音楽は映画にどんな影響を与えているのか。主人公の感情を表現したり、映し出されているシーンの意味を更に際立たせる演出であったり。
それと同時に、映画にとって音楽はその時代の音を表現する場合がある。
何年かたってから見返してみると時代の音を反映していたことがわかるのだ!
そういった演出は製作者たちが意図して時代の音を使用する場合と意図せずに使用した音やBGMが、当時の流行に添っていて何年もたってから見返した時にその時代の雰囲気を醸し出すこともある!
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)(以下『BttF』)という作品は過去(1955年)と現代(1985年)の二つの時代を行き来する作品であるため、時代背景を表す際巧みに音楽を使い分けているのだ!
50年代のロックの基盤となったチャック・ベリーや80年代MTV全盛期の「聴く音楽から見る音楽」へと変わっていった時代背景などを反映させながらBttFの世界は描かれていたのだ!
アメリカの80sポップカルチャーや50sカルチャーの華やかさに目を奪われがちだが音楽の使い方、選び方に耳を傾けるととんでもない演出が隠されていた!
主人公のマーティ・マクフライがなぜバンドを組んでいるのか?そして父親ジョージ・マクフライはなぜSF小説を書きためているのか? 音楽を軸にこの映画を観ることで、二人の間には親子関係だけではない深い絆が見えてくるのだ!
見るためのエンターテイメントである映画においての目に見えない演出!
映画にとって音楽は切っても切れない、欠かせないものだということを『BttF』という作品を通して再確認した!
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なぜ!『Power of Love』(1985)が主題歌なんだ!?
『BttF』主題歌の『Power of Love/ Huey Lewis & The News』(1985)は映画主題歌でもありながら1985年に全米No.1ヒットを獲得したヒューイ・ルイスの代表曲だ。『Power of Love』をぼくが初めて聴いた時は「なんだか昔の音楽だし、やたらと同じセクションがやってくるなぁ」という印象だった。
90sオルタナ大好き少年だったぼくにとって、あの印象的なシンセサイザーのリフや野太い声で綺麗に歌い上げるヒューイ・ルイスの歌もピンと来なかったような。
一番納得いかなかったのは『BttF』の主題歌がなぜ『Power of Love』なんだ!ということ。
直訳で「愛の力」なんてSF映画とはほとんど無関係だし、ヒューイ・ルイスが映画のために書き下ろした『Back in time』という楽曲があるのになぜ「愛の力」を歌ったこの曲が主題歌なんだ!?
そんなことを感じていたぼくだが、『BttF』公開の1985年と1955年の音楽を含むあらゆるカルチャーについて調べていくうちに『Power of Love』という楽曲の魅力やなぜこの曲が『Back in time』を凌いで主題歌となったのかがわかってきた。
あの古臭く感じる80sと50sの音楽たちがなぜいまも若者たちをも虜にしたのか。そしてなぜ『Power of Love』が『BttF』の主題歌として成り立ったのか。それぞれの歴史を見つめ直しながら『Power of Love』が新鮮で最高にクールに聴こえてくる感覚を求めて時空の旅に出てみよう!
1985年はMTV全盛期!
ミュージシャンに夢を見るティーンエイジャーたち
80sのアメリカの音楽といえばMTV開局により音楽業界自体が一気に変わった時代だ。MTVで連日流されるミュージックビデオたちの登場は音楽を「聴く音楽から見る音楽」へと進化させ、音楽の拡散力はそれまでとは比べられないほど増していった。
「見る音楽」の時代のミュージシャンたちはこぞって見栄えのする衣装と髪型でルックスを際立たせ、MVの製作には莫大な予算をかけるアーティストが次々に登場したのだ。
たとえば、BttFが公開される2年前の1983年にはマイケル・ジャクソンがあの「Thriller」を公開したけど、そのときのMVにかかった製作費は50万ドル(およそ1億2000万円)だ!
BttFの世界が華やかなのはそんな時代背景が影響していたのだ!
