I’m back. Omatase. 

タグ: #アンチ共感

ジャックパーセルなんか、二度と履いてやるかと心に誓った。

エンドロールが終わり、立ち上がることができない。正直に打ち明けるならば、最初のモノローグの時点で、こうなることは分かっていたけれども。

たしかにこれは「良い映画」なのだろうと直感でそう思いました。が、しかしこの映画が僕に与える感情はいったい何だったのか、僕にはわかりませんでした。絶対故障だ。処理できない。けれど喪失感に似た得も言われぬ疲労が下腹にどんよりと残る。論より証拠。そうなってしまったのだから仕方ない。

(C)2021「花束みたいな恋をした」製作委員

非常識なくらい辛すぎる麻婆豆腐を食べたときのような、あるいは度を越えるほど甘ったるいチャイを飲んだときのようなーー。たしかに強烈な味がそこにあることはわかるけれど、具体的に詳細に述べることは困難で、とにかく今は水を求め喉をリセットしたい。たべるのがおそいせいかお腹がもういっぱいだ。

わからない。丁半が付かないが、勝敗ははっきりしている。あっぱれ。ちっとも理由がわからないけれど、たしかに僕は「くらって」しまいました。そんな『花束みたいに恋をした』という映画は、結局のところは一体何だったのか。

自身の体験から敢えて遠巻きに距離を取ってこの作品が何だったのかを考えたいと思います。

2020.05.09 / / コラム

ワニが死んだ。

喪に服す間もなく即グッズ展開、即ミュージックビデオ、即映画化。

げんなりした、という声も少なくありませんでした。たしかに、捉えようによってはまるで「いい話だと思ったら青汁のCMだった」あるいは「新聞のCMだった」というような肩透かしかもしれませんね。

さらに舞台袖からは国内最大手広告代理店がちらつき、「お前さんとこの会社が “死” を商品にするのかい」という指摘もあいまって、それはそれは盛大なまつりあげになってしまいました。

それはそうと。

筆者がいっとう気になったのは、このブームに際して「ぼくの・わたしの100日間」を紡ぐコラムが人々の手によって発表されていたことです。

——あなたなら、①と②のどちらを選ぶだろうか? 僕は①の「だけど」を選ぶ人のほうが多いと予想する。

どうして「②だから」ではなく「①だけど」が入ったほうが自然な文に思えてしまうのか。この記事のテーマはまさにこの疑問にある。

「共感」と「おもしろいかどうか」。2つの間に結ばれた関係はどのようなものか。小説「劇場」を通して考えてみよう。

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