I’m back. Omatase. 

カテゴリー: 映画レビュー

(C)2021 Universal Pictures 暴力には反対だけど、暴力映画は称賛したい。 矛盾していますが本当です。いいや、矛盾しているからこそ本当なのかもしれません。人間は痩せたいけど深夜に冷凍チャーハンを貪ったり、貯金したいと口では言いながら何万円もするスニーカーを注文する生き物なのですから。 暴力の見本市みたいな作品がまたひとつ、日本に配給されてきたことを嬉しく思います。 映画『Mr.ノーバディ』。万歳三唱。 “自分は nobody だ”  と宣言する一方で、座席の僕は内心でこう叫ぶ。いや何でもないわけあるかい…

(C)2021 スタジオ地図 涙が出た。あくびで。毒舌の苦手な鈴ちゃんのために控えめに言ったとしても、最悪だ。なにこれ。僕は細田守のつくる映画が好きだ。好きだった。だからこそ、なおさらなのかもしれません。 mokuji 中村佳穂は悪くないが、「うた」への理解が乏しいのでは? 「うた」への多角的な視点が必要だったはずなのに 物語としての殺人的な欠陥「何が起ころうが、どうでもいい」 ログアウトしたらええやん? サマーウォーズは「成立」していたよ……? 必要性のない「美女と野獣」の引用 アンベールすんのかい!せんのかい! ことごとく空振りす…

『アメリ』(2001)から受けた印象はすごくオシャレでパリの街を現実のパリ以上にファンタスティックで楽しい街に映し出してくれる映画というものだった。 パリの街を幻想的に映し出すことでファンタジーの世界にも見えなくもないように表現していたり、そのためにカラーグレーディングは昨今Instagramなどでもよく使われる “映画風フィルター” の元となる技法の「ティールアンドオレンジ」を使っていたり。背景や衣装には補色同士の赤と緑を常に配置し、映画のテーマカラーを常に観客にみせてるなどの工夫により作品の世界観が特徴的な一本である。 IMdbよ…

(C)「街の上で」フィルムパートナーズ 倍速で映画を見るのは是か非か。筆者としては「非」一点なのですが、とかくそんな議論が少し話題になりました。すっかりその熱は冷めましたが、また今後も定期的に燃え上がる火種だろうと睨んでいます。 もし仮に、倍速で『街の上で』という映画を見たとします。こうして「視聴した」という事実は、「鑑賞した」という体験と符合するのでしょうか。 いいえ、きっとそうはならない。倍速処理を施すことによって指から零れ落ちるものたちこそが、きっとこの映画のエッセンスでしょう。 『街の上で』 今泉力哉監督作品。同氏の監督作『愛…

(C)2018 Disney. All Rights Reserved.

>フラスコ飯店からのお知らせ<

流行ってるらしいが、どんなもんかいや。寝る前に自分の部屋で「clubhouse」というアプリをダウンロードしてみる。軽くパニックになった。

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こんな田舎町、はやく出て行ってやるんだーーみたいな描写がフィクションの中にあるとドキッとしてしまう。悪いけど言ってしまえば、僕はある程度、都会の人間なわけでして。

日本の中心たる京都市の真ん中で育った。関西の街なら梅田も難波も三宮も、別になんとなく歩くくらいはわけない。たとえ「3時間遅刻するから待っていて欲しい」と言われたとて、別に特段困りはしませんよ。嫌やけどね。

申し訳ないけど、都会への憧れだとか、あるいは畏敬の念なんてものはない。自分でも書いていて甚だ鼻につくけれど、ないものはないのだから仕方ない。だって生まれ育ってるんだからさ。僕だって別に選んだわけじゃないです。とはいえ、どんな人間にだって「はじめて」は存在する。I will give you all my love.

