「ホラー映画かと思って観ていたら、恋愛映画だった」
ぼくの実の姉がCS局の映画専門チャンネルで放映されていた『エターナル・サンシャイン』(2004)をたまたま観た直後に放った感想である。
『ダークナイト』(2008)の半端ではないほどの緊張感を作り出しているのはヒース・レジャー演じるジョーカーというキャラクターである!……というのは今回は置いておいて、目には見えないが、明らかに緊張感にブーストをかけているBGM。つまり音楽に注目してみた時に、あの緊張の糸が張り詰めていくような上昇していくストリングスの音はまさにジェットコースターのそれだ!上昇しすぎて千切れてしまいそうなのに、まだ上昇するから本当にハラハラする。
一度だけ、「愛してる」と言った。冗談で。途端に身体と顔は燃え上がり、心臓は壊れたように騒ぎ出した。それ以来、言えない。「愛」という言葉は理の外にあるみたいだ。誰に言ったのかも覚えていない。この人に言ったかなと思う人に電話して聞いてみたが違った。「あなたに愛してると言いましたか? 」と尋ねるのは恥ずかしくて、「あー」とか「うー」とか言って分かってもらった。なんという不誠実さ! ともあれ、それくらい適当に言った。
とにかく、僕は逃げた。
映画は娯楽か?芸術か? ぼくの回答は「どっちも踏まえて芸術だし、どっちも踏まえて娯楽である」というような自問自答しておきながら、なんともすかした答えになってしまう。 あまりに芸術的な観点で映画を観てしまうと、ただただ派手で楽しい演出などを楽しめなかったり、逆に娯楽として楽しむためだけに映画を観てしまうと細かな描写や演出などを見落としてしまう。このバランスを絶妙に保ちながら映画を観賞することで視野を広げ、一本の作品からできるだけ多くの感動を得ることができると考えている。 それは、音楽に置き換えても同じことが言える。 今回の題材となる『オ…
「誕生日おめでとう。何歳になったの?」
「わ〜ありがとうございます。29歳になりました……」
「えっ、もうそんな歳になるっけ?(笑) やばいね(笑)」
年明けめでたい空気が残る中で、不意に目の前で起こった会話だった。
23歳を過ぎた頃から、周りは優しく危機感を摺り込んできて、そして当事者の私たちはしきりに確かめ合うようになる。「そろそろやばいかな?」なんて。
変わらないままいるなど、許されないみたいだ。
(C)「街の上で」フィルムパートナーズ 倍速で映画を見るのは是か非か。筆者としては「非」一点なのですが、とかくそんな議論が少し話題になりました。すっかりその熱は冷めましたが、また今後も定期的に燃え上がる火種だろうと睨んでいます。 もし仮に、倍速で『街の上で』という映画を見たとします。こうして「視聴した」という事実は、「鑑賞した」という体験と符合するのでしょうか。 いいえ、きっとそうはならない。倍速処理を施すことによって指から零れ落ちるものたちこそが、きっとこの映画のエッセンスでしょう。 『街の上で』 今泉力哉監督作品。同氏の監督作『愛…
(C)2020「私をくいとめて」製作委員会
高校からの友人たちとオンライン飲みをしていたときだった。オンライン飲みあるある:終わり方がわからなくてずるずる長くやってしまう。あのときも床にあぐらをかいて座って腰を痛めながら、盛り上がりのピークも超えたのにゆるゆるとしゃべっていた。
最近見た映画の話になった。ちょうど1回目の緊急事態宣言が解除されて映画館の営業が再開したころで、ずっと期待していた『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』を映画館で見ることができて喜んでいた。
モニターには僕を含め4人の顔が写っている。男女2人ずつ。そのうち女性2人と僕の3人が『若草物語』を見ていた。「どうだった?」と問われた僕は、
「めっちゃおもしろかった。すごいアツかったよね」
と答えた。それを聞いた女性2人がどういう反応をしていたのか、僕はあまり覚えていない。仮想空間には共有できる空気はほとんどない。だから僕が覚えているのは僕の部屋の空気だけで、それは何かを避けて当たり障りのないことを言ったときの空気だった。でもその空気を覚えていることも忘れてしまっていた。
クラブやライブハウスでトランス状態になったことはあるだろうか。ぼくは何度も経験したことがある。もちろんNOドラッグで!お酒と音楽の相性の良さは侮れない。
どこかへ連れて行かれる感覚だ。
特にクラブで流れる四つ打ちテクノミュージックは時間の感覚が伸び縮みしているようにも感じるほど思考から冷静さを抜き取っていく。
音楽を聴いていて涙が出てしまったことがあるだろうか。
この場合の音楽というのは “歌” ではなくあくまで “音楽” を聴いて涙が出てしまったことを指していると考えて欲しい。
それは、歌詞に共感して泣けるものとは違い、サウンドや旋律を聴いている間になぜか心がざわついてきて涙がこぼれるという感覚だ。
ぼくは映画『Stand by me』(1986)を観るとほとんどの確率でエンドロール中に涙がこぼれてしまう。それはメインテーマであるBen E. Kingの『Stand by me』(1961)が流れるからだ。感情が昂っている時に聴くあの曲にはぼくの涙腺は太刀打ちできない。
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流行ってるらしいが、どんなもんかいや。寝る前に自分の部屋で「clubhouse」というアプリをダウンロードしてみる。軽くパニックになった。
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こんな田舎町、はやく出て行ってやるんだーーみたいな描写がフィクションの中にあるとドキッとしてしまう。悪いけど言ってしまえば、僕はある程度、都会の人間なわけでして。
日本の中心たる京都市の真ん中で育った。関西の街なら梅田も難波も三宮も、別になんとなく歩くくらいはわけない。たとえ「3時間遅刻するから待っていて欲しい」と言われたとて、別に特段困りはしませんよ。嫌やけどね。
申し訳ないけど、都会への憧れだとか、あるいは畏敬の念なんてものはない。自分でも書いていて甚だ鼻につくけれど、ないものはないのだから仕方ない。だって生まれ育ってるんだからさ。僕だって別に選んだわけじゃないです。とはいえ、どんな人間にだって「はじめて」は存在する。I will give you all my love.
幼いころに正月の祇園で手を引かれて「ほほう、これが」と思ったものです。はじめて難波の「あのグリコ」を見たときの気持ちとか、四条での時間の過ごし方がわからなかった小学生の時の焦燥とか。あるいは、地下街で迷子になったときの絶望とか。
そういう感覚、すっかり忘れていたけれど、ちょっと思い出した気がします。
回想を経て再び自室へ戻る。掌の中から覗く「clubhouse」は、僕にとって未知なる「都会」だったのです。