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キュウソネコカミは高らかに歌ってくれた。

ヤンキーこわい
ヤーンキーこーわいー

「DQNなりたい、40代で死にたい」

ヤンキー=DQNという図式はいかがなものかと思うけど、フェスでみんなで大きな声で、「ヤーンキーこーわいー」と叫び歌うのはさぞ気持ちがスッとするだろう。なぜって、僕はヤンキーじゃないから。ヤンキーにはなり得なかったから。

数分後に、ハイタッチをする予定が入った。突如として入った。知らない人間と、にこにこして、ハイタッチを、成功させなければならない。心臓が高鳴って、アフリカの民族音楽みたいなビートを刻み始めた。自分の中でマサイ族のみんなが火を囲んで飛んでいる。やめてください、ここは祝祭の会場には好ましくないんです。

好きなものを語ることが恐ろしい。好きな映画は? 好きな音楽は? 好きな女性のタイプは? そんな質問に答えようとするたびに喉の奥に冷たくてどろどろしたものが溜まってうまくことばが接げなくなるのだけれど、唯一「好きな作家は?」という質問にだけはすんなり答えることができる。川上弘美がたいそう好きである。平易と思われる文章の中にユーモアと晦渋なメタファーが埋め込まれ、道を歩いていたらいつの間にか異世界に飛ばされたり五百年くらい時が経っていたりするような心地がするから、好きである。

ところが、最近のぼくは川上弘美にまつわる二つの問題に悩まされている。一つは、川上弘美という作家が世間からは誤解されているような気がすること。もう一つは、川上弘美がすっかりマザーコンピューターになってしまったことである。

(C)2019 映画「タロウのバカ」製作委員会

慮外放心。呆然。テアトル梅田の地下劇場から地上へ登るときの筆者のその心持ちは、このように表現するほかありません。

戸籍もなく、就学経験もなく、そぞろに毎日を過ごす少年・タロウ。エージ、スギオという高校生の仲間とともに、3人で奔放で破滅的な時間に身を投じて消耗する日々。あることをきっかけに一丁の拳銃を手にしたことから、タロウたちは邪悪でからりとした刺激を加速させることとなる――。これが『タロウのバカ』の簡単なあらすじです。しかしこれはさっぱりと爽やかな青春群像劇でも、うなるほどの痛快なケイパーアクション劇でもない。真夏の炎天下に、手負いの蟻がもがく様をじいっと眺めつづけるような忍耐を要する、静的な苦しみの伴う映画なのです。

(C)2018 A24 DISTRIBUTION, LLC

それは単なる杞憂でした。SNS時代の青春映画、と配給に題されたこの映画にいささかながら不信感を覚えていた自分を強く戒めながら僕は映画館をあとにする。

「いま」はいずれ「むかし」に成り代わることは必至。SNSを題材にすればたしかに身近なものを克明に描くことができるかもしれないが、その反作用として足の速い映画になってしまう。そう思われてしまうのも無理はないでしょう。いいえ、でも大丈夫。『エイス・グレード』は思春期の僕たちを苛んできた自意識、という強靭な普遍性に支えられているのです。

選ばなかった方角を/懐かしみ続けている/夜が多重露光のように/交わ

cero”double exposure”

可能性はいつだって無限にひらかれていたのに、ぼくたちはいつになっても、あの時ああしていればなどとくよくよ考えている。もしもあのとき、違う学校に入っていたら? あのとき、思いを人に伝えていたら? あのとき、右の角を曲がっていたら? 

出会わなかった誰かのこと、なにかのことをたぐり寄せようとする。あるいは、そう在ったかもしれない自分のことも。染み付いた自堕落と手癖でコンビニのカップラーメンを手に取る時、その食物が自分の血肉になることを考える。もしもいまからぼくが摂取し、ゆくゆくはぼくそのものになる物質が、今後の人生を変えたらどうしよう? この不健康の塊みたいなカップラーメンを食べた瞬間に肝臓が悪くなって倒れて働けなくなってお金がなくなって好きな人に離れられて家が焼けて親類も全員死んでしまいには闇金に引っかかったらどうしよう!?

これもマスト?あれもマスト?

世の中にはコンテンツの品数が多すぎる。

どんなカルチャーを食べてよいかわからないと悩まないよう、フラスコ飯店が食べ合わせの良い「定食」を自信をもってご提案いたしましょう。

今回のテーマは「シウマイ」。

シウマイを正しく食べ続けるのに役立ちそうな映画を揃えてみました。 あいにく今日のお弁当は映画ばかりですが、味には自信がございます。