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アニメーションは “動く絵” であるということ。身体所作の一致に見るバディ関係。『バケモノの子』論考レビュー

(C)2015 THE BOY AND THE BEAST FILM PARTNERS

山よりも高く、谷よりも深い。耳キーン上等の賛否両論がある映画であることは十分に承知している。「否」もよく理解しているつもりでいますが、やはり僕は『バケモノの子』というアニメーション映画に力強く「賛」を叫びたい。

アニメーション映画として、そしてバディムービーとして『バケモノの子』の特異点を書きたいと思います。

師弟関係という名のバディムービー

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くどいようですが、僕はこの映画が好きなのです。細田守監督作品で一番かもしれない。

少し回り道をさせてほしい。

好きな映画は? と問われると誰もが腕を組み、頭を捻って悩むものですが、好きな映画のジャンルは? とたずねられたらば僕は「バディもの」と即答することに決めています。振り返ってみると好きな映画は大抵そうだったから。人と人とが通じ合っている様、あるいは通じ合うまでの困難な道のり。そうしたものに心打たれてしまうのです。僕自身がディスコミュニケーションの塊なので、けだしその裏返しなのでしょうか。

たとえば『ブックスマート』(2019)は冒頭のダサくてダサくてたまらないダンスシーンから “描かれなかったこれまで” が頭に流れ込んできて、それだけで少し涙ぐんでしまいました。『花とアリス』(2004)とその前日譚『花とアリス殺人事件』(2015)も擦り切れるほどーーデータはもはや擦り切れることはないがそれでもーー何度も観た映画です。ほかにも海外アニメなら『ズートピア』(2016)、『シュガーラッシュ2』(2018)などのディズニーピクサーまわりも外せない。ディズニーアニメもピクサー映画も往々にしてバディ映画としてのパッションがそこかしこに埋め込まれている。

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オールディーなら『ビバリーヒルズコップ』(1984)、『ラッシュアワー』(1998)。そうした系譜を引き継ぐような『ナイスガイズ!』(2016)も生涯の1本として心を貫通したし、その多幸感の滲む傷跡はまだ癒えずに暖かく熱を帯びている。

閑話休題。そんなバディ映画ファンとして、筆者は熊徹と九太のバディ的な関係性に刺されてしまったのです。『バケモノの子』はバディ映画として非常に優れている。

前置きが過ぎましたが、きょうはそういうお話をしたいと思います。

というか熊徹が好き。

そもそも熊徹という男は、どうしてこんなにも愛らしいのでしょうか。粗暴で不器用。大柄な見た目通りに大雑把。個人的に関わりたくはないが傍観する分には心の和むヤバオジの熊徹。でもそれこそが愛らしい。

九太が心を閉ざしがちで生意気なのはまだわかりますよ。でもなんで熊徹はオジサンにもなってこんなにまで頑固なんだ。

TVチャンピオンに出てきそうなバカでかくも繊細な飴細工みたいな、大胆かつ扱いづらいキャラクターを役所広司が演じます。まさにベストマッチング! やや逆説的ですが、彼以外に誰が熊徹の声を当てられるというのでしょうか。

不器用役の職人、役所広司

余談ですが『キツツキと雨』(2012)、『笑の大学』(2004)などでも役所広司の “不器用” な名演が光ります。彼は不器用な人間を作り出す職人なのかもしれません。

(C)2011「キツツキと雨」製作委員会

特に『キツツキと雨』では小栗旬をわが子同然のように気にかけ、実子の高良健吾にも頭を抱えるお節介で悩みごとの多い中年男性を演じました。口数の少ない頑固者……かと思えば上機嫌になって饒舌になる。それでいてコミカルなシーンはとことんコミカルに。本人が真剣であれば真剣であるほど、真面目であれば真面目であるほど空転して笑いに代わる。熊徹を演じるにはこの人しかいません。

あの役所さんが主演で、しかも【熊徹】という熊のバケモノの役を引き受けてくださって映画を作れることは、幸運であり、もの凄く光栄でした。

「バケモノの子」公式サイト, 細田守監督インタビュー

しかも察するに当て書きではなかったというのですから驚きです。不器用なオジサンと、生意気な子どもの些細でかつダイナミックな交流。身を委ねれば充実した疲労感のあるような映画体験が全身に沁み込んできます。

対等な師弟関係

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「九才だからお前は九太」という熊徹らしい短絡的センスのネーミングによる洗礼を受ける九太。弟子になった証を示し伝えるように顔をしかめながら苦手を我慢して熊徹と同じように生卵を食べて見せる。異世界冒険 / 異文化交流 / 師弟関係 といった素材に対して「名付け」や「食のモチーフ」などアレンジの方法はわかりやすく、ある意味でも “ベタ” が数多く見られる映画ではあります。熊徹を師匠に九太は強くなる。一見たとえば『ベスト・キッド』(1984)(注)のような師弟モノのようですが、そうした型をそっくりそのまま絵にして動かしただけではないことは読者皆様もご承知の通りです。

