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映画『星の子』と3つの食べ物
|口にすること/しないことに表れる意志

(C)2020「星の子」製作委員会

「わけわかんなくなることってあるんだね」

姉・まーちゃんが幼いちひろに呟いたこの言葉は、私たちが生きていくなかで遭遇する “ままならなさ” を素直に表現したものとして私の耳に残った。

人生は、世界は、自分は、わけわかんない。

映画『星の子』は、自分の置かれた境遇を、周りにいるたくさんの他者を、そしてそのなかにいる自分自身を、どのように受け入れていけばよいのかという問いについて、煮えきらないまま考え続けるひとりの中学生の姿を描いた作品だと筆者は考えている。新興宗教という個別的なモチーフが用いられているが、それを通して抽出されているのは普遍的なテーマだ。

わけわかんない、どうにもままならない世界と、どう付き合っていけばいいの?

作中、ちひろの心情はあまり多く語られない。私たちが知ることができるのは、ちひろが何を言い、何をしたのか、裏返せば何を言わず、何をしなかったのか、そしてそのときのちひろの表情、それくらいである。

この記事では、ちひろが3つの食べ物(飲み物)に対してとった行動から、彼女の葛藤がどのように描かれているかを抽出したい。水・コーヒー・焼きそばである。

目次
・水とコーヒー、両親と姉
・なぜ焼きそばを口にしないのか
・「まだ見えない」家族のこと、自分のこと、これからのこと

水とコーヒー、両親と姉

まずは水とコーヒーという2つの飲み物に与えられた対比について考えてみよう。

水が象徴するのはちひろの両親が信者となった新興宗教それ自体である。

未熟児として生まれたちひろは体が弱く「病気」をした。両親はちひろの「病気」に疲弊し、「宇宙のパワーを込められた水」にすがりつく。「金星のめぐみ」と名づけられたその水を使い始めるとちひろの症状が治まり、それは「金星のめぐみ」ひいてはその宗教自体のパワーを証明しているように捉えた両親は、その後その宗教により深く入信していくことになる。両親はその水を使って特殊な “儀式” を行うなど、少なくとも一家にとって水はその宗教の中心に位置していた。

一方のコーヒーが象徴するのは姉・まーちゃん(蒔田彩珠)である。

妹であるちひろを姉として大切に思う一方で、ちひろの「病気」をきっかけとして両親がのめり込んでいった宗教に対しては疑いを持っていた。同じく懐疑的だった伯父・雄三(大友康平)の “作戦” に協力するも、考えを変えない両親の姿を目にする。その後姉は家を出て行ってしまう。

この記事の冒頭で引用したセリフは、家出したまーちゃんがこっそりと家に帰ってきた際、おじさんとの “作戦” の日を思い返して呟いたものだった。このときちひろは、「パワーが弱まるから」と禁止されているコーヒーを姉に入れてもらって初めて口にする。その夜を最後に会えなくなった姉の記憶は、初めて飲んだコーヒーの苦みの記憶と同じところに仕舞われている。

水とコーヒーという2つの飲み物それぞれに対して、ちひろ(芦田愛菜)はかなり意志のある行動をとっている。

ちひろと両親をつなげる水

憧れの南先生(岡田将生)に両親の “儀式” を目撃され「完全に不審者だな」と言われたことをきっかけに、ちひろは両親が信じる宗教、そのシンボルとしての水に対して少し疑念が生まれる。しかしそれでも、ちひろは水を学校に持っていくことをやめなかった。

(C)2020「星の子」製作委員会

ちひろの頭に水をかけようとする両親をしっかりと拒絶したあとだったから、「いや、まだ持っていくのかよ!」と違和感を抱いた人も多かったのではないだろうか。この描写に関して、監督の大森立嗣は次のように言及している。

今回は水がモチーフになっていたので、誰かに宗教のことを否定された後でも、ちひろがその水を飲んでいるシーンを入れるなど、ちひろの心情を表すものとして使っていました。

ぴあ関西版WEBによるインタビューから引用)

やはりあれは意図的なものであり、ちひろの心情が表れた行動なのである。このシーンからわかること、それはちひろにとってあの水は、宗教の象徴であるだけでなく、両親の象徴でもあるのだ。より細かく言えば「両親を大切に思う心」の象徴である。水の効能、宗教自体の真偽とは別で、両親が大切にしているものを自分も大切にしたいという思い。それは美しくもあり、残酷でもある。

しかしちひろは完全にあの水を受け入れたわけでもない。保健室の先生への問いかけや、なべちゃんの「あんたはどうなの?」という問いへの返答から、彼女がまだ葛藤していることがわかる。

同様の葛藤はコーヒーによっても表されている。

ひとりで飲むコーヒー

宗教的には禁止されているコーヒーを、ちひろはひとりで飲んでいる。わざわざ喫茶店に行ってまで。ここには2つの意志が読み取れる。

1つ目は姉への思慕だ。自分をかわいがってくれた大好きなまーちゃんを思い出すため、ちひろはコーヒーをわざわざ飲みにいくのだ。

(C)2020「星の子」製作委員会

姉の家出は理由が明確に提示されているわけではない。おそらくは宗教を何の疑いもなく信じ続ける家族への違和感から居心地が悪くなったのだろう。ちひろにとって初めてのコーヒーだったあの夜、姉は彼氏の好きなところとして嘘のなさを挙げていた。これは家族、特に両親に対する違和感の裏返しだ。

