I’m back. Omatase. 

クソ映画『マーズ・アタック!』は本当にクソ映画なのか?

あなたは映画を観るとき何を期待しますか?

ぼくが映画に期待するものは心躍るようなのエンタメ性や、思いっきり泣けるドラマ性、そして時に自分自身の人生観を変えてくれるような体験を求めて映画を観る。つまり、「有意義な時間」を過ごすために映画を選び、鑑賞するのだ。

しかし、世の中には「B級映画」と呼ばれるような最低で無価値な時間を過ごす為の映画も存在する。しかもそれらの映画を “わざと”作るような監督たちがいるのだからこれはほっておけない!

ぼくは一体何度『マーズ・アタック!』という映画に「最低な時間」を捧げてきただろうか。敢えてこう呼ぼう。『マーズ・アタック!』はクソ映画だ。何度見てもやっぱりそう思う。けれども何度も観てしまう。

ただ、「何も得るものがない “のに” 観てしまう」のではなく「何も得るものがない “から” 観てしまう」のだ。この感覚わかっていただけるだろうか。それは最早快感であり、「有意義な時間」を自ら捨ててまで、その「最低な時間」を過ごしたいのだ。

休日に家から一歩も出ずに一日中ゴロゴロしてる間に襲ってくるあの背徳感。その背徳感を吹っ切った時のあの清々しさ。「わかっちゃいるけどやめられない!」それこそが『マーズ・アタック!』やB級映画とカテゴリーされる作品たちの魅力なのだ!

観るものを堕落させるほどのクソ映画『マーズ・アタック!』。監督のティム・バートンはこの映画をどんな感覚で、そして何を目的に作り上げたのかをこの記事で探してみる。

退屈ではないが
有意義でもない映画

『マーズ・アタック!』は96年の冬に公開されたSF映画。豪華俳優陣を起用した奇才ティム・バートン監督によるこの「宇宙人襲来もの」はクリスマスシーズンの浮かれたカップルたちや冬休みのファミリー層にとってうってつけ(最悪)のトラウマ映画だ。なぜならこの映画は普通の「宇宙人襲来もの」とはかけ離れた作品なのだから!本来「宇宙人襲来もの」の醍醐味と言えば恐ろしい宇宙人との戦いである。主人公たちはピンチに晒されながら時に命をかけて戦うべきなのだ!しかし『マーズ・アタック!』はそうじゃない。

作中、心を踊らせるようなドラマシーンは一切無し!共感したくなるようなキャラクターもいない!映し出されるのは、ブラックジョークを言い合いながら混乱を招き続ける主人公たちとゲラゲラ笑いながらおもちゃのような武器や兵器で虐殺を繰り広げる宇宙人たち。宇宙人たちの見た目も気持ち悪いけど恐ろしくはない。(なんか簡単に勝てそう!)

宇宙戦争映画戦争

しかも1996年12月7日、『マーズ・アタック!』公開日の5日前にあの大ヒットSF映画『インデペンデンス・デイ』が公開されている。

『マーズ・アタック!』と同時期に公開されたこの映画は本当によくできている!

『インデペンデンス・デイ』は『マーズ・アタック!』と同じく「宇宙人襲来もの」であり、アメリカ合衆国の独立記念日(インデペンデンス・デイ)を地球人にとっての独立記念日に書き換えるという実にアメリカらしいド派手なテーマを掲げている。勇敢で威厳のある若き大統領と皮肉屋で頭の切れる天才エンジニア、そしてジョーク多め宇宙飛行士志望の戦闘機パイロットといったような魅力溢れる主人公たちがあらゆる危機や苦悩の果てに地球を救う姿は拍手を送る他ない作品だ。

ドラマよし!キャラよし!宇宙人恐い!三拍子がそろった「宇宙人襲来もの」としては大満足の映画である!

もう一度確認しよう。そんな両極端に位置するふたつの「宇宙人襲来もの」である『マーズ・アタック!』と『インデペンデンス・デイ』はほぼ同じタイミングで公開された。

つまり、1996年の12月に映画業界では「宇宙戦争映画戦争」が勃発していたのだ!

大作とB級。
しかし構造はまったく同じ

『インデペンデンス・デイ』の興行収入は『マーズ・アタック!』を遥かに超える8億ドル。対して、『マーズ・アタック!』は約1億ドル。商業的には『インデペンデンス・デイ』の勝利なわけだが、当時そんな全世界感動の超絶ヒット映画を劇場で観る機会を逃してまでも『マーズ・アタック!』を観た人たちは一体どんな心境だったのだろうか。二本の映画の共通点と相違点を更に掘り下げて見ていこう。

観れば確実に有意義な映画『インデペンデンス・デイ』と、観れば確実に無意義な映画『マーズ・アタック!』は皮肉にもシナリオの大筋はほとんど同じなのだ!