幼いころに正月の祇園で手を引かれて「ほほう、これが」と思ったものです。はじめて難波の「あのグリコ」を見たときの気持ちとか、四条での時間の過ごし方がわからなかった小学生の時の焦燥とか。あるいは、地下街で迷子になったときの絶望とか。

そういう感覚、すっかり忘れていたけれど、ちょっと思い出した気がします。

回想を経て再び自室へ戻る。掌の中から覗く「clubhouse」は、僕にとって未知なる「都会」だったのです。

©BUENA VISTA PICTURES

>フラスコ飯店からのお知らせ<

中学3年生以来、ヒールのある靴を履いたことがない。持っていないから、デートでも大学の入学式でも履かなかったし、就職活動はスーツ一式を揃える前に辞めてしまった。

特に何かの主義主張があるわけではない。わたしの好きな服の系統にはヒールのある靴はそぐわないし、24.5cmで甲高幅広の足に合わないから履かない。ただそれだけ。

でも、世の中にはわたしの「ただそれだけ」を渇望する人がいる。

青い靄がかかった桟橋の上で真っ赤なハイヒールを履いた少年は、まるで自分の魂を解放するように、うれしそうに踊る。

(C)山内マリコ/集英社・「あのこは貴族」製作委員会

「あのこ」が誰なのか、映画がはじまるや否やわたしたちはすぐに察する。元旦の東京をタクシーで移動する彼女の身なり、運転手のどうでもいい話に返事をせず、かといって流れる夜景にも関心を示さない物憂げな表情。そして立派なホテルで豪華な食事を楽しむ彼女の家族を見て「このこが貴族」だと確信する。じゃあわたし(たち)はなんだろう。

映画『あのこは貴族』はあらゆる「対比」が散りばめられた作品であり、その対比はタイトルから既にはじまっている。家族との優雅な会食とそこでの話題、「おばあちゃま」呼びなどなど、わたしたち観客は華子との生まれ育ちの比較をせずにはいられない。

→読む前に『あのこは貴族』をもう一度観る

子どもの頃、カートゥーンネットワークで放送されていた『トムとジェリー』(1940)を毎日のように観ていた。うっすらとした記憶の中ではぼくの観ていた放送時刻は月〜金の21:30から。なぜだかわからないがぼくの家では21:30からの30分間、兄とぼくが『トムとジェリー』を観る時間があった。

あの頃はとにかく習慣として『トムとジェリー』を観ていたのだけれど毎日のように観ていても前に観たことのあるエピソードが放送されることは稀でほとんどの確率でまだ観たことのない回が放送されていたのを覚えている。それもそのはず。短編エピソードだけでも160タイトルを超える数があり、毎日のように代わる代わる放送されていたのだから。

その習慣はどれくらい続いていたのかも覚えていないけれど、ある時期を境にいつの間にか「今日の『トムとジェリー』はどのエピソードだろうか?」という楽しみ方に変わり、自分たちの好きなエピソードのタイトルがテレビに表示されると兄と二人で喜んでいたのを覚えている。また、それでも初めて観るエピソードが流れた時には「まだ観たことない!」と口を揃えて声に出したほど、あの頃のぼくたちはなぜか『トムとジェリー』に夢中だった。

IMDb より引用

事実として、ぼくは『トムとジェリー』にハマったことがあったのだ。しかも、その事実に気がついたのはこの記事を書いている途中であった。記事を書くために配信されている短編作品を観て漁っている時に「あれ、これも観たことがあるぞ? あれ? これも観たことがあるぞ?」と子どもの頃の記憶が蘇ってきたのだ。

しかも、どれも今観てきっちり面白いから驚きだ。他のカートゥーン作品に比べても『トムとジェリー』は見応えがある。細かな背景の作画やヌルヌルと動く24fps(秒間に24枚の作画)という当時にしてはコマ数の多いアニメーション。

そして何よりもおっちょこちょいなトムとしたたかなジェリーというキャラクターがやっぱり魅力的なのだ!

しかし、もうぼくは大人だ。「まだ観たことない!」と声に出していたあの頃のような無邪気な子どもでもないのだ。にもかかわらず、やっぱり『トムとジェリー』は面白い。

あのふたりが今もなおぼくの心を掴んでくれる理由は一体なんなのだろうか! そんなことを本気で考えてみることにする。

2021.02.26 / / コラム

> Amazon prime でプリティ・ウーマン (字幕版) を観る < 男「いつもよりお店の営業時間も短いことだし、そろそろお会計にしようか」 女「そうだね!お会計……いくらかな?」 男女2人がご飯に行った際の光景。この後男性が女性の分のご飯代もまとめて支払うのがだいたいお決まりの展開だ。しかし、その時の自分たちは何を考えていただろうか。思い出してみてほしい。 この瞬間、これからの2人の展開を左右するような男女の駆け引きが繰り広げられてはいなかっただろうか。 「奢る」そして「奢られる」。男女の関係を左…

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