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「66号線」と別々の人間たち / 或いは父の愛
|連載:わたしがグダグダうじうじしていることは大抵すでに藤原基央が曲にしている 5曲目

お好み焼き屋で、父親がジンジャーエールを飲んでいる。一口、もう一口と飲んで、ふと「やっぱりコーラにすればよかったなあ」とぼやく。

わたしはいてもたってもいられず、半分泣きそうになりながら「残りわたしが飲むからコーラ頼んだほうがいいよ」と言う。

お父さんに何1つ心残りがありませんように。

父は、変なタイミングで急に必死になるわたしの顔を、不思議そうに眺める。

あの頃のわたしは、「わたしを無くしても父でいられる」ということを、全然わかっていなかったのだ。

この連載は、365日不眠不休でグジグジうだうだしているわたしが、心から信頼する藤原基央さんと(勝手に)がっぷり組み合って BUMP OF CHICKEN に「追いつく」試みです。歌詞を中心に見ていくけれど、解説や解釈といったものはありません。わたしという人間が BUMP OF CHICKEN の曲を通して藤原基央という人間に挑み、自分のややこしい人生に向きあって泣いたり笑ったり、悔しがったりするコラムです。

藤原基央さんのお誕生日に寄せて書いた連載予告はこちら
1曲目:「ディアマン」ともう聴かなくなったバンド
2曲目:「宇宙飛行士への手紙」と流れ星のわたしたち
3曲目:「リボン」と無敵の友情
4曲目:「才悩人応援歌」と健やかな破滅
5曲目:「66号線」と別々の人間たち / 或いは父の愛
番外編:2020年、激動の BUMP OF CHICKEN への信頼を問い直す | 彼らの振る舞いと不倫報道へのステートメントを読んでわかること

「66号線」

2010年リリースのアルバム『COSMONAUT』に収録されている「66号線」は、もっとも BUMP OF CHICKEN らしくない曲であると同時に、もっとも BUMP OF CHICKEN らしい曲でもある。

「今でも好きだと言ってくれますか」といったラブソングめいた歌詞は BUMP OF CHICKEN には珍しいが、その反面、弱さや喪失、かけがえのない「今」を切実に歌っているさまは「これぞ藤原基央の真骨頂」と言っても過言ではないだろう。

そして、わたしにとってこの曲は「自他の区別、ひいては父親が与えてくれる愛」を象徴する曲だ。

お父さんかわいそう

小学5年生の頃、あるお笑い芸人が死んだ。突然のことだった。

暇な土曜日に気まぐれで観る吉本新喜劇で、特徴的に膨らんだ後頭部を「ヘルメット」といじられている芸人だった。彼はまだ30代半ばで一番したっぱで、だから一番可愛がられてもいて、観ているわたしまでなんとなく肩入れしたくなるような、愛嬌のある人だった。

そんな彼が死んだ。肺の病気だったと思う。「有名人」というカテゴリに入るのかどうかすら怪しいほど駆け出しだった彼の死は、だからこそ妙な生々しさを持っており、当時のわたしに大きな衝撃を与えた。

人って、いつか死ぬんだなあ。突然いなくなって、そのあと世界で何が起こったってその人にはわからないんだな。死んだらどうなるんだろう。あ、それも死んでるからわからないのか。

そんなことを考えていると後頭部のあたりがスコンと寒くなって、深い穴に吸い込まれそうな気持ちになってしまう。そのうち夜眠れなくなって、死んだ彼の顔が自分の父親と重なるようになっていった。父が36歳の時の、少し遅めの第一子であるわたしは、家族の中で父親が一番先に死ぬんだろうと安直に考え、父の死を恐れるようになったのだった。

©Sakura Wajima

俗に言うトラウマというものなのだろう。「人はいつか死ぬ、その死にもっとも近い人間は父親だ、お父さんはかわいそうだ」という思い込みは幼い分だけ強固で、ようやく眠れるようになってからも1年くらいは部屋の電気を煌々とつけておかないと過呼吸を起こしてしまうほどだった。