2作品をイラストを添えて比べてみた。

こうやって見比べるとやはりこの2作品はまるで真逆の価値を記している。緊張と緩和の高低差を激しく表現する事で観るものを魅了する『インデペンデンス・デイ』に対して『マーズ・アタック!』には緊張感を一切感じない。画としての面白さとバカバカしい世界観で魅せてくれる。

というか『マーズ・アタック!』に関しては映画を観ていない人にはあらすじだけを説明したところで、ほとんど意味不明であろう。(ごめんね!)

しかもその2作品がほぼ同じタイミングでの公開。不思議な運命を感じる……。

知人や友人の口コミ情報だけで映画の面白さを判断しなければならないSNSのない1996年12月の街の映画館は一体どんな雰囲気だったのか。何かの間違いで恋人と『マーズ・アタック!』を選んでしまった彼氏はその後のディナータイムでどんな話題を切り出したのだろうか。きっと気まずい空気が流れたに違いない。

『有意義な時間』を過ごす為に映画を観るのなら迷わず『インデペンデンス・デイ』を観るべきなのだ!二本の映画を観比べた時、大半の人は『インデペンデンス・デイ』派であるべきだし、そうじゃないと世の中のバランスが崩れるからね!

そして取り残された数少ない『マーズ・アタック!』派のみなさん。この愛すべき “クソ映画” 『マーズ・アタック!』が何故作られたのか。そして何故そんな「最低な時間」を過ごしてまで我々はこの映画を見返してしまうのだろうか。

背徳感と狂気を味わえ!

この映画は背徳感と自分の中の狂気を同時に味わう事のできる作品だ。一見ネガティヴな言葉たちであるが、『マーズ・アタック!』はそれらを快感に変えてくれる。

例えば、「このスイッチを押しても何も起こらないから押さないでね?」と手渡されたスイッチを押さずにいられますか?

押すでしょ!

どうせ何も起こらないなら尚更、押すでしょ!なんなら一度押して何も起きない事を確認した後に連打するね!ぼくなら!

この映画は押してはいけないスイッチを押しちゃう背徳感とそれを平気で連打するような自分の中の狂気を同時に味わう事のできる作品なのだ!

まずは映画の冒頭シーンから振り返ってみよう。

「お宅今日はご馳走かい?」
「いや、違うけど、どうしてだい?」
「このBBQの匂いさ!」
「ウチじゃないよ?」

地平線の向こうの空が徐々に赤く染まる。その地平線の向こうに二人の農夫はその “匂い” の正体を発見する。それは炎を背負った牛の大群が煙をあげながらこちらに向かって走ってくる姿だった!(BBQの匂いってこれか!笑) その直後、謎の飛行物体が宇宙の彼方へ飛び去っていく!そしてOPクレジットへカットチェンジ!

流石ティムバートン!と心踊らされる冒頭シーンだ。牛を燃やして走らせる!しかも大量の走っている (生きたままの) 牛を!その画のインパクトを引き立たせる為の農夫たちのおバカな会話!そして牛たちの背中を燃やしたであろう空飛ぶ円盤のあのフォルム!まるでステンレスの灰皿を逆さまにして回転させただけのようないわゆる「空飛ぶ円盤」!

ぼくは “冒頭シーンフェチ” (なにそれ?)なのだが『マーズ・アタック!』の冒頭シーンほど「さあ!頭空っぽにするぞ〜!」と思わせてくれる映画は他にない。

そして続くOPクレジット。これがまたやたらと長い!しかもクレジットの後ろに映されるのは火星から地球に向かって飛来してくるおびただしい数の灰ざr……円盤たちの映像。

しかしここも流石ティム!宇宙空間をまるで軍隊のマスゲームのように綺麗に整列しながら移動する円盤たちをあらゆる角度から映し出す。カメラアングルやクレジットテキストの配置、CG技術に至るまで超一流!しかも音楽がいい!にもかかわらず、その一流の技術たちを存分に発揮しながら映される映像はよりにもよって “灰皿円盤” なのだ!

それはまるでお上品な料亭で一流の料理を食べながらコーラをがぶ飲みしているような感覚。

そして更に続くここからはじまる映画の内容は火星人たちの地球人大虐殺!超豪華俳優陣が使い捨てのモブキャラ感覚でバッタバッタと殺されていく!皮膚を持たず脳みそと目玉がむき出しの緑色したナンセンスなヴィジュアルの火星人たちの手によっていとも簡単に殺されてしまうのだ。なんのドラマも持たないまま、気がついたらマイケル・J・フォックスが跡形もなく丸焦げにされてしまう!