主題歌の『Power of Love』(1985)のMVにはマーティの相棒、 “ドク” ことエメット・ブラウン役のクリストファー・ロイドがデロリアンに乗って登場する!大ヒット映画の主題歌となったこの楽曲やMVも大きな話題となり、全米ナンバーワンを記録した曲だ。
『BttF』の中で主人公のマーティがバンドを組んでいて、学内ライブオーディションを受けているのは、MTV全盛期の若者たちがミュージシャンに対してスター性と希望を抱いていた80sの時代背景を表している。
ミュージシャン=スターというイメージが膨れ上がったのもこの80年代MTV全盛期の頃なのである。ミュージシャンはティーンエイジャーの憧れとなっていった。
マーティ・マクフライ少年は相当な音楽オタク!?
けれども、マーティは自分の作った楽曲を人に聴かせることをためらっている。本当はミュージシャンとして成功を収めたい。だけどそれを口に出して人前に立つことに自信を持てない……。
そんな17歳男子のよくある引っ込み思案なキャラクターなのです。
ぼくはBttFのこの辺りの心理描写はあまり気にせずに観ていたが、意外とこのマーティの引っ込み思案なキャラクターは映画にとって重要な要素だったことに気がついた!
なぜマーティが自分の作った楽曲を人に聴かせることをためらっていたのか。
80年代のティーンエイジャーたちの憧れであるミュージシャンを志すなら自身の作品をドンドン人に聴かせて意見をもらった方がいいに決まってる!なのに、どうしてマーティは引っ込んでしまうのか。
マーティ・マクフライ少年は相当な音楽オタクだったからなのだ!
それは彼自身がMTVを見ているだけの周りの音楽好きとは違って、MTVから流れる音楽たちだけでなく、ルーツとなる音楽やその音楽のヒットした時代背景すらも知識として持ち合わせた17歳なのだ。
1985年のMTV時代に『Johnny B. Goode』(1958)をあそこまで弾ききることができるということや、ドクの研究所の巨大ギターアンプで爆音を奏でるという探究心は華やかなシンセサイザーやダンスミュージックが主流の80s音楽とはかけ離れたセンスを持ち合わせていたのだ!
IMDb より
しかも、1955年の過去の時代での『Johnny B. Goode』(1958)の演奏シーンの最後に「君たちには少し早すぎたみたいだね」と言ってステージを下りる。
マーティは『Johnny B. Goode』が50年代の代表的な作品であることを理解してその時代の音楽を演奏してみたものの、未発表の曲であることに気がついたのか?55年の若者たちに58年にヒットするちょっと早めの『Johnny B. Goode』を披露したのか?
その真相は描かれていないけれど、いずれにせよ、あの瞬間にあの曲を選曲できるセンスと知識とその演奏内容から、やはりマーティは相当な音楽オタクだということがわかるのだ!
MTV全盛期の「聴く音楽から見る音楽」に変わっていく時代の中でマーティ・マクフライ少年はまだまだ聴く音楽の力を信じている相当ズレた音楽オタクギタリストだったのだ!
才能があるから踏み込めない!?マーティ少年の葛藤
それならば尚更、なぜマーティは自身の作品を人に聴かせることをためらっているのだろうか。
MTVに出るようなミュージシャンたちは最近でいうところの人気Youtuberのような存在だったのかな。少し前まで人気Youtuberたちに向けられていた「楽して稼いでいる」というようなネガティブな印象が当時のMTVを見ていた人たちにも持たれていたのだ。
音楽に対する愛や、それを実現するための能力を持ったマーティはきっと今で言う人気Youtuberのような扱いを受けているミュージシャンに憧れていた訳ではない。だけど自分の信じる音楽の力がMTV全盛期の見た目先行で凌ぎを削っている音楽業界で受け入れられない現実も理解していたからこそ自信を持って演奏することができなかったんだろうなぁ。
こういう人ってどんな業界にも結構いるよね。能力は高いのにプライドが邪魔しちゃって身動き取れない感じ。悔しいけど馬鹿になれないんだよなぁ。
BttF公開の1985年にはMTVで流れていたビデオの中にもそういった「楽して稼いでいる」というパブリックイメージを象徴する歌がある。Dire Straits(ダイアー・ストレイツ) の 『Money For Nothing』はソングライターのマーク・ノップラーが、デパートの中でMTVを見ながら仕事の愚痴やロックスターの悪口を言っている数名のデリバリー店員の世間話から着想を得て、実際の悪口を歌詞にしたという。
Money for nothin,’ and chicks for free
何もしないで金は入ってくるし、女はタダだぜ
The Guardian より
なんだか、2015年頃の世に浸透し出した頃のYoutuberに向けられていた悪口とリンクしませんか?