そして、両親が離婚して父と二人で暮らし始めてからは「お父さんかわいそう」に「だから、わたしがなんとかしてあげないと」という強迫観念が紐付くようになった。

父子家庭の、しかも娘。誰にも頼まれていないのに、世間によくあるステレオタイプを勝手に内面化して、父のためにいくつもの役割をこなさなければならないように感じていたのだ。

苦手なもの:お正月と空港

少し前まで、お正月と空港が苦手だった。どちらも、お父さんをひとりぼっちにしてしまうから。

お正月、特に三が日には母の家に行くことが多い。母はおせちとお雑煮とお年玉を用意して、毎年わたしを迎えてくれる。母の雑煮は絶品で、普段離れて暮らす妹と長い時間を過ごせるのもうれしく、わたしも楽しみにしていることのひとつだ。 

しかし、わたしの心にはいつでもわだかまりがあった。年の始めのハレの日にわたしが母の家に行くことは、わたしが単に「母の家を訪れる」こと以上に「父を選ばなかった」ニュアンスが出てしまうような気がしてしまうのだ。お正月の賑やかなテレビを観ながら一人で過ごす父の姿を勝手に想像しては、自分の心を罪悪感でぺしゃんこにしていた。

©Sakura Wajima

そして、空港。もっと詳しく言うならば、身体検査場に入る直前、見送りにきてくれた父と別れる瞬間がとても苦手だ。

何度も長期で海外に行っているのに、それでも毎回お約束のように、身体検査場に入る直前に(まだ日本にいるのに!)ホームシックのピークを迎えて涙ぐんでしまう。

わたしは父を日本においていくのだ、お父さんは淋しくないかな、わたしが日本にいない間にお父さんが死んじゃったらどうしよう、家で倒れていたら誰も見つけてくれないんじゃないか……..。

休学中にデンマークに行った時には、空港でご飯を食べる父の動画を隠し撮り、それをお守り代わりに持って行ったこともある。そして現地で度々その動画を観ながら「大丈夫、大丈夫なはず、大丈夫だよ」と唱える。わたしがファザコンなのはもちろんあるけれど、そうやって気を紛らわせなければ、どこにも行けない気がしていたのかもしれない。

父親はわたしの存在を
「ちゃんと」忘れられる

そういう、半ば病的とも言える父親への哀れみや執着の中にいたわたしに “自他の区別” という概念を突きつけたのが「66号線」だった。「あなたなしじゃ生きていけない」という曲は数あれど、「あなたを無くしても僕は生きて行く」ときっぱり言ってのけるような曲を、わたしは他に知らない。

「あなたががいなくなっても僕は生きていく」と語ることは、冷たいことだろうか? いや、これは、厳然たる事実だ。

わたしと父はいつまでも一緒にいるわけではない。現実的に考えて、わたしに父の全てをどうこうすることなんて不可能だ。その反対に、父がわたしの全てを掌握するような年齢も、とっくに過ぎている。たとえ親と子であっても、いつかは別々の道を歩く。なぜなら、わたしと父は、別々の人間だから。

「66号線」に通底するこの “自他の区別” という概念は、わたしにとって青天の霹靂だった。

わたしの心が追いつく前に、現実はもうそのことを知っていた。父は、わたしがいなくてものびのびと過ごしていた。高校時代からの友人宅の庭を耕して大きな家庭菜園をやっていたり、徹夜で麻雀を打ったり飲みに行ったり旅行に行ったり、時にはわたしを置いて行くことすらあった。

わたしはわたしで喉元過ぎればなんとやら、母の家に行ってしまえばたらふく食べて飲んで笑って過ごしていたし、空港での別れのあとも飛行機に乗ってしまえば楽しいばかりで、現地から日本に電話をすることだって少ない。

わたしと父は全く違う別々の人間で、一人ずつそれぞれ、自分の人生をちゃんとやれるのだった。何より、父が36歳のときの子供であるわたしが今23歳、「父親である」というのは彼の人生の一部であって、父親でない期間の方が長い。

