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タグ: ホアキン・フェニックス

2019.12.31 / / 特集

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特集・映画『her』① | 「声」に「触れる」ことで確信する、サマンサの実在:メディア論的考察

衝撃のラスト、なんて書くと月並みで呆れられやしないかと冷や冷やしますが、そんなクリシェを悠々と乗り越えてしまうほどこの映画の結末は衝撃的なのです。

実体のない声だけの存在であるAI(作品内ではOSと表現される)と生身の人間の恋愛は、数々の困難を乗り越えて一旦は成就します。それがなぜ・どのように恋愛関係が形成されていったのか。それについては別の記事を参照されたし。とかく、一度は恋が実ったのです。

が、しかし、さらなる展開で居心地の悪いラストを迎えます。AIのサマンサはセオドアと決別。一件落着ハッピーエンド……とは到底ほど遠いように見えて、しかしその直後の結末まで映画を見届けるとやはりセオドアはこれで幸せなようにも感じる。

え?なに?どういうこと?

考えれば考えるほど頭が割れそうになる。もうすっかり限界を迎えたルービックキューブを力ずくで捻っている時のような悲痛な軋みが左脳から聴こえる。わからないけれど、わからないなりに筆をとって頭を整理させようと思います。

『her』 の最後の「あれ」(としか表現できない正体不明のモヤモヤ)は結局どういうことだったのでしょうか。「言語」をキーワードにこの疑問の正体に迫ります。

2019.12.19 / / 特集

人間はどこまで”愛情”をテクノロジーに委ねられるのか? いつの時代も語られてきた論争の種だ。

「大事な事は直接伝えるのか、電話でもいいのか?」
「別れ話は電話派?メール派?」
「仕事の内容はメールで! プライベートの会話はLINEで!」

……などなど。相手に感情を伝えるとき、そのツールによってメッセージの意味は少しづつ異なる。テクノロジーでギャップが生じるのだ。『her/世界でひとつの彼女』という映画には、この「テクノロジーを介して表現される愛情の違和感」という大きなテーマが隠されているとぼくは考える。

2019.12.16 / / 特集

映画『her』の主題、それは「AIと人間との間の愛」です。恋愛映画として特徴的なのは、相手の姿は一度もスクリーン上に現れず、デバイスを通した「声」を聞くことしかできないという点です。それにもかかわらず、主人公の男性セオドア、そして私たち観客は、「彼女」の存在を強く感じます。姿形のないAIとの恋愛を全くあり得ないものとは思えなくなっていきます。 それはなぜなのか。 私たち人間にとって「声」や「音」とはどのようなものなのか。そしてデバイス・コミュニケーションにとって「インターフェース」に「触れる」ことが果たす意義とは何か。この二つの問いに…

数分後に、ハイタッチをする予定が入った。突如として入った。知らない人間と、にこにこして、ハイタッチを、成功させなければならない。心臓が高鳴って、アフリカの民族音楽みたいなビートを刻み始めた。自分の中でマサイ族のみんなが火を囲んで飛んでいる。やめてください、ここは祝祭の会場には好ましくないんです。

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