Te wo Arai mashou.

「リボン」と無敵の友情
|連載:わたしがグダグダうじうじしていることは大抵すでに藤原基央が曲にしている 3曲目

突然だけど、わたしには友達が少ない。生まれつきそういう体質なのだ。

「一人でも平気そうな顔をしている」とか「自分の世界持ってそうだから話しかけにくい」とよく言われるし、わたしが各種SNSで発信しているような事はいわゆる「考えすぎ」で、「考えない」人たちから見ればそれらは気持ち悪く、「考える」人たちのことは萎縮させてしまうようだった。

でもそれを気に病むことはない。わたしには「赤い星」が付いているから。

この連載は、365日不眠不休でグジグジうだうだしているわたしが、心から信頼する藤原基央さんと(勝手に)がっぷり組み合って BUMP OF CHICKEN に「追いつく」試みです。歌詞を中心に見ていくけれど、解説や解釈といったものはありません。わたしという人間が BUMP OF CHICKEN の曲を通して藤原基央という人間に挑み、自分のややこしい人生に向きあって泣いたり笑ったり、悔しがったりするコラムです。

藤原基央さんのお誕生日に寄せて書いた連載予告はこちら
1曲目:「ディアマン」ともう聴かなくなったバンド
2曲目:「宇宙飛行士への手紙」と流れ星のわたしたち

リボン

「リボン」は BUMP OF CHICKEN 結成20周年である2017年にリリースされたシングルだ。幼稚園の頃からの付き合いだという彼らの歓びや苦悩、さらには今までリリースした曲のモチーフがふんだんに詰まったこの曲はよい意味でリスナーを蚊帳の外にしていて、たぶん他の誰でもない、BUMP OF CHICKEN のために書かれた曲なんだと思う。

しかし、それでもこの曲はわたしにとって、「わたしを無敵にしてくれる友情」を自覚させてくれる曲だ。

未達成の青春 To Do リスト

大学に入って以来、わたしを苦しめていたものがある。「青春 To Do リスト」だ。

制服でユニバーサルスタジオジャパンに行く、サプライズのお誕生日パーティをやる、岡山あたりまでドライブする、三重県でもいい。誰かの家でたこ焼きパーティをする、カラオケオールをする、無茶なお酒の飲み方をする、あとは恋愛にまつわることすべて。わたし以外のみんなが当たり前にこなしているあらゆること。

こういう「青春 To Do リスト」を、なるべくたくさんこなさなければならない。それは競争であり、「こういう青春を過ごさなければならない」という、規範意識の刷り込みだった。

「青春 To Do リスト」を達成していくためには友達が5万人要る。友達がたくさんいて、その中でも休みの日や時には学校をさぼって遊びに行くような関係の人がいて、毎日お昼ご飯を食べるようなおきまりの人たちがいて、そうしてやっと、Instagram が輝く。

わたしは抑圧されていた。大学に入れば自動的に「憧れのキャンパスライフ」がついてくると思い込んでいた。しかし現実は「ヒエラルキー」や「陽キャ / 陰キャ」、「人脈作り」に満ちていて、そういう競争では、丸腰のわたしは間違いなく最下位だった。当時のわたしには、そこから這い上がる方法は見当もつかなかった。

©︎Sakura Wajima

「浮遊感あるね」

その頃のわたしがどういう学生だったかというと、サークルの部長に「浮遊感あるね」と言われるような感じだった。これはつまり「浮いている」というのをオブラートに包んでくれたのだと思う。わたしは例えば、どうしても、面白くないことには笑えなかった。先輩に対してアホなふりをして媚びることができなかった。代返を頼まれても協力できなかったし、誰かに自分の代返を頼むこともできなかった。「うまいことやる」というのができない。やりたくないことを行動に移すことが、どうしても無理だったのだ。

大学に入ってから知り合った人はたくさんいる。サークルにも入ったし、学科の飲み会にもまめに参加していたから。だけど「青春 To Do リスト」を消化するのに必要な「友達」は全然できなかった。一人で通学して、居場所のない昼休みの学食を避けて、時にはわざわざ時間をずらして昼食を摂り、一人で課題をこなして、一人で家に帰る。休日にはみんなの Instagram のストーリーズを眺めて何かに圧迫されているような気持ちになっていた。

とにかく、四六時中なんとなくしんどかった。ぶよぶよの半透明のゼリーの中に閉じ込められて、息がしにくかった。みんなが当たり前に吸っている酸素が、わたしにはどうしようもなく足りなかったのだ。

友達は多いほうがいい?

