I’m back. Omatase. 

好きでも嫌いでもない映画のDVDを、
人に贈ることができますか。

閻魔大王も舌を巻くほど何枚も舌があるような人間なんだと思う。とてもじゃないが自慢できるほどの人格者ではない。

「川合さんホンマのことは言わんよね」

真っ直ぐ僕の目を見て、その人は半笑いで言い放った。2020年、夏。残酷で生々しい十七文字だった。彼は仕事関係の友人で、たまに顔を合わせる。友達になってもおかしくはない関係性だけれども、でもまあなんというか、まだ友達ではない。友達と断言するにはちょっと社交辞令が過ぎる。そんな仲です。

にもかかわらず、濁りのない目で断言した。僕は初めて気づく。たしかにそうだ。僕は自分の主観を包み込んで隠すのである。小学生くらいの時から冗談で煙に巻く大人の男が格好良いのだと憧れていたからでしょうか。加持リョウジとかカカシ先生とかさ。雷切! 理想の青年像は不適切なまま10年以上更新がなされていない。先生といえば五条先生もいいよね! 無領空処 ーーーー。

とにかく、このとき初めて気付く。「川合さんホンマのことは言わんよね」ということに。その瞬間まで生まれてから25年間ずっと一度も気づかなかった。僕は人と対話することを極端に避けている。

まだ友達とは言い難い彼にまで容易く見抜かれていることにも驚きましたし、驚いていることにまた驚きを覚えます。無意識の中でバレないという自信があった証拠なのでしょう。心臓を射抜かれたような気持ちだ。痺れる。雷切かよ。

あの鋭利な十七文字からおよそ半年。現在。正月である。あ、おめでとうございます。

そんなわけで 1年の最初くらい、なにかとても正直な文章を書こうと思います。

文・川合裕之

当webマガジン店主。今年で26歳。第一部のときのカカシ先生と同い年だってばよお! 写輪眼ッ!

好きな映画論争

好きな映画は何ですか、という類の「試される」ような質問が苦手だ、と渡良瀬ニュータウンさんは書いた。

好きなものや好きなこと、その他自分の選択を人に語ったり見られたりすることがたいへん苦手だ。だから気を許していない人間に「好きな映画はなんですか」なんて聞かれようものなら風の谷のナウシカのユパ様みたいな格好で窓から飛び出してその場から走り去りたくなる。

好きなものを語ることの恐ろしさについて、あるいは『少林サッカー』に対する恋文

僕はその逆で、案外得意だ。相手の求める「お前はこうであれ!」という理想像がわかれば楽に対処することが可能なのです。求められる役を演じてあげればこの劇場は丸く収まる。満員御礼。カーテンコールでまた会いましょう。そしてたいていの場合、その理想像は読解することができる。ひとはそんなに複雑じゃない。

「好きな映画はなんですか」

ただの世間話のようなら最近の話題作を。話題を「面白かった映画」にずらして誘導します。あるいは「変わった人」から聞いたこともないような映画を引き出して「なにそれ」と眉を顰めるーーといったプロレスがお好みならば、『ブリキの太鼓』みたいな奇怪な作品の話をしましょう。川合という人間は映画媒体の編集長で……というプロフィールをまだ知らないまっさらな人に対しては自己紹介がてらに『Pulp Fiction』と伝えることが多い。その反応をみて次を考えます。または。自分が映画の話をしたいだけの人に対しては、オウム返しで事足りる。相手が Twitter で「この映画を見た」と投稿しているのを覚えていたら儲けもん。その映画の話を振ってあげればその人は喜んでチョロQみたいに勝手に走る。

隠された無意識を読むのは、映像の読解・解釈と似ている。生身の人間をテクストとして扱うのは失礼なのでは? と反省していますが、この懺悔はまた別の機会に。

閑話休題。おそらく本質的には渡良瀬さんも僕も同じで、自分を開示したり評価されるのが苦手だということなのでしょうが、僕は渡良瀬さんと違って性根が上品に発酵しているので、相手を欺くことに心理的抵抗がないようです。発酵。国や文化が違えばただ腐っているだけなのですが。

なぜか自室にいる、
ひとんちのニモ

じゃあ本当に好きな映画は? と問われると皆さんと同様に僕も困ってしまうのですが、どうしてもと言うのであれば DVD を持っている作品だろうか。これなら「好き」に該当するでしょうか? 期待はずれだったらば恐縮ですが、僕は映画の web マガジンの編集長のくせに DVD 収集の趣味を持ち合わせていないのです。そんな自分が身銭を切って、自室に所有している作品は客観的に見ればそれは十分に「好き」の要件を満たすに違いないでしょう。

『時計じかけのオレンジ』だとか『カッコーの巣の上で』は DVD も持っている。好きだから買った。そういう “含み” のあるアメリカ映画が好きだし、解釈の余白を残してくれる映画はアメリカ映画に多い。イギリスであれば『Trainspotting』が好きだ。特に理由はないけど、あの映画、ずっとおもろいやんか。

