服が多い。何しろ服が多い。クローゼットを突っ張り棒で拡張してもダメ。加速度的に服が増えていく状況の中で、ハライチの岩井は自身と愛猫モネの棲家であるメゾネット(1階と2階があるおしゃれな庭付きの家。1階に居ることもできるし2階に居ることもできる)の壁面にワイヤーを張り、服を吊るすことを思いついた。
岩井さん……なんですかこの話?
早速、ワイヤーを張ろうとするものの、足場が悪く、うまく壁に釘を打ち付けられない。そこで岩井は自身の足の裏に両面テープを貼る力技をもって、なんとかメゾネットの手すり部分に足を固定する。しかし、この方法もあまりうまくはいかず……。
岩井:そうしてる内に、途中でボーダー状に貼ってた両面テープが重さでクルクルクル!ってなってきちゃって。「ヤバい!」って。バランスが取れなくなってウワ〜!!!って落ちそうになって。はじめてだよ。壁に爪を突き刺して……
澤部:えっ!?岩井:壁に突き刺して、ギャー!って止まったの。ほんと、死ぬから。2階から1階に落ちちゃうっていうことだから。
澤部:そういうことだね。落ちたらヤバい。
岩井:マジで爪がはがれそうになるぐらい、ガッて止めて。ウウッ!!!って。
澤部:ウルヴァリンの止め方。
岩井:そう。爪、出たもんね。指と指との間から、シャーッ!って。
澤部:もうウルヴァリンじゃん。メゾネットウルヴァリンじゃん。
岩井:「俺、X-MENなんだ!」って思ったもん。
(中略)
そしたら、ピンポンって客が来て。「誰だ?」って思ったら、「X-MENに入らないか?」って言われてさ。澤部:岩井さん……
岩井:目をつながったサングラスみたいなので隠したやつが来て。
澤部:サイクロップス?
岩井:「入らないか?」って言われたんだけども、「やめときます」って言ったの。
澤部:岩井さん……なんですかこの話?
岩井:でも、危なかった。X-MENに入らされるところだったんだけどね。
『ハライチのターン!』第158回目
1回、ちょっと勧誘を断ったんだけども。なんか追われてる気がするんだよね。
壁面にワイヤーを打ち付けるだけの話が、澤部の「メゾネットウルヴァリン」というワードから脱線し始め、やがてサイクロップスが家に来てX-MENに勧誘された、なる嘘にまで発展する。最終的にこのトークはワイヤーを張るのに失敗した岩井が爪で服を切り刻み、流れでX-MENに加入したことが語られ、澤部の「相方、X-MENになりましたわ!」という叫びで終わる。
毎週金曜に放送されているラジオ、『ハライチのターン!』内のフリートークで、岩井はしばしばこの類の嘘をつく。接続されていた日常に、不意にフィクションが挿入され、やがて語られていた現実がまるっきり「うそばなし」に変質してしまうのである。
いまここにある暮らしに異なる自分を重ねるパターンの「うそばなし」もしばしば認められる。例えば、通販を使いすぎて溜まってしまった段ボールを処理する様子の描写。
納戸に入れてあった段ボールを引っ張り出してきて、リビングで切り刻む。普通のカッターではなかなか切れず、戸棚の奥からさらに太いカッターを出してきて力任せに解体する。ぜぇぜぇと息を切らして、汗だくになりながら作業を終えた後、それを庭のボックスに入れて、バンッ!と閉める。そして家に入り、洗面所で顔と手を洗うという一連の出来事を思い返してみると、これが何かに似ているのだ。
『僕の人生には事件が起きない』岩井勇気
僕にはそれがすぐに分かった。よくホラー映画などで出てくる死体をバラすシーンとそっくりなのだ。
それからというもの、なぜか岩井は「納戸に死体を隠している人物」として振る舞い始める。ただ段ボールを片付けただけであるにも関わらず。偶然家を訪れた警察に怯え、取り調べられる悪夢を見る。納戸にたかる蝿を見て「もう腐ってやがる」と呟く。納戸には段ボールしか入っていないにも関わらず。
このようなエピソードはお笑いにおける「憑依」に近いものがある。たとえばクリエイターズ・ファイルで様々な人物に扮するロバート秋山のように、自らに「役割」を降ろして、その中で振舞おうとするのだ。ただ、いわゆる「憑依芸人」と異なるのは、岩井はコント的に/全く異なる人間として振る舞うのではなく、いまここにある暮らしに接続されたまま/「◯◯をした自分」として振る舞う点だ。
段ボールを処分した、家にたまたま警察が来た、という日常を「死体を隠している自分」として過ごす。あるいはチョコボールの銀のエンゼルが当たればそれを車に忍ばせ「チョコボール・ジャンキー」となり、麻雀で「出れば死ぬ」と言われる役を上がれば「寝ると“すやすや死”してしまうかもしれない」と怯える。岩井は生活にレイヤーを拡張することで、なんでもない暮らしをエピソードとして昇華しているように思えるのだ。
