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『MOTHER マザー』は「毒親映画」というより「ファム・ファタール映画」だ

(C)2020「MOTHER」製作委員会

怪物(モンスター)か、聖母(マリア)か。予告編で用いられたこのコピーの問いに対する答えが、懇切丁寧に与えられることはついぞありませんでした。もしかしたらその両方かもしれません。

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なぜ悲劇が起こったのか

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幼いころから何につけても母・秋子の言いなりであった周平ですが、ついに彼は殺人にまで手を染めてしまいます。

母親に指図されたことを隠した結果、片や懲役15年、片やたったの4年6カ月といういびつな判決が言い渡される。非対称な殺人行為と、非対称な判決。いいやそもそも二人の関係はもう何年も前からずっと非対称的なのです。

ふたりは互いに共依存関係であることは明らかですが、双方の「依存」の性質が異なるのです。親が子を気にかけ、それと同質の愛情を子が親に返す――といったような鏡に映したような関係ではありません。この母子ふたりが求める愛情の性質は異なるもの。にもかかわらず、無理矢理はめたパズルのようにガッチリと噛み合ってしまっている偶然こそが悲劇の始まり。

なんせ力づくで嵌めこんだパズルほど、分離させるのは難しいのですから。

「毒親」ではなく
「ファム・ファタール」だ

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巷では「毒親映画」などと評されることもある本作ですが、本質は別のところにあるかもしれません。

たしかに長澤まさみ演じる秋子は典型的なネグレクト親。教育を受けさせる義務を怠り、生活の面倒を見ることはありません。働ける歳になれば今度は子の働いた金をむしり取る。しかし、そんな状況でも子である周平は母親を捨てることはありません。ばかりか、どんなに無茶な要求であっても飲んでしまう。どうしてどんなことをするのか、という問いに対して獄中で彼は「好きだからだ」と夏帆演じる亜矢にそう語りました。

この言葉はあながち侮れません。僕たちが一般に肉親に対して使う「好き」よりも濃密で生々しい意味を含みます。完全なる異性愛ではないものの、社会との関りが断たれた彼にとって数少ない繋がりが母・秋子です。そんな彼女に言われるがまま、彼は殺人を犯してしまいます。周平にとっての秋子は魔性の女、ファム・ファタールだったのです。

配偶者を代理して完成する川の字

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幼い男児が母親を異性として認識する、というのはよくある話です。性別が逆転しても同様で、「お父さんと結婚する~!」なんて台詞は古今東西に存在する幸せな殺し文句ですね。

周平もまた例外ではなく、父親ではなく母親をこそ偏愛します。フロイトの言葉を借りてもっともらしく横文字を使うならば「エディプスコンプレックス」。食べることに困り、散髪もままならない状態であっても、スーツを着た――つまり社会で働き相応の賃金を得ているであろう――父親のもとで暮らすことを周平は拒み、自分のためではなく母のために金を無心するのです。

女性が「産む性」を引き受けさせられ、産まない男性が母子から姿を消すことができてしまうという非対称な社会構造が根底にあるのだ。

別のレビュー記事でフラスコ編集部の日向君は「FATHERの不在」がこの家族の、そして日本社会の抱える問題点であると指摘しました。①父親が不在のまま、②社会との関りを持たない(秋子に断たれた)周平は、エディプスコンプレックスを卒業することができなかったのです。

ラブホテルで、川の字に

もっとも象徴的なのは終盤、「あの犯行」があった直後の場面です。すべてを終えた周平はラブホテルで汗を流し、父親の異なる妹・冬華を挟んで秋子と3人で「川の字」になって静かに眠ります。

まだ幼い子どもと、その両脇には男と女。その姿は家族そのものであり、このショットだけを切り取れば秋子と周平は夫婦関係にあると言われても何ら不自然ではありません。しかも場所はよりにもよってラブホテル。一般には性行為を営むためだけに建てられた場所です。

もちろん周平と秋子が性交渉を行った描写はなく、到底それがあったとは考えられませんが、子である冬華の育児をするのは周平だけだったという事実が机上の男女関係を復活させます。少なくとも彼は冬華の父であり、秋子の産んだ子の父であるということは、めぐりめぐって秋子の夫になるということです。