そういった DVD 群に、ひときわ目立つ鮮やかなコバルトブルー。

『ファインディング・ニモ』です。モノクロを基調とした DVD スペースに突如として現れるキングオブポップネス。明らかに毛色が異なる。唯一の魚類。うってかわって全室禁煙だ。

前段が長くなってしまったが、そんなわけできょうは「ニモ」に関するお話。

宇宙 日本 小林

実はニモのディスクは自分で買ったものではないのです。大学の2個上の先輩が卒業したときにくれたもの。

ちなみにそのひとはコムラさんというのだけれど、彼女はいま写真家をしていて、幸いにも卒業した今でも仲が良い。一度はヘドをヘドで煮詰めたような嫌われかたをしていたのだけれど、奇跡の逆転を経て、お互いに大学を出てからもたまに会うくらいだ。あの忌まわしき「川合以外全員無理矢理カメオ殺人事件」なんて嘘みたいに思えてきます。

注:川合以外全員無理矢理カメオ殺人事件(2015)

僕らは自主映画を作るサークル(ざっくりいうと「桐島」のそれ)に所属していたのだけれど、コムラ先輩がつくる映画に僕「だけ」が出演しない、というスマッシュヒットのハブられ方をしたことがありました。むしろその既成事実のためだけに無理やりなカメオ出演を多用していたのではないか、という騒動。いやあ、響いたね。僕はそういう隠された意図にものすごく敏感だし、まして文学部で勉強をしている先輩が博物学的な意地悪メソッドを知らないはずがないのです。きわめて悪質だ。のちにコムラ先輩はこの件に関して「そう?(笑)」と半笑いで釈明している。

もちろん当時の僕の方にも非がありますよ。さっきと似たような話ですが、「後輩なのにグイグイくる」をやっていたからです。絶対に超えてはいけない一線を守りながら、ラインぎりぎりまで踏み込む。そういう後輩がいれば嬉しい。無意識にこれがわかったし、けっこう簡単にできた。人を見透かすようなやり方を、コムラさんは見透かしたのです。深淵のそれ。こういう態度が気に入らなかったのだと思います。要するに生意気なのだ。

さらに余談だけれど、また別の先輩は僕のことを執拗に「タカユキ」と呼んだ。ヒロユキという本名は封じられている。「昔、お前に似た顔のやつがいて、そいつがタカユキだったからだ」とまじめな顔でそう主張するのであった。尾崎豊に顔の似た優しいアナキストである。

どうしてだか心地よかった。

月並みのエピソードではある。名前には力があるから。そのコミュニティでしか使わない名前を与えられることで帰属感が高まるのです。しかもその名前を呼んでくれるのはその人だけ。つまり権威を持つ側からの特別扱いだ。この先輩に名づけられると嬉しかった。単純だけど嘘じゃない。

ははあん、なるほど、こうやってやるのか。

悪用した。この先輩に限ってこんな中華屋の換気扇みたいなベトベトの悪意を持っているはずはない。偶然だ。でも僕は違った。これに倣って、ここぞというときに「名づけ」を使った。さすがに百発百中とはいかないが、大きく振りかぶったパンチは当たればデカい。

それからというもの、僕はこうやって経験した対人関係を言葉で咀嚼し、一般化し、いつでも誰にでも模倣できる具体的なメソッドに落とし込むということを覚える。この作業を繰り返し、積み上げて手に入れたのが今の狡猾さだろうか。変な努力だ。

話が逸れた。思い出話あるある:脱線しがち。

ニモの DVD をくれたコムラ先輩の話に戻りましょう。僕がきょう言いたいのは、彼女はまあなんというか間違っても「ニモ」なんてキャラじゃない、ということ。それこそ新卒で入った会社を1年でやめて写真家になるくらいだから。いつも上品な服を着ているけれど、かといってなぜだか嫌味がなかった。大学からは少し離れた宝塚の小林という静かな町のまるでデザイナーズみたいな綺麗なマンションの202号室に住んでいて、フィッシュマンズだとか、きのこ帝国だとか洒落た音楽を沢山知っていた。自主の映画作りのときだって Adobe でも iMovie でもない誰も知らない謎の編集ソフトを使っていたのが格好良かった。64のスマブラが強かった。コムラカービィのメテオに対応できる人間は数少ない。真冬の撮影に呼んでもらったことを覚えている。3人で深夜に武庫川の近くの歩道橋に登って、凍えながら撮った。世が世なら aiko が歌うぜ。

