©Courtesy of Netflix
「ミッドナイト・ゴスペル」は、Netflixで独占配信している8話構成のカートゥーンアニメーションだ。
「アドベンチャータイム」の原作者ペンデルトン・ウォード氏が、コメディアンであるダンカン・トラッセル氏のポッドキャスト『Duncan Trussell Family Hour』で行われた、依存症の医者、宗教家、オカルト作家、死期の近い元心理学者の実母などとの対談を元にアニメ化したものである。
主人公クランシーは仮想世界農場の違法栽培家。
シュミレーターという機械に入り、ネット配信者として様々な仮想現実で出会う人々にインタビューをしていくという、スピリチュアル的な題材を取り扱ったSFファンタジーだ。
「よくわからない!」「難しそう!」「スピリチュアル?なんだか怖い!」と敬遠してしまう人も多いかもしれないが、「ぜひ見てほしい!何かを感じてほしい!」という思いから少しばかり語ってみたいと思う。
たとえ鑑賞中に否定的な気持ちを感じることがあったとしても、その気持ちを観察してみてほしい。 “気持ちの観察” はこの作品のテーマでもある。
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この作品には色んな考えのキャラクターが登場するので、物語の解釈の行先は見た人それぞれ(あるいはその時の気分や状態にもよって)違うものになるはずだからだ。快も不快も「何故自分はそう思うのか」「何故そう思わないのか」といった感情を観察することで、きっと何か学ぶものがあると思う。
映像演出や音楽など制作チームは「アドベンチャータイム」と被っているが、決して子供向けのアニメを期待してはいけない。生と死、宗教、精神世界、仮想現実、薬物、瞑想、そういった哲学的なテーマが続き、大人になれば誰もが直面するであろう、老い、病気、依存、恐怖、痛み、死、それらの悩みに対しての解決策をアプローチしていく。
この作品には普遍的・客観的な答えのない問いが多く含まれる。そうした問いに対しては考え方を提示するだけで、結論を告げぬまま次の場面に移るようなこともしばしばだ。
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サンプリング元のポッドキャストの「対談」という形式によって成立する表現技法だ。
主人公のクランシーは世の中を代表してさまざまな疑問に向き合い、原始仏教から始まるヴィパッサナー瞑想やマインドフルネスなどを通し、生きにくい時間を生きやすくするコツを学んでいく。
上記した通りこのアニメは仏教的「説教」の側面が大きい。小難しい作品と思われるかもしれない。実際に小難しいのかもしれない。しかし、娯楽としての側面も忘れてはいない。ポップでサイケデリックな色彩、穏やかな音楽、シュールで奇抜な展開と共に“楽しみながら”瞑想の基礎を学ぶことのできる稀有な作品だ。
マインドフルネス:ヴィパッサナー(瞑想)の重要性
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マインドフルネス(mindfulness)とは「意識的に、今の瞬間に、価値判断せずに、注意を払うこと」「“今ここ”を感じる事」と定義される。ルーツは原始仏教のヴィパッサナー瞑想にあり、アメリカを中心に発達し、医療現場や企業(Google、Apple、Facebook、Intel等)でもさまざまに応用されているストレス低減法だ。
この作品の大きなテーマは自己の安定。そしてそのための瞑想法の重要性だ。
じっと座って呼吸を整え、気持ちと体を感じることに意識を集中する。
1話から抜粋
これはマインドフルネスとか呼ばれている。
自分の行動や感情、思考をだた見つめるんだ。
すると自分の中にある感情の根元に気づくようになる
湧いてくる疑問や批判に対し、ただ反応するのをやめ、あるがままを受け入れる。
それがマインドフルネスだ。
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最終話では母との対談を通してそれを実践している。自身の意識を観察し、頭で感じている危険や苦しみを和らげる方法だ。
「手の内側を感じてみて」
※8話から抜粋
「手の内側なんて一度も感じようとしたことない」
「人差し指を内側から感じて」
「あたたかくてしびれる、知らないけどエネルギーを感じる」
「それじゃあ手の全体でやってみて、同じように」
「中に何かを感じるよ」
「その意識をゆっくり腕へ、腕全体を感じられるーー同時に脚を加えて足と腕を感じてみてーーそれが ”今ここ” その状態でいる時、意識は頭の中にはない」
(中略)
「頭脳を介していないの頭からの開放」
(中略)
「川岸で立ち往生してイタチやハチに噛まれた時の対処法ね」
