高校3年生の時、家庭の事情で気を病んで1年半に渡って不登校気味だったわたしを絶望させた言葉がある。担任の先生が言った「でもあなたはいつか自分で働いて、自分で生活しなくちゃならない。そのためにはちゃんと大学に行かないといけないのよ」という言葉だ。
薄暗い進路指導室で、先生の鋭くも暖かい視線がおでこに突き刺さっていた。わたしはなんとか「じゃあ、破滅します」と答えた。先生の深いため息がわたしの前髪を揺らした。
この連載は、365日不眠不休でグジグジうだうだしているわたしが、心から信頼する藤原基央さんと(勝手に)がっぷり組み合って BUMP OF CHICKEN に「追いつく」試みです。歌詞を中心に見ていくけれど、解説や解釈といったものはありません。わたしという人間が BUMP OF CHICKEN の曲を通して藤原基央という人間に挑み、自分のややこしい人生に向きあって泣いたり笑ったり、悔しがったりするコラムです。
藤原基央さんのお誕生日に寄せて書いた連載予告はこちら
1曲目:「ディアマン」ともう聴かなくなったバンド
2曲目:「宇宙飛行士への手紙」と流れ星のわたしたち
3曲目:「リボン」と無敵の友情
4曲目:「才悩人応援歌」と健やかな破滅
5曲目:「66号線」と別々の人間たち / 或いは父の愛
番外編:2020年、激動の BUMP OF CHICKEN への信頼を問い直す | 彼らの振る舞いと不倫報道へのステートメントを読んでわかること
才悩人応援歌
「才悩人応援歌」は、2007年のアルバム『orbital period』に収録されている。シングルカットはされておらず、あまり馴染みのない人もいるかもしれない。
この曲はわたしにとって、厳しい現実を突きつけてくる曲だ。同時に、その現実を逆手にとって、わたしの背中をそっと押してくれる曲でもある。「就職活動をやめる」という決断をした時、この曲はわたしにとっての光明だった。
わたしは天才である
「破滅します」の内訳を今考えてみると、それは未来への絶望だった。
今この瞬間の自分が揺らいでいるのに、先のことなんか考えられない、考えたくない。「いまここ」にいる、家庭に問題を抱えて学校に行けずに苦しんでいる自分を無視して、何年か先の食扶持を考えないと生存できない社会が憎かった。
そうでなくとも、いい会社に入るために大学に行くなんて不毛でとても気が重い。そんな風にしか人生が展開しないなら、わたしは、ここで、破滅します。
©︎Sakura Wajima
わたしはきっと、「自分は天才だ」と思っていたのだろう。
「子供はみんな天才です」という手垢のついたコピーをいつまでも真に受けて、自分は無限の可能性を秘めている、いつからだって必死になって目指せば何にでもなれるし、どのようにも生きられる、未来には何か面白いことが待っているはずだと、信じていたかったのだ。
「天才」を打ち砕くもの
しかし、「天才」を打ち砕くものがある。それは現実である。
担任の言葉は正しかった。わたしはいつか自分で働いて、自分で生活しなくちゃならない。夢とか可能性とか天才とか、そういうものの前にはまず「生き延びること」が立ちはだかっている。
得意な事があった事 今じゃもう忘れてるのは
それを自分より 得意な誰かが居たから
大切な夢があった事 今じゃもう忘れたいのは
それを本当に 叶えても金にならないから
現実は厳しい。親もいつまでも生きているわけではないし、いつまでも頑是ない駄々っ子ではいられない。生きていくためにはお金が必要で、お金を稼ぐためには「お金にならないこと」を捨てて凡庸な自分を受け入れて、どうにか妥協点を探さなければならない。
そういう「現実」にいちばん手っ取り早く対処する方法は、レールに乗ること。だから、担任は「ちゃんと大学に行かないといけないのよ」と続けたのだ。
知らないうちに乗っていたレール
あのとき、「じゃあ、破滅します」と答えたわたしは、結局のところ破滅しなかった。大学に入ったのだ。
大学にはいずれ行こうと思っていたし、幸い心から行きたいと思える志望校も見つかった。それなら、全員が国公立大学を受験するような進学校にいて、サポートを受けられる今のタイミングで受験しておいた方がいいだろうと考えたのだ。
結果的に、わたしは浪人することなく旧帝大に進学した。大学は楽しかった。人間関係にはずいぶん悩んだけれど、講義はどれも面白く、次から次に考えるべきテーマが降ってきた。アルバイトを始めたり海外旅行に行ったりして、とても充実した日々を過ごした。
しかし、大学2年生も終わりに近づく頃、そんな日々は翳りを見せる。就職活動について考え始める時期が近づいていたのだ。同級生たちの「インターンどこ行く?」「説明会行った?」という会話が、わたしを通り過ぎてゆく。
