多くの子供がそうだったように、自分にもその昔夢があった。何にでもなれるような気がしていた。 映画を観るようになった10代前半の頃、私はスクリーン上で繰り広げられる人間模様に感動し、登場人物に想いを馳せた。映画を観て世の中にある職業を知り、将来について色々想像した。 ロビン・ウィリアムズがお気に入りだった。『レナードの朝』や『パッチアダムス』で医者を演じる彼に影響されて、自分も医者になりたいと思い、『グッド・ウィル・ハンティング』の彼を観て心理学者もいいなと思ったりした。 ゆとり世代だからか、小学校や中学校では将来の夢について作文で書く…
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高校生のころ、部活の先輩が電車のなかでハンバーガーを食べようとするのを止めたことがある。他の乗客からの視線もあり、車内でマクドはマズイと諭すと、先輩はこう答えた。 「食べていいか考えたんやけど……ジョン・レノンやったら、電車でハンバーガー食べるやろなと思って」 あのとき、自分は車内に持ち込まれたマクドナルドの袋を、はっきり「異物」と捉えていた。 周りもそうなのだろう。ポテトのニオイが持ち込まれると、乗客は一斉に不満を表明しだす。ムッとした表情がニオイの主を探し出し、舌打ちまで聞こえることもある。自分も同じ感覚だったからこそ、ジョンを模…
IMDbより わたしが故郷を出ると決心したのは小学生の頃だったらしい。「こんな家はもういやだ、はやく出て行きたい(でも今は無理だからもう少しがまんしよう)」と書き殴ってゴミ箱に捨てた日記を親が発見し、数年経ってからそのことを教えてくれた。 高校生になったわたしは迷わず県外の大学を志望し、就職を機にその場所から離れ、退職後さらに違う土地へと移った。思い返せばこの10年間、故郷から離れ続けている。自分で選んだ道を進むことは幸せであり、時に苦しみを伴うと理解するには十分な時間でもあった。わたしの生き方は珍しくない、どこにでもある話だと思って…
©️1986 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved. 12歳の頃、友達を探していた。12歳が終わるまでに親友と呼べる存在が欲しかった。日々失われる少年時代。中学受験を控えて私は焦っていた。というのも、映画『スタンド・バイ・ミー』の最後にある言葉を額面通り信じていたからだ。 「あの12歳の時のような友達はもうできない」 エンディングが流れる前に、作家となった主人公がコンピューターに打ち込む言葉。 それを見た小学校低学年の私は、「親友を見つけるなら13歳…
(C)2021 C&Iエンタテインメント 忘れた頃にいきなり現れて、おもむろに心臓を握ってくる。とてもじゃないけど、息もできない。そして、いきなりいなくなる。本当なら、会った瞬間にぶん殴って、叫びながら逃げた先の河原なんかで涙のひとつでも流してやりたい。なんで戻ってくるんだよ。とっくにさよならしたはずなのに。すれ違うだけで、苦しくてしょうがないんだよ。 でもさ、やっぱり会えるとなんだかんだ嬉しいんだ。色々とひどいことを言ってしまってすまない。謝るよ。本音を言うと、どこにいたの、探してたよ、って感じなんだ。実のところ、君に会って…
(C)2021「ドライブ・マイ・カー」製作委員会 言葉とは何だろう。言葉が通じるとは、話をするとは、どういうことだろう。言葉を使うことは否応なく、言葉を使わなければ出会うことのなかった深い深い孤独と対面することでもある。同時に、言葉がなければ見ることのできない祝福の光を浴びることでもある。そのような孤独の暗闇と、トンネルの先にある朝の海のような眩しい光とのあわいを、一台の赤い車が走ってゆく。 『ドライブ・マイ・カー』という映画について語る時、まず僕はこういった抽象的なイメージを語らなければならない。すぐさま細部を語るには、あまりにこの…
題字:キョウハナ 令和になって久しい。まる3年が経とうとしているらしい。石の上にも三年。「平成かお前は」という言葉などは、気づけば倫理観のオワった化石を打ち砕くための弾丸になってしまった。 なんか堅いな、ごめんね。あなたが思うより冷静です。 いやいや、こんな安い時事を取り入れるようになったら終わりかもしれない。自分で思うよりアラサーなのかもしれない。 そんなわけで、フラスコ飯店がことし取り扱った作品を全てズラッと一覧でお届けします。 年末年始の暇つぶしに、またはこれから観る映画を決めるのにご活用いただければと思います。 店主より 20…
©️New Line Cinema あなたは完全だ。 自分は全く完全ではなく、何かが欠けていると思っている人へ。欠けているなにかを探さなくてはいけないと思っている人へ。欠けているなにかなんて見つからないと諦めている人へ。そんなふうに考えたこともないという人へ。その他も含めた全ての人に言う。あなたは疑う余地なく完全だ。 今から、そのことを教えてくれる素晴らしい映画についての話をする。この映画は素晴らしいが、そのラストシーンに関して言えば分かりにくい。それでも、初めて観た時に僕はラストシーンで泣いた。それは、「Midnigh…
(C)2017映画「勝手にふるえてろ」製作委員会 「勝手にふるえてろ」という言葉。強いメッセージに見えるが、その核には何があるのだろうか。 筆者はこの言葉は観客に向けられた言葉だと感じる。そもそも私たちは映画を見てカタルシスを感じたり、物語を自分の人生に置き換えることはあるだろう。しかし『勝手にふるえてろ』は劇中だけで終わらず、見ている我々がヨシカに「勝手にふるえてろ」と言われることで後味が残る。 映画館を出ても、そのセリフの意味を考えてしまうのだ。スクリーンの中だけで終わらず、我々の日常にヨシカの言葉が重くのしかかる。 なぜ「勝手に…