それはまるで国産黒毛和牛を安物の焼肉のタレ(業務用ボトル)にたっぷり浸して食べる様な感覚!

その火星人たちの目的は作中一切明かされない。というかそんなもん考えたって仕方がないのだ!なぜならこの映画の楽しみはそんな「謎の真相」であったり「キャラクターの心情」のような従来の映画たちの楽しみとは全く違うのだから!

ズバリ!この映画『マーズ・アタック』の楽しみは「背徳感」だ!映画を作る上で絶対にやってはいけない事を絶対にやってはいけない状況の中でやってのけてくれる!それが『マーズ・アタック!』であり、あらゆるB級映画たちの醍醐味ではないだろうか!

「何も得るものがない “のに” 観てしまう」のではなく「何も得るものがない “から” 観てしまう」という狂った考えを起こさせ、狂気的な映像をただ眺めるという最低な時間を提供してくれる希少な存在なのだ!

そんな愛すべき “クソ映画” 『マーズ・アタック!』を作る上で巨匠ティム・バートン監督はどんな作品から影響をうけたのだろう。そして彼自身のルーツにはどんな人物が影響しているのだろう。それは1994年公開の映画『エド・ウッド』という作品の中に隠されていた!

歴代最低の映画監督と呼ばれた男エド・ウッド

『シザーハンズ』(1990)、『ナイトメアビフォア・クリスマス』(1993)、『チャーリーとチョコレート工場』(2005) などの大作を数々手がけた巨匠ティム・バートン。彼がなぜ『マーズ・アタック!』のようなB級映画を作ったのか。それを語るにはティム・バートンがリスペクトする映画監督エド・ウッドという人物を避けては通れない。

エド・ウッドはアメリカの映画監督であり、脚本家、プロデューサー、俳優もすべて務めた一見すれば万能なマルチプレイヤーだ。しかし自らが製作した映画がすべて興行的に失敗したため、「アメリカで最低の映画監督」と呼ばれており、彼の撮った映画たちは「意味不明」、「眠たい」などと酷評されている。

裕福ではなく常に貧乏生活であった。制作費用もままならず自転車操業。例えば「巨大蛸と老人の戦闘シーン」(なんじゃそりゃ!)は大道具の巨大蛸の人形を大道具倉庫から盗み出し撮影されたのだが、その巨大蛸を動かすモーターを盗み忘れたために老人役の俳優が水辺で動かない人形の巨大蛸の足をバシャバシャと自らの体に巻きつけながら暴れまわるといようなお粗末なワンシーンとなっている。

他にも暖炉のセットが完全に傾いていて半分宙に浮いていたり、ステンレスの灰皿を逆さまにして糸で吊るしそれをUFOに見立てたり……。

彼の作る映画はヒットするどころか酷評を集めていった。常に貧乏生活を送りながら、映画への情熱を忘れなかったエドであるが54歳にしてこの世を去る。
没後はしばらく忘れられていたエドであるが、彼が自身の最高傑作とまで公言する映画『プラン9・フロム・アウタースペース』が深夜に繰り返しテレビ放送されることになる。するとこれが一部でカルト的に人気が爆発。(いつの時代にもクソ映画ファンはいるんだ!) 1980年に「ゴールデンターキー賞」という本の中で「歴代最低映画」として紹介される。「B級映画」という言葉のその皮肉たっぷりな称賛が誕生した瞬間だ!
その後エド・ウッドの作品は映画業界に大きな影響を与え、多くの映画監督から支持を得ている。

そんなエド・ウッド自身の生涯を映画化した作品が存在する。 1994年公開の映画、その名も『エド・ウッド』である。

監督は……そうなんです!ティム・バートンなんです!

しかも!主演のエド・ウッド役にはティムの親友であり最良のパートナーのジョニー・デップをキャスティング!

エドはふとしたきっかけで知り合った往年のドラキュラ俳優、ベラ・ルゴシと共にあらゆる映画作品を世に残すのだが……といった内容だ。エドの映画に対する情熱とその悲惨な人生のギャップには心を動かされる。エド・ウッドへのリスペクトが詰まった作品だ。

そしてこの映画の中にこそティムの描きたい世界観を解き明かすヒントが隠されていた。

映画とは一体、誰のための映画なのか?

