子どもの頃に迷子になったことがある。
あるらしい。
その時の記憶はほとんどないけど、大人になってから母親から何度か聞かされたから、なんとなく「ぼくは迷子になったことがある」という事実だけが記憶として残っている。
子どもの頃に迷子になったことがある。
あるらしい。
その時の記憶はほとんどないけど、大人になってから母親から何度か聞かされたから、なんとなく「ぼくは迷子になったことがある」という事実だけが記憶として残っている。
小学5年生のころ。ぼくの学年の男子たちが昼休みに夢中になっていた遊びは「ハンドベース」だった。 軟式のゴムボール一つで利き手をバットに見立てて行われる簡易野球。もちろんグローブなんて使わない。運動場の土を運動靴でえぐりながら線を描き、ホームベースと一塁二塁三塁のベースの位置を設定すれば即席球場が出来上がる。 昼休みの運動場は全学年の小学生たちが一同に介してごった返す。 いち早く「場所取り」をすることが今日1日を楽しむための肝となる。給食を食べ終えたものから順に急いで校舎の階段を駆け下りていき、6年生が降りてくるより先に球場を建設するの…
便器と顔を向き合わせ、胃の下あたりに力を入れる。 わざとえずく様に声と息を吐いて体内のアルコールを口から出し仕切るまで何度もそれを繰り返す。 普段は極力、触りたくない便座を両手で掴み胃の中の必要な水分までも全て吐き出す。 酒を飲みすぎて冷静な判断が取れなくなった時の最終手段だ。 喉は胃液で荒れてしまって、一気に空腹になり、心も空っぽになった気分。 意識がいつもよりすっきりしているような、しないような。 洗面所にて涙目の顔を水で洗い流すと鏡に映る少し顔を赤くした男を見ているとなんだか生まれ変わったような錯覚に陥る。 まるで昨日までのスト…
(C)東海テレビ放送
地元と呼べるものを持っていない。兵庫で生まれ、熊本に暮らし、また兵庫に戻ったかと思えば、次は埼玉へ。おまけと言わんばかりに兵庫に帰り、最終的には埼玉に落ち着いた。できそこないの反復横跳びのような家移しであった。
社会の授業で「外様大名」という概念を習った時のことをよく覚えている。「外様」とことさら強く書きつけたノートを見て、「どこに行っても外様であることよ」と思っていた。幸いにも転校先で除け者にされるようなことはなかったが、皆と共通の思い出を持っていない疎外感を覚えることは多々あった。
とはいえ、なんだかんだで中学生からは埼玉にずっと住んでいた。市内の高校に進み、二十歳になってからは国道沿いの寂れたラブホテルでバイトを行い、大学にも実家から通った。ただ、何か小さな解れが起こって、埼玉ではなく兵庫県で暮らしていたらどうなっていたのだろうと感じることがある。
(C)2016「ディストラクション・ベイビーズ」製作委員会
意識を失って目覚めた時、冬の始発に充ちる空気のように頭が透き通っている感覚が忘れられない。山岳ベース事件を起こした連合赤軍の森恒夫が「自己批判」「総括」として他人に暴力を振るい、共産主義を盲目的に信奉する革命戦士として生まれ変わらせようとした契機は、自身が気絶した後に「生まれ変わったような心地がした」からであるらしい。
正直、分からなくもない。顎に足先が掠めただけなのに、いとも簡単に意識が攫われる。幼い頃から空手を習っていた自分にとって、暴力は隔日の夜に訪れる信仰対象のようなものだった。
(C)ジョージ朝倉/講談社 (C)2016「溺れるナイフ」製作委員会
就職活動中、「ラブホテルの立ち上げを経験しました」と話すと、たいていの面接官は面白がって話を聞いてくれた。
実際にはリニューアルオープンするラブホテルのオープニングスタッフとして雇われたにすぎない。大量の避妊具をもぎって箱に詰めたり、電気マッサージ器の本数を数えたりした程度だ。が、有象無象の就活生から脱して「ラブホテルの子」として認識されるだけで選考の突破率は格段に上がる。
結局、ヘルプも含め、3つのラブホテルで働いたのだった。最後は「ホットドッグセットではなくホットライスセットを頼んだ」と意味不明なクレームをつけてきた熟年カップルに「お客様、世の中のライスはほとんどホットでございます」と癇癪を起こしてしまい、バカらしくなって辞めた。それ以来接客業らしい接客業はしていない。