さて、ここまでがわたしのいささか感傷的な回想である。「考えすぎ」だと、「しょうもない意地を張っていた馬鹿」だと思うだろうか。それはある意味正しいし、自分でも少しそう思う。ただ、やはり何度考えても、できないものはできなかった。

だからわたしは、あらゆる競争、あるいは規範意識から降りることにした。「ヒエラルキー」、「陽キャ / 陰キャ」、「人脈作り」。そのような概念とは距離をおくことにしたのだ。

©︎Sakura Wajima

「そもそも、」と、わたしは考えてみた。

わたしはそもそもそんなに「友達」が欲しかったのだろうか?

欲しかった、羨ましかった、でも自分を曲げることができなかった。数が多いことは強くて正しくて、それでもわたしは「自分だって正しいはずだ」と信じてしまった。そしてそんな自分を、間違いなく気に入ってもいた。そういう自分と引き換えにしなければならないような「友達」なら欲しくない、と今なら言える。

わたしはそもそもそんなに「友達」がいなかったのだろうか?

いる。それも、とびきりの友達が。前回の記事で語った彼女だってそうだし、高校生の時にバンドを組んで以来8年間絶えず交流が続いている友人たちだってそうだ。何をしたって楽しい、お酒を飲んでもただ歩いていても楽しい。それぞれの何の話だって愉快に真摯に聞いて、それぞれの全く違う人生を面白がれる友人たち。「自分」を人質にしなくたって得られる友情はとっておきで、健やかで慈しみ深い。彼らとの出会いはわたしの人生における最も大きな幸運のうちのひとつだ。

わたしがしんどかったのは「友達」が欲しいからでも「友達」がいないからでもなく、みんなと同じことをできなければならないと思い込んでいたからだった。わたしは欲しくもないものを欲しがって、もしくは欲しがらないといけないような気がして、一人で焦っていたのだった。

オーダーメイドの青春

青春とは、厄介な代物だ。一見きらきらしていてとっても眩しいその姿は、長い時間をかけて、あの手この手で多くの人に刷り込まれている。だけどその眩しさに目がくらんで自分を見失ってしまえば、「青春」という単語は呪詛となり、たちまち自分の存在を脅かすものになってしまう。

さて、わたしの「憧れのキャンパスライフ」は、本当に「わたしの」憧れのキャンパスライフだったのだろうか?

違う、と答えよう。わたしにはわたしの青春があり、それははちゃめちゃな読書だったり、大好きな男の子と一晩中語り明かすことだったり、世界でいちばんの女の子とルームシェアをすることだったり、二日酔いでライブに出ることだったりする。夜行バスに乗って紫陽花を見に行くことだったり、ぐちゃぐちゃに酔っ払って飲み会をふたりで抜け出して誰もいない道路に寝転んでみることだったり、丁寧に時間をかけて大切な人の誕生日プレゼントを選ぶことだったりする。

無茶なお酒の飲み方もたまにはするし、制服はもう二度と着たくない。カラオケオールは特別楽しいことではないのも知った。わたしにはわたしの、あなたにはあなたの、オーダーメイドの青春があるはずなのだ。

©︎Sakura Wajima

無敵の友情

そうやって自分自身を認められるようになったら、他の人のことも認められるようになった。「わたし vs みんな」ではないことに気づいたのだ。

まず、ひとりずつの顔がよく見えるようになった。そもそも「みんな」って、誰だったんだろう。勝手に彼らを匿名にして勝手に怖がって、大変失礼なことをしてしまっていたんだと反省した。

そんな風に架空の敵を作って肩肘張らなくたって、きっと縁のある人とは遅かれ早かれどうしたって仲良くなってしまうだろう。今はそういう出会いが楽しみだし、きちんとつかまえたいと思える。

