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2020.08.31 / / わた藤

高校3年生の時、家庭の事情で気を病んで1年半に渡って不登校気味だったわたしを絶望させた言葉がある。担任の先生が言った「でもあなたはいつか自分で働いて、自分で生活しなくちゃならない。そのためにはちゃんと大学に行かないといけないのよ」という言葉だ。

薄暗い進路指導室で、先生の鋭くも暖かい視線がおでこに突き刺さっていた。わたしはなんとか「じゃあ、破滅します」と答えた。先生の深いため息がわたしの前髪を揺らした。

どうしようもなくへこんでしまったら、とりあえず踊りませんか。

曲をかけて、好きに体を動かすだけ。すごく簡単です。

みんなは普段、人前で踊りますか?

私は踊りません。ほぼ。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)が公開されてからもう随分と時間がたった。

あの映画による印象は俳優たちにも大きな影響を与えていてる。

ぼくは主人公マーティ役のマイケル・J・フォックスを他の映画やドラマで見た時にどうしても「マーティの人」という認識してしまうことがある。

そんなドでかい印象を与えるほどの『BttF』に最も影響を受けたものの一つにデロリアンDMC-12という車が存在する。

奇抜なデザインの車体にタイムトラベルを実現するための改造を施した最高にクールでかっこいい車。

デロリアンはBttFによって「バック・トゥ・ザ・フューチャーの車」というイメージを持つ大人気スターとなったのだが、実は悲惨な運命を背負っていたのだ。

【こっちもオススメ】
映画音楽にはその時代の景色が詰まっている(BttF評)

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は誰もが愛する名作ですが、実はこのエンタメ、用心しないと見逃してしまいそうな些細な些細な政治的メッセージが隠されています。それを大っぴらにすることなく、表面上では老若男女が理屈抜きで楽しめる。楽しめてしまう。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』という映画の一番残酷なところです。良薬口に苦し。裏を返せば、甘いものは身体に悪いかもしれないということです。

ロバート・ゼメキスは稀代のエンタメ映画作家ですが、その一方で彼の映画を丁寧に読むと、実は意外に極めて政治的な人なのでは?としか思えないような映画の作りをしているのです。エンタメはエンタメ。そこに水を差すつもりはありませんが、敢えてこう書きましょう。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』という映画は極めて「保守的」な映画であると。白人至上主義的で家父長制的な「強さ」の映画であると。

音楽は映画にどんな影響を与えているのか。主人公の感情を表現したり、映し出されているシーンの意味を更に際立たせる演出であったり。

それと同時に、映画にとって音楽はその時代の音を表現する場合がある。

何年かたってから見返してみると時代の音を反映していたことがわかるのだ!

そういった演出は製作者たちが意図して時代の音を使用する場合と意図せずに使用した音やBGMが、当時の流行に添っていて何年もたってから見返した時にその時代の雰囲気を醸し出すこともある!

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)(以下『BttF』)という作品は過去(1955年)と現代(1985年)の二つの時代を行き来する作品であるため、時代背景を表す際巧みに音楽を使い分けているのだ!

50年代のロックの基盤となったチャック・ベリーや80年代MTV全盛期の「聴く音楽から見る音楽」へと変わっていった時代背景などを反映させながらBttFの世界は描かれていたのだ!

(C)2020映画「糸」製作委員会

スーパーで良いお肉を買ってきて、塩コショウで焼くだけ。それだけで十分美味しくなるのに。どうして脱いだ靴下をドクターペッパーで煮詰めたような味がするのでしょうか。

菅田将暉と小松奈々を主演に迎え、中島みゆきの名作「糸」から着想を得た脚本で「平成史」を描く――という看板を掲げさらに斎藤工や成田凌、榮倉奈々が脇を固め、音楽は亀田誠二。材料はどれも一級品ばかりなのに、勿体ないの一言です。誰が焼いても美味しくなるはずなのに。スーパーどころか百貨店で世間知らずが好き勝手買い物をした挙句、料理を知らない子どもに丸投げするかのような粗悪な出来でした。

(C)2020「MOTHER」製作委員会

上映時間、2時間6分。長く重く、どろついた時間をかけて底のほうに溜まっていく沈殿。ラストカットの長澤まさみの顔はその澱(おり)を眺めているような、あるいは澱そのもののような表情であった。

あの表情は、あの沈殿は、ひいてはあの作品は、何を描いていたのだろうか。

CAUTION!!

これはイラストレーターの逆襲です。

WEB記事において、“アイキャッチイラスト”とは、記事ありきのイラストです。

「ライター陣ばっかり好きなもの好きなように書くのずるいよ!」

そんなイラストレーターの一声から始まりましたこの逆襲。

イラストレーターが描きたいものを自由に描いて、それに沿ってライターが執筆する。これは、記事ありきのイラストというこれまでの制作の流れを止め、イラストありきの記事にするという、超我儘企画です。

詳しくは
私、フラスコ編集部に逆襲します。

第二回はライター・和島咲藍に逆襲!

18:07

 『そろそろお祝いのご飯どうですか? 8月1日と2日の週末、どっちがいい?』

 遅い梅雨明けが見えてきた7月中旬のある日、母からのメッセージを受信した携帯電話がぶるっと震えた。
 「どうですか?」と尋ねておきながらこちらが「行く」と答える前に日程の確認をしてくる強引さが、いかにも彼女らしかった。

(C)2019 Universal Pictures and Storyteller Distribution Co., LLC. All Rights Reserved.

『1917年 命をかけた伝令』は、第1次世界対戦中1,600人の命を救うための伝令を運ぶ、戦場の中を走り抜けて、お手紙を手渡しで届けに行く話だ。1917年はスマホでLINEを開けば、10秒でメッセージが送れる今とは大違い。「ちょっと連絡したい」と思っても手軽な連絡手段がない。実際に行かないといけないのだから。

さて、この映画は最初から最後まで一息に撮影された「ワンカット」映画だと大きく喧伝されているが、残念ながら実際のところはそうではない。「ワンカット風」なのだ。

「いやいや、ここ編集してるでしょ!」「このシーンの暗転では流石に切り替えられるでしょ!」と怒っている人すらもいるくらいだ。あくまでもワンカット「風」なのだ。

気になるのは、なぜワンカット警察にどやこや怒られるリスクを背負ってまで、わざわざワンカット風で仕上げたのか? ということだ。「風」であったとしてもかなり面倒であることには変わりない。

どうしてそんなめんどくさいことをしたのか? という疑問をこの記事で考えていきたい。

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