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なぜワンカットかを考える | 映画『1917 命をかけた伝令』レビュー

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『1917年 命をかけた伝令』は、第1次世界対戦中1,600人の命を救うための伝令を運ぶ、戦場の中を走り抜けて、お手紙を手渡しで届けに行く話だ。1917年はスマホでLINEを開けば、10秒でメッセージが送れる今とは大違い。「ちょっと連絡したい」と思っても手軽な連絡手段がない。実際に行かないといけないのだから。

さて、この映画は最初から最後まで一息に撮影された「ワンカット」映画だと大きく喧伝されているが、残念ながら実際のところはそうではない。「ワンカット風」なのだ。

「いやいや、ここ編集してるでしょ!」「このシーンの暗転では流石に切り替えられるでしょ!」と怒っている人すらもいるくらいだ。あくまでもワンカット「風」なのだ。

気になるのは、なぜワンカット警察にどやこや怒られるリスクを背負ってまで、わざわざワンカット風で仕上げたのか? ということだ。「風」であったとしてもかなり面倒であることには変わりない。

どうしてそんなめんどくさいことをしたのか? という疑問をこの記事で考えていきたい。

A. 神の視点を再現するため

なぜワンカット風にたのか? 私は「神の視点」を再現するためだと結論付けている。

この映画においては、カメラは神様であり、観客の私たちもその神の視点を借りてひとりの救世主が命がけで手紙を届ける様を追っているのではないだろうか、ということだ。

カメラワークを考えるうえで大切なのが「人称」の問題だ。一人称、二人称、そして三人称の3つの「人称」あるいは「視点」が存在する。

では、この3つの視点のうち、『1917 命をかけた伝令』はどの視点で描かれているのか?

どの視点が「神の視点」なのか? をここから考えていきたい。

『1917』は何人称の視点?

それぞれの「人称」「視点」の機能を考えながら、『1917』は何人称の物語なのかを考察していこう。

一人称の視点は「主人公の視点」を再現

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一人称の視点は「主人公の視点」を再現している。

たとえば、2018年に公開された映画『ハードコア』は、頭からお尻までワンカットで一人称視点で描かれている。どうしてこんなめんどくさいことをするのかというと、「FPS(ファーストパーソンシューティング)ゲームのあの感じ、あのバイブスをそのまま映画にしたらおもしろいのではないか」という仮説を立証するために作られたのだろう。たしかによく出来ている。

FPSゲームとはあまり関係ないが、2015年公開の映画『サウルの息子』も一人称の視点で作られていて、没入感や臨場感を表現している。

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では、『1917 命をかけた伝令』は一人称で撮られてたのか? と考えてみる。どうもそうではない。いわゆる「FPS」のパターンではない。主人公たちの顔ががっつり見えるシーンもある。

当然、一人称ではない。

では二人称の視点はどうだろう?

二人称の視点は「カメラマンの視点」だ

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二人称視点の映画で一番わかりやすい有名な例としては、『カメラを止めるな』の劇中劇『ワンカットオブザデッド』が挙げられるだろう。

ゾンビ映画を「生放送のワンカットで」というTV局からの依頼されたムチャぶり企画が『ワンカットオブザデッド』。これを入れ子構造で楽しんでいるのが、映画『カメラを止めるな』を見ている私たちだ。

カメラマンの存在を強く意識させて、写ってないカメラマンがそこにいることがわかるカメラワークで、二人称の視点と見立てることができるだろう。

では『1917 命をかけた伝令』は二人称で撮られてたのかと検証してみると、二人称視点ぽいカットはなくはないが、全編通してではない。微妙だ。

カメラマンというスタッフはもちろんこの映画制作の現場には存在するのだが、映画の世界の中に「カメラマン」というの存在の役割を持った人物が現れるわけではない。

前置きがすっかり長くなってしまったが、もう三人称の視点しか残ってないのだ。『1917』という映画のカメラワークは、三人称である。

三人称は「神の視点」

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三人称の視点は、一般によく神の視点とも表現される。神の視点とは、「なんでもお見通し」というイメージだ。