さらには、意見や信条が異なる人がいたとして、「わかってないなあ」とか「かわいそうな人だなあ」を通らずに、そのまま受け入れることができるようになった。

例えば「陽キャ / 陰キャ」や「人脈作り」に重きをおく人はわたしにはできないことをやっている人だし、その人はその人であるだけでとても尊い。彼らによってわたしの何も損なわれないし、逆だってそうだ。

わたしを閉じ込めていたぶよぶよ半透明のゼリーがほろほろ溶け出して、きちんと息が吸えるようになった。世界が広がった。いろんな匂いのする風に吹かれて心が躍った。生まれ直したような気分だった。

©︎Sakura Wajima

嵐の中をどこまでも行くんだ
赤い星並べてどこまでも行くんだ

藤原基央は20年間の活動を共にしてきたバンドメンバー3人を「赤い星」だと歌った。わたしにとっての「赤い星」は、いつでも勇気をくれて、わたしを大切にしてくれる友情だ。

ここはどこなんだろうね どこに行くんだろうね
誰一人わかってないけど
側にいることを選んで
今側にいるから 迷子じゃないんだ

いつでもわたしにつきまとっていた、何かに挑んでいるような、何かに試されているような気持ちはもうない。自分の青春が何なのかをきちんとつかまえて、自分が手にしているものをちゃんと大切にしている限り、わたしは迷子にならない。無敵でいられるのだ。

僕らを結ぶリボンは解けないわけじゃない

意地や恥ずかしさに負けないで
心で正面から向き合えるよ
僕らを結ぶリボンは 解けないわけじゃない
結んできたんだ

わたしを無敵にしてくれる友情。だけどそれはもちろん、当たり前に存在しているわけではない。大人になったわたしたちの友情は魔法ではないからだ。

正気で、冷静に、ときどき必死になって繋いだ友情。いつでも会えるわけじゃない、いつでも元気なわけじゃない。そんな中で、お互いがお互いのために努力しなければわたしたちは会うことすらままならない。何度もなんども立ち止まって、お互いが手にしたリボンの両端を引っ張ったり緩めたりしながら、小さなほつれを正しく繕って歩いてきたのだ。

「ありがたい」という言葉の意味を初めて知った。それは本当に「有り難い」からありがたいのだ。ありがとう、ほんとうにありがとう。あなたたちが今この時代・この世界に生まれてきて、わたしと出会ってくれたことが、痛いぐらいにうれしいです。

わたしがグジグジうだうだしていることは大抵すでに藤原基央が曲にしている。それは、自分を無敵にしてくれる友情の有り難さすらも。

解説「リボン」(2017)

作詞・作曲:藤原基央
編曲:BUMP OF CHICKEN

前述の通り、BUMP OF CHICKEN 結成20周年似合わせて2017年にリリースされたこの曲。

曲中には、「ガラス玉」(カルマ)、「手作りの地図」(ロストマン)など、それまでの曲のモチーフが盛り込まれています。中でも「赤い星」は インディーズ時代から用いられている BUMP OF CHICKEN のエンブレムにメンバーの象徴として施されており、「三ツ星カルテット」という曲のタイトルや、シングル『魔法の料理〜君から君へ〜』の裏ジャケットなど、繰り返し大切にされてきた、とても大きな意味のあるモチーフです。

20年間の歴史とこれからを強い意志でまっすぐに照らすこの曲のMVはスタジオライブを収録したもので、演奏前後のメンバー同士の労いと慈しみにあふれたやり取りにも胸が熱くなります。

次回予告

就職活動をやめた。
1年間休学して悩んで、実際にやってみて、それでもやめた。

甘ったれているのはわかっているし、世の中を舐めているとも思う。
それでもやめた。自分で決めたのだ。
わたしはもう「自分の唄」がなんなのか、知っているから。

4曲目は、2007年のアルバム『orbital period』収録の「才悩人応援歌」に寄せて、「自分の唄」を見つけることについて考えます。

文と写真・和島咲藍
   絵・くどうしゅうこ
  編集・安尾日向

「わた藤」トラックリスト

1曲目:「ディアマン」ともう聴かなくなったバンド

2曲目:「宇宙飛行士への手紙」と流れ星のわたしたち」

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和島 咲藍 Written by:

1997年土曜日生まれ。結果オーライの申し子。わたしは気さくです。