特集・映画『her』② | 愛情とテクノロジーのギャップを乗り越えるのは、自己陶酔だ

Last updated on 2020.01.09

人間はどこまで”愛情”をテクノロジーに委ねられるのか? いつの時代も語られてきた論争の種だ。

「大事な事は直接伝えるのか、電話でもいいのか?」
「別れ話は電話派?メール派?」
「仕事の内容はメールで! プライベートの会話はLINEで!」

……などなど。相手に感情を伝えるとき、そのツールによってメッセージの意味は少しづつ異なる。テクノロジーでギャップが生じるのだ。『her/世界でひとつの彼女』という映画には、この「テクノロジーを介して表現される愛情の違和感」という大きなテーマが隠されているとぼくは考える。

2013年公開の映画『her/世界でひとつの彼女』(原題『Her』)の舞台は近未来のロサンゼルス。主人公のセオドアがディスプレイに向かって何やら “愛の言葉” を語っている所から始まる。カメラがディスプレイを映すと結婚50年目のパートナーへ向けられた手紙をセオドアが音声自動入力で文字起こししている。

とても大事そうなその “愛の言葉” が手書き風のフォントでディスプレイの上で完成して、すぐさまプリンターからプリントアウト。セオドアはひと仕事終えた表情を浮かべる。カメラが引いてその部屋の情景に視点を広げると、そこはオフィス。周りには同じような作業をしている 仕事仲間たちが映り込む。

このあたりで観客は「あの愛の言葉は “仕事” なんだ!」と気づかされる。

そう、主人公セオドアの職業は「手紙の代筆人」なのだ。実に冒頭3分間の出来事である。

手描き「風」のフォントの文字によってPCからプリントアウトされた代筆人による愛の言葉は果たしてどれくらい冷たく、どれくらい気持ちのこもった手紙なのだろう。そんな気持ちの悪い「ギャップ」に戸惑いながらシーンチェンジ。このような具合で、映画『her/世界でひとつの彼女』は、テクノロジーを介して表現される愛情の違和感を見せつける作品なのだ。音声としてしか存在しないAIと人間のラブストーリー。あなたはそこに温かさを感じますか?冷たさを感じますか?

「性愛」の実現に必要なのは
自己陶酔(ナルシズム)だ

Photo courtesy of Warner Bros. Pictures

突然ですが、男性諸君。自慰行為の際のいわゆる「オカズ」は何だろうか?

2019年現在、大体の方が最初にスマホやPCから視聴できる「動画」だと答えるでしょう。きわめて生理的な行為が、バーチャルな空間で行われる。そのギャップに疑問を持ったことのある方もいるかもしれません。時にリアルな性行為をも超える快感を訴えることすらあるのだから恐ろしい話だ。

しかし、(個人差はあるにしろ)なぜそんなバーチャルな空間に男たちは没入できるのであろうか。なぜiPhone 相手に勃起するのか。なぜスマホやPCの画面に映し出されたに過ぎない見ず知らずの女性に対して気持ちを高揚させるとができるのか

それはいつしか身についた自己陶酔(ナルシズム)である。ほとんど自己催眠に近い方法で自分の快感を増幅させる術をを男たちはみな直感的に知っている。

本来 ”生身” の行為であるはずの自慰行為を “テクノロジー” を媒介して快感の度合いを増やしている。そこに存在する本来「萎えてしまう」はずの生身とテクノロジーのギャップを 「自己陶酔(ナルシズム)」 によって埋め合わせているのだ。

このような行為は、本来なら認めがたい性癖かもしれない。しかしそれが許容されているのは何故なのだろうか。それはテクノロジーを通したポルノ鑑賞が一般化しているからだ。

テクノロジーの一般化

Photo courtesy of Warner Bros. Pictures

テクノロジーが変われば、それに伴い感覚も変わる。たとえば、キャッシュレス化の波。これはきっと大きな感覚の変化をもたらすだろう。近い将来、「この前奢ってくれた男がレジで現金出しててマジ萎えたわ〜」などと笑う女性が現われる日はそう遠くないかもしれない。

話を映画にもどす。

さて、この映画の一番のテーマは「AIと人間の恋」は成立するのだろうか、ということ。その鍵を握るのはズバリ「テクノロジーの一般化」だとぼくは考える。

主人公セオドアは身体を持たず声だけで存在するAIのサマンサと恋に落ちてゆくのだが、最初はセオドアもサマンサも人間とAIの恋に半信半疑だ。互いに相手への好意は高まっていくのだが、しかし「AIと人間の恋は恥ずかしいもの」だと無意識的にとらえているふたりにとって、世間体・常識という見えないプレッシャーが恋路を邪魔するのである。そんな折にセオドアの友人のエイミーが落ち込むセオドアにアドバイスを送る。

We’re only here briefly.
And while I’m here, I want to allow myself…
…joy.

