに賞賛されたい」という醜くも正直な願望です。学校の人気者の存在は、SNSに反射してより眩しく光ります。その光に照らされたケイラの背後には、くっきりとした影が差す。光源は自分と変わらないはずの同い年。限りなく水平に近い場所から投げかけられた光の入射角は非常に鋭く、その結果自分の身長よりもはるかに長い影が伸びるのです。

皮肉なことに、この影を振り払おうと背伸びをしてもがけばもがくほどケイラは滑稽な姿になってしまいます。彼女がライフハックを伝えるYouTube も、褒められるようなものではないでしょう。

「中学はつまんない。それはなぜなら、中学は……中くらいの学校だから!」と極東の環境大臣に負けずとも劣らずの空虚なコメントを堂々と世に発信していたり。もちろん再生数は一桁。それもきっと自分でチェックしたときにカウントされたものでしょう。いやいや撮り直して編集しろよ、と思ったりもするけれど、そういう細かい作業を通してコンテンツを作る覚悟はきっとまだ彼女にはないのです。とにかく手っ取り早く人気者になりたい。「わたし」を評価される世界を見出したい。動画コンテンツの制作は目的ではなく手段にしか過ぎません。短絡的な欲望に従って手を動かしてしまうのです。

ああ、なるほど、こういうのって世界共通なんだ。先日はインスタグラムが「いいね」の数に気に病まないように数字を非表示にする施策をとりましたが、やはりこの種の病理は国境を超えるらしい。

学校で冴えない子ほど家庭では態度の大きい内弁慶。日本でもよく耳にする話ですが、ケイラもしっかりと内弁慶を発揮します。「ババァ、ノックしろよ! 」といった類の家庭内の暴言は、思春期の息子から母親に向かって投げられるものだとばかり思い込んでいましたが、娘から父親へ投げつけるシチュエーションもありうることを知らされました。

まさに文字通り本当に「ノックしろよ」と批判するケイラを目撃することができました。思春期の内弁慶は世界共通かつジェンダーフリーらしいのです。図らずも新たな普遍性を発見することとなりました。

二項対立では説明がつかない時代に

「スクールカーストの上位と下位」あるいは平易に表現するならば「学校の人気者たちと、そうでない私」といった二項対立[注2]を設定して、弱き者が痛快に逆転勝利を収めるという型は、たしかに弱者にとって魅力かもしれません。

しかしながら、打倒人気者!という単純な図式では説明が追い付かなくなってきている今日この頃。というのも、今まで自分の自意識を抑圧しきた彼ら彼女らを上回って見返すことは、結局のところ奴らの土俵で踊っているに過ぎないことに僕らは気づきつつあるのです。

[注2]:さらにもっとわかりやすく明け透けに非常に下品で解像度の低い俗語を使うことがもし許されるのであれば「陽キャvs. 陰キャ」と書くのが手っ取り早い

そうした二律背反に、『エイス・グレード』は一筋の光を射してくれます。自分の評価は、自分で決める。そうした姿勢が重視されつつある現代の刷新された快適な価値観を提示するのです。

SNSなどの「いま」を描く小道具は、ある意味では2010年代を示す記号。つまりこれは2010年後半の記録だということを示す記号として非常に有効に機能します。

けだし100年後、この映画を見る人はこう思うでしょう。YouTubeやTwitterなんてやってる大昔の人たちも、僕たちと同じような悩みを持っていたのだと。

解説『エイス・グレード』(2019)

監督:ボー・バーナム
脚本:ボー・バーナム
出演:エルシー・フィッシャー, ジョシュ・ハミルトン, エミリー・ロビンソン, キャサリン・オリヴィエ ほか
音楽:アンナ・メレディス

制作はもはや一種のブランドとなったA24。監督のバー・ボーナムは2006年にYouTubeからキャリアをスタートさせ、ミュージシャン・コメディアンといったバラエティ豊かな経歴を持つ人物ですが、映画監督は今作がはじめてとのこと。

なるほど、感情を抉りこむような筆致の一方で、イケメンを見た瞬間に爆音の「イケてる音楽」がケイラの脳内を搔き乱すといった大味のコメディ演出は監督の多彩なバックグラウンドで説明がつきます。ケイラ役のエルシー・フィッシャーがゴールデングローブ賞主演女優賞にノミネートされるなど、多数の映画祭で高い賞賛を浴びている映画。

「これはSNS時代の……」なあんて偉そうにレビューを書いているけれど、筆者だってネット上にいる何物でもない人間であることには変わりがないのでした。グッチ~!

 文・川合裕之
編集・和島咲藍

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川合 裕之 Written by:

95年生のライター/ 編集者。長髪を伸ばさしてもらってます。 フラスコ飯店では店主(編集長)をしています。