先ほどは「有意義な時間」を過ごすためなら『マーズ・アタック!』よりも『インデペンデンス・デイ』、とかなり乱暴に記したが、それはあくまで観客目線の持論。では映画を作る側の目線は一体どんなものなのだろうか。

映画『エド・ウッド』の中から、それを象徴するようなこんなシーンを紹介しよう。制作の資金繰りに困り果てたエドは、手当たり次第に出資者を探していた。やっとの思いで出資者を見つけたエド。しかし彼らはエドの作品を自分のモノのように扱うのであった。これに怒り狂ったエドはスタジオを飛び出し酒場へ向かう。そこでエドの前に現れたのは憧れの映画監督オーソン・ウェルズ。『市民ケーン』や『上海から来た女』など1940年代から1970年代まで長きにわたって第一線で作品を生み出し続けた映画監督だ。

エドの打ち明けた悩みに対し、 オーソンは過去の自分にも同じような経験があると語り、続けてこう投げかけるのだ。

「夢のためなら闘え。他人のために撮ってどうなる?」

その言葉にエドは奮い立ち、もう一度映画づくりの現場へ戻るのであった。

エドは気付いたのだ。映画を撮るということの素晴らしさと資金調達やマーケティングは一切の別物だということに。映画は誰かのために作るのではなく、自分自身のために作るからこそ人の心を動かすのだ。そして、それこそが映画を作る側にとっての「有意義な時間」であるという事を誰よりも知っていたのだ。

この言葉はきっと創作に携わるすべての人の心に勇気を与えるであろう!

低予算で限られた時間の中撮影された「歴代最低映画」『プラン9・フロム・アウタースペース』。しかしエド自身は「最高の映画」を撮るつもりでこの作品に臨んだのだ。
「巨大蛸と老人の戦い」も「灰皿円盤」も “仕方なく” 撮影されたものではなく、すべてはエドにとって「最高の映画」作りだったのではないか。

「B級映画」などという皮肉がまだ存在しない1950年代にエド・ウッド監督はその素晴らしさに無意識的に誰よりも早く気が付いていたのかもしれない。

『マーズ・アタック!』が
今も心を揺さぶる理由

あのなんとも言えない崩れた世界観。憎たらしくも愛らしい下品でおバカなキャラクターたち。それらを一流のスタッフと一流の俳優陣、そして一流の映画監督が作り上げた作品、それが『マーズ・アタック!』なのである。

ティム・バートン監督はエド・ウッド監督の無意識的な「B級感」を意識的に表現する為に『マーズアタック!』という作品を作ったのではないかとぼくは考えている。それは途方もなく果てしない闘いの末に彼に訪れたチャンスだったのではないか?あの時代、あのタイミングで『マーズ・アタック!』という作品を世に残すことこそが彼の使命だったのではないか?だからこそ公開日5日前に同じようなシナリオで全く真逆価値観の作品『インデペンデンス・デイ』は公開されたのではないか?そのすべてがあらかじめ決められていた “B級映画業界” にとっての運命だったのではないだろうか!

そんな風に考えることでぼくたち映画ファンは一本のB級映画作品を名作と感じる事が出来るのではないだろうか!

無意識と有意識を司る映画監督ティム・バートン。
そんな崇高な感覚に少しでも触れてみたいと願うのが映画ファンの本音だったりする。
そしてこのクソ映画『マーズ・アタック!』を何度も繰り返し観た時に彼の映画に対する情熱を想像する時こそが映画ファンにとっての何よりも「有意義な時間」なのではないか!

いや、違うか。とりあえず『インデペンデンス・デイ』を見返そう。

文と絵・金城昌秀
 編集・川合裕之

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解説『マーズ・アタック!』(1996)

監督:
ティム・バートン

出演:
ジャック・ニコルソン/グレン・クローズ/ピアース・ブロスナン/マイケル・J・フォックスほか

音楽:
ダニー・エルフマン

『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』以来、監督のティム・バートンと音楽のダニー・エルフマンは仲たがいしていたらしく、この作品で再びコンビを復活させてたとのこと。 更にダニー・エルフマンは、雑誌のインタビューでそれまでやった仕事の中でこの映画の音楽に一番満足していると語っている。この辺りも探っていけばすごくドラマを孕んでそうですね。

主題歌はトム・ジョーンズの『It’s Not Unusua(邦題:よくあることさ)』。
この曲を聴くと学生時代毎朝なんとなく見ていた「めざましテレビ(フジテレビ)」の中の「OH!MYニューヨーク」というコーナーと朝のだるさを思い出してしまう。

ただ、映画のエンディングでこの曲が流れた時

You’ll find it happens all the time
(いつだって起こりうることだろう?)

なんて歌ってると考えると最高のギャグだと思えて痛快なんです。
『マーズ・アタック!』の世界はティム・バートンにとっては「いつだって起こりうること」なのかもしれない。

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金城昌秀

ロックバンド「愛はズボーン」でGt.Voを担当。 様々なアーティストのMV監督や動画編集、グッズやCDジャケットといったアートワークも手がける。

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