なんだか甘ったるい味付けをしすぎたかもしれないが、過ぎ去った時間の記憶なんて誰だってそんなもんでしょう。

先輩は僕よりも先に大学を卒業する。先輩なのだから当然である。宝塚小林の下宿を引き払って東京にかち込むのだ。引っ越す前に先輩は遺品整理みたいにして色んなモノをくれました。向こうで買う方が良いという理由で椅子とか自転車をくれた。椅子はまだ使っている。「椅子を持って電車に乗るつもり?!」と呆れてタクシー代まで出してくれたのを覚えている。自転車はとうの昔に盗まれたきりである。黄色くて丸い、幼稚園児の脳内に住まうキリンのような可愛らしい自転車だった。今はもうない。大変申し訳ないと思う。

そんな「形見分け」のラインナップの中に「ニモ」があった。

ニモ。あの先輩からは似ても似つかわしくない映画だ。

演出の外側にある
「いらない映画の DVD」をくれた

これはあくまでも僕の推測ーーというか「僕がその立場であれば」という勝手な自己投影ーーなのですが、ニモはもう「っぽくない」から要らないモノなのです。東京での新生活には必要がない。これからの自分にとって座右の映画に相応しくない。

ちょっと処分に困っているから押しつけちゃおう、みたいな。近からずも遠からず。先輩本人も「もらいもので、要らないから」と言っている。

当時の僕はなんやねん、くらいにしか思っていなかったわけですが、いま振り返るとこんなにも丸裸の贈答行為はないなと感心してしまう。僕には何も演出しなくていいと割り切っているのですから。

打ち解ける前の、まして嫌われているときにニモなんて絶対にもらえなかったはずだ。

大学卒業間際の最後の最後。僕ならそんなことはしない。絶対かっこつけちゃう。もう要らない映画。自分とは切り離された作品。うかうかと他人にバレるわけにはいかない。

正直なところ、さっき載せた写真の本棚だって、この記事のために整え直した。本当は『コーヒー&シガレッツ』『時計じかけのオレンジ』の隣にニモは居なかったが、30分かけて部屋を捜索し、ようやく見つけたニモのディスクを所定の場所に置き、埃を拭いてから撮影した。3度シャッターを押し、いちばんマシだったものにフィルターをかけて掲載している。

※当時の僕 (写真右) もカメラを持ってました。もちろん「自己演出」しながら。恥ずかしいね。ここ、登っちゃっていいのかな? 時効ってことにしてくれませんか。

もちろんニモはニモで面白い。かの有名なカクレクマノミ親子の名誉のために断言する。良い映画だ。ニモも続編のドリーも大好きだ。ドリーなんて3回くらい劇場をリピートした。ジブリや今敏が再上映されまくっているように、ニモやドリーももう一度劇場でかけてくれないかなと本気で不満に思っている。わかった、そこまで疑うなら来年はニモとドリーのレビューを書こう。編集長責任執筆だ。「これはアメリカの映画だ」「これは身体障害の映画だ」という視点で読むと身体がこわばるほどの情報量が詰まった映画作品なのです。

ほら、こうやって。映画の外側を読むことしかできない。客観だけで、主観はほとんどない。話の腰を折ってでもアメリカだとか身障者だとか小難しい視点で見れていますよ、というポージングをする。そういう病魔に侵されているのですよ、僕は。

勘の良い人ならもうとっくに気づいているだろうけど、今日もまた僕は大して自分の話をしなかった。この程度でも、正直かなりキツい。キーボードがウエハースでできているなら、もうとっくに僕のデスクは粉まみれになっているでしょう。すべてを破壊してしまうだろうから。自分とは無関係の作品を出汁にしたレビューはそれなりに得意なはずだ。しかし己が100%の主語を担わなければならない文章はこんなにも苦しい。

***

ようやく締めまで辿り着きました。まったく筆が進まなかった。正月の四条河原町を歩くような気分でしたよ。白紙の原稿とにらめっこをしながら、肺だけが黒く汚れていく。一行書いては二行消し、書いた文を細かく細かく装飾してかっこつける。どんなに正直になろうとしたところで、文章を作るという行為そのものには自己演出もとい欺瞞がついて回る。どうしても避けられない。

「川合さんホンマのことは言わんよね」

そうかもしれません。否定しきれない。それでは、最後に西洋で有名な意地悪をひとつ。

「はい。わたしは嘘つきです」

 文・川合裕之(店主)
編集・安尾日向

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きょうの記事に登場した「写真家のコムラさん」が書く記事なんかも……もしかしたら……


更新されるかもしれませんよ……?

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いきなりPerfumeの論考記事。関連も何もないじゃないか。そう思われるかもしれませんが、この文章を書いた竹内周平氏もまた店主の大学時代の友人なのでした。

初めて会ったとき、赤いモヒカンだったんですよね。怖かったなあ……。今際の際の際の際、限界の限界まで酩酊した赤いモヒカンに、「だからさあ、『思い出のマーニー』を今から見に行こうよ」と連呼されたことはありますか。僕はあります。

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川合 裕之

95年生のライター/ 編集者。長髪を伸ばさしてもらってます。 フラスコ飯店では店主(編集長)をしています。

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