「一方その頃……」と言わんばかりにカットが変わって、場所が展開したり、「これ実はね……」と回想に入ることも。もちろんそんなのは、現実世界だったらあり得ない。場所や時間を飛び越えることは普通の人間には不可能だ。

でも神様ならできるかもしれない。何でも知ってる、何でもできる。その人が何を考えているか、心の声もわかる。全てお見通し。全知全能。それが神様だ。

だから神の視点では登場人物の心の声まで踏み込むことができるし、自由自在に時系列を組み替えることが可能なのだ。

キリスト教的な神の視点

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この『1917 命をかけた伝令』は、本当に文字通りキリスト教的な「神」の視点で描かれているのではないだろうか。「神様の存在」を意識すると色々と納得できる部分が増えてくる。たとえば、冒頭の「パン」。あるいは勲章のメダルを売って「ワイン」にしたこと。なるほど、こうやって考えると「有刺鉄線」はまるで「茨」に見えてくるし、あの時の「ミルク」の意義が見えてくる。

「この細い設定なんなの?」「なんのために入ってるの?」という小さな小さなエピソードが散りばめられているが、キリスト教的なフィルターを通して見ると、なるほどなとうなづける。

一番大事なのは物語の主人公が「死なない」ということだ。

この『1917 命をかけた伝令』という映画では、死者はフレームの外に追いやられていく。ある地点から別の地点まで移動する一人の人物をワンカットで追い続けていくので、自然とそうせざるを得ない。死んだ人はフレームの外に。逆に生きてる人はフレームの中に。つまり裏を返せば、カメラのフレームの中に存在する限り、その人物は「死なない」ということだ。

この不思議な現象もカメラそのものが神の視点だと考えると納得がいく。神の眼差しがあるからこそ彼は「死なない」のだ。カメラに収まり続けていることが神の加護となっているのだ。

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そもそも、ワンカットで撮られ続けている主人公の持つ使命は「伝令」だ。「1,600人が死ぬかもしれないから伝えにいくんだ」ということ。伝えることで人々が救われるこの構図も『新約聖書』が下書きにあると考えると合点がいく。また、この映画はIMAXで鑑賞できるのも議論の肝だ。広い視野で見通す全知全能の存在と、IMAXの広い画角・高い解像度がイコールを結ぶ。

だってやっぱりおかしいじゃないか。塹壕の上をダッシュしてるんだよ?にもかかわらず、死なない理由説明は果たされていない。そんな疑問を問答無用で片付けるのが「神」という存在だ。笑ってしまうくらいの不都合の正体は、神の微笑み交じりの眼差しだ。

解説『1917 命をかけた伝令』

監督:
サム・メンデス

出演:
ジョージ・マッケイ, ディーン=チャールズ・チャップマン, マーク・ストロング, アンドリュー・スコット, リチャード・マッデン, クレア・デバーク, コリン・ファース, ベネディクト・カンバーバッチ ほか

音楽:
トーマス・ニューマン

撮影:
ロジャー・ディーキンス

編集:リー・スミス

第92回アカデミー賞で撮影賞、視覚効果賞、録音賞の3冠を獲得。ワンカット「風」とはいえ、やはりこれだけの映像は手が込むに違いない。冷凍餃子だって立派な料理なのと同じ様な理屈でワンカット「風」も立派な映像表現だ。コリン・ファース、ベネディクト・カンバーバッチなどの大物もチラっと出演しているのが憎い。

 文・佐藤純平
編集・平成文字化け女

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耳を疑うとはまさにこのこと。

その時、嘘みたいにゴテゴテした劇伴音楽が流れたことに僕は本当にがっかりした。

永田(演・山崎賢人)が贖罪する。「これは演劇なのだ」という皮をかぶってこれまでの罪をすすぎ沙希ちゃん(演・松岡茉優)への愛を不器用に語る。彼女もまたそれを正面から受け止め、そして返す。

観客の僕は涙を必死で我慢する。

まさにその時、仰々しいほどの劇伴が流れたのです。ありえない。信じられない。その時、僕は行定勲を見損なった。まさか最後の最後、こんな作り物みたいな音楽を挿入するなんて。この掛け合いは絶対に演出しちゃいけないのに。

と、その瞬間――

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