父はわたしのことを「ちゃんと」忘れられる。父親が自分だけの人生を持ち、それをちゃんと生きている人なのだと思えることは、とても安心なことだ。

僕を無くしてもあなたでいられる
それでも信じていてくれますか

66号線/BUMP OF CHICKEN(以下省略)

「66号線」の歌詞をなぞってもしもわたしが父にこう尋ねたならば、彼は迷わず YES と答えるだろう。

「あなたの人生ですから」

思い返せば、そもそも誰よりも “自他の区別” を徹底してやってきていたのは父だった。それを象徴するのが、わたしの人生の節目節目に投げかけられる「あなたの人生ですから」という言葉だ。

わたしの人生なんだから、何を選んだっていい。父は「おれは、おれがそうしたいから、おれにできること全部をあなたにしてあげるよ」という姿勢をいつでも崩さない。

父は、わたしのしたいことを文字通り何でも、全力で応援してくれる。進路を反対されたことは一度もないし、塾に行きたいと言えば行かせてくれた。海外に行くと言えば旅費を支援してくれたり、軽音部に入ってベースを弾くと言えば買ってくれた。何かで帰りが遅くなる時にはどこまででも迎えに来てくれた。

一見すると良い親と、甘やかされた娘。でも本当の意味でのこの言葉は、とても恐ろしくもある。

父はわたしが決めたことは何でも応援してくれるけれど、わたしが「決めること自体」を手伝ってくれることはない。決めるのは自分。なぜなら、わたしと父親は別々の生き物だから。

進路選択の時も、相談には乗っても答えは絶対にくれなかった。通っていた私立の女子中学校だって、問い合わせのメールを送って資料請求し、受験すると決めたのは小学6年生の頃のわたしだ。

就活をやめるかどうか悩んでいた頃、父に「わたしの将来への要望は?」と尋ねたことだってあるけれど、父の答えは「特になし」だった。即答だった。いざ就活をやめると言った時も、返ってきたのはやっぱり「あなたの人生ですから」という一言だった。

関連記事「才悩人応援歌」と健やかな破滅

「おれはおれにできること全部をあなたにしてあげるよ」の続きには「だからそのあとはあなた次第だよ」が続くのだ。

ここまでしてもらってダメならわたしがダメなんだ、環境のせいにできない、言い訳ができない。そういうプレッシャーを与えられ、追い詰められている。全然甘くない、あれをしろこれをしろと言われてる方がよっぽど楽だろうと思うことだってしばしばだ。

だけどそれでも、これが、これこそが、父がわたしに与えてくれる愛なのだ。

「おれはおれの遺伝子を
信用しているので」

わたしはきっと、父にめちゃくちゃ愛されているし、とても信用されている。

でもそれは、わたしの成績が良いからでも真面目だからでも「イイ子」だからでもない。彼は「おれはおれの遺伝子を信用しているから、それを受け継いだお前がなんか変なことするはずはないと思ってる」と語るのだ。

父はわたしの何も引き換えにしない。ちゃんと自分に自信があって、それを根拠にわたしが彼の娘として生まれてきたこと、存在すること自体を愛して信用してくれている。

父の友人たちとタイ旅行に行った時の写真。夜のどんちゃん騒ぎに紛れていつの間にかマニキュアを塗られており、翌朝途方に暮れていた。©Sakura Wajima

幼く感じやすいわたしが自分で自分にかけた病的な呪いに苦しんでいた一方で、父からステレオタイプを押し付けられたことは一度もない。おジャ魔女どれみやプリキュアよりも戦隊モノや仮面ライダーが好きだったことを否定されたこともないし、離婚後も家事をやってるのはわたしよりむしろ彼の方だった。わたしが “女の子らしく” なくても、家庭で唯一の女手として父親のケアをしたり必要以上の家事をこなさなくても、わたしはそこに存在して、愛されてよいのだ。