「人生は短い。謳歌しなきゃ。人生を」

Photo by Merrick Morton

エイミー自身もまた何気ないすれ違いが原因で離婚してしまい塞ぎ込んでいたのだが、彼女がその苦境から立ち直る為に自分に言い聞かせたのは「So fuck it. (そんなもん知るか!)」という開き直るような台詞だった。離婚の渦中で世間体の悪さや自己嫌悪から立ち直る為にエイミーがとった行動もまた、「自己陶酔(ナルシズム)」なのだ。

開き直ったエイミーが彼女の使用するAIのエリーを笑わせるために下ネタを披露しているところをセオドアは目撃する。何気ないシーンだが、セオドアにとっては背中を押される瞬間だ。

みんなやってんじゃん!

AIを心の支えにしていたのは自分だけではなかった、と実感したセオドアは、AIであるサマンサへの気持ちをさらに加速させる。エイミーが開き直って自己陶酔する姿が、セオドアの心にかけていたブレーキを緩めたのだ。

AIを愛するのに必要な自己陶酔の準備は完了。セオドアとAIのサマンサは本当に幸せそうに暮らしはじめる。仕事仲間の夫婦と4人で(しかし人間は3人)ハイキング、サマンサとふたり(一見するとひとり)で旅行へ出かける幸せそうなセオドア。 これを観せられているぼくの感情はグチャグチャだった。

感情を持ったAIというテクノロジーを心の支えにすることが、一般化されはじめた近未来という設定の中だけでしかこの映画は成立しない。AIとの恋愛は、ぼくらにとっては普通でない。映画の中の彼らにとっても「まだそれほど」普通ではない。いかにも不思議な映像なのだ。ぼくの感情のグチャグチャの原因は、きっとそこにある。

自己陶酔(ナルシズム)で
埋め合わせる術を身に付ける

Photo courtesy of Warner Bros. Pictures

以上を踏まえて最後にぼく個人の意見として「人間とAIの恋は成立するのか?」の問いを考えてみる。

そもそも「恋心」や「愛情」は正確に文字や言葉で表現できない。しかし、確かに存在している事を意識できている。それは何故か。「恋心」や「愛情」といった言葉たちが一般的に使われているからだ。本当のところそれが “何” なのかは誰も理解していないにも関わらず――。

だけど、その”何”なのか理解できていないそれらの言葉たちを「自己陶酔(ナルシズム)」によって埋め合わせする事は出来る。たとえば「クリスマスの夜に恋人にプレゼントを渡してロマンチックな言葉を添える」という一般化された「愛情の形」を借りて自分に酔って行動できる人は少なくないはずだ。

では、まだこの世界に浸透していないものはどうだろうか。つまり「AIとの恋」を実現する事は果たして可能なのだろうか。それには途方もない「自己陶酔(ナルシズム)」の埋め合わせが必要である。

そして、その感情のつながりを超えた先にあるどうしても逃れる事のできない肉体的なつながりをどう克服していくのか。セオドアとサマンサがこの壁を埋め合わせる事ができるのかどうかは敢えてここでは触れない事にしておく。しかし、その壁をも超えた時。人間は人間でなくなってしまい、AIはAIでなくなってしまう。つまり「人間とAIの恋」は成立しないのでは?というのが僕の結論だ。そんなぼくの意見ですらエイミーならこう考えて乗り越えるのだろう。

So fuck it.
そんなもん知るか!

「自己陶酔(ナルシズム)」の向こうにある幸せをつかむ為の魔法のような言葉だ。

 文・  金城昌秀
編集・川合裕之

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金城昌秀 Written by:

ロックバンド「愛はズボーン」でGt.Voを担当。 様々なアーティストのMV監督や動画編集、グッズやCDジャケットといったアートワークも手がける。