Te wo Arai mashou.

アベンジャーズ特集「敵」で振り返るアメリカと世界の2010年代

長かった戦いが、ようやく終わった。2008年から11年間続いたMCUは、『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019)でようやく大きなひと区切りがつきました。10年。それは一言で片付けるにはあまりにも長過ぎる時間です。

この10年、色々ありましたね。思い浮かべてみてください。個人的なことでも構いません。たとえば、いま手に持っているそのスマホは、まだ二つ折りのガラケーだったのではないでしょうか?あのトニー・スタークもまた例外ではなく、1作目の『アイアンマン』(2008)では「スタイリッシュな」ガラケーを使いこなしています。世界的大企業の社長であり、自身もエンジニアであるとうい設定のキャラの持つ端末ですら……!

そんな時代からMCUはスタートしました。本当に本当に長い時間が経ったのだなと改めて実感します。

ちなみに筆者はといえばまだ14歳の中学2年生で、たったの4GBのウォークマンでPerfume を繰り返し繰り返し聴いていました。日本は民主党政権になるちょっと前。

要するに、技術から政治から経済まで、何から何まで大きく変わったということです。ここで、改めてこれまでを振り返ってみましょう。10年前には見えていなかったことだって、今はもう見通せるかもしれません。

Caution!
この記事にはMCUシリーズのあらすじ程度のネタバレが含まれています。

エンタメは「楽しい」だけじゃなかった?

最近のMCU作品はといえば、エンタメ色を失わずしてその裏に政治的なメッセージを織り込むことも怠らないことでも高く評価されています。

たとえば、「ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー」のシリーズでは血縁に限定されない「あたらしい家族のありかた」を提示しました。

たとえば『ブラックパンサー』(2018)は素晴らしき名ヴィラン・キルモンガーを生み出し、正義と正義の衝突を描き観客を葛藤させました。さらには白人ばかりがキャスティングされる従来までのエンタメ業界への構造的な批判を、エンタメという刃でつきつけます。アメリカや国際社会に巣食う諸問題をあるときはさりげなく、またあるときは露骨に社会に訴えかけます。

(C)Marvel Studios 2017

さらにさらに、少し余談ですがこうした「意思」は作品の外にも波及します。SNSの過去の投稿が非人道的だったとして、一時期ジェームズ・ガン監督が2018年にスタジオから解任されています。後にこの人事は取りやめになり、彼は改めてMCUに復帰すると報じられています。

しかし、それにしても10年前の投稿にまで遡りポリコレを堅守しようとするマーベルスタジオの姿勢が垣間見ることが出来ました。近年の映画界がそうであるように、マーベルもまた例外ではなくリベラルな意思を持った集団であることは明らかです。

最近の作品、つまりフェーズ3がそうであるなら、それ以前の作品も同じように実際の世界の一片を垣間見ることがでいるのではないでしょうか?

こうした仮説をもとに、MCUの作品を手がかりにして2010年代がどう変わってきたかを振り返ってみましょう。

10年間で敵の姿が変質している?

10年も大きなヒットを出し続けるには、きっと変化が必要なはず。どれも同じように思えるかもしれませんが、まさにそれこそが変化の証。社会の変化に応じて変質し続けておかないと、「古い」と思われてしまうはずだからです。まずは全ての作品を並べてみました。

1年に約2本のペースでリリースし続け、数年に1度アベンジャーズシリーズで各作品のヒーローが合流しています。ヒーローが敵と戦い、大抵の場合は勝利を収める。この構造は99%一緒です。こうして一覧を眺めてみると、どうやらMCUのヴィランたちはフェーズを重ねるにつれて、「圧倒的な悪」, 「正義へ疑念を持つ者たち」, 「別の立場からの正義」へと変質しているようです。

シリーズ当初の『アイアンマン』(2008)や『アベンジャーズ』(2012)などでは圧倒的な巨悪と戦い、時に結託する姿が描かれています。しかし順風満帆とはいきません。

これまでのヒーローとしての活動は、果たして本当に褒められるべき行為だったのだろうか?『エイジオブウルトロン』、『ウィンターソルジャー』などで、アベンジャーズ自身が本当に正義の側であるかどうかが問われ始めます。自分たちは正義か?この問いかけは、自分たちは「悪」ではないと言い切れるのか?という問いかけと同義です。近年のMCU作品では「悪」はどんどん身近な存在に変わります。特にフェーズ3では、『ブラックパンサー』(2018)のキルモンガ―、『ドクターストレンジ』(2016)のカエシリウスなど、自分なりの正義を持つものが現れます。正義の反対はまた別の正義であることを示唆します。

たとえば『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(2017)のヴィランであるクイルの父親の名前を皆さんは覚えていますか?そのヴィランの名は「エゴ」でした。フェーズ3ではまさしく心に抱えるエゴこそが敵でした。宇宙の人口を半分にする、というサノスによる史上最悪の試みも彼なりの義憤でした。誰もが何かのきっかけでヴィランに転落してしまう、という脆さが描かれています。

振り返ってみると、実際の国際社会でも同様の形で主なる課題が移り変わってきていることがわかります。9.11以降のグローバルな対テロ戦争に躍起になるも、アメリカを筆頭に世界は次第に疲れを見せます。そもそも、あの戦争は誰のためだったのか?そうしたことも忘れそうになりながらも血は流れ続ける。いささか平和とは言い切れず、格差も大きく拡大する一方です。

抑圧された人々の不満が決壊したのはここ2, 3年のこと。いきすぎた個人主義とポピュリズムに助長された傍若無人な振る舞いの台頭です。それはたとえばヘイトスピーチやフェイクニュースであったり、時にテロの名を借りた暴力であったり。そしてそれがまた争いを生みます。世界の一部は、行き詰った環境へ強引に我を通す味を覚えてしまったのです。

こうした暴力性をわかりやすく象徴するのが2017年にアメリカ大統領に就任したドナルド・トランプでしょう。代弁者であるトランプにより急激に可視化された不寛容と排斥。その反動で、リベラル派が団結し批判の声をあげることになります。多様性を認めず、他との共存へ不寛容へと傾く世界を平衡に保とうとする戦いです。

外から危害を加えてくる大きな悪へと立ち向かう時代から、自分たちの心の中にある闇と向き合えるか否かを問う時代へと変遷してきたのです。

次ページ:課題と立ち向かおう

フェーズごとに分解した記事はコチラ!

▷特集フェーズ①:
「大いなる力には大いなる責任が伴う」

▷特集フェーズ②:
それって本当に正義でしたか?

▷特集フェーズ③:
トランプは僕らの心の中に

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