I’m back. Omatase. 

カテゴリー: 特集

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)が公開されてからもう随分と時間がたった。

あの映画による印象は俳優たちにも大きな影響を与えていてる。

ぼくは主人公マーティ役のマイケル・J・フォックスを他の映画やドラマで見た時にどうしても「マーティの人」という認識してしまうことがある。

そんなドでかい印象を与えるほどの『BttF』に最も影響を受けたものの一つにデロリアンDMC-12という車が存在する。

奇抜なデザインの車体にタイムトラベルを実現するための改造を施した最高にクールでかっこいい車。

デロリアンはBttFによって「バック・トゥ・ザ・フューチャーの車」というイメージを持つ大人気スターとなったのだが、実は悲惨な運命を背負っていたのだ。

【こっちもオススメ】
映画音楽にはその時代の景色が詰まっている(BttF評)

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は誰もが愛する名作ですが、実はこのエンタメ、用心しないと見逃してしまいそうな些細な些細な政治的メッセージが隠されています。それを大っぴらにすることなく、表面上では老若男女が理屈抜きで楽しめる。楽しめてしまう。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』という映画の一番残酷なところです。良薬口に苦し。裏を返せば、甘いものは身体に悪いかもしれないということです。

ロバート・ゼメキスは稀代のエンタメ映画作家ですが、その一方で彼の映画を丁寧に読むと、実は意外に極めて政治的な人なのでは?としか思えないような映画の作りをしているのです。エンタメはエンタメ。そこに水を差すつもりはありませんが、敢えてこう書きましょう。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』という映画は極めて「保守的」な映画であると。白人至上主義的で家父長制的な「強さ」の映画であると。

音楽は映画にどんな影響を与えているのか。主人公の感情を表現したり、映し出されているシーンの意味を更に際立たせる演出であったり。

それと同時に、映画にとって音楽はその時代の音を表現する場合がある。

何年かたってから見返してみると時代の音を反映していたことがわかるのだ!

そういった演出は製作者たちが意図して時代の音を使用する場合と意図せずに使用した音やBGMが、当時の流行に添っていて何年もたってから見返した時にその時代の雰囲気を醸し出すこともある!

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)(以下『BttF』)という作品は過去(1955年)と現代(1985年)の二つの時代を行き来する作品であるため、時代背景を表す際巧みに音楽を使い分けているのだ!

50年代のロックの基盤となったチャック・ベリーや80年代MTV全盛期の「聴く音楽から見る音楽」へと変わっていった時代背景などを反映させながらBttFの世界は描かれていたのだ!

(C)2020「MOTHER」製作委員会

上映時間、2時間6分。長く重く、どろついた時間をかけて底のほうに溜まっていく沈殿。ラストカットの長澤まさみの顔はその澱(おり)を眺めているような、あるいは澱そのもののような表情であった。

あの表情は、あの沈殿は、ひいてはあの作品は、何を描いていたのだろうか。

2019.12.31 / / 特集

【関連記事】
特集・映画『her』① | 「声」に「触れる」ことで確信する、サマンサの実在:メディア論的考察

衝撃のラスト、なんて書くと月並みで呆れられやしないかと冷や冷やしますが、そんなクリシェを悠々と乗り越えてしまうほどこの映画の結末は衝撃的なのです。

実体のない声だけの存在であるAI(作品内ではOSと表現される)と生身の人間の恋愛は、数々の困難を乗り越えて一旦は成就します。それがなぜ・どのように恋愛関係が形成されていったのか。それについては別の記事を参照されたし。とかく、一度は恋が実ったのです。

が、しかし、さらなる展開で居心地の悪いラストを迎えます。AIのサマンサはセオドアと決別。一件落着ハッピーエンド……とは到底ほど遠いように見えて、しかしその直後の結末まで映画を見届けるとやはりセオドアはこれで幸せなようにも感じる。

え?なに?どういうこと?

考えれば考えるほど頭が割れそうになる。もうすっかり限界を迎えたルービックキューブを力ずくで捻っている時のような悲痛な軋みが左脳から聴こえる。わからないけれど、わからないなりに筆をとって頭を整理させようと思います。

『her』 の最後の「あれ」(としか表現できない正体不明のモヤモヤ)は結局どういうことだったのでしょうか。「言語」をキーワードにこの疑問の正体に迫ります。

2019.12.19 / / 特集

人間はどこまで”愛情”をテクノロジーに委ねられるのか? いつの時代も語られてきた論争の種だ。

「大事な事は直接伝えるのか、電話でもいいのか?」
「別れ話は電話派?メール派?」
「仕事の内容はメールで! プライベートの会話はLINEで!」

……などなど。相手に感情を伝えるとき、そのツールによってメッセージの意味は少しづつ異なる。テクノロジーでギャップが生じるのだ。『her/世界でひとつの彼女』という映画には、この「テクノロジーを介して表現される愛情の違和感」という大きなテーマが隠されているとぼくは考える。

2019.12.16 / / 特集

映画『her』の主題、それは「AIと人間との間の愛」です。恋愛映画として特徴的なのは、相手の姿は一度もスクリーン上に現れず、デバイスを通した「声」を聞くことしかできないという点です。それにもかかわらず、主人公の男性セオドア、そして私たち観客は、「彼女」の存在を強く感じます。姿形のないAIとの恋愛を全くあり得ないものとは思えなくなっていきます。 それはなぜなのか。 私たち人間にとって「声」や「音」とはどのようなものなのか。そしてデバイス・コミュニケーションにとって「インターフェース」に「触れる」ことが果たす意義とは何か。この二つの問いに…

2019.08.18 / / 特集

主題歌は主題以下の下世話なメッセージを放つことがしばしばであり、映画ファンの積年の悩みであった。――という表現はいささか過激でしょうか。

映画「ちはやふる」シリーズ3部作は、「少女漫画原作の映画化」という一部映画ファンにとっては頭の痛い呪いの冠を持ちながらも1000年後も残るであろう素晴らしい作品になりました。

2019.08.18 / / 特集

か細く、弱弱しい励ましの声が聞こえました。

それは西宮ガーデンズのレイトショーで僕が『ちはやふる -結び-』を見ていたとき。クライマックスのある場面で、盛り上がりに盛り上がったところで隣の若い女性が上映中に声を漏らしたのです。

「たいちぃ~」

うん、わかる。気持ちはわかる。僕も思いましたよ「ちはや~~!!」って。「しのぶちゃん!!!」って叫びたくなりましたよ。松岡茉優好きだし。

でも、僕は敢えて声を大にして言いたい。「ちはやふる」シリーズは、言わずもがな少女漫画原作の映画ではあるが、しかしながら「恋愛映画」ではないと。にもかかわらずなぜ彼女は「たいちぃ~」と甘い声を漏らしたのか。今日はこの謎を解き明かしてみたいと思います。

Twitter あります