注:この映画の中には、西日を背景にシルエットだけのふたり、というベスト・キッドのようなカットも。やはり当然ながら意識はしていたのでしょうか。

作中の彼らは「師匠と弟子」という言葉遣いを便宜上選んでいますが、その実、映画としてのふたりの関係性は限りなく「バディ」であるように筆者は感じることを強調させてください。

「九太の父親の不在を熊徹が疑似的に埋めるような師弟関係」という微妙な傾斜を保ちながら、武術の継承を行う。一方で九太が文字通りに教鞭をとりながら熊徹に足さばきを指導する場面も。対等に「近い」フラットさに心をつかまれる。絶妙のバランス加減で両者は身体的・精神的な成長を重ねながら距離を縮めていきます。

たとえばバケモノ界の長老である宗師の座を争う最後の試合。劣勢の熊徹。群衆にうずもれた青年の九太は、何と言葉を発するのでしょうか。

幼きあの頃のまったく同じ「負けるな!」という短く鋭い叫びで鼓舞! んでもってモリモリとパワーアップした熊徹が…… という僕たちの紋切り型の予想を彼は大胆に裏切ります。肺を大きく膨らませて放つ熊徹への言葉は、罵倒、罵倒、罵倒の嵐。しかしこれこそが友情かもしれない。言葉は必ずしも辞書通りの意味とは限らないのですから。結果として熊徹はモリモリとパワーアップ。ふたりで試合を制するのです。

たとえば『アナと雪の女王』の姉妹が、最初から最後までべったりぴったり仲が良かったら? きっと感動する人の数は激減してしまうことでしょう。

「人種も性格も何もかもが正反対で反発するふたりの共闘」のような構図は大好物である一方で、正直いって観客としての僕はこの類の展開にはある程度の耐性がついてしまっている。

話を『バケモノの子』に戻しましょう。最初から共通項の多いのふたりであったならばーーあるいは、あからさまに対極的なふたりであったならばーーこんなにも心を動かされてしまうことはなかったでしょう。この絶妙な対称関係のふたりの漸近が美しく尊ばしい。ベタで気持ちの良い展開を、少しだけ「ハズして」持ってきてくれるのです。

身体所作の一致に反射させる関係性

九太は熊徹との師弟関係を了承します。物語として、物語中のリアリズムとして至極自然な流れのように見えますが冷静に考えると彼らは無目的に武術を伝承 / 学習していることに気づきませんか。少なくとも九太が武術を学ぶ動機が希薄です。どうしても弟子を取らねばならぬ彼の境遇を目の当たりにして「しかたない奴だが憎めないので弟子になってやるか」といった具合でしょう。ここまで達観はしていないでしょうが、概ねこの方向性で間違いないと思います。よくあるカンフー映画のように「いじめられているから強くなって誰かを見返したい」というような欲求があるわけでもありません。

「バケモノの子」オリジナル.・サウンドトラック(Ad)

一応は師弟関係になったものの口喧嘩は絶えることなく「ちゃんと教えろ」「わかるだろ」の水掛け論です。繰り返すようですが、限りなく対等に近いのです。父子関係とも師弟関係とも異なるように描かれており、ここに明確な上下関係はありません。かといって完全に対等なわけでもなく。境界線は滲んで曖昧になっています。「限りなく対等に近い」です。

そしてこの関係を、ほんの数分のアニメーション表現に凝縮させたシーンがあります。

九太は熊徹という師匠に「倣って」次第に強くなります。決して「習い」ません。身体的な一致という演出を通して、ふたりの構築関係を観客に見せているのです。次の項で詳しく振り返ってみましょう。

省略の中にある無限のエモーション

あれ、変だ。おかしい。熊徹になりきって模倣に模倣を重ねながら日常を送る九太は、気づけば足音を聴くだけで熊徹の所作が手に取るように分かってしまうようになります。この日を境に彼の武術の腕はグングンと上達。熊徹と同じ型の動き、同じような行儀の悪さ。「洗いもんしとけよ!」と言い放つセリフは、もとは熊徹のものでした。あれも、これも。すべてがピタリと一致します。

季節が廻り、気づけば九太の背が伸びる。宮崎あおいの透き通った声は太く重みの帯びた染谷将太の演技に変わります。そのあいだも、九太は熊徹と同様の達人的な身体の動きを止めることはありません。

背も伸びて、声変わりし、まわりの人たちに溶け込んで文化が身体所作に沁み込む。一朝一夕にしてなるものではありません。それは日々の積み重ね。少しずつの積み重ねです。

これを瞬く間にやってのける。時間のエモーションだ。一瞬のうちに省略された幾重もの時間に思いが馳せられます。カカシ先生を刀で刺し続ける月読のような魔術的な瞬間。当然、泣きますよね。そりゃあ。

斥力を持つふたつの磁石は、跳ね除け合う力が強ければ強いほどくるっと返ってひっつくようになる。強く反発する関係性を通して武術の伝達が行われていることがキーです。どこか類似点を持ちながらも反発しあうふたりだからこそ、この身体的な一致を披露された観客側には大いなるカタルシスがもたらされます。子どもは親に似る。言葉で書くとシンプルですが、目の当たりにするとハッとさせられます。

