(C)2020「ラストレター」製作委員会
人には二面性がある。当然ながら。
大学のベンチで、ジャージを着た陸上部の学生が煙草を吸っていると少しドキっとしたのを今でもよく覚えています。え、いいの? まあ法律を破っているわけではない(多分ね)から別に構わないのですが。
岩井俊二という映画監督も、映画監督のみならず脚本家、小説家、音楽家、という多彩なプロフィールを持つ人物です。肩書きが多すぎる。さながら日本映画界の須藤元気。日本の須藤元気とはまさに岩井俊二のこと。二面性どころか多面性と書く方が正確かもしれない。
映画監督という枠組みの中でも非常にふり幅の多い作家です。緩急の幅がえげつない。フットボールアワー後藤輝基の舌だってもうカラカラ。『スワロウテイル』、『リリイ・シュシュのすべて』、『リップヴァンウィンクルの花嫁』のように、最初は美味しかったのにもう焦げて取り返しのつかなくなった鍋みたいな憂鬱な味のする映画をつくったかと思えば、『花とアリス』みたいな澄んだ爽やかさで観客を圧倒したりもする。高低差ありすぎ。有栖川徹子。さすが、下からのみならず横からも花火を見ることを提案した作家だけあります。
以上のような前提を踏まえて、それでは今回の『ラストレター』はどうだったか。
アンサーは、どちらでもないし、どちらでもある。
両方の性質も併せ持つ♡
重苦しさと、軽快さ、その両方なのです。しかもそれを骨太のエンタメの中で共存させる巧みさを垣間見ることができます。
広瀬すずの演じる遠野美咲の葬式から静かに歯車が回りだす。松たか子演じる妹の裕里は亡き姉の同窓会に出席――したのは良いものの、時を隔ててみんな中年になった今や誰も妹と姉の区別をつけることができない。当時学園のマドンナ的存在であった姉は同窓会でもスター的人気。妹の裕里はひっぱりだことなり、スピーチまでする始末。
そんな状況で「実は私は妹でして、姉はすでにもう死んでしまいました」とはとても打ち明けられない。ついぞ真実を言い出せず。姉の美咲として同窓会を演じ切るのです。
そこで声をかけてくる福山雅治演じる乙坂鏡史郎。ホテルでやるような同窓会でも白いスニーカーをチョイスしたカジュアルジャケパンスタイルで挑むシャラクサおじさんです。職業は小説家というのだから尚の事侮れない。きちっとした髪型で、髭を生やした福山。イメージとしてはすごい格好良いちょこあ~んぱんの人とほぼイコール。のみならず、回想シーンでの鏡史郎は神木隆之介が演じる。水も滴るびしょびしょの美少年ですわ。閑話休題。同窓会のあと、ややあってこの乙坂鏡史郎という男と裕里との「手紙の」やりとりがはじまることになります。もちろん死んでしまった姉の美咲のフリをして。もっとも手軽で、かつもっとも複雑でややこしい舞台を用意してしまうことになります。
文字で表現するといささか難解で辛気臭い話だと思われてしまいそうなのですが、ここまでの序章は驚くほど鮮やかなテンポで細やかに調理されています。芸達者オールラウンダー松たか子のコミカルさがここで効いてくる。事実上は不倫関係一歩手前なのですが、この状況を避けることなく、かといって深刻にしすぎない夫役の庵野秀明もまた愛らしい。岩井俊二も宮崎駿よろしくスタジオで「庵野いいね、庵野!」と声高に叫んだに違いありません。
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デジタルのやりとりではなく、恋心をひた隠しにしながら肉筆のアナログツールで仔細を交わします。さらにこの「偽の」手紙のプレイヤーは二人にとどまらず。亡き姉・美咲の娘である鮎美(美咲、鮎美は母子ともに広瀬すずが演じる)もまた美咲として差出人を偽って福山と手紙のやりとりをはじめるのです。
彼女たちの手紙の数は日を追うごとに厖大になり、それにつれて姉の幼少期の記憶・人生史が明らかになってゆく。次第にコミカルさは薄れて気が付けばシリアスな深みにとぷっと浸かってしまっています。紙面を飛び越えて、彼らの足が動くと清らかな細流は轟轟とした険しい大河に。気が付けば河は直滑降の滝へとたどり着き、もう誰にも止められない。張り詰める雰囲気に簡素な音色の琴線が響く。この微細な空気の揺れもまた「岩井俊二らしさ」であり真骨頂です。
Once Upon A Time in …
(C)2020「ラストレター」製作委員会
タランティーノが『Once Upon a Time in Hollywood』で幼少の記憶そのものをサンプリングしたように、岩井俊二は『ラストレター』で新たな景色を見せてくれます。これまで培ってきたものをすべて詰め込んだお祭り騒ぎの多幸感。僕の心の中の彦摩呂が目を輝かせているのですよ。
Once Upon… の文脈は特に今回の『ラストレター』に深く通じるものがあります。というのも、この作品のロケ地は岩井俊二の地元仙台なのです。
仙台で撮っていること自体が、自伝的な要素になるのかもしれない。実際に、僕も鏡史郎と同じ生物部で、よくわからない小さな虫を捕らえて研究活動をしていた時期がありました。数少ないネタの1つですが、それを使ってしまったなと(苦笑)。『Love Letter』を撮ってからもう四半世紀くらい経ち、変わってないところはなにも変わってないと思いますが、物を作る自分や周りの環境については、だんだん客観的に見るようになっていきました
岩井俊二監督、故郷・仙台ロケ『ラストレター』と震災復興ソング「花は咲く」との共通点を語る
セピアで彩らないフレッシュな郷愁を描く岩井俊二という作家が、ここで地元仙台でメガホンをとる。この接地面にはきっと秘められたる意味が介在するはずです。上の引用の末尾部分でも触れていますがこの作品が、岩井俊二の初の長編映画『Love Letter』(1995)と呼応することにも心を打たれる。いまはもうこの事実だけで十分に目じりが下がる。とにもかくにも祝福すべき輝きを放つ作品なのです。
人は一面的ではない。当然ながら。人間は様々な環境で、幾重にも年輪をはぐくんでゆくからです。『Love Letter』からの15年の円熟味が、あるいは岩井俊二が今まで積み重ねた57年すべての統覚がこの121分に閉じ込められていました。
解説『ラストレター』(2019)
監督:岩井俊二
脚本:岩井俊二
出演:
松たか子. 広瀬すず, 庵野秀明, 森七菜, 小室等, 水越けいこ, 木内みどり, 鈴木慶一, 豊川悦司, 中山美穂, 神木隆之介, 福山雅治
音楽:小林武史
オールスターキャストに見せかけて、本作初出演の脇役俳優も多く、子役の演出もまた絶妙で「打ち上げ花火」を思い出します。記事本編でも触れたように岩井監督初の長編映画『Love Letter』と一対をなすような作品ですが、岩井俊二自身は「リブート的な作品」だと語っています。その言葉通り、続編というわけではなくそれぞれがそれぞれで独立した作りになっているので、もし『Love Letter』を未見だという人も安心していただきたく。
文・川合裕之(フラスコ飯店 店主)
編集・和島咲藍