周平は秋子の配偶者となり、妻と子を養うために「ひと仕事」を終え、川の字になって就寝する。これほどまでに雄弁な映像があるでしょうか。

ちなみに、この母子は5年前も同じラブホテルで生活をしていました。阿部サダヲの演じる秋子の内縁の夫と3人で暮らします。当然3人は同じベッドで寝るほかないのですが、しかしながら「川の字」が俯瞰でカメラに収められることはありません。

どころか、内縁の夫と秋子の性行為に居心地の悪さを覚えた周平はバスタブで一人秋子の喘ぎ声を聞きながらひっそりと身を潜めます。秋子の配偶者 / 恋人でいられないのであれば、川の字はすぐさま解体されるわけです。ほかにも、作中で一度だけ周平が秋子を捨てようとする場面がありますが、このときも内縁の夫が中心に存在します。遼がいる限り、周平は秋子の恋人や配偶者になることはできないのです。

子である周平は、母・秋子を異性愛の対象として認識している。一概にそう言い切ることは困難ですが、無意識の中でそのような働きがあったことは否定できません。

愛するより愛されたい

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しかし一方で、秋子は周平を異性として見ることはありません。あくまでも「子ども」です。血縁を理由に絶対に裏切らない他者として依存し、自分を赦し続ける他人を手放す恐怖から支配して縛り付けます。

さて、仕事をせずに生活に苦しむ秋子ですが、性風俗や水商売で生計をたてることはありません。男性である筆者がこのように書くのはいささか暴力的ですが、上に挙げたような職業で糊口をしのぐという選択肢だってあったはずなのです。過去に大森立嗣が監督・脚本をつとめる『タロウのバカ』では援助交際が描かれているし、作家こそ違いますが同じく日本の関東地方における貧困を描く『万引き家族』などでも女性が風俗店で働く描写があります。

しかし、秋子はそれをしない。

かといって、決して彼女は性に厳格だったというわけでもないのが不思議です。ときに女性であることを餌にして他人を都合良いように操ります。実際に劇中では3人と性交渉をします。金銭を得るためにではなく、自分という人間を受け入れてくれたかどうかを確認するときにのみセックスが行われるのです。社会から疎外された秋子は、女性であることを頼りに他者との繋がりを構築します。肯定されることを求めているのです。なるほど序盤でホスト遊びに明け暮れたことにも頷けます。

その中で彼女から最も高い評価を受けたのは阿部サダヲ演じる内縁の夫、元ホストの遼です。親とはかくあるべきと説教をする工務店の男や、結局経済的な支援をしてくれなかったラブホテルのオーナー、経済的な支援はしても対等に扱ってくれない元夫などは精神的な依存先にはなりえません。

自分を否定しない元ホストの男と、同じく自分を否定しない(そのように育て上げたわけですが)分身たる子どもたちだけが秋子の心の安定を支える存在だったのでした。

ありあわせの選択肢の中で

(C)2020「MOTHER」製作委員会

息子は母としか繋がりが無かったからこそ、近親相姦的な偏愛を抱き、一方で母・秋子は周平に対して、親としての愛情を注ぐわけではなく同時に異性としての愛情を与えることもありません。しかしありあわせの選択肢の中で共存していくしかない。無理矢理にでもパズルを組んでおかないといけない。双方のズレをなまじ許容してしまう。それでもなんとか関係を維持したい周平は、秋子の命に従うほかない。秋子は、周平のファム・ファタールだったのです。

解説『MOTHER マザー』(2020)

監督:
大森立嗣

出演:
長澤まさみ、奥平大兼、阿部サダヲ、夏帆、仲野大賀、皆川猿時、木野花など

 文・川合裕之(フラスコ飯店 店主)
編集・安尾日向

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周平が捕まり、母・秋子はひとり、アパートの部屋に座り込んでいる。そこへ周平の言葉が伝えられる。ラストカット、秋子の表情が大きく、そして長く映される。そこには「わかりやすい」感情など1ミリも存在しない。あるのは2時間をかけて底に溜まったどろっとした何か。

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川合 裕之 Written by:

95年生のライター/ 編集者。長髪を伸ばさしてもらってます。 フラスコ飯店では店主(編集長)をしています。

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