Te wo Arai mashou.

カテゴリー: 映画レビュー

(C)2019 映画「タロウのバカ」製作委員会

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『セトウツミ』や「まほろシリーズ」、『ぼっちゃん』などを監督してきた大森立嗣(おおもり・たつし)による2019年の映画『タロウのバカ』をレビューします。「社会の外側を見ること」に伴う息苦しさ・閉塞感は、映画館という空間だからこそ成り立っていたのではないか、という論考です。

それではどうぞお召し上がりください。

慮外放心。呆然。テアトル梅田の地下劇場から地上へ登るときの筆者のその心持ちは、このように表現するほかありません。

戸籍もなく、就学経験もなく、そぞろに毎日を過ごす少年・タロウ。エージ、スギオという高校生の仲間とともに、3人で奔放で破滅的な時間に身を投じて消耗する日々。あることをきっかけに一丁の拳銃を手にしたことから、タロウたちは邪悪でからりとした刺激を加速させることとなる――。これが『タロウのバカ』の簡単なあらすじです。しかしこれはさっぱりと爽やかな青春群像劇でも、うなるほどの痛快なケイパーアクション劇でもない。真夏の炎天下に、手負いの蟻がもがく様をじいっと眺めつづけるような忍耐を要する、静的な苦しみの伴う映画なのです。

(C)2018 A24 DISTRIBUTION, LLC

それは単なる杞憂でした。SNS時代の青春映画、と配給に題されたこの映画にいささかながら不信感を覚えていた自分を強く戒めながら僕は映画館をあとにする。

「いま」はいずれ「むかし」に成り代わることは必至。SNSを題材にすればたしかに身近なものを克明に描くことができるかもしれないが、その反作用として足の速い映画になってしまう。そう思われてしまうのも無理はないでしょう。いいえ、でも大丈夫。『エイス・グレード』は思春期の僕たちを苛んできた自意識、という強靭な普遍性に支えられているのです。

選ばなかった方角を/懐かしみ続けている/夜が多重露光のように/交わ

cero”double exposure”

可能性はいつだって無限にひらかれていたのに、ぼくたちはいつになっても、あの時ああしていればなどとくよくよ考えている。もしもあのとき、違う学校に入っていたら? あのとき、思いを人に伝えていたら? あのとき、右の角を曲がっていたら? 

出会わなかった誰かのこと、なにかのことをたぐり寄せようとする。あるいは、そう在ったかもしれない自分のことも。染み付いた自堕落と手癖でコンビニのカップラーメンを手に取る時、その食物が自分の血肉になることを考える。もしもいまからぼくが摂取し、ゆくゆくはぼくそのものになる物質が、今後の人生を変えたらどうしよう? この不健康の塊みたいなカップラーメンを食べた瞬間に肝臓が悪くなって倒れて働けなくなってお金がなくなって好きな人に離れられて家が焼けて親類も全員死んでしまいには闇金に引っかかったらどうしよう!?

(C)2015 Twentieth Century Fox Film Corporation. All Rights Reserved.

お、配信されてるじゃん。ちょっと見てみよう。えっと……そうだな……いつか時間のあるときに。そんな風に言い訳して一応マイリストに入れたけれどそれっきりという人は僕だけではないはず。

Netflixで『レヴェナント:蘇りし者』が配信されています。2時間36分の大作。それも暗くどんよりとした言ってしまえば辛気臭い映画です。気軽にサクッと楽しめるドラマだって沢山そろったNetflixでは、ついつい後回しにしてしまうかも。

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ユニバース、ユニバース、ユニバ―ス。

あれも?これも?それもそうなの?

知らないよ。全部見てられないよ。そんな声が聞こえてくる。わかる。そりゃそうだ。普通の人はそう言うのが筋でしょう。こんなのに付き合ってるの僕らみたいな一部のおかしなファンだけですよ。

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