きっとマーティが胸をはってミュージシャンになりたいと言えなかったのはそういう悪口を気にするタイプだったからじゃないだろうか。
2020年のティーンエイジャーたちもきっと、胸を張って「Youtuberになる!」とは言えないんだろうな。バカにされたりしそうでなんだか気が引ける。
1985年、マーティ・マクフライはティーンエイジ思春期ど真ん中。自信がないし恥ずかしいけれどMTV全盛期のアメリカで華やかなプロのミュージシャンを志すという葛藤を抱えながらあの冒険を繰り広げていたのだ!
チャック・ベリーのロックでわかる1950年代
では、1955年のマーティの両親ジョージとロレインが高校生のころにはどんな音楽が若者たちの間で流行っていたのか。
「50年代アメリカの代表といえばやっぱりロックンロールでしょ!」
と言いたいところですが、ロックンロールという音楽が80年代のMTVのようにメディアに取り上げられることは少なかったようです。
1950年は、まだ白人と黒人の音楽がそれぞれの色を持っていた時代。白人はカントリーを、黒人はリズム・アンド・ブルースを奏でていました。
特にリズム・アンド・ブルースは卑猥で低俗であるものという “常識” がまかり通っていて、ラジオで流されることも少なく、全国規模でヒットさせることは至難の業だったようです。音楽のジャンル自体に偏見を持つリスナーがいたなんて今では信じられないけれど、それが当たり前だったことは悲しい事実ですね。
そんな中、次世代のミュージシャンたちが自然とお互いの音楽をリスペクトした結果、生まれたのがロックンロールであり、ロックなのだ!
たとえば、Netflixオリジナルのドキュメント作品『キース・リチャーズ:アンダー・ザ・インフルエンス』の中ではThe Rolling Stonesのギタリスト、キース・リチャーズ本人が尊敬する黒人ブルースマンのバディ・ガイの元を尋ねるシーンでミュージシャン同士のリスペクトがリアルに映し出されている。そこには知名度や国籍、肌の色なんか気にもしない二人のミュージシャン同士の素直な会話とリスペクトがある。
そうして長い年月と多くのミュージシャンたちが作り上げたジャンルこそがロックミュージックなのだ!
そんなロックの祖先とも呼ばれる一曲、チャック・ベリーの『Johnny B. Goode』(1958)を未来からきたマーティが1955年のダンスパーティーで演奏する。
1955年は『Johnny B. Goode』が発表される前の時代である!
当時まだ若者たちに浸透し切っていなかったロックンロールを披露してパーティ会場は大盛り上がり!
マーティの信じる音楽は85年の学内オーディションでは受け入れられなかったが55年の若者たちに突き刺さる!
それもそのはず!人種間やそれぞれの奏でる音楽に偏見のあった時代に白人の少年が突然ブルースを更に崩した新しいスタイルのロックン・ロールを奏でるのだ!後に何十年もかけてチャック・ベリーやThe Rolling Stonesが成し遂げる人種間での音楽の共有を17歳の少年が突然目の前で成し遂げるのである!
少しづつ偏見が薄れていた85年のMTV全盛期のごちゃ混ぜ音楽シーンに生きる音楽オタク、マーティ・マクフライだからこそ成し得た最高のステージだ!
調子に乗ったマーティは『Johnny B. Goode』の後半でジミ・ヘンドリックスやヴァン・ヘイレンの奏法も披露する!50年代、60年代、70年代のギタープレイの歴史を『Johnny B. Goode』にのせて演奏するあのプレイはまさにオタクギタリスト間違いなしだ!
それを電話越しに聴いたチャック・ベリーが後に『Johnny B. Goode』(1958)を発表するというパラドックスが起きているこのシーンは音楽というカルチャーが当時まだ人種間の問題や偏見によって広がりにくかったことも想像させるシーンだったのだ。
脚本家のボブ・ゲイルによるとBttFの舞台を1955年に設定したのはこのチャック・ベリーのパラドックスを叶えたかったからとのこと!