「 “今ここ” にいる事を認識するため、自身の肉体をスキャンしていく」という作業がこの瞑想法の基本だ。このシーンでは手の内側からの観察を指導しているが、ヴィパッサナー瞑想では「アーナーパーナー」という自動的に行われる鼻の呼吸を観察するところから学んでいく事が多い。
(他にも、お腹の膨らみに意識を向けるなどといったものがある。)
家は壊れるものと常に思っていればいい
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特に、筆者が学んだヴィパッサナー瞑想の基本を的確に表現する言葉がある。
「どれほど貧乏になっても制御できることはあるよ。できないこともある。たとえば竜巻が起きて家が吹き飛ばされ保険もない。どうしようもない。でもその後の行動は決められる」
「自分の反応を意識できれば楽に対処できるわ、ただ反応するよりもね」
「家は常に壊れる」
「人生の一部ね、家が破壊されるのも」
「避けようがない」
「避けられない、でも家は壊れるものと常に思っていればいい、形が変わるだけよ」
※8話から引用
「家は常に壊れるもの」その通りなのだ。ここで指す「家」とは肉体とも魂とも解釈できる。「家」とは安心や安定、「壊れる」は変化だ。
そして「家」は物質だけではなく、見えないもの、形のないもの、人の心や、関係性にも言える。変化するものであれば、逆の変化もある。「家」は何度でも壊れて何度でもつくり直せる。
「壊れる」ことは、悲劇のようにみえたとしても、本当は悲しみでも苦しみでもなく、無常という自然の摂理なのだ。
「体も含めた物理的な世界は現象による現象的な世界。自分の意識の中に包まれた世界。だから自分は孤独だとか個人だとかいう考え方は面白いほど的外れなのさ」
※1話
「自我が勝手に自分を例外と感じてるだけ」
※8話
生活の変化に疲れた人たちに、この作品から“今ここ”にある“あるがまま”を見つめられるような視点を発見してもらえるととても嬉しい。
誰もが経験する死への準備
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製作サイドはもちろん、この作品に注目した人たちには、薬物で”遊んだ”経験がある人も多いはずだ。この作品(特に序盤)は薬物に対して懐疑的がセリフが度々登場するが、薬物による効能と向き合った末に瞑想という方法にたどり着いたクランシーの言葉はそのような人たちに届く力があるように思う。
僕はとある薬物を用いて臨死体験のような解離状態に陥ったことがある。
自己を離れ世界を俯瞰した時、自分というものが入れ物であることに気づいた。そしていつか訪れる死というものを恐ろしいものだとは思えなかった。繰り返し死を通過し、蒸発した水が蒸気になり、また雨となり地上に戻ってくるような体験をした。心地いい体験だった。
またある時は、自分が円の中心から外側へとぐるぐると迷路を辿り、脱出したかと思うと、次の円が待っているというイメージのループの中に入ったこともあった。
仮想現実に入るため使われるシュミレーターが女性器をもしているだとか、工場でミンチになり食料になるだとか、息子が母親を出産するといったような表現も、仏教でいう輪廻転成の概念に影響するものだ。
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僕は恐怖を逸脱した世界を垣間見ただけであって「悟った」わけではない。その気づきを生活に大きく反映させる力もない。そういった点で、クランシーが瞑想により「わかった!悟ったぞ!」となった後日、日常に戻り「調子が悪くても自分でいるほうが、悟った誰かになるよりいい」と歌うシーンにシンパシーを覚える。変化の中にも感情がある。そういう時もあるのだ。
生き物は欲望によって生かされている。僕はまだ何かを操作していたいという好奇心に勝てそうにはない。抱く感情をコントロールできないかもしれない。すべき時に望ましい行動がとれないかもしれない。それも体験であり娯楽であり生活であり地続きの現実を生きるという事なのかもしれない。繰り返し自分に問うていくであろう試練であり、誰もが経験する死への準備なのかもしれない。
「対話の物語」と対話する
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この「ミッドナイト・ゴスペル」という作品は人と人との対話の中で気づきを得ていくことで話が進んでいく。
「ミッドナイト・ゴスペル」に限らず、人がつくりだした作品の全てはコミニケーション、つまり人から人への伝達だ。
「大切なのはみんなが魔術をきちんと理解すること。例えば口での伝承を聞くとみんなはすぐ誤解して、物語を伝えるだけと考える。そうじゃない。口頭での伝承はエネルギーの流れが、人から人へ声を通して伝わるんだ。情報を運ぶ波長だよ。そして聖書はもっとも偉大な魔術書と言える」