フリートークと
川上弘美的「うそばなし」
岩井のフリートークにおける「うそ」の在り方は、たとえばこんな風に表現できるかもしれない。例によってぼくは川上弘美を引き合いに出す。
「うそ」の国は、「ほんと」の国のすぐそばにあって、ところどころには「ほんと」の国と重なっているぶぶんもある
『蛇を踏む』あとがき 川上弘美
この川上弘美の創作物への向き合い方が、ハライチ岩井のフリートークを成り立たせる何かと重なっているような気がしてならないのである。暮らしの延長上のフィクション。「ほんと」の国が特定のワードや視点の位置によって「うそ」の国に入り込んでいく瞬間がたまらなく気持ちいい。まるで設えたつっかえ棒がクローゼットを拡張していくように、緩やかに現実を侵食していく嘘の世界。
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例えば「ハライチのターン」初期の名作フリートークである、「裏の世界」。スーパーに買い物にいく途中、ほんの思いつきでいつもは使わない裏路地を通った岩井。自転車が一台通り抜けられるかどうかという隘路を抜けた時、彼は言いようのない違和感を覚えたことを聞き手の澤部に伝える。
岩井:雲がなんかどんよりしててさ。日も暮れちゃって、しっとりとした空気が俺の体にまとわりついてさ。なんか雰囲気おかしいなって。
『ハライチのターン!』第46回
澤部:うん。
岩井:あーやっぱりそうかって。
澤部:え?
岩井:たまにあるんだよね。
裏の世界に行っちゃうこと。
それから岩井は裏の世界の様子や裏の世界のスーパー——「裏のピーコック」で買い物を行った様子を話し出す。「裏のピーコックは豚肉が安い」「裏の従業員はちょっと色黒」「キャベツとエリンギと水菜は “表”と全く同じ。 “裏”ってパッケージに書いてあるだけ」……日常生活にありふれている「ほんと」の光景と明らかな「うそ」が岩井によって重ねられる。
トークの細部の面白さはもちろんのこと、ほんと/うそ、表/裏の間を渡すのが「細い路地」であることが素晴らしい。完全に創作における「異界入り」の構造だ。『千と千尋の神隠し』におけるトンネル、古事記における黄泉の国。エピソード自体の強度とその構造、どちらも完成度が高すぎる。こんなトークを毎週聞けるのは本当に「ハライチのターン!」くらいだと思う。
暮らしを見つめ直す「角度」
2019年9月に発売された岩井の初エッセイ集、『僕の人生には事件が起きない』に書かれているエピソードのほとんどは過去にラジオのフリートークで語られているものである。しかし口で話すのと文章で記すのではエピソードの語られ方も変化するので、「この話知ってるよもういいよ」とはならない。むしろ知っていた方が面白いかもしれない。
ハライチのターン!は素晴らしい。深夜ラジオ特有の閉鎖感や内輪感がない。それはコーナーが固定されていないという理由もあるかもしれない。リスナーが岩井・澤部のフリートークを元にネタメールを送り、数週の間コーナーが成立する。しかし、ほとんどのコーナーは数週で終わる。「メール読みでいっぱい噛んじゃったからこのコーナーは終了!」といったように、ほんの些細な理由でも終わる。「既に出来上がっている特有のノリ」が少ないため、新規リスナーの参入が他の深夜ラジオに比べると容易であるように思われる。
ただそれ以上に、岩井自身が「内輪感」、「深夜感」といったものを毛嫌いし、排除しようとしていることが『僕の人生には事件が起きない』で明らかにされている。テレビで“芸能人”が語る、派手で味付けの濃いエピソードの数々に対する冷ややかな眼差しも。
誰の人生にも事件は起きない。でも決して楽しめない訳ではない。平坦な道に見えても地面に頰を擦り付けてよく見てみると、いびつにぐにゃんぐにゃん曲がっていたりする。どんな日常でも楽しめる角度が確実にあるんじゃないかと思っている。
『僕の人生には事件が起きない』岩井勇気
過剰から離れ、自分の暮らしを生きる。深夜ラジオに見られるような「そうあるべき空気」や他人の生活から逃れ、我を突き通す。「インスタ映え」が「チルアウト(Chillout)」にシフトし、SNS上の派手で華美な色彩が徐々に奪われていく昨今、ハライチ岩井のスタンスが各所で再評価されているのは必然なのだと思う。
このなんでもない日常を
Photo by MARY CYBULSKI (C)2016 Inkjet Inc. All Rights Reserved.