マーティが『Johnny B. Goode』(1958)を演奏できるということはかなり早い段階で構想の中に入っていたということがわかる!
しかし、30年も前の名曲をあのクオリティで再現できるマーティはやっぱり音楽が本気で好きなんだろうなぁ。
では、音楽がMTV全盛期の85年ほどポップカルチャーとしてまだ浸透していなかった1955年のアメリカで若者たちがロールモデルとして選んだものは一体なんだったのだろうか!
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ティーンエイジカルチャーの礎『理由なき反抗』(1955)
マーティが誤ってタイムトラベルしてしまった先は1955年。過去のヒルバレー 裁判所前をバックにマーティが困惑しながら街を見渡すシーンで流れる『Mr.Sandman/The Chordettes』(1954)はマーティが1955年の過去の時代にタイムスリップしたことを表すために使用された楽曲だ。
1954年に発表され全米ナンバーワンのヒットナンバーとなったこの楽曲は50sカルチャーの表の顔とも言えるだろう。
後に50sのカウンターカルチャーとして台頭するロックンロール以前のトゲのない老若男女が愛せるポップスだ。
nytimes より
『BttF』の作中で使用されたのはThe Four Acesのカバーバージョンである。
しかし、1955年当時まだミュージシャンが若者たちのロールモデルとなることは珍しく、ミュージシャンはあくまで音楽を提供する “職業” でありロックスターのようにその生き様や思想を支持されるような存在ではなかった。
そんな時代に若者たちから絶大な支持を得ていたのは、映画『理由なき反抗』(1955)である。
IMDb より
この映画、実はBttFにかなり関わりが深い。ぼく自身この記事を書いている間に初めて『理由なき反抗』を観たのだけど、1955年を代表する映画だけあってBttFのゼメキス監督も脚本家のボブ・ゲイルもこの映画をかなり意識しているように感じた。
BttF Part2から新たに加えられたマーティの「チキン(腰抜け)」と言われると頭に血が上るという設定だが、これは『理由なき反抗』の主人公と似ている。
『理由なき反抗』(1955)のジェームス・ディーン演じるジムが完全に同じタイプの人間で、とにかく「チキン(腰抜け)」と呼ばれることを嫌っている。
勇敢な男でいることをステータスと考え、重きを置いているジムの性格はマーティより少し扱いづらそうだけどね。
少なくとも1985年までの17歳の男子というものは「男気」みたいなものにムキになりがちだったのかも。
最近はジェンダーレスで男女の役割の境目も薄れ、ティーンエイジカルチャー自体も多様化が進んでいるが、しかし、1955年のアメリカでは『理由なき反抗』のジェームス・ディーンやヒロイン役のナタリー・ウッドこそが若者たちのロールモデルの代表だったのだ。
また、『理由なき反抗』(1955)の中でもBttFと同じ様な車を使ったチキンレースが行われるし、マーティの赤ジャケットにジーンズ姿のファッションなんかも『理由なき反抗』を意識して描かれているように感じる!
IMDb より
また、BttFのクライマックスシーンでもある「魅惑の深海パーティー」のようなイベントはあの時代の若者にとって最重要のイベントだった。
現代のクラブやライブハウスのように若者たちが自由に音楽を楽しむ場所なんて50年代の街には存在しない。
子どもたちが非行に走らないよう目を光らせている親や学校から唯一、許された一夜。それが「魅惑の深海パーティー」だ!
学校では先生の目が、家に帰れば親の目があり、もちろん携帯電話なんて存在しない時代に恋も夜遊びも自由にできる時代ではなかったのだ。
自由を手に入れる方法は唯一、「理由なき反抗」だった時代。こうした若者たちの不自由な青春が50年代のティーンエイジカルチャーに火を付けたのだ!