寝耳に水だった。エッ、やっといろいろに折り合いがついてきたのに、来年からやっと専攻の講義が本格化してもっと楽しくなるのに、まだ半分しか大学に行っていないのに、もう次なの。そんな、そんな、そんな。
一度は頭の隅に追いやっていた「レール」がまた現れた。学歴の面で言えば、わたしは確かに良いレールに乗っていた。でも、その素質は全然なかった。
「わたしには早すぎる」という言葉が漠然と頭に浮かんだ。20歳のわたしは、目の前のことを必死に掴んで咀嚼するので精一杯だった。学びたいことも、知らないといけないことも考えるべきことも山積みで、それらを未消化で先に進むことはできない、と思った。
休学と就活
どんどん就職活動に精を出す同級生を眺めながら3年生を終え、わたしは1年間休学することにした。浪人しなかったことと休学中の学費が無料であることで、両親には納得してもらった。
休学中、わたしは日本とデンマークで、フルタイムで働いてみた。自分の生活のかかった仕事に真剣に取り組む達成感はとてもいいものだったし、かっこいい大人と沢山出会って自分の心を解いてもらった。
しかし就職活動には、休学は逆効果だった。日本で生きていくこと自体を疑い始めてしまったのだ。
留学やボランティアが理由でない、漫然とした休学に後ろめたさを持っていたけれど、それはむしろ歓迎されるべき貴重な経験であること。何歳からでも学び始められる制度が整っていること。だから「新卒就活解禁日」なんてありえないこと。学校制度だけでなく、例えば、1分単位で考慮され調整される残業や、多数決でなく全員が納得するまで持たれる話し合いなど、デンマークでの経験は、まさにカルチャーショックだった。
その頃ちょうど日本では、医学部入試における女性差別など滅入るニュースで持ちきりで、ぼんやりと「わたしには日本じゃないのかもしれないな」と思った。
©︎Sakura Wajima
もやもやした思いを抱えつつ、それでもわたしは就職活動をやることにした。
22歳になって「現実」がまさに現実味を帯びて身に迫っているのを感じていたし、せっかく乗っていたレールを一度も使わないのはもったいないと考えたから。何より、休学を通じて自分の気持ちや煩悶を言葉にして整理する術を得て、「やってみようかな」と思うだけの心の余裕が生まれていたのだ。
やはり「早すぎる」
特に第一志望などはなく、でも業界は絞って「信用できる会社」という基準で、熱心にやった。周囲は驚いていたけれど、やるならしっかりやりたかったので、丁寧に企業研究をして、話を練って面接を受けた。順調に選考が進んだ会社もあれば、そうでないところもあった。3月から始めて6月まで、丸腰ながら就活生っぽいことは一通りやったと思う。
だけど、6月ごろになると「これでいいのか?」という焦りに似た気持ちが、無視できないほど大きくなっていた。
いわゆる「シューカツ」の空気や語彙、マナーに揉まれているうちに、疲れ果ててしまったことも大きかった。髪を黒く染めて前髪は伸ばして、眉毛はアーチ型に、口紅はベージュ、ジャケットのボタンの数は2個。似合わない四角くて地味な眼鏡を新調すること、靴擦れ予防にスニーカーを持ち運ぶこと、誰も本当のことなんて書いていないガクチカ、云々。
きっと大切で必要なことなんだと思うけれど、わたしの肌にはとことん合わなかった。いつしか耳鳴りがするようになって、まずいなあとぼんやり思っていた。
決定打は、面接で「挫折経験は?」という質問に対して、シューカツをやっていることです、と答えそうになったことだった。わたしはまだ「天才」を諦められていないのだと、自覚してしまった。
©︎Sakura Wajima
生活は平凡です 平凡でも困難です
星の隅で継続中です 声援なんて皆無です
脚光なんてなおさらです 期待されるような命じゃない
「これでいいのか?」という問いに対する答えは、イエスでなければならなかった。
だって、就職せずにいったいどうするというんだろう。せっかく良いレールに乗っているんだから、早く凡庸な自分を認めて、親孝行しないと。「現実」ではわたしの気持ちなどさして重要ではなく、みんながやっていることを上手くこなすことを求められているのだから。
ずっと前から解ってた 自分のための世界じゃない
問題ないでしょう 一人くらい 寝てたって
痛いってほど解ってた 自分のためのあなたじゃない
問題ないでしょう 一人くらい 消えたって
何回言っても足りないくらい、現実は厳しい。
自分のための世界じゃない、自分のためのあなたじゃない、期待されるような命じゃない。現実は厳しい。嫌になっちゃうよな。拗ねてやけっぱちで自虐的になって「問題ないでしょう」って、尋ねて回りたいくらいだ。