※3話から抜粋
僕には聖書についての知識はほとんどないが、ここでいう「魔術」とは、コミニケーション上の直感のようなものだと思う。スピリチュアル的な言葉を使えば「念」だとか「気」だとか「第六感」のようなものだ。
この作品には見終わった後自分語りをはじめる他ないような、それぞれの異なった答えが出るようなつくりがある。視点や情報量の多さから拾う言葉も受け取り方もそれぞれだろう。
肯定、反発、疑問、なんでもいい。大事な人と共有してみると貴重な時間になるはずだ。
「心を開くと痛い?常に痛みを……」
「いつもじゃない」
「心が砕けて開いたらとても痛むの。でも痛みも形を変えるわ。痛みに問いかけたら、それが愛だとわかる」
文・ふぉにまる
29歳、ひきこもり、発達障害。バンド編成の宅録をします。好きな映画はファイトクラブ。監督はテリーギリアム。小説はサリンジャー。ゲームはストラテジーとオープンワールド。グランジはペイヴメント。
編集・川合(フラスコ飯店 編集長)
解説『ミッドナイト・ゴスペル』(2020)
2020年4月20日に配信をスタートしたアニメ番組。『アドベンチャー・タイム』の原作者・ペンデルトン・ウォードとコメディアンのダンカン・トラセルが共同で制作した成人向け作品。原作者のウォードにとっては初の Netflix 向けのアニメーションです。その難解さとある種の過激な内容が話題を呼んび、サイト内のチャートにもランクインした ……ものの、最後まで完走できた人はお世辞にも多いとは言えないであろうクセのある作品。知る人ぞ知るアニメです。
エピソード
- 第1話「王の味」
- ドリュー・ピンスキー(インタビュイ。以下同。)
- 第2話「士官とオオカミ」
- アン・ラモット, ラグー・マーカス
- 第3話「家を持たない狩人」
- ダミアン・エコールズ
- 第4話「自らの終わりに惑わされ」
- トルーディ・グッドマン
- 第5話「 喜びのせん滅」
- ジェイソン・ルーヴ
- 第6話「誇り高きハゲタカ」
- デビッド・ニクターン
- 第7話「月食のカメたち」
- ケイトリン・ダウティ
- 第8話「銀のねずみ」
- デニーン・フェンディグ
監督
Pendleton Ward (ペンデルトン・ウォード)
出演
Duncan Trussell, Phil Hendrie
作曲
Joe Wong
評価(国内)
アニメ評論家の藤津亮太は、7話の全エピソードを通しての視聴体験を高く評価。「今見ているのは二次元のキャラクターである」ということを忘れさせるためにリアリティを追求する日本のアニメと比較して、カートゥンならではの記号化された絵柄は表層的な要素であると指摘しています。しかしながら、それがウィークポイントに陥ることなく、層的な要素が重ね合わされることにより作品のテーマ性を最大限に表現していると評しました。
「序盤だけで本作を理解したつもりにならないほうがいい」と断言し、つまり7話すべてのエピソードを向き合うことを推奨しています。
参考:「ミッドナイト・ゴスペル」はなぜ“見る幻覚剤”と呼ばれるのか? そしてその言葉から脱した最終回【藤津亮太のアニメの門V 第59回】
杉本穂高も Real Sound で本作を高く評価。インタビューの音声とアニメーションの映像とが文脈的不一致 / 乖離 していることを指摘し、その自由な発想により繰り広げられる世界観の可能性を評価しています。エイゼンシュタインの「原形質性」や、アニメーション理論で多用されるメタモルフォーゼの発想を援用して、壮大で神秘的なテーマを伝達していると語りました。
『ミッドナイト・ゴスペル』なぜ話題に? 新感覚アニメーションが可能にした、壮大なテーマの表現
関連記事:Netflixオリジナル
ぼくはタバコをやめられない。
友人や家族から煙たがられている事はわかっている。だけどやめられないのだ。
何度も禁煙にトライしたことはあるのだけど、結局さっきも起き抜けに一服。換気扇の回るキッチンに立ち大好きな時間を過ごした。
人に嫌がられ、身体を脅かし、それでも尚快楽の為に金を払ってタバコを吸う。
「おれは一体、何をやってんだろう……」
『ボージャックホースマン』というアニメシリーズの主人公の馬「ボージャック」が作中繰り返し呟くそんな台詞が頭の中で自分とリンクする。 Netflixオリジナルアニメ『ボージャック・ホースマン』はシーズン6の配信を終え、ついに完結した。アニメだからと軽い気持ちで観出してしまうと酷く心を持っていかれるので注意してほしい。『シンプソンズ』や『サウスパーク』のようなブラックユーモアの効いた大人用のアニメシリーズではあるのだけれど、気がつけばシリアスでリアルなドラマを観せられることになる。