そもそも、50年代以前のアメリカには「ティーンエイジ」という概念が存在しなかった。
人というものが当時まだ、大人か子どもの二つの概念だけで考えられていて、「ティーンエイジ」を題材にした作品はほとんど存在しなかったのだ。
1950年代はアメリカの青春および思春期文化の全盛期。
この頃に『理由なき反抗』が代表するような誰にも理解してもらえない思春期特有の悩み、自由をめぐっての親との口論、心が張り裂けそうな失恋といった作品が人気を攫っていった。
大人でも子どもでもない中途半端な時期の若者特有の思春期の悩みを題材にした映画『理由なき反抗』(1955)の大ヒットにはそんな背景があったのだ!
BttFの1955年の世界では全米ナンバーワンのヒット曲『Mr.Sandman/The Chordettes』(1954)で始まり、マーティの “少し早めの” 『Johnny B. Goode』(1958)で締められる。50s音楽の時代の移り変わりをしれっと映画の中で表現するこの演出に気づいた時は鳥肌がったったものだ。若者たちがロックスター、ミュージシャンたちの生き様や思想をロールモデルにしていく時代の準備段階を映画『理由なき反抗』(1955)は担っていたのだ!
しかし、肝心のマーティの父ジョージ・マクフライは30年前の1955年に『理由なき反抗』のジェームス・ディーンに影響を受けたとは思えない。
そんなジョージは一体どんなカルチャーに影響を受けていたのだろうか!
時代背景の中に隠された
主人公たちのリアルな心情
マーティの父ジョージ・マクフライは1955年の若かりし頃に人知れずオリジナルのSF小説を書き溜めながら、好きな女性の着替えを双眼鏡で覗いているような男。どう考えてもロレインに相応しくない「ダサい男」の典型だ。
ジェームス・ディーンに影響を受けた50年代のトレンド男子たちとは正反対で『理由なき反抗』の影響など全く受けていないナヨナヨした男だ。85年のジョージはビフに「負け犬」呼ばわりされてもヘラヘラしている頼りないおじさんだ。「負け犬おじさん予備軍」まさにそんな青年。
そんな父親にうんざりしていたマーティが55年のジョージに共感を持つシーンがある。
ジョージは『理由なき反抗』世代の尖ったティーンエイジャー黄金期に若者たちからあまり注目を集めることのなかったSF小説に魅せられ、その道を志していたのだ!
自分の書いたSF小説を誰にも見せられないというジョージにマーティは自分と同じ悩みを抱えていると感じる。85年のミュージシャンと55年のSF作家は理由は違えど、人に胸を張って話せない夢だったのだ。
マーティがMTV全盛期に、あえてチャック・ベリーやジミヘン・ドリクスをコピーしていることを考えると、やっぱり親子なんだなということがわかる。その時代のトレンドに関係のなく音楽のルーツを辿りながら自身の楽曲を作っていたり、思春期文化全盛期のアメリカでSF小説を書きためている。音楽やSF小説への愛情の注ぎ方が共通していたのだ!
なりたい自分、夢を他人に語ることの怖さを17歳にして同じく抱えている父親を見たマーティはジョージに親近感が湧いたに違いない。
このように音楽や映画、ファッションといったカルチャーを掘り下げていくことでキャラクターたちの心情をより深く理解することができる。BttFは80sと50sの世代間のギャップをかなり細かく描いていて見れば見るほど知れば知るほどたくさんの知識と感情を汲み取ることができる映画なのだ!
だから主題歌は『Power of Love』(1985)なのか!
時代の流行とは関係なく自分の魅せられた世界を志す男。そんなジョージがぼくにはカッコよく見えるし、マーティにとっても父親が情熱を燃やしてSF小説を書いていたという事実は嬉しかったんじゃないだろうか。
そして、マーティ自身も金儲けのためにミュージシャンを志している訳でもなければ、女の子にモテるためにバンドを組んでる訳ではないはずだ!