異なるキャラクターに、同じような動きをさせる。実写映像に比べればアニメーションでこれを行うハードルは低いでしょう。(そんなに乱雑でないことは百も承知だが)デジタル処理でコピペだってできそうだ。

しかし簡単なものが必ずしも粗末なわけではありません。しっかり下ごしらえをしておけばフライパンで塩焼きするだけでも抜群に美味しい。同じような身体所作を観客に見せる。切り取って書き出せばこれだけのはずなのに、こんなにも強烈な「バディ感」を溢れさせることに成功しているのです。

「動き」だけで観客の感情を揺さぶるという点において『バケモノの子』ほど優秀なアニメーション作品を僕はまだ知りません。

不完全なバディの、完全な一致へ

反発しあうふたり。一瞬のような永遠と、永遠のような一瞬。先ほど紹介したシークエンス以降からは、「バケモノか人間か」「誰が本当の父親か」といったテーマに根差した物語展開が続きます。

紆余曲折なんやかんやありますが、最後には神となった熊徹が九太の「心の穴」を埋めて、強敵に挑み、勝利する。またしても九太と熊徹の「身体的な一致」が待っています。乱暴な言葉を交わしながらも心身を共にして敵対する者へ対峙する。まさしくバディ映画です。

(C)2015 THE BOY AND THE BEAST FILM PARTNERS

一方で微妙な関係性の傾斜も顕在。九太と世界を守るため、現世を捨てて神になるという不可逆の決断をした熊徹の方がほんの少しだけ大人です。でも彼は恩に着せることなく、入道雲を眺めて大雑把に笑い飛ばすのです。九太もまた同様に丁寧さを欠いた言葉で彼に語りかける。

ドクとマーティのような友人関係よりも昭和なセピアががかった上下関係。ロバート・ダウニー・Jr のトニー・スタークとトム・ホランドのピーターパーカーとも異なる放任された繋がり。マックスとフュリオサよりも利害の薄い人情味。別にほかと比べて優劣をつけたいわけではないのですが、要するに「どこにもなかった」ということです。

「遅い!遅い遅い遅い!」

熊徹ならこうやって急き立てて怒るかもしれません。映画公開からおよそ5年。その素晴らしさを書くには遅すぎるかもしれないから。

とはいえ。「言わなくたって勘が良いやつなら分かるだろう。ぐわぁ~~~っと溜まったエモーションが、ズバーーーっと溢れるんだよ」というのが僕の本音かもしれません。

「どこが好きで何に心揺さぶられたか、ちゃんと言わないと分からないだろう」と九太に文句を言われても困る。そういうわけで長々と書きました。読んでくれてありがとう。要するに僕はバディアニメとして『バケモノの子』という作品を愛してやまないのです。

 文・川合裕之
編集・和島咲藍

細田守最新作『竜とそばかすの姫』(2021)も解説しています!

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解説『バケモノの子』(2015)

監督:
細田守

出演:
役所広司、染谷将太、宮崎あおい、津川雅彦、大泉洋、広瀬すず ほか

役所広司をはじめ、実力派俳優たちが声優を務めたことでも話題になったこの作品。第39回日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞を始め、多くの映画賞を受賞しています。

また受賞には至らなかったものの、スペインで2015年9月に開催された第63回サン・セバスティアン国際映画祭では、アニメーション映画として初めてコンペティション部門に選出される快挙も。

なかでもアツいのは主人公・九太の声優バトンタッチ。両親と離別した幼少期の不安定な九太を宮崎あおいが、8年の時を経てたくましく成長した九太を染谷将太が演じています。変声期をきちんと描くことで、さらに説得力のある身体性が付与され、九太の内面の成長にも接続しやすくなっているように感じます。

この作品が細田作品初出演だった役所広司は、最新作『竜とそばかすの姫』にも出演しています。こうやって役者と監督の縁が生まれるさまを目撃できるのも、鑑賞者の醍醐味ですね。(フラスコ飯店編集部)

関連:フラスコ飯店が扱った細田守監督作品

編集後記:「バケモノ」の負の側面

耳キーン上等の賛否両論がある映画、と僕は記事の冒頭でこう書きました。僕ですらやはりこの映画もとい細田守映画の負の側面を無視することはできません。

時折ぼんやりと映し出される包容力溢れる母親の幻影。唐突に出現させられた広瀬すずが声を演じる楓という少女が全面的な支援・ケアを背負わされること。作品を通して、そして作品群を通して鍵括弧つきの低解像度の「母性」が少なくとも観客の半数近くを直接、または音もなく苦しめていることは指摘せざるをえません。すでに出来上がった過去の作品に対して、遡及的に貶めることも、かといって全面的に擁護することもできません。しかし監督もまたこの呪縛から抜け出そうとしているようにも感じます。

そうした雑味があることを承知の上で、それでも僕はこの『バケモノの子』という映画が自分にもたらした昂ぶりに嘘をつかず書き伝えたかったのです。

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川合 裕之

95年生のライター/ 編集者。長髪を伸ばさしてもらってます。 フラスコ飯店では店主(編集長)をしています。

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