ちひろは「病弱」だった自分のせいで姉は出て行ったという気負いを抱えている。もちろんその間には宗教の存在が差し挟まる。姉への思いは強い。だからこそ “禁止されているのに” コーヒーを飲むのだ。規則の違反、これが2つ目の意志である。これはちひろが無批判に宗教を受け入れている「意志なんて関係ない」存在ではないことの表れである。

あの水は宗教の象徴であると同時に両親の象徴でもあった。自分を、そして家族を「病気」から救ってくれた。ちひろにとっては両親とのつながりを示すものなのだ。一方コーヒーは姉の象徴であり、彼女の意志の象徴でもあった。水とコーヒーが表すのは、受け入れる気持ち/拒絶する気持ちの双方がちひろのなかで同時に存在し、その間で揺れ動く葛藤なのである。

なぜ焼きそばを口にしないのか

ちひろが飲む水とコーヒーは、彼女の煩悶を示すモチーフとなっていた。

しかしちひろが口にしなかったものがある。海路さんの焼きそばだ。

同じく信者の家庭に育った春ちゃん(赤澤巴菜乃)との会話で「食べるのが楽しみ」なものとして言及されていた、団体幹部の海路さん(高良健吾)が手作りする焼きそば。しかし研修旅行で海路さんが目の前で作っているその憧れの焼きそばを、ちひろは結局食べなかった。周りではみなが焼きそばをおいしそうに頬張っている。研修に紛れ込んでいる非信者のおじさんや春ちゃんの彼氏だって食べている。それをちひろはたしかに見ているが、焼きそばをもらいに行きはしない。同様に昼食や夕食として出されたおにぎり弁当も、食べてはいるがあまり進んでいないことがはっきりとスクリーンに映される。

これは company の拒否である。company は「会社」という意味で使われるが、原義には「ともにパンを食べる仲間」という意味が含まれていることは有名な話だ。この話が暗示するのは、「同じ釜の飯を食う人間」こそが「仲間」だということだ。逆に言えば海路さんが作った焼きそばをわざと食べないことは、「私はあなたたちの仲間ではない」という意志表示として作用するということ。ここにもコーヒーのときと同じように、ちひろなりの「拒絶」が表れている。

海路さんの同僚である昇子さん(黒木華)はちひろに対し、「あなたがここに来るのはあなたの意志とは関係のないこと」と繰り返すが、ちひろは意志を持っている。なぜなら、「拒絶」とは意志であるから。もちろんちひろはまだ迷っている。たくさんの人を見つめ、考えている。答えが出るのはまだもう少し先だろう。もしかしたらずっと先のことになるかもしれない。でも彼女は意志を持って考え続けるだろう。

「まだ見えない」家族のこと、
自分のこと、これからのこと

(C)2020「星の子」製作委員会

物語のラストである研修旅行から星空観察のシークエンスは、ちひろと家族のすれ違いを強く映し出す。「お母さんがちひろちゃんのこと探してたよ」と言われて母のもとへ向かうが会えない。両親とちひろの3人で同じ流れ星を見ようとするが見えない。すぐ近くにいるのに遠くに感じることのもどかしさ、そして不安。

でも私は思う。両親がちひろを探し続けていたこと、ちひろと一緒に同じ流れ星を見ようとすること、これらは両親も葛藤を抱えていることを表しているのではないか。もしそうだとしたら、それはひとまずの救いなのかもしれない。

ラスト、3人の親子が横に並んで夜空を見上げる長回しのシーン。同じものが見たい、でも見られない。いや、「まだ見えない」のだ。簡単には見られないことはわかっている。でも、いつかは見ることができるだろう。こうやってくよくよと悩み、考え続けていれば、きっと。最後の父(永瀬正敏)の言葉にそのような意志を読み取るのは、少々感傷的すぎるだろうか。

 文・安尾日向
編集・川合裕之(フラスコ飯店 店主)

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くよくよすることは「弱い」ことなんかじゃない。くよくよするには「強さ」が必要なのだ。自らに問い続ける苦しさとどこまでも付き合っていく、という「強さ」が。くよくよは優柔不断ではなく、大切なものを大切にするための真摯な葛藤なのだ。

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参考文献

「考え続けていれば間違わない。 それがこの映画の核で、僕が一番好きなところです」 映画『星の子』大森立嗣監督インタビュー:ぴあ関西版WEB

解説『星の子』(2020)

監督:
大森立嗣

出演:
芦田愛菜、岡田将生、大友康平、高良健吾、黒木華、蒔田彩珠、新音、大谷麻衣、永瀬正敏、原田知世など

とにかく出演している役者の豪華さ、そしてその演技が評判ですね。まずは何をおいても芦田愛菜ですよね。2014年の『円卓 こっこ、ひと夏のイマジン』以来の主演映画ということで注目を集めています。偏見かもしれませんが、子役にはすこし過剰な演技が求められることが多いように思うのですが、子役としてあまりに有名だった彼女の『星の子』での演技は「抑制の効いた過不足のない表情」がものすごくよかったように思います。芦田愛菜やっぱすげえ、みたいなド素人の感想ですみません。

脇を固めた岡田将生、高良健吾&黒木華コンビの “怪演” も話題ですが、いやでもなべちゃん役の新音がめちゃくちゃ良かったよね!!!!!!! これは声を大にして言いたい。ちひろに対してかなり率直に話をするあの淡々とした、でも誠実な感じ。いざというときはちゃんととなりで話を聞いてくれる優しさ。なべちゃんとの友情がちひろにとってどれほど大きな意味を持っているか……。そのことをしっかりと伝えてくれる演技でした。新音はモデルとして活動を開始し、2018年の映画『Blue Wind Blows』で役者デビュー、2019年の映画『まく子』ではヒロインを演じたそう。また注目したい役者が増えました。

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