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衝撃のラスト、なんて書くと月並みで呆れられやしないかと冷や冷やしますが、そんなクリシェを悠々と乗り越えてしまうほどこの映画の結末は衝撃的なのです。
実体のない声だけの存在であるAI(作品内ではOSと表現される)と生身の人間の恋愛は、数々の困難を乗り越えて一旦は成就します。それがなぜ・どのように恋愛関係が形成されていったのか。それについては別の記事を参照されたし。とかく、一度は恋が実ったのです。
が、しかし、さらなる展開で居心地の悪いラストを迎えます。AIのサマンサはセオドアと決別。一件落着ハッピーエンド……とは到底ほど遠いように見えて、しかしその直後の結末まで映画を見届けるとやはりセオドアはこれで幸せなようにも感じる。
え?なに?どういうこと?
考えれば考えるほど頭が割れそうになる。もうすっかり限界を迎えたルービックキューブを力ずくで捻っている時のような悲痛な軋みが左脳から聴こえる。わからないけれど、わからないなりに筆をとって頭を整理させようと思います。
『her』 の最後の「あれ」(としか表現できない正体不明のモヤモヤ)は結局どういうことだったのでしょうか。「言語」をキーワードにこの疑問の正体に迫ります。
mokuji