だからって、と思った。
ここで「現実」側に迎合すれば、また「リボン」の頃、つまり大学に入って周囲に迎合できずに苦しんだあの頃に後戻りだ。あの時は土俵から降りることで折り合いをつけたけれど、今回は自分の生存が人質だから、簡単には降りられない。
やはり早すぎたのではないか? そりゃあいつか企業に就職するかもしれないけれど、それは新卒一括のいわゆる「シューカツ」をやらないといけない、今じゃないんじゃないか。
安定か不安定か、社会か自分か、覚悟を決めるときだった。
自分のために歌われた唄などない 問題ないでしょう
さて、結果から言おう。わたしは就職活動をやめた。選考を辞退して、親にも報告した。父は「あなたの人生ですから」と言い、母は「いっぱい失敗しなさいね」と言った。
就職活動をやめるのは、とても勇気のいる決断だった。「また躓いてしまった」という劣等感もあったし、周りに就活をやめる人なんて一人もいなかった。先に卒業して大企業に勤めている友人たちを羨むような気持ちも、なかったと言えば嘘になる。
それでも、気づいたのだ。
世界のための自分じゃない 誰かのための自分じゃない
得意なことがあったこと 大切な夢があったこと
僕らはみんな解ってた 自分のために歌われた唄などない
問題ないでしょう
現実はいつでも我々の目の前にあり、それは時として徹底的にわたしたちを拒む。
自分のための世界じゃない、自分のためのあなたじゃない、期待されるような命じゃない、だから「自分のために歌われた唄などない」。
だけどその代わり、わたしは「世界のための自分」じゃないし「あなたのための自分」でもない。自分のために歌われた唄がないのなら、自分で歌うしかないのだ。
この「問題ないでしょう」は、覚悟のそれだ。いいだろう、歌ってやろうじゃないか。自分のための唄は、どれだけ抑えようとしたって、ずっと唇から喉から、零れ落ちていたんだから。
現実は厳しいけれど、だからこそ、わたしが多少好き勝手やろうとビクともしない。現実や社会はわたしの手に負えないほど大きい存在だけれど、それ以上でも以下でもないのだ。
©Sakura Wajima
就職活動をやめたからって、別になんにもどうにもなっていない。マジでどうやって生きていくんだ!!?! とは日々思っているし、わたしが捨てた「新卒カード」や「良いレール」は、もしかしたら何年後かのわたしが歯噛みして、喉から手が出るほど欲しがるものかもしれない。
それでも、今のわたしはこれがいい。自分がどんな唄を歌っていくのか、楽しみで仕方がない。人生の展開が全然わからなくなって、かつての「天才」を取り戻したような気分。それを破滅と呼ぶのなら、してやろうじゃないか、破滅。
わたしがグジグジうだうだしていることは大抵すでに藤原基央が曲にしている。それは、厳しい現実がみちびく健やかな破滅と、その正しい大きさすらも。
解説「才悩人応援歌」(2007)
作詞・作曲:藤原基央
編曲: BUMP OF CHICKEN
前述の通り、2007年リリースのアルバム『orbital period』に収録されているこの曲。
急に変拍子が現れるしギターはタッピング炸裂だし歌詞も歌詞だしで、中学生の頃は「珍しくキレ散らかしている曲だなあ」と感じていたのですが、大人になって聴くと、これは正しく応援歌だ、と思わされます。
特に「僕が歌う僕のためのラララ 君が歌う君のためのラララ」という歌詞。
ミュージシャンって、「あなたのために歌います」って、「あなたのための曲です」って言うもんじゃないですか!?!! そこを突き放してくるのが BUMP OF CHICKEN なんですねえ。おれも頑張って歌うから、お前も頑張れよ、と肩を叩いてくれる。やはり信用できる男、藤原基央。
藤原さんは高校を1年の夏で中退して上京し、友人の家を転々としながら新宿アルタ前で歌っていたそうです。先日めでたく結婚を発表した彼も、わたしのように悩んだことがあったのかな、それとも音楽だけを目指してひた走ってきたのでしょうか、果たして。
次回予告
思えば、父親の心配ばかりして生きてきた。
お父さんは孤独じゃないだろうか、生きていてよかったなって思えているんだろうか。
昔から「あなたの人生ですから」が口癖の彼が与えてくれたその愛。
次回は、2010年リリースのアルバム『COSMONAUT』に収録されている「66号線」に寄せて、自他を区別することについて考えます。
文と写真・和島咲藍
絵・くどうしゅうこ
編集・安尾日向
「わた藤」トラックリスト
3曲目:「リボン」と無敵の友情
番外編:2020年、激動の BUMP OF CHICKEN への信頼を問い直す | 彼らの振る舞いと不倫報道へのステートメントを読んでわかること