『僕の人生には事件が起きない』を読んで、『パターソン』のことを思い出した。
万人におすすめできる映画ではないかもしれない。ビルも爆発しないし、銃もテロリストも出てこない。燃えるような恋愛も、難解なトリックも、重要な伏線も何もない。アダム・ドライバー演じるバスの運転手、パターソンの暮らしを淡々と描くだけの映画である。
この映画にも事件という事件は起きない。飼っている犬が庭のポストを毎日のように引き抜く。車が故障する。詩作好きの少女と知り合う。恋人の(すこし理解しがたい)インテリアの趣味、同じ朝食、犬の散歩、一杯のビール……。
パターソンはノートに詩を記す。日常の中に現れたふとした違和感を書き留めていく。繰り返される暮らしの中のほんの小さな、淡い光をすくい取るようにして。
何時間も噛み続けたガムのような日常の中で、時折パズルのピースが埋まるような瞬間が訪れる。すれ違う人が口にした耳慣れないことば、道に落ちているキーホルダー、今まで存在に気付かなかった段差、ほんの些細な偶然……そんなピースを繋ぎ合わせ(時々は妄想で補完し)できあがった小さな小さな暮らしを楽しめればいい。なんでもない暮らしを見つめ直す。つまらない生活を作り変える。ルーティン化された日常を異なる自分として過ごす。
ぼくの人生にも事件は起きないけれど、ぼくも人生を少しだけ愉快にする方法を知っている:日常の微かな差異から物語を/詩を取り出す。『僕の人生には事件が起きない』を読み、『パターソン』を観ると、生活を慈しむ術がそこにあるような気がしてならないのです。
文・渡良瀬ニュータウン
編集・川合裕之(フラスコ飯店 店主)
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解説
『僕の人生には事件が起きない』 / 「ハライチのターン!」
cited form https://www.tbsradio.jp/ht/
『僕の人生には事件が起きない』
(2019年) 岩井勇気 新潮社
「ハライチのターン!」
毎週金曜(木曜深夜)0:00~1:00
『僕の人生には事件が起きない』は大人気お笑いコンビ、ハライチ岩井勇気の初エッセイ集。2018年から小説新潮およびBookBangで連載されていたものに加えて二編の書き下ろしエッセイが収録されています。
「ハライチのターン!は2016年からTBSラジオで木曜24時に放送されているラジオ番組。火曜日『アルコ&ピース D.C.GARAGE』と水曜日『うしろシティ 星のギガボディ』とともに24時台3兄弟としてくくられている高聴取率番組です。
先述した通り、エッセイに記されているのはラジオ内のフリートークで語られたエピソードが主ですが、オチが変化しているものも。売れ行きは非常に好調らしく、発売前から重版がかかっているとのことです。頼むから買って読んでください。ラジオも聞いてください。
解説『パターソン』(2016)
監督・脚本:
ジム・ジャームッシュ
出演:
アダム・ドライバー, ゴルシフテ・ファラハニ ほか
『コーヒー&シガレッツ』(2003)の監督、ジム・ジャームッシュの作品。すみません、ジム・ジャームッシュの作品はこの2つしか観てないです……。『ナイト・オン・ザ・プラネット』も聞いたことあります。面白いですよね? 観ますね。
『パターソン』は早稲田松竹という名画座で観たのですが、その時は確か『ベイビー・ドライバー』と一緒に上映されていました。終わった後、作品間のテンションの差のせいで感情をどのように制御するべきか迷った記憶があります。(渡良瀬)
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