声を無くしたら僕じゃなくなる
それでも好きだと言ってくれますか

藤原基央にとっての「声」は、わたしにとって「 “良い娘” であること」だった。

だけど「66号線」の歌詞をなぞってもしもわたしが父にこう尋ねたならば、彼は迷わず YES と答えるだろう。

僕を無くしてもあなたでいられる
それでも

どれだけ近しい間柄であっても、どれだけ願っても、あなたとわたしは別の人間だ。

違う人間だから、当然ぶつかり合うことだってある。父との衝突だって一度や二度の話ではなく、何時間も言い合ったのに結局「お父さんとこれ以上この話はしない」と決めるしかなかったトピックも幾つかある。

でも、それでいい。分かり合えないことを「分かり合えない」と認めることだって、それぞれがそれぞれとして生きていく上での、大切な営みだと思うから。

ただこの事だけ疑わないでね
それだけで声が出せたんだ
立てたんだ 歌えたんだ

わたしと父親は、別々の人間だ。

それでも、その独立した「わたし」には、紛れもなく父親からもらった愛が含まれている。自分のマイナスを他人で埋める搾取や依存ではなく、ちゃんと「一人ずつ」だから交換できた大切なもの。父親は「お前がついてきてくれたからちゃんと生活しようと思えた」と言ってくれるけれど、わたしだってお父さんがいるから自分のことを嫌いにならずにここまで育ったんだと思う。

それって、すさまじい事だ。精神的に自立して一人ずつでも生きていける者同士が、お互いの存在を言祝いで歩み寄り、何かを与え合うこと、与え合ったものを携えてこれからを生きることは、途方もなく温かい。

僕を無くしてもあなたでいられる
それでも離れずいてくれますか

当然のことだけど、親子の形は様々だ。「わたしと父の形が理想的だ」なんて、口が裂けても言えないような葛藤や衝突がいくつもあった。

それでも、「66号線」の歌詞をなぞって父がわたしにこう尋ねる時が来たならば、迷わず YES と答えられる人間でありたいと、心から思う。

わたしがグジグジうだうだしていることは大抵すでに藤原基央が曲にしている。それは、自他の区別と、そこから始まる大きな愛のことすらも。

解説「66号線」(2010)

作詞・作曲:藤原基央
編曲: BUMP OF CHICKEN

2010年リリースのアルバム『COSMONAUT』に収録されているこの曲は、シングルカットされていないものの、隠れた名曲として愛されている一曲です。

「歌詞がラブソングめいている」と書きましたが、この曲は BUMP OF CHICKEN のプロデューサーを務める MOR に向けて書かれたとも言われており、戦友に贈られた勲章のようなものなのかもしれません。

また、「自分とあなたとは違う生き物だ」という圧倒的な事実と、そこからしか始まることのない物語への意識は、同アルバムに収録されている「宇宙飛行士への手紙」の「どうやったって無理なんだ/知らない記憶を知ることは/言葉で伝えても伝わったのは言葉だけ」という歌詞からもうかがい知ることができます。薄々お気付きの方もいるかもしれませんが、わたしが一番好きなアルバムは『COSMONAUT』です。ヒュウ

次回予告

「冷笑系」というネットミームがある。「考えすぎ」というアドバイスがある。

SNSには毎日いろんな意見が飛び交って、一体なにがどうでそうなのか、簡単に見失ってしまう。

少なくとも自分にとって「善い人間」であろうとするとき、それを邪魔するのは何か。それらとどう付き合ってゆけばいいのか。もがくのはかっこ悪いことなのか、かっこ悪いことはかっこ悪いのか?

6曲目は、2010年リリースの「キャラバン」、「good friends」に寄せて、何かに対して「考えすぎること」について考えます。

文と写真・和島咲藍
   絵・くどうしゅうこ
  編集・安尾日向

「わた藤」トラックリスト

1曲目:「ディアマン」ともう聴かなくなったバンド

2曲目:「宇宙飛行士への手紙」と流れ星のわたしたち」

3曲目:「リボン」と無敵の友情

4曲目:「才悩人応援歌」と健やかな破滅

番外編:2020年、激動の BUMP OF CHICKEN への信頼を問い直す | 彼らの振る舞いと不倫報道へのステートメントを読んでわかること

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