『Power of Love/ Huey Lewis & The News』(1985)の中でヒューイ・ルイスはこう歌っている。
You don’t need money, don’t take fame
金なんていらない 名声だっていらないよIt’s strong and it’s sudden it can be cruel sometimes
時に強く そして突然 時に残酷になるものBut it might just save your life
でもそいつが人生を明るくしてくれるThat’s the power of love
それが 愛の力 なんだ
父と息子の友情や母と息子の恋愛、そしてドクとマーティの信頼関係。「愛の力」と一口にいっても恋愛のそれだけが全てではないのだ! そして、マーティは音楽とジェニファーを、ジョージはSF小説とロレインを愛し続けていたからこそ、この映画のシナリオはハッピーエンドを迎えるのである。
マーティはPart2で未来のスポーツ年鑑を利用して一旗あげようというズルさを見せたけど、音楽に対しては絶対にズルをするような男ではなかった。
監督のロバート・ゼメキスと脚本のボブ・ゲイルにより構想から映画公開まで約10年をかけて作られた『BttF』もきっと、一切の妥協やズルをせず、作品に対する愛を注ぎ続けたに違いない。だからこそこんなに長い間、老若男女から愛される作品『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)という映画が完成したのだ。
1985年のアメリカという景気の良い時代に野太い声で
You don’t need money, don’t take fame
金なんていらない 名声だっていらないよ
と「愛の力」を歌ったヒューイ・ルイスの声が最高にクールに聴こえてくるものだ。
文と絵・金城昌秀
編集・川合裕之(店主)
解説『Back in time』(1985)
『Back in time』(1985)はBttFのエンディングテーマ。ファンキーなカッティングギターにホーンサウンドのイントロが印象的。エンディングテーマまでこのハイテンションサウンドで観せてくれるBttFはやっぱり景気の良い時代のアメリカ80sを代表している!
歌詞の内容は『BttF』の内容をそのまま反映させたもので
Tell me, doctor, where are we going this time?
ドクター教えてよ、今度はどこにいくのIs this the 50s, or 1999?
50年代か、1999年かAll I wanted to do was play my guitar and sing
いつの時代だってやりたいことはギターを弾いて、歌うことなんだ
などと歌われている。
この『Back in time』を主題歌にする話も出ていたようだが、この曲よりも先に仕上がった『Power of Love』(1985)の方を音楽監督のボーンズ・ハウが気に入り、映画公開と同時にMVをMTVで公開した。結果、『Power of Love』は全米No1ヒットとなった。
『Back in time』は主題歌ではなくエンディング曲に採用されたが、映画を観終わった観客たちにもう一度ドクとマーティの冒険を思い出させるこの演出がかなりハマっている気がする。また、マーティが1985年の自宅に帰ってきた翌朝ラジオから流れているのもこの『Back in time』だ。こういう音楽を使った見えない演出やギャグ要素はまだまだいっぱいあるのかも!?
To be continued……
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は家父長制主義で白人至上主義? ロバート・ゼメキスの本心を探る
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は誰もが愛する名作ですが、実はこのエンタメ、用心しないと見逃してしまいそうな些細な些細な政治的メッセージが隠されています。それを大っぴらにすることなく、表面上では老若男女が理屈抜きで楽しめる。楽しめてしまう。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』という映画の一番残酷なところです。良薬口に苦し。裏を返せば、甘いものは身体に悪いかもしれないということです。
ロバート・ゼメキスは稀代のエンタメ映画作家ですが、その一方で彼の映画を丁寧に読むと、実は意外に極めて政治的な人なのでは?としか思えないような映画の作りをしているのです。エンタメはエンタメ。そこに水を差すつもりはありませんが、敢えてこう書きましょう。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』という映画は極めて「保守的」な映画であると。白人至上主義的で家父長制的な「強さ」の映画であると。
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なぜタイムマシンが高級車デロリアンなのか?
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)が公開されてからもう随分と時間がたった。
あの映画による印象は俳優たちにも大きな影響を与えていてる。
ぼくは主人公マーティ役のマイケル・J・フォックスを他の映画やドラマで見た時にどうしても「マーティの人」という認識してしまうことがある。
そんなドでかい印象を与えるほどの『BttF』に最も影響を受けたものの一つにデロリアンDMC-12という車が存在する。
奇抜なデザインの車体にタイムトラベルを実現するための改造を施した最高にクールでかっこいい車。
デロリアンはBttFによって「バック・トゥ・ザ・フューチャーの車」というイメージを持つ大人気スターとなったのだが、実は悲惨